Essay 23   そして、ゲームは終わった
恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館で開催されていた「ファミコン生誕20周年〜テレビ ゲーム博覧会」に足を運んだ。昨年、生誕20年を迎えながら製造中止となり、その歴史に幕を下ろし た“ファミコン”。幼かったあの頃、数々の夢と勇気をくれた偉大なゲーム機が記憶の彼方へと消える 前に、その最後の勇姿と対峙すべく会場に入った。

会場へと続くエレベーターが開くと、目の前にはイベント終了を前に駆けつけた多くの人で溢れていた。 見たところ、年齢は皆僕と同年代かそれ以上の人ばかり。さすがにモノの分別がつく世代なのか、10 代の若者がつくる雰囲気とは違う、落ち着いた大人の盛り上がりが会場を包んでいた。
「ああ、あれは結局クリアできなかった」「あのソフトはテストで満点取ったごほうびで買ってもらえ た」「あのゲームはあの場面でジャンプすると1UP」・・・ガラスケースの向こうを覗き込みながら、 会社帰りに一緒に足を運んだ友人との会話も弾む。その話を横で聞きながら、「僕もあの場面は苦労し ましたよ」と、同じ時間に来ていたサラリーマン風の男性が話しかけてくる。そう、住んでいた場所や 環境が違っても、皆同じ時代を駆け抜けてきた同志だったのだ。早くゲームをやりたい一心で、放課後 はランドセルを背負いながら一目散に家へ帰ったあの頃。会場は、そんな幼少期を送った人々の温かな 連帯感に包まれていた。
『ドンキーコン グ』をはじめ、ファミコン対応で出された殆どのゲームソフトと、それに付随する当時の発売予告チラ シ等が目に次々と飛び込んでくる。展示されている無数のゲームソフトを眺めていたら、その場ではじ めてその存在を知るソフトにも結構出くわした。おそらく、全く売れなかったのだろう。当時ヒットゲ ームを出しながら、後が続かず倒産の憂き目を見たメーカーも多く、著作権の関係で出展できないケー スもあったという。なんとも、資本主義は残酷だ。 経路を進むと、ファミコンソフトの製作に携わったクリエイター達のインタビュー映像が流れていた。 その中で、糸井重里氏が話していた次の言葉が印象的だった。

「クリエイティブは、一度大衆の手に渡るんです」

太宰治の『葉』の一節、「芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である」にも通じる言葉だ。芸術家は、 自らの孤高に陶酔してはならない。鑑賞してくれる人があってこその芸術である。どんな世界であれ、 モノを創る人間はいつも一生懸命だ。それはゲームとて例外ではない。プレイして、感動してくれる子 供がいるからこそ、少年の心を持った大人たちはいくらでも頑張ることができる。音楽の世界も、また 同じである。

最後に、一世を風靡した『ドラゴンクエスト』をプレイした。一体、何年振りだろうか。内容は忘れかけ ているはずなのに、コントローラーを握る指が勝手に動いてしまう。既にレベルが高めに設定してあった ので、あれよあれよという間に悪の権化・竜王との対決まで来た。小学生の頃、何度この怪物と対峙した ことだろう。激しい戦闘の後、画面がオレンジ色に変わった。「あなたはしにました」の文字。ゲームオ ーバーだ。懐かしい風が心のドアをそっと叩き続ける中、僕はゆっくりとコントローラーを置いた。これ で、遊びは終わりだ。こんなに夢中になれたゲーム機には、もう二度と出逢うことはないだろう。思い出 は大切にして、また明日から大人として頑張ってゆこう。プレイ中に緩めたネクタイを再び締め直して、 僕は会場を後にした。

平成15年5月31日、ファミリーコンピュータ製造中止。

・・・そして、ゲームは終わった。
Shuichi Hatta
2004.2.13