Essay 1  言葉とはなんぞや?

新約聖書の“ヨハネによる福音書”の冒頭に「初めに言葉ありき」とある。言葉とは、遥か
伝説の時代から神の存在であった。井沢元彦氏の著書にもあるが、日本にも元来“言霊
信仰”というものがあり、言葉には霊が宿ると考えられてきた。言葉が他者とのコミュニケー
ションツ−ルとして存在する以上、、その扱いには細心の注意を払わねばならない。

中学の頃、太宰治の作品に傾倒したことがある。「トカトントン」の“恋をはじめると、とても音
楽が身に沁みてきます”や、「おさん」の“ああ、悲しいひとたちは、よく笑う”の一節には、子
供ながらに胸を熱くしたものだ。当時既に詩作を行っていた自分もいつか、誰かの心に残る
言葉を紡げたらいいな、と漠然と念願していた。

先般、小泉第二次改造内閣が発足した。小泉氏が相器であるかどうかは議論の分かれると
ころだが、2年半前、小泉氏を宰相の座へ押し上げたのは紛れもなく“言葉”の力であった。
どんなに危機が叫ばれようと、わが国はまだまだ安全と繁栄の酩酊にある。だが、戦争は
いつの時代も、為政者の不用意な一言で始まるもの。
太宰も、戦時中は国策で不本意な創作を余儀なくされたという。物書きが、安心して好きな
言葉を書ける世の中が少しでも続けばいい―それがささやかで、非常に大きな僕の願いだ。

言葉とは、なんぞや?
言葉こそ、人類が発明した最大の武器。赤心から投げた必死の言葉で、小さく震えている胸
を救うことだってできる。

 ・・・
だから僕は、言葉を遺そう


                                             Shuichi  Hatta
                                             (2003.9.29)