Essay 10   美しき日本の女性たちへ
私は女系家族に育った。祖母は女子しか産まず、更に私の母以外の姉妹も女子しか産まなかった。
直系の男子は私ひとりだったから、兵庫へ帰郷する度に祖母は私のことを可愛がってくれた。実家は商家で、曾祖母が仕切り祖父は婿養子という典型的な女性優位。その影響だろうか、私は心のどこかで、物事を女性的な視点で捉える面を持ち合わすようになった。文学を志したことも、女性の側に立った詞を書くことが多いのも、とてもこの事情と無縁とはいえまい。祖母は『女子に学はいらぬ』という風潮の強かった戦前に明石女子師範(現・神戸大学)へ進学し、戦後没落の憂き目を見ながらも3人の娘を皆大学へ上げた。まさに凛とした美しき女性そのもの、私が今でも心から尊敬してやまない女性だ。
高校の頃、「ああ野麦峠」を読んだ。明治から昭和初期にかけ、日本経済発展の礎を担った生糸産業。その半分は、信州の養蚕業が占めていた。そしてその養蚕業は、10代の工女によって支えられていた。「野麦峠」とは、工女たちが飛騨から信州へ行く為に越えた峠だ。貧しい家と国家発展の為、吹き荒ぶ吹雪の中を少女たちが数珠繋ぎで進む。そして辿り着いた諏訪の工場で、朝の5時から夜の10時まで生糸を紡ぎ続ける苛酷な労働を強いられた。やがて工女たちは病気に蝕まれ、最後は廃人となって死んでゆく。涙なくしては読めないノンフィクションだ。今の日本があるのは、この少女のような偉大な先人のお陰である。日本の女性たちは、いつの時代も、ひたむきに生きてきた。
テレビを見ていると、渋谷や六本木辺りでブランド漁りに狂奔する女性の映像が時々流れる。あたかもそれが都会に生きる代表的な女性像かのように捉えがちだが、実体は違う。偽りの国際化に翻弄された一部の愚かなピエロを、面白可笑しく報道しているだけだ。戦後日本に吹き荒れたアメリカ資本主義の突風は、日本人の魂を一時的に弱くした。マッカーサーは確かに、日本人を骨抜きにすることはできたかもしれない。しかし、そのDNAまで支配する事はできなかった。大多数の日本人(特に女性)は、勤勉で有能そして真面目だ。これは旧石器・縄文時代からの不変の真理。一時的なトランス(陶酔)状態に陥る事はあっても、それが本能に勝つ事はありえない。

21世紀は女性の時代だと思う。「ああ野麦峠」の時代は“富国強兵”という国民共通の夢があった。現代は、自立心を持った女性が各々の力で、自己の夢を実現できる時代だ。私は世の女性たちに前向きに生きてもらいたくて、いつも応援歌を書いている。海のような広い心で男どもを愛し、そして時には母親のような気持ちで、叱咤激励してやって欲しい。女性がしっかりしていれば、この国は大丈夫だ。


・・・・美しき日本の女性たちへ。
どうかいつまでも、勁く優しい“心の美人”であって欲しい。
2003.10.31
Shuichi Hatta