Essay 28  新しい季節を着替えて
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」

梶井基次郎の短編のフレーズが、頭をかすめる季節となった。自宅の窓から見える桜は、眩しいばかり の鮮やかな桃色をつけている。その美しさは、僕の洋々たる前途を祝福してくれているのか?それとも 程なく散ることで、人生の厳しさ、儚さを寡黙に伝えようとしているのか?

朝、出勤の為定刻通り電車に乗ると、車両の様子がいつもと違う。真新しい制服に身をつつんだ二人の 少女が、それぞれの母親らしき女性とペチャク
チャ喋っていた。おそらく、今日が入学式なのだろう。 同じ中学校の出身なのだろうか、昔の思い出話やこれからの生活への期待などを微笑み合いながら語り合っていた。

大伴家持が、『万葉集』で次のような歌を詠んでいる。

  
“もののふの 八十少女(やそおとめ)らが くみまがふ    
             寺井の上の 堅香子(かたかご)の花”


奈良時代、村々に住んでいた少女たちは水を汲みに泉へと足を運んでいた。「堅香子」とはユリ科の植 物で、カタクリのことを指す。4月に桜と同じピンクの花を咲かせ、翌月には消えてしまう植物だ。た くさんの少女たちが楽しくお喋りをしながら泉にやって来たら、どこから汲めばいいのか困るほど寺井 の上に堅香子の花が鮮やかに咲いています━。この歌を詠んだ家持は、当時役人として越中(現・富山県) に赴任していた。冬は雪が深い山地だけに、春の訪れは彼にとって格別のものであったに違いない。待ち に待った、春の躍動感がひしひしと伝わってくる歌だ。笑みを湛える女子高生たちの顔を見ながら、家持 の気分になっていた。1300年の時を経ても、ファンダメンタルな部分で大和民族の心は変わらない ものだ。

そんな温かい気持ちを胸元で抱擁しつつ会社に着いたら、「就職難で学生の自殺急増」という凄惨な文 言のミサイルが、僕の眼を目がけて飛んできた。新聞とは、なんと残酷なツールなのだろう。警視庁の 調査では、短大・大学生の自殺者数は21世紀に入ってから320〜340人台を推移しているという。 これは、90年代前半の1.5倍だ。バブル崩壊以降現在まで10年以上続く不況は、若者から“未来へ の希望”という生命維持のアイデンティティーを剥ぎ取った。“本当にやりたいことができない”社会 ほど、やりきれないものはない。金銭的な理由で学校を退学せざるを得ず、夢破れフリーター生活を送 る人々は急増の一途だ。未来からの贈り物である若者を殺してしまう社会とは、一体何だろう。朝、電 車で見かけた笑顔溢れる少女たちの顔を思い出した。あの子たちは5年後も、今朝と同じような微笑み を湛えて生きているだろうか?

僅か35年の生涯を駆け抜けた正岡子規が、生前こんな言葉を遺している。

「禅の悟りとは、いつでもどこでも、死ぬ覚悟ができることだと思っていたが、大変な誤解。いかなる 場合でも、平気で生きることである」

我が国は現在まで60年、国権の発動たる戦争を行うことはなかった。がしかし、新聞では戦火無き戦 争が毎日のように報じられている。僕は禅の心得はないが、子規の言う通り、目の前で何が起ころうと も“平気で”生きてゆきたい。そしていつか、真の意味で世界に平和が訪れるように祈りたいと思う。

さあ、桜が散ったら、胸にたぎる思いを懐かしい風に乗せて、新しい季節を着替えましょうか。          
                                       Shuichi Hatta 2004.4.5