Essay 27  喜劇王よ、永遠なれ
3月23日、午後18時45分。仕事帰りの僕は、地下鉄・乃木坂駅に降り立った。自宅のある千葉と は、正反対の方向だ。駅のトイレに入り、ネクタイを黒に代えた。敬愛してやまないザ・ドリフターズ のリーダー、いかりや長介さんに、最後のお別れを言いに行く為だ。あまりに突然の訃報だった。青山 葬儀所に入り、記帳を済ませて献花台と対峙する。ミュージシャンとして出発した長さんらしく、ベー スを奏でる姿が遺影として飾られていた。じっと写真を見ていると、自然と涙がこみ上げてくる。血の 繋がっていない人の死が、こんなにも悲しいのは初めてだ。周りを見渡すと、白髪混じりの男性と茶髪 の女子高生が一緒に泣いている。戦後最大のスターと呼ばれた美空ひばりさんや石原裕次郎さんの葬儀 でも、こんな光景はなかった。いかりや長介は“ある世代以上にとってのスター”ではなく、間違いな く“現在進行形の国民的スター”であった。

東京オリンピックの年に結成されたザ・ドリフターズは、高度経済成長時代からまさに戦後の日本を代 表する一つの文化として唯一無二の存在であり続けた。土曜の夜8時は日本国民の半分が『8時だヨ! 全員集合』にチャンネルを合わせ、家族がみんな揃って食卓を囲みながらドリフを楽しんだ。そこには 兵隊に取られる心配もなく、明日の食べ物にも困らない、なんとも幸福な戦後日本の姿があった。ドリ フのコントが、アドリブなしの緻密な構成であったことは有名だ。その稽古は、素人の想像を超える過 酷なものだったと伝えられている。長さんの厳しさ、仕事への一途さが加藤茶、志村けんという日本の お笑い史に残る逸材を育て上げた。『全員集合』は、学校やPTAから“俗悪番組”という烙印を押さ れる。しかし、本当にそうだったのだろうか?あの番組を見て育った子供たちは、今は普通の大人とし て社会をちゃんと支えている。むしろ、ああいう番組を見ずに育ったユーモア無き少年の成れの果てが、 いかがわしい新興宗教の先兵であったり、とみに増えた凶悪事件の主犯であったりするのではないか? 晩年の長さんは、音楽と笑いの世界で培った芸の蓄積を、演技の世界で遺憾なく見せつけた。今の10 代の人たちにとっては、いかりや長介はコメディアンではなく「俳優」なのだろう。自著『だめだこりゃ』 で自らを「四流のミュージシャン、四流のコメディアン」と語った長さんだったが、前者はともかく、 後者としては超一流だったことは衆目の一致するところだ。そして、『取調室』や『踊る大捜査線』と いった代表作にも恵まれ、俳優としても一流との声が高まった矢先の、突然の旅立ち。あと10年、早く 生まれて『全員集合』をもっとリアルタイムで見たかった。もうあと10年、長さんの芸を見ていたか った。僕がドリフを語る時は、いつも“あと10年”がキーワードだ。

房総を舞台に、田宮虎彦が花づくりに生涯を賭けた女性を描いた『花』という小説がある。その中に、 次のような科白があった。

「花は口で食べることは出来ねえだが、口で食べるものだけが食べ物じゃねえだ。心で食べるものが なくなった時、心は生きていけねえだ」

“笑い”という名の種を一生懸命に育て、そして出来上がった見事な花々を大衆に贈り続けた男。 幼かったあの頃、“心で食べた”あの沢山の花束は、これから何十年経っても、胸の中で生き続けるこ とだろう。偉大なコメディアンと同じ時代を駆け抜けたことを、心から幸せに思う。


ザ・ドリフターズリーダー、いかりや長介、享年72。 喜劇王よ、永遠なれ。                        
                                       Shuichi Hatta 2004.3.24