恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で開催されていた「ファミコン生誕20周年〜テレビ
ゲーム博覧会」に足を運んだ。昨年、生誕20年を迎えながら製造中止となり、その歴史に幕を下ろし
た“ファミコン”。幼かったあの頃、数々の夢と勇気をくれた偉大なゲーム機が記憶の彼方へと消える
前に、その最後の勇姿と対峙すべく会場に入った。
会場へと続くエレベーターが開くと、目の前にはイベント終了を前に駆けつけた多くの人で溢れていた。
見たところ、年齢は皆僕と同年代かそれ以上の人ばかり。さすがにモノの分別がつく世代なのか、10
代の若者がつくる雰囲気とは違う、落ち着いた大人の盛り上がりが会場を包んでいた。 |
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「ああ、あれは結局クリアできなかった」「あのソフトはテストで満点取ったごほうびで買ってもらえ
た」「あのゲームはあの場面でジャンプすると1UP」・・・ガラスケースの向こうを覗き込みながら、
会社帰りに一緒に足を運んだ友人との会話も弾む。その話を横で聞きながら、「僕もあの場面は苦労し
ましたよ」と、同じ時間に来ていたサラリーマン風の男性が話しかけてくる。そう、住んでいた場所や
環境が違っても、皆同じ時代を駆け抜けてきた同志だったのだ。早くゲームをやりたい一心で、放課後
はランドセルを背負いながら一目散に家へ帰ったあの頃。会場は、そんな幼少期を送った人々の温かな
連帯感に包まれていた。 |
『ドンキーコン グ』をはじめ、ファミコン対応で出された殆どのゲームソフトと、それに付随する当時の発売予告チラ
シ等が目に次々と飛び込んでくる。展示されている無数のゲームソフトを眺めていたら、その場ではじ
めてその存在を知るソフトにも結構出くわした。おそらく、全く売れなかったのだろう。当時ヒットゲ
ームを出しながら、後が続かず倒産の憂き目を見たメーカーも多く、著作権の関係で出展できないケー
スもあったという。なんとも、資本主義は残酷だ。
経路を進むと、ファミコンソフトの製作に携わったクリエイター達のインタビュー映像が流れていた。
その中で、糸井重里氏が話していた次の言葉が印象的だった。
「クリエイティブは、一度大衆の手に渡るんです」
太宰治の『葉』の一節、「芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である」にも通じる言葉だ。芸術家は、
自らの孤高に陶酔してはならない。鑑賞してくれる人があってこその芸術である。どんな世界であれ、
モノを創る人間はいつも一生懸命だ。それはゲームとて例外ではない。プレイして、感動してくれる子
供がいるからこそ、少年の心を持った大人たちはいくらでも頑張ることができる。音楽の世界も、また
同じである。
最後に、一世を風靡した『ドラゴンクエスト』をプレイした。一体、何年振りだろうか。内容は忘れかけ
ているはずなのに、コントローラーを握る指が勝手に動いてしまう。既にレベルが高めに設定してあった
ので、あれよあれよという間に悪の権化・竜王との対決まで来た。小学生の頃、何度この怪物と対峙した
ことだろう。激しい戦闘の後、画面がオレンジ色に変わった。「あなたはしにました」の文字。ゲームオ
ーバーだ。懐かしい風が心のドアをそっと叩き続ける中、僕はゆっくりとコントローラーを置いた。これ
で、遊びは終わりだ。こんなに夢中になれたゲーム機には、もう二度と出逢うことはないだろう。思い出
は大切にして、また明日から大人として頑張ってゆこう。プレイ中に緩めたネクタイを再び締め直して、
僕は会場を後にした。
平成15年5月31日、ファミリーコンピュータ製造中止。
・・・そして、ゲームは終わった。 |
Shuichi Hatta
2004.2.13 |
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