女豹のしっぽ(前編)

黒のロングコート、そしてサングラス……髪の毛は普段とは違って下ろしている状態だ。
『むふふ……これなら誰にもバレずに尾行が出来るわ……』
そう呟いたのは円香であった。
彼女は今、鷹羽綾子を尾行中だ。
その理由は今日のバイト中にある。

いつもより早めの時間に出勤した円香は巫女服に着替える前に、まずは清掃の準備をした。
お店の清掃と言うのは、何も店の外観、内観だけではなく、根本的な面……すなわち従業員が使用する部屋などの清掃が行き届いて初めて徹底していると言える。
巫女喫茶かるたでは、従業員更衣室の他に、談話室、店長室と言った、普段お客に決して見える訳ではない部屋が存在する。
しかし、いくらお客に見えていないからと言って、それらの清掃はおろそかに出来ない。
従業員全員が各々分担し、外面も内面も綺麗なお店作りを皆で作り上げているのだ。
……と、言うのが店長の方針なのだが、肝心の店長室はいつも汚れており、皆が一番恐れる清掃空間であった。
その日、運が良くも悪くも円香が店長室の担当である。
『まったく……定期的に掃除しないからこんなにも汚くなっちゃうんだわ……』
ブツブツと言いながらも、どこか楽しそうに掃除をする円香。
雑巾やホウキ、塵取りを巧く使い、テキパキと綺麗にしてゆく。
しかし、ちょっとしたミスが彼女の好奇心をくすぐった。

ガタガタ

『あっ、いけない』
円香の使っていたホウキの先が、ファイルキャビネットにぶつかり、床に書類を散乱させてしまった。
その中には、営業内容の書類に混じって、ここで働いている従業員の履歴書も存在した。
『……これ、履歴書だ』
たとえ履歴書と言えど、個人のプライバシーが書いてある事、他にも店長の私物書類と化している物もあったので、見ることに抵抗があったが結局誘惑には勝てなかった。

『……あ、さやちゃんのだー。ふふ、写真の顔が変だよー』
写真の中のさやは、ぎこちなく笑っているような、驚いているような顔をしている。まさに、撮る寸前に何かが起きてしまったような顔だ。
『あっ、麻法子ちゃん可愛い〜!』
麻法子は、髪の毛が現在のおさげ状態ではなく、下ろしている状態であった。髪の長さは今より全然短く、顔は俯きかげんだ。
夢中になって見ている円香は、ふとあることに気付く。
『ひい、ふう、みい……』
かるたで働いている従業員の数と履歴書の数を比較してみると、履歴書の数が一枚足りない……
目の前にある資料を手にしながら、頭の中で従業員の顔と名前を一致させる。
『そうか……鷹羽さんだ』
よくよく考えてみると、鷹羽と言う女性はその名前以外、住所も年齢もわからない……と言うか、知らない。
初めは履歴書自体、何処か違う場所に紛れているのではないか、と推測したのだが、その後の証言によりその推測は疑問に変わる。

『円香さ〜ん、開店しま〜す』
遥か後方から美琴の声がする。
店長室のデスクに置いてある安物のプラスチック製時計を見ると、時刻は午前十時になろうとしていた。
『あっ、もうこんな時間!急がなくっちゃ!!』
とりあえず、先ほど散乱させてしまったファイルを元に戻し、ゴミの袋を抱え、巫女服へと着替えを済まし、店の方へと向かった。

開店間際のかるたは、バーゲン会場さながらの混雑とはほど遠い。
つまり、開店と同時に来店するお客は少なく、大抵は開店一時間後の午前十一時頃からお客がやってくる。
近くの高校では、今日で学期末の試験が終わりらしいので、人気のメニューを大量発注しておいた。準備は万端である。
まだお客が来るまで時間があると予想した円香は、先ほどの出来事を美琴に話した。

『鷹羽さん……ですか。私も名前以外知りませんね』
『そうだよね……あの人、一体何者なんだろう?』
『そう言えば、私も鷹羽さんの事が気になるので、前に店長さんに聞いたことがあるんですよ』
『えっ、それでどう返事してきたの?』
『それが……いつもは何でも気さくに答えてくれる店長さんなのですが、鷹羽さんの話になると途端に返答をくすぶるのですよ』
『う〜ん……店長さえも恐れる存在なのかな〜。だから履歴書もないのかなぁ……もしかして、何か秘密があったりして……』
円香は右手人差し指を顎の近くに触れさせ、うーん、と悩むポーズをとる。
『それなら、直接お聞きになったらどうですか?鷹羽さん、もうすぐ来るはずですよ』
『いや、あの人に質問してマトモに返答が返ってきたことなんてないもの。きっと上手くはぐらかされてしまうわ』
『う〜ん、それならいっその事、尾行でもしたらどうですか?そうすれば、自宅や秘密が分かるかもしれませんし』
『それって犯罪じゃないの?』
『まぁまぁ……私、最近推理小説にハマってるんです』
『推理小説?』
『ハイ。今回読んでいる小説に登場する主人公は、黒のロングコートにサングラスを付けているんです……尾行にはこの上ないフル装備ですよ!』
『でも……そんな装備、私は持ってないし……』
『あ、それなら大丈夫です!ちょっとこっちに来てください』

美琴に引かれ、案内された場所は従業員更衣室だった。
『どうしたの?こんなところへ連れて来て……』
『まぁまぁ、これを見てください!』
美琴は自分のロッカーを開けながら言った。そして何やら妖しげな紙袋を取り出す。
『ジャーン!!』
なんと、紙袋から出てきたのは黒のロングコートにサングラスだった。
『こ、これって……』
『私の手製です。良かったらお貸ししますよ〜』
何でも小説の中の文章表現で想像し、作ったものらしい。
しかも、製作時間は二日と三時間と言うおまけ付きで。
『す、すごい……流石、器用な美琴ちゃんねぇ。尊敬しちゃうわ』
『鷹羽さんの尾行……応援します!』

『私がどうかいたしましたの?』
『(ビクッ!)』
この言動、この声……間違いなく鷹羽だと察した。
円香はロングコートを鷹羽に見えないようにガードしつつ振り向き、美琴は慌ててその死角を使いロングコートをロッカーにしまった。
『開店時間が過ぎているというのに、お店に従業員がいないとは何ということかしら?』
『今すぐに向かうところですよ……ははは』
美琴の顔が引きつる。
鷹羽尾行計画(勝手に命名)を遂行させるに当たって、このロングコートの存在がばれてしまっては意味がない。
『あら、後ろに何を隠しているのかしら?』
鷹羽は冷静に、少し薄ら笑いを浮かべながら聞いてきた。
『ええっと……』
円香が返答に苦しんでいると……

カランカラン

タイミングを見計らってドアベルの音がした。

『(た、助かった)さ、お客さんですよ!早く行きましょう!!』
『……そうね』
円香に押され、一緒にホールへと向かう鷹羽。
そのとき円香は、美琴に向かってアイコンタクトを促した。

……

……

相も変わらず、鷹羽の接客は酷いものだった。
常連客は未だしも、初めて来店したお客様には、円香や美琴によって平謝りの連続であった。
しかし、当の本人はまったく悪びれない様子である。

『まぁ、こんなところかしら。では皆さん、私は先に帰らせていただくわ』
したい事をして、去ってゆく……それが鷹羽の特権だ。
『こんなことなら、いっその事やめさせ……』
そんな言葉を発しようとする円香を美琴が小さく制す。
『円香さん、それだけは言ってはなりません。かるたは皆が集まって一つなのですから』
『そうは言うけど、鷹羽さんのお陰で減ってしまった常連客も多いのよ』
『まぁそれはさておき、円香さんは鷹羽さんの身辺を調べてきてください』
『美琴ちゃんも案外楽しんでいるわねー。……でも、私はこの後もシフトなのよ』
現在、時刻は午後三時を回ろうとしている。
『あっ、それなら大丈夫!』
美琴は、両手をパン!と叩きながら笑顔で言った。

『……おはよう』
後ろから現れたのは睦月である。眠たいらしく、目の下にはクマが出来ている。
『えっ、何で睦月ちゃんが……』
円香が反射的に声を発すると、美琴が小さく呟く。
『計画を遂行するため、あらかじめ円香さんの枠は睦月ちゃんに埋めてもらうよう電話で手配しました』
『……なるほど。それにしても睦月ちゃん、眠そうね』
大きな欠伸をした後、睦月は語る。
『ああ……昨日、一昨日は他方からの巫女が集まってたんだ……ほら、ウチは神社だろ?いろいろと準備があってさ……』
睦月の顔には疲労の色も伺える。
『それに……昨日は爺と親父が徹夜でドンチャン騒ぎ……もう全然寝てないんだよ』
『そ、それなら私が鷹羽さんの尾行なんてしてる場合じゃないわね』
円香がそう言うと……
『いや、鷹羽の詳細はアタイも興味がある。是非ともやっとくれ』
どうやら、美琴は睦月に尾行の事を話していたようである。
『アタイが更衣室で着替えている時、鷹羽は店を出るところだったみたいだから、早くいかないと追いつけないかもしれないね』
『……う〜ん、じゃあ美琴ちゃん、睦月ちゃん、後はお願いねっ!』
『分かりました!!GOOD LUCKです』
『ふわぁ〜(アクビで返事している)』

こうして、探偵円香が誕生した。
後編に続く。

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