千穂と子猫と茶柱と

一月も後半。
まだまだ外の風は冷たいが、日に日に暖かくなっている事を肌で感じるある一日の事である。
幸いにも、今日は風が弱く、それよりも勝る温かな日差しが舞い降りている。
千穂は自宅の縁側に座り、趣味の日向ぼっこをしつつ、お茶を楽しもうとしていた。
日常の責務である掃除や洗濯はすでに終えてしまい、特に何もする事がないので、最終的にはここに座っていた。
祖母は地方へと出かけ、今日の夕方まで帰ってこない。
今現在、この広い家に千穂は一人きりだ。

お茶の旨みが出るのを待っている間、ふと千穂は庭先の植物に目を向けた。
何か声のようなものが聞こえたからである。
『む……何の声だ?』
声のする方へ向かってみると、梅の木の根元に、足から鮮血を流している生後間もない子猫が佇んでいた。
しきりに小さな声で鳴き、こちらに助けを求めるように見ている。
『……にゃー』
『可愛そうに……今、手当てをしてやるぞ』
千穂は、子猫を優しくフワリと抱いて、縁側の方へと連れて行った。
ひとまず、座っていた座布団の上に子猫を乗せ、傷の手当てが出来る道具を探しに奥へと向かっていった。
やがてタオルと水の入った洗面器、救急箱を持ってきた千穂は、濡らしたタオルで子猫の鮮血を丁寧にふき取る。
途中、痛いのであろうか、子猫が大きな声で鳴くのだが、じきにそのトーンは静まりつつあった。
傷口は化膿しているわけではなかったので、鮮血をふき取った後、包帯で止血しておいた。
『ふむ……何処か狭い場所でも行き来しようとして引っ掛けたのだろう』
『にゃー』
たとえ浅い傷だとは言え、こんな小さな子猫にとっては致命傷になりつつある。危ないところであった。
千穂は子猫を自分の膝の上に載せ、優しく、優しく撫でる。
『そう言えば、父上と母上は猫が大好きであったな』
もう何年も前の事……千穂が物心つく前の出来事なので、はっきりとは覚えていないが、両親が生きていた頃はいつも側に猫が居たような気がする。
そう、まるで今ここにいるような真っ白な子猫が。
『もしかしてお前はあの時の猫の子供か……』
『にゃー』
その言葉が通じているとは思わないが、猫はただ無邪気に返事をするだけだった。先ほどまでとは違い、徐々に元気を取り戻しているように思える。
子猫が故に、傷の回復力も早いのか?はたまた千穂の隠された能力のお陰なのか……。

子猫の事ですっかりと忘れていたが、もうすでにお茶ができきっている頃だろう。
慌てて千穂はお茶を湯のみに移す。
『うむ……すでに温くなってしまったようだな』
全てのお茶を注ぎきらないうちに、湯こぼしに捨てようとすると、膝の上の子猫がしきりに制す。
『にゃーにゃー』
『む……捨てるな……と、言っているのか』
『にゃー』
『そうか……たしかに捨てるのは勿体無いな』
急須に残ったお茶を全て湯飲みに移す……すると、湯飲みの中に茶柱が立っていた。
『にゃー』
『おお、茶柱とは縁起が良い。お前はこのことを分かっていたというのか?』
『にゃにゃー』
『そうか』
千穂はかすかに笑い、湯飲みの中を見ている。

はるか昔の神話では、柱は神的なものの象徴とされていた。
心御柱(シンノミハシラ)を立て神殿を立てた話や、神の数詞に柱を用いるのも有名な話だ。
……などと、千穂がうんちくを述べている内に膝の上の子猫は幸せそうな顔で寝入っていた。
『……む』
肌のぬくもりの暖かさは例えようがないくらいの安心感を与える。
子猫は静かに、緩やかな表情で眠りについたようだ。
『私も……眠くなってきたな』
外の日差しは柔らかく千穂と子猫を包む。
いつしか、千穂はまどろみの中へと進んでいった。

何時間ほど経っただろうか?
そろそろ日が落ちる……おそらく午後の四時か五時になる頃であろう。
千穂が目を覚ますと、膝の上の子猫はいなくなっていた。
しかし、ぬくもりは未だ残っている感じがする。
辺りを見回しても、先ほど子猫がいた場所に行ってみても見当たらない。

『きっと……両親の元へと帰っていったのだろう』
千穂は胸の前で手を合わせる。
『帰りを待っていてくれる人が居ることは幸せな事だ……』
両親が死別している事を、当に受け入れているはずではあるが、少しだけ目元が熱くなった。

『む、そろそろ夕食(ゆうげ)の食材を買いに行かねばならんな……今日は、久しぶりに鍋にでもするか』

子猫が佇んでいた梅の木に、小さなつぼみが付いている事はまだ千穂も気付いていない。
着実に春の足音が近づいている。

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