Essay 26  正しく生きるためには
先日テレビを見ていたら、“プロジェリア”という病に罹っている14歳の少女の闘病記が放映されて いた。この病気は通常の10倍のスピードで身体が老いてゆくという原因不明の難病で、発症する確率 は800万人に1人。現在、世界でも僅か30件しか報告例がないという。

画面に映る少女は、既に身 体年齢は100歳を超えている。一日に何個もの薬を飲みながら、外見は自分の孫のようにも見える母 親に連れられ学校へと通う。体力は限界に達しているが、本人の強い希望で障害学級ではなく一般学級 に在籍。幾分か体の調子が良い日は難病の子供たちが入院する小児病棟に駆けつけ、小さな体を震わせ ながら温かい言葉で激励する。彼女は自分の宿命を受け入れ、僅かな人生をより良く生きようとしてい る。これほど、美しい事実があろうか?そのひたむきに生きる姿に、落涙を禁じえなかった。
我々が住むこの世界は、すべてが啓示で満ち溢れている。例えば、自動車免許の書き換えに行った際に 免許センターの職員の態度が悪く、非常に腹が立ったとしよう。それは、自分も別の場面で誰かに無礼 な態度を取っているという事実と、だからこそ他人にそういう思いをさせてはならぬという啓示に他な らない。
「すべての人間は、他人の中に鏡を持っている」とは19世紀ドイツの哲学者・ショーペンハウ エルの箴言だ。テレビで感動する番組を見ることができたなら、その感動を暮らしに活かせばいい。交 通事故の凄惨な場面を目の当たりにしたなら、自分の運転に細心の注意を払えばいい。素晴らしい友人 に出逢うことができたなら、有形の宝物だと思って長く大切にすればいい。
そうやって目の前で起こる 一つ一つの出来事を大切にしていれば、自ずと“人生の目標”ができるだろう。それはきっと、社会貢 献と昭和憲法で謳われている“健康で文化的な生活”の連続に合致しているはずだ。

最近、反社会的企業の体質や国会議員の品位が国民的議論の的となっている。悪徳商法に手を染める連 中や、国会で議席の最後部に陣取る与党議員の顔を見るがいい。人間らしく生きることを放棄した、哀 れな畜生の姿ではないか。人間は、誇りや思いがあってはじめて“人間”になる。それを踏みにじるよ うな輩を、断じて許してはならない。人は、誠実に生きなければならぬ。正しく生きなければならぬ。

先日、『宮本武蔵』や『三国志』の著作で有名な昭和の文豪・吉川英治が遺した直筆の色紙に触れるこ とができた。そこには、力強い文字で
「我以外皆我師也」とあった。簡潔にして至上の名言だと思う。い い人と触れ合うことができたら、その人の域に達するように人格を磨いてゆけばいい。悪い人間を見掛 けたら、自分はあんな惨めな姿になってはいけないと強く心に刻めばいい。目に映るもの、体験するも の全てが“先生”である。正しく生きるには、自分の身の周りで起きる出来事を誠実に受け止めること だ。

人には傾聴と感謝、自らには情熱と覚悟。偉くなるより、正しく生きたい。

                                       Shuichi Hatta 2004.3.12