誘惑

秋から冬へと変わる季節……風も冷たく、店外に植えてある銀杏の木の葉も揺れ、一枚また一枚地へと落ちていく。
『ハァー……寒〜い』
両手を合わせる仕草をとり、自分の息を吹きかける。
その場しのぎの暖は、すぐに冷めてしまい、さらなる暖が必要になる。
二条城円香は、ほうきを片手に入り口付近の落ち葉掃除をしていた。
もうかれこれ一時間になるだろうか、すっかり落ち葉をまとめ終わった円香は急いで店内に戻っていく。

チリンチリン。
ドアベルの音で千穂が顔を出す。
『おお、円香殿。ご苦労だったな……外は寒かったであろう。さぁ、ストーブで体を温めなさい』
『ありがと、千穂。いや〜寒かったぁ……それにしてもお客さん来ないねぇ』
円香は、ストーブの前で手を温めている。
『客は来ないが、先程鷹羽殿が顔を出したぞ』
そう言えば、今日のシフトは千穂と鷹羽と私の三人だったか。
『……で、鷹羽さんは?』
『うむ。着替えてくると言ってから何分も経つのだが、まだ来てないな』
千穂はチラリと壁掛け時計を見ながら言った。

『もう三時か……』
『うむ、円香殿は一時間も頑張って作業していたのだな』

チリンチリン。
ドアベルの音がする。
『い、いらっしゃいませー!』
ストーブから離れ、入り口に駆け寄る円香。

『お久しぶりです!円香さん』
『どうも、円香さん』
懐かしい顔ぶれだ。
『わぁ、貴史君美香ちゃん。いらっしゃいっ!』
彼らは二人とも狩帆高校の制服を身にまとっている二年生であり、学内でも公認のカップルだ。
『最近来なかったけど、何してたの?』
『いや、写真部のブツ撮りですよ。もうすぐ狩高祭なんで。学校が引けたらすぐに出かけていたんですよ』
貴史は頭をポリポリと掻きながら言った。
『私はずっとデスクワークだったんですよ。ただ、想像だけでは表現できない所もあって……ちょくちょく貴史に同行しましたけどね。』
美香は悪戯っぽく舌を出しながら言った。
『まったく……こいつの我がままにつき合わされたのは僕たちのほうですよ』
『へぇ……美香ちゃんは文芸部だもんねぇ。将来は小説家志望?』
『う〜ん、たしかに憧れますけど……まだまだ修行不足ですから!』
『そっかー、青春してるねぇ』
円香は腕を組んで相槌を打ちながら言った。
『そう言えば、円香さんの高校時代って、どんな感じだったんですか?』
『え、私?むふふふ……私はねぇ』

口を開けかけた円香の肩に千穂の指がかかる。
『円香殿、立ち話もなんだから座って頂いたらどうだろうか』
『あ……ああ、そうね。じゃあ二人ともいつもの席で良いわよね?』
『はい』
貴史と美香は揃って返事をする。

本当に、お似合いのカップルだ。

二人が席を付くのを確認してから、円香は切り出す。
『飲み物は何にする?』
『そうですねぇ……紅茶で。美香もそれで良いよな?』
『うん』
『あと……フルーツサンドを一つ』
メニューは決まったようだ。
『はい、かしこまりました。ちょっと待っててね』
円香は身を翻し、正面の千穂に声をかける。
『千穂、私はオーダーを作ってくるから表をお願いね』
『うむ』

……とは言え、新規のお客が来る気配もない。

手持ち無沙汰にしていると、唯一の客から声をかけられる。
『千穂さん、ちょっとこっち来て下さいー』
呼んだのは美香だ。
千穂は近づき、一言。
『む、何だ』
『ちょっと見てもらいたい物があるんです』
美香は鞄の中から、原稿用紙の束をテーブルの上に置く。
『これは、美香が文化祭で出展予定の短編小説ですよ』
その紙の束は少なくとも百枚はくだらない。
『これを読んでもらって、また批評してもらいたくて……』
美香は上目遣いに千穂を見ながら言う。
『そう言えば、以前来店した時は小説のネタ探しに随分と苦労していたようだが……この数日間の間にここまで作成してしまうとは、やはり若さなのだろうな』
『やだなぁ……千穂さん。そんな年寄りみたいな事言って〜。私達とあまり変わらないじゃないですか』
たしかに、彼らと千穂はほとんど変わらない。
と、同時に千穂の表情はいつも変わらない。無表情で冷静である。

『いや、自分に本気になれるようなものがあって、それに一直線になれるのは若い事の証。二人を見ていると本当に青春をしているという感じがするな』
『あ、ありがとうございます千穂さん!嬉しいな。あ、また文化祭にも来てくれませんか?』
『先程、言っていた祭りの事か?うむ……カ……コウサイと言ったか』
……カコウサイ?
美香は少々理解に欠けるようだが、貴史はすぐにその意味を認識した。
『ああ、狩高祭ですよ。狩高祭』
それを聞いて美香も千穂も納得したようだ。
『うむ……では祖母と共に赴かせて頂こう。……それで、日時は』
『来週の土日ですよ。それにしても千穂さん、彼氏とか作らないんですか〜。たしか去年もお婆さんと一緒でしたよね?』
美香は悪戯っぽく千穂を茶化した。
その言葉を聞いて千穂の顔は耳まで真っ赤になった……ような気がした。
『ななななな……ななな、何を言っておる!とととと、との、殿方と付き合うなんて……そ、そそ、そんな不純ななななぁ……』
千穂は地団駄を踏んで、顔を俯かせて赤面している。彼女は色恋沙汰に疎いのだ。
ちなみに、美香はその事を認識しており千穂のそのリアクションが楽しみで話題を持ってくるのである。
貴史は「あんまり意地悪するなよ」と後で制するが、結局は千穂の『オーバー・リアクション』が楽しみな一人である。
要するに二人ともちょっと意地悪なのだ。

『そうよぉ〜、千穂。あんたなかなか良いカラダしてんだから、もっとも〜っとアピ〜ルしなきゃ〜』
俯いている千穂の耳元でささやく妖艶なヴォイス。主は鷹羽だ!
『あっ、鷹羽の姐さん』
『おはようございます!』
二人は鷹羽にヤクザ語(!)で、しかも立ち上がって挨拶する。(何かワケがあるのであろうか)
鷹羽は、胸元をわざと大きく広げた艶な巫女服の着こなしで客を欺き、おまけに従業員も欺く。
そんな鷹羽がオーバーに両手を広げ、三人に向かって語る。
『大体、千穂はいつも婆さんと一緒に居るから、年寄りくさくなるのよ。もっと色仕掛けとか練習すれば殿方なんて選り取りみどりよ』
今迄俯いていた千穂はやっと顔を上げる。
『い、色仕掛け?それは……何だ?』
何度も言うようだが、千穂は色恋沙汰に疎いのだ。
『え、知らないの?なら、円香が来たら聞いて御覧なさい』
鷹羽はニヤつきながら言った。

『は〜い、お待ちどうさまー』
円香はポットに入った紅茶とカップとソーサー、その他もろもろの小物、そして綺麗に盛り付けられたフルーツサンドを持って登場した。
いつの間にか鷹羽が居る事に一瞬驚いた円香であったが、その格好を見てますます驚いた。
『また!鷹羽さん、なんて格好してるんですか!!ここには未成年の学生やお年寄りが来店するんですよ!今だって……』
円香は持ってきたオーダーをテーブルの上に置き、貴史と美香を一瞥してから言う。
視線を向けられた二人は「ハハハ」と苦笑い。
『だって、この巫女服……サイズが小さすぎて苦しいのよ〜。とくにム・ネが』
たしかに、今にもこぼれ落ちそうなそのムネに思わず円香は羨まし……いや、そんな事は……いや……しかし。何とも苦悶な表情を浮かべる。
『まぁ、円香さんぐらいのレ・ベ・ルだったらそんな事はないんでしょうけど……?』
鷹羽は、あえて遠まわしな言い方をしたが、要するに円香の胸は小さいと言っているらしい。
『むぅ・・・。』
鷹羽は余裕の表情だ。対極的に円香の表情は風船を膨らませたような顔をしている。千穂はボーっとしている。

『ま、まぁまぁ二人とも。ケンカはそれくらいにしてください』
美香が割って入ろうとする。
しかし、失敗したようだ。

『この際言わせて貰いますけど鷹羽さん。日頃の貴方の勤務態度は悪いの真直線です!かるたの営業十訓を忘れたんですか?』
自分の気にしている事を面と向かって言われた円香は、この時とばかりに……言う。
『分かっているわよ〜、だけど店なんて売れてなんぼの世界なのよ。私だって固定客が多いんだから……お店に貢献しているのよ』
鷹羽が返す。
『それはお色気を振り撒いているだけです!本当のサービスとは、そんなものじゃありませんっ!!もっと……真心のある……ものです』
円香踏ん張る。
『あら、私だって真心のあるサービスをしているわよ〜。あんなこととか、こ〜んなこととか……そ〜んなことまで……』
鷹羽が色っぽい声で返す。
『そ、そ〜んなことまでっ!?不純ですよ!不純ですっ!!』
円香は首をぶんぶんと振るう。そ〜んなことを想像してしまった雑念を振り払う。

このやり取りが続いて何分経ったであろうか……
そんな状況に終止符を打ったのは、以外にも千穂であった。
『ま、円香殿……』
珍しくも、千穂の顔は少々赤みを帯びており、ばつの悪そうな表情をしている。
まだほとぼりが冷めない円香は、突然話しかけられた千穂に対し、少々声を荒げる。
『何っ!?千穂』
『い、色仕掛けとは……何だ?』
『えっ!』

ただでさえ、円香は鷹羽の扱いには苦労している。これ以上に頭痛内容が増えつつある現実に思わず顔を背けたくなるのであった。

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