チーズタルト誘拐事件(前編)

カタカタカタカタ……

少し薄暗く、窓もない殺風景な部屋には紫煙が充満し、パソコンのキーボードを叩いている人物さえもその存在感を隠していた。

そこに、不敵な笑みを浮かべる人物が一人。

『ふふふ……二条城円香。あなたの力、我が組織のために役立たせてもらうわ……』
妖しく光るパソコンのディスプレイには、円香の顔写真やあらゆるデータが網羅されていた。
先程まで薄暗くて見えなかったが、部屋の真ん中には大きなテーブルが置かれており、その上には書籍やレポートなど膨大な資料が置かれてる。

『待っていなさい……二条城円香』

その頃、かるたでは……

『ヘクチッ』

なんとも珍妙なクシャミをする円香。
『あら、円香さん風邪ですか?やっぱりこの間の風邪が治っていないんじゃ……?』
美琴は心配そうに円香の顔を覗き込む。
『大丈夫よ、美琴ちゃん。きっと誰かが噂でもしてるんだわ……さやちゃん達が来るまで、もうひと踏んばりよっ!』
『は、はいっ』
美琴は、この時何やら不穏な空気が漂い始めていることを頭の電波を通して感じたが、あえて口には出さなかった。
現在、時刻は午後四時。授業を終えた狩穂高校の学生で店は大繁盛であった。
『すみませ〜ん、コーヒーのおかわりお願いしま〜す』
『は〜い!』
円香が返答する。
『すみませ〜ん、注文良いですか〜?』
『はいは〜い』
美琴が返事をする。
忙しく動く二人。

その状況は、この二人も変わらなかった。
『まほり〜ん!早く早く〜。もう五時回っちゃったよ〜!!』
『ま、待ってよ……さ……やちゃん〜』
持久力、脚力共に圧倒的な差があるさやと麻法子。
まさにこの二人は【清漣女子付属高等学校】から、かるたに全力で向かっている途中である。
『ふぅふぅ……。も、元はと言えば、さやちゃんが海猫弾で掃除を楽しようなんて言い出すから……』
二人の距離の差は、すでに五十メートルにもおよんでいる。
残念ながら、麻法子の声はさやには届かない。
本来ならば、すでにかるたに到着してなければいけない時間なのだが、今二人がここで走っているのには理由があった。
学生なら、決して逃れる事の出来ない面倒な作業……<掃除>である。
さやは掃除が大の苦手であり、何か理由を付けてはサボっていた。
しかし、今回はそうはいかなかった。
そう易々とサボられては堪らない、とさやの前にクラスメイト全員が非常線を張っていたのだ。

さやの実力ならば、一人や二人など何てことはない。
だが、クラスメイト全員となれば話は別だ。
その迫力に圧倒され、ついには観念し、掃除をしなければならなくなってしまった。
迷惑なことに、帰りを共にしようとした麻法子を巻き添えにして。
とは言え、さやが真面目に掃除をするなんて思えない。
さやの脳裏には、掃除=邪魔なモノを消す、と言う公式が当てはまり、ついには海猫弾で、机や窓やドアなどを全て吹っ飛ばした。
その光景に麻法子は卒倒しそうになり、様子を見に来たクラスメイトは唖然とし、さやは悠悠としていた。

じきに生徒会や先生の大群がやってきて、流石にヤバイ状態になってきたので……今、こうして逃げていると言うわけだ。
それに今日は、かるたに向かわなければならない日。ダブルの危機がこうして二人に襲い掛かってきていると言える。

『はぁはぁ……』
息切れをするさや。
中腰になり、手を膝の上に乗せ、背後を向き、麻法子の様子を伺う。
当の麻法子は、坂の下……はるか二百メートル先程にいるのが確認できる。
『しょ……しょうがない。掃除をやってた……って言えば、いくら円香っちでも鬼じゃないんだから……』
と、言いつつさやは先日の鬼円香騒動を頭に過ぎらせた。
ブルッ。
そう寒気がしたときに、さやの横を三人の人間が通り抜ける。
その三人は、トライアングル型の形態をとっており、いずれも上下黒のスーツを身に纏っている。
中央のリーダーと思われる人間は、体つきから見て、どうやら女性のようだ。
『……?』
そんな彼らの背中を見送っていると、丁度後方から麻法子がやって来た。
『はぁはぁ、ふぅふぅ……ど、どうしたの?さやちゃん……』
『なんか、ヤバイ雰囲気がする!急ぐよ、まほりん!!』
『そ、そんな〜。わ、私全然休んでないのに〜!』

トホホな麻法子は置いてけぼりにされ、さやは一足先にかるたに到着した。
いつも通り、繁盛しているかるたであった。
『(さっき……変な胸騒ぎがしたけど、気のせいかな?何かこう……いつも感じている嫌な緊張感だったけど)』
そんな事を考えながら、さっさと巫女服へと着替える。
そうこうしている間に、麻法子も到着した。
『ひ、ひどいよ〜!さやちゃん……追いてっちゃうなんて〜。はぁはぁ』
麻法子の息遣いはまだまだ荒い。
『え?あそこからダッシュで来たの!?その持久力を持ってすれば、月末のマラソン大会も優勝間違いなしだね、まほりん!』
『そ、そう?やった、嬉しいな……』
一瞬、万歳を仕掛けた麻法子だったが、ノせられていた事に気付き、すかさずさやに突っ込む。
『……って、は、話を逸らさないっ!』
『ご、ごめんまほりん……』
『じゃ、じゃあ私も早く支度するから、ま、円香さんに伝えてきて』
『へーい』

従業員更衣室から店内へと向かうドアの前に向かうと、店内がいかに繁盛しているかが、賑わいで判る。
円香と美琴の声も飛び交っている。
『お、おはようなのだー』
そんな中へ入って行き、まずは比較的性格が温和な美琴から声をかける。
『さ、さやちゃん!遅いぞー!!ほらほら、早くお客さんの対応して』
良かった。怒られない。
今度は円香に声をかける。
『お、遅れて御免なのだー』
『しょうがないわね〜さやちゃん、じゃあこれを五番テーブルに持っていってっ』
何故か、怒られない。
美琴は未だしも、時間に手厳しい円香が何故自分を怒らないのか、少し疑問に思った。
普段ならば、お仕置きへの階段を上らされるのかと思ったのだが……
提供の品を五番テーブルへ持っていくついでに、店内の客に挨拶を交わす。そうして、カウンターに戻ってきたとき。

着替えを済ませた麻法子が、すでにカウンター内で待機していた。
そんな麻法子にこう呟く。
『まほりん、あたし達何で何も言われないのかなぁ……何かこう、普段ならお仕置きよっ!とか言って襲い掛かってくるじゃん?張り合いない感じ』
『そ、そう?お仕置きなんてない方が良いじゃない?』
そう言って、麻法子は店内に笑顔を振り撒いている。
『む、どうしたの?まほりん』
『え、い、いや、さっき……ちょっと魔法を使ってみたの……』
『魔法?どんな?』
『そ、それがね……<皆の機嫌を良くする魔法>なの』
『じゃあ……ミコちゃんや円香っちがやたら機嫌が良いのって……』
『う、うん。もしかしてもしかしているかも』
麻法子は高校で魔法愛好会に所属している。無論、部員は麻法子一人だ。
また、部員が自分一人しかいない上に、いつまで経っても魔法が使えず、どうにもこうにも落ち込んでいるところだったが、今、ここでその成果が発揮できたのだ!
『やったね!まほりん!!』
『う、うん。やった、やったよ!』
二人だけのウェーブが巻き起こる!
そんな状況を横から見ていた円香は……
『ちょっと二人とも!お客さんに迷惑でしょ!慎みなさいっ!!』
『そうですよ、二人とも。メッですよ!!』
喜んだのも束の間、いきなり怒られた。

しゅんとなった二人は、俯きながらこう考えた。
『(もしかして、単なる偶然かも……)』
『(もしかして、本当は使えてなかったのかも……)』

……一時間後、かるたは静けさを取り戻していた。
今は数人の学生を残して、店内はひっそりとしている。

『じゃあ……落ち着いたことだし、私はこれで帰ることにするわ』
『うん、お疲れ様です円香さん。あとは任せてください』
『お、お疲れ様です』
『オイッス!』
さやのみ、変な返答をしたのは、この際無視する円香であった。
着替えをし、店の外に出ると、辺りはまもなく暗くなるであろう様子である。
今日は、久々に千穂の家へ食事に呼ばれている。
かるたから商店街の中ほどまで来た時に、時計屋のシンボルである大きな壁時計の針が午後七時を指し、七回の鐘が鳴る。
『ああ、急がなくちゃ!』
そう思い、足早に歩き始めた円香の前に、商店街の横の暗闇から三人の影が浮かび上がる。

『え、え?何?』
三人は、あっという間に円香を取り囲み、こう質問した。
『二条城円香ね?』
上下黒のスーツを着た女は、冷徹なヴォイスでこう呟いた。円香は、未だ状況が上手く掴めていない。
『そ、そうだけど……なんなの?あんたたち!』
やっとのことで、言葉を発する円香。しかし、その声はどことなくぎこちない。
『あなたは、私の組織の力として動いてもらうわ』
『そ、そんな勝手な理屈……ぐっ』
そう言おうとした円香の体が、突然崩れ落ちる。
取り囲んでいた他の黒スーツの人間によって鳩尾に手痛い一発を食らわされたのだ。
そのまま、三人と円香は闇の中へと消えていった。

そんな状況を、影でこっそりと傍観していた人物がいた。
『大変だぁ〜』

丁度その頃、あまりに訪問が遅い円香を心配し、千穂が自宅からかるたへと電話を掛けてきた。

プルルル……ガチャ

『はい、巫女喫茶かるたです』
『む、美琴殿か?円香殿はどうしておる。とっくにカニ汁が冷めてしまったぞ』
珍しくご立腹な千穂。
『円香さんですか?お店の方はとっくに出ましたけど……変ですね。まだ、着いていないんですか?』
『うむ。何かあったのか?』
『も、もしかして事故とか……』

カランカラン

強烈なドアベルの音が店内に響く!
入ってきたのは、息を切らした蒼葉だった。
どうにもこうにも、今日は息を切らすキャラを多いな……製作者は、ふと感じた。
『ま、円香ちゃんが〜』
まさに初めて見る蒼葉の鬼気迫る表情に驚きを隠せない、さやと麻法子。
千穂と電話をしている美琴も、その様子がただならぬものだと感じ取っていた。

『む、どうしたのだ。美琴殿?』
『ちょ、ちょっと待っててください。今、蒼葉さんが円香さんの事でお店に……』
『何?円香殿が……一体どうしたのだ…美……』

ガチャ……ツーツー……

半ば強制的に電話を切断された千穂。
受話器を見つけながら、こう呟く。
『私だけ仲間はずれか……』
ちょっとだけ落胆する千穂。いや、そう落ち込んでもいられない。きっと何かがあったのだ。そう思い、千穂もかるたへ向かう準備をした。

一方、かるたでは蒼葉を取り囲み、騒然となっていた。

『……で、一体どうしたの?蒼葉さん!!』
『はぁはぁ……み、水ぅ……』
喉の渇きを訴える蒼葉。
『さやちゃん、水!水持ってきて!!』
『オイッス!』

『はい、蒼葉チャン!水』

『サンキュ〜……』

ゴクゴク……

『……?……きゅ〜』
『あ、あれ蒼葉さん?』
『蒼葉さん!』
美琴と麻法子が同時に叫ぶ。どうやら蒼葉は気を失ってしまったらしい。
『ちょ、ちょっとさやちゃん!一体何飲ませたの?』
『え?あそこのカウンター席の下に置いてあった瓶の液体を……ジュースでしょ?あれ』
『あ、あれは……田畑さんが円香さんに持ってきたお土産<萌え殺し>と言うアルコール度数がメチャ高いお酒よ!テキーラなんか目じゃないわ!!』
『テ、テキーラ……』
どんな味かは麻法子には想像できなかったが、美琴の言動からして、かなりヤヴァイ代物らしい。
『ぶへへ……どんな味か、ちょっと拝借したいのだー』
『だめー!』
美琴が<萌え殺し>を懐に忍ばせる。
『ちぇ、ケチだなー』
さやが頬を膨らませる。

『そ、そんな事よりどうするんですか?さ、先ほどの蒼葉さんの様子を見ると……ど、どうもただ事じゃないみたいですよ』
しかし、肝心の蒼葉は完全に酔いつぶれて眠ってしまって、時折寝言を呟く程度だ。
『あはは〜、太陽が東に沈む〜。ははは〜萌え〜』
もはや使い物にならなくなった蒼葉。完全に望みが絶たれた、と思ったその時!

『円香は、ある組織にさらわれたわ』

『えっ!』

声がした方を振り返ると、何故かその人物の周りだけ過剰なライト演出をし、派手さを増している。
『こういう演出がしたくて、ライトの位置を予め動かしたのではないですわよ。誤解のないように』
嘘か本当か実際のところ判らないが、他の従業員はそんなことは一切気にしていない様子であった。
『た、鷹羽さん……』
鷹羽は、入り口のドアに背をあずけ、腕を組みながらこちらを伺っている。
『さらわれた……って、どうして!?』
美琴が、突然の鷹羽の登場にも屈せず、そう言い放った。
『理由は判らないですけど……どうやら円香の体には<恐るべき力>が眠っているみたいですわ』
『お、<恐るべき力>?』
皆の口調が合わさる。残念ながら、蒼葉は合わせることが出来ない!!
『皆さんも、度々目撃しているでしょう?円香の暴走……あの力の事よ。悪用されれば、人類の未来はないですわ』
たしかに、円香はかるた内で起きた喧嘩や騒動を治める際に、暴走する事がある。
『それに目を付けたどこぞの組織の悪人が、円香をさらい、誘拐した』
『そ、そんな……誘拐だなんて……たしかに、少々やりすぎな面もありましたが、良い人でした』
『私も……忘れません』
『円香っちの人気はさやが受け継ぐのだー!』
『あはは〜萌え〜萌え〜アロハオエ〜』

『……円香さんは、まだ死んでいませんわよ』
冷静に、そう言い放つ鷹羽。
『そ、そうでしたね、ついうっかり。……でも、何処へ連れていかれたんですか?』
『商店街から、さらに五キロほど離れたところに、雑居ビルがありますの。そこへ連れて行かれたと思いますわ』
『そんなところに雑居ビルなんてあったっけ?』
さやがそう呟くと……
『そんなところにあるから雑居ビルって言うんですわ』
『そりゃそうだ!』

笑いが出たところで……
『円香さんは、かるたにとってなくてはならない存在!誘拐だろうが何だろうが、必ず救出しなければ!』
『そ、そうですね……私がここまでやってこれたのも円香さんあっての事ですし……』
『円香っちがいないと、毎日が退屈なのだー』
『まぁ……ライバルの円香さんがいないと、私(わたくし)としても物足りないですわね』

結局のところ、皆円香が大好きで、尊敬しているのだ。
全員の意見が一致したところで、ここに<二条城円香救出隊>が誕生した!!
『途中、緋袴神社に寄っていって、睦月ちゃんにも協力してもらいましょう』
『そうですわね……』
『あ、蒼葉さんはどうするんです?』
『そのまま寝かせといて良いんじゃない?まったくこんな時に!』
『そうさせたのは、さやちゃん!貴方でしょ!?』
『ぶへへ……そうだったのだ(でも、なんか忘れているような気がするケド……?)』

『さやちゃん!早くして!!』
『う、うん。(何かな〜何かな〜)』
かるたの店内の電気が消され、必要最低限の灯りを保っている。
戸締りもしたし、ガスの元栓も締めた。さぁ行こう。
さやは、一度だけかるたを振り返り、皆の後を追っていった。

……

……

……

『む。何故、鍵が掛かっておるのだ?』
遅れて、千穂がかるたにやって来た。額にはうっすらと汗をかいている。
かるた店内の電気は消されているが、中には人の気配がする。
仕方なく、裏口から入り、電気を付ける。そして驚愕する。
『蒼葉殿!?』
何故か、蒼葉が店内ホールに放置されていた。
他の皆は何処に行ったのだ?それに何で蒼葉殿はここで寝ているのだ?
いろいろな思いが交錯する。ううむ、判らない。
寝ている蒼葉を抱きかかえ、必死に呼びかける。しかし、一向に目覚める気配がない。
『む……酒の匂いか?しかも相当強い酒のようだな……』

『あはは〜萌え〜萌え〜萌え殺し〜』
『も、萌え?何を言っているのだ、蒼葉殿!』
『遊ぼうよ〜』
まるで軟体動物のように千穂にしがみつく蒼葉。その力は普段とは比べ物にならない!離れない!!頼む、離れてくれ!!!

何一つ理解出来ていない千穂に課せられた使命は、酔っ払いの付き合いだった。
『ああ、誰か……助けてくれ……』
『あはは〜後編に続く〜』

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