新婚旅行 イタリア・フィレンツェ編(旦那様特別寄稿)
2001年の4/25から5/8で、新婚旅行に行きました。
滞在した町は、バルセロナ(スペイン)、マルセイユ(フランス)、モナコ、フィレンツェ(イタリア)、ローマ(イタリア)の5都市で、結構忙しい旅行となってしまいました。
PONGは初のヨーロッパだったのですが、僕は98年のW杯以来2度目のヨーロッパです。そのときはリヨンとパリにしか行けず、地中海を見ることが出来ないのが心残りだったので、上記のようなチョイスの訪問先となりました。
では、日記風にいってみましょう!

5/2 「ひさしぶりの日本食でぽん生き返る!」

医者を巻き込んだ大騒動の翌朝、あまり元気がないものの、Pongは起きあがれるまで回復していました。せっかく豪華なホテルに泊ったのですが、あまり堪能できないまま、モナコを去ることになりました(後日、ホテルからお見舞いの手紙が届きました。このあたりはさすが、四つ星のホテルです)。
ホテル前からバスに乗り、ニース空港へ。そこからアリタリア航空を使い、フィレンツェに向かいました。

イタリアの古都であり、ルネサンスの中心だったフィレンツェ。
この街には前年に会社の同僚が新婚旅行で訪れていて、「とてもいいところだよ」と聞かされていたので、とても楽しみでした。
飛行機の窓から赤茶けた屋根の家々が集まった街を見たときには、感動しました。
空港に着いてからは、体調不良のPongに負担をかけないようにするため、タクシーを使って街に向かいました(ドライバーが女性で、親切な人でした)。
宿泊は駅の近くにある「ローマ」というホテル。部屋の窓の先には、隣の家のベランダがすぐ近くにあり、景観がいいとはお世辞にも言えないのですが、非常に天井が高かったせいか、部屋が広く感じました。
少し休憩してから、ドゥオモ近くへ。写真では見たことがあったのですが、その大きさは予想以上でした(左右の画像)。行き交う人との比較を見てください!
バルセロナを後にしてから、あまり日本人を見なかったのですが、ここには日本人がたくさんいて、そこかしこで記念撮影をしてました。
僕達二人は、そのあと、パッツィ宮前の道をぶらぶら歩きながら、シニョリーア広場へ。途中途中にある建物が、ルネッサンス時代の息吹を感じさせる、なんとも味のあるものだったのが印象的でした。
そろそろ夕飯の時間だったので、広場近くにある「絵伊都」という日本料理屋さんへ。
ここは板前さんも給仕の人も全員日本人でした。日本を出てそろそろ一週間経つし、前日の胃腸炎で弱っていたPongにはとても有りがたい店だったようです。
あまり重いものが食べられないからと、お茶漬けと豆腐を注文しました。前日の様子が大変だっただけに、僕も一安心です。ちなみに僕は、天ぷらを頼んだのですが、日本で食べるのと同じおいしさでした。
食後は、シニョリーア広場から共和国広場へ。
このあたりは夜になってもお店が開いていて、結構な人通りです。
共和国広場には大道芸人がたくさんいました。
僕とPongは、その中でも火を使った芸を見せる人のところを見物しました。
まあ、やってる芸はたいしたことないのですが、見せ方はうまかったですね。

フィレンツェは治安もいい街のようで、今回の旅行で初めて、安心して夜の街を歩きました。

5/3 「芸術の都にPongクラクラ!」

フィレンツェといえば、ウフィッツィ美術館です。
この美術館はルネッサンス美術の宝庫で、中世イタリアで権勢を誇ったメディチ家のコレクションが集められたところです。フィレンツェで最大の美術館で、大勢の人が訪れます。
僕達も開館30分前には美術館に行ったのですが、すでに行列ができていて、美術館内に入るのに1時間くらいかかりました。ここは、今回の旅行で僕が楽しみにしていた場所の一つだったのですが、期待以上のものでした。ボッティチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」、ダヴィンチの「受胎告知」、「東方三博士の礼拝」の他、ラファエロ、ミケランジェロといった巨匠達の作品が目白押しです。いや〜、ほんとに素晴らしかった!
ウフィッツィ美術館の鑑賞に3時間くらいかけたあと、ポンテ・ヴェッキオへ。これはアルノ川にかかる、フィレンツェの代名詞とでも言うべき橋です。橋の両側はいろいろな店があり、非常に活気に満ちていました。それから渡ったところにあるお店でパスタを食べました。すっかり胃腸炎から回復したPongは、念願のイタリアンデザートまで注文する勢い。
昼食の後は、パラティーナ美術館へ。ここにはラファエロやルーベンスの作品があります。ウフィッツィ美術館とは違い、規模はそんなに大きくないのですが、逆に「できるだけたくさん見なければ!」というあせりもなく、落ち着いて鑑賞することができました(ちなみにこの日、イタリア人の中学生くらいの子達が見学に来ていて、入館するのに時間がかかりました)。
パラティーナ美術館を出たあとは、サンタ・トリニタ橋からストロッツィ宮を通り、アカデミア美術館へ向かいました。
石畳の上を歩き、500年の重みを感じさせる建物の間を歩いていると、「ああ、ここに住んでみたい!」と思ってしまいます。僕は京都出身なのですが、洋の東西を問わず、歴史の醸し出す雰囲気というものは、人間に何らかの感情を発露させるものなんですね。
さて、アカデミア美術館ですが、また分かりにくいところにありました。場所を探しているうちに、なんと閉館時間になってしまい、わざわざ歩いていったのに、入ることができなかったのはショックでした。でもまあ、路地の向こうに見える巨大なドォーモを見ながらホテルに戻るのも、またいいものでした。

左はベッキオ宮。右はその前に建つダビデ像のレプリカです(左の画像の左下に小さく写ってる)。本物は翌日…。
ホテルで一休みした後は夕食へ。この日も昨日と同じく、「絵伊都」にお世話になりました。食欲の回復したPongは精のつくものをしっかり食べ、僕もおいしいワインを飲んで大満足。
食後にはシニョリーア広場の方に散歩し、そこで弾いていたバイオリンの音色に耳を傾け、「ほんと、イタリアに来てよかった!」と思ったのでした(駅前でギターを弾いてがなりたてている連中とは、えらい違いです)。

この日も街のあちこちでたくさんの路上パフォーマンスが繰り広げられていました。
ミュージックに合わせてコミカルに人形を踊らせている人劇のところでパチリ。
良く見ると「BALLY」の店前に堂々と陣取ってます。
お店の人も寛大ですね〜。


5/4  「ワッフル、フォー!」

フィレンツェ最後の日も天気は良好。
この日はまず、前日に見そこねたアカデミア美術館に向かいました。開館時間くらいに着いたにも関わらず、すでに入館待ちの列が出来ていました。
ただ、さすがにウフィッツィ美術館ほどには人が殺到している感じではありませんでした。20分ほど待っていよいよ美術館へ。ミケランジェロの手による一連の彫像に息を飲む中で、いよいよお目当てのダヴィデ像へ。4mを超す大きさもさることながら、いまにも動き出しそうな肉体の表現には、言葉に出来ないような感動を覚えました。
美術館を出た後には自分達のお土産を買おうと決めていたので、前もって目をつけていたお店に行くことにしました。実はフィレンツェに来るまで知らなかったのですが、この辺りの特産品は皮製品とのこと。TV番組の「うるるん」で皮製品製作修行のロケに使ったというお店を見つけていたので、そこで買い物をすることにしました。
ドゥオモの屋上に上る順番を待つ人の列を横切って、まずは観光客のごった返すシニョリーア広場へ。ウフィッツイ美術館の横を通りすぎようとするところで、「あの、ちょっとすいません」と日本語で声をかける人が。
その人はイタリアに在住にする息子と嫁に日本から会いに来た姑という日本人でした。トリノにいる旦那さん(姑さんから見ると息子さん)のところに行く途中で、観光がてらフィレンツェに立ち寄ったとのことでした。交互に写真を取ったところで別れました。
目当てのお店に着いたところで、僕は財布を買いました。で、Pongはやはりいつもの優柔不断ぶりを発揮。いろいろと悩んで品物を見せてもらった上で、白い鞄と土産物を買いました。

次の目的地であるローマ行きの電車の出発時間まぎわまで買い物をしたあと、大急ぎでサンタ・マリア・ノヴエッラ駅へ。結局昼食を取る時間がなかったので、
電車の中で食べるものを買うことにしました。ここで、なんと、今までコミュニケーションを僕に任せきりだったPongが売店に向かうではありませんか!
「ワッフル、フォー!アー
ンド コーク、ワン!」とめちゃめちゃの和製英語で、食べ物の調達に成功しました。
約2時間の電車での移動は、長閑でいいものでした。ワッフルをほおばりながら、車窓からの田園風景を楽しみました(同じボックス席で、携帯電話でビジネスの話を大声でしていたイタリア人には困りましたが)。

そうこうしているうちに、電車はテルミニ駅に到着。ホテルは駅から歩いていける距離にある、ホテル・クイリナーレというところでした。チェックインを済ませ、荷物を置くと、さっそく大統領宮殿であるクイリナーレ宮へ(画像:A)。
この宮殿は高台の上に建っているのですが、そこから見えるサン・ピエトロ寺院のドームが夕日に映えて、とても綺麗でした(画像:B)。

宮殿横の階段を降りていくと、有名なトレビの泉があります。想像していたよりも泉が大きく、ポセイドンの像の大きさにも驚きました。
僕達が着いたのは日が落ちた頃だったのですが、たくさんの人が周りにいて、親切なおじさんが写真を撮ってくれました。

トレビの泉と言ったら、コイントスが有名ですよね?
僕たちもここに来たら映画やTVで見たように、泉に背を向けてコインを投げ入れるつもりだったのに、だ〜れもそれをしていないのです!
「もしかして、もう禁止になっちゃったのかな?」と思い、仕方なく断念しました。
でも帰国してから知人にその話をすると、その人はしっかりコイントスを体験してきたとのこと。
なぜこれだけの観光客がいて、誰ひとりとして実行していなかったのは、未だに謎です。

さて、いよいよ夕食です。別にこれといったあてもなかったのですが、日本語で呼び込みをしているおじさんに、半ば強引にお店の中に連れられました。
周りを見渡すと、お客さんは大半が日本人。しかも、呼び込みをしていたおじさんは、どう見てもイタリア人なのですが、また日本語がうまいこと。Pongもリラックスして、結構おいしかったイタリア料理を満喫しました。
夕食を済ませホロ酔い気分の僕とPongは、腹ごなしに散歩をしながらホテルに向かいました。その道すがらにも、2000年前の浴場跡があるあたり、ローマという街の歴史の古さを実感しました。
■□■新婚旅行「イタリア・ローマ編」に行く■□■(準備中)