後悔なんかしない

冬の色がますます濃くなった事を感じるある日の夕方。

駅前のスーパーで夕食の材料を買い終えた千穂は、すっかり暗くなった空と、これから今以上に賑やかになってくるであろう商店街から発している眩しいライトのコントラストを楽しみながら帰路へと向かっていた。

『ふむ、今日は良い買い物をしたな』
千穂は両手一杯の荷物を抱えている。
中には肉やら野菜やらの食料品をはじめ、トイレット・ロールや食器用洗剤などの日用雑貨が袋をはちきれんばかりに詰まっていた。
一般的女性にとって持つ事が限りなく無理だと思われる量の荷物を、千穂は軽々と持ち、そして歩いている。
……何か持ち方の秘訣でもあるのだろうか?

途中、千穂は先刻肉屋の主人から言われた言葉を思い出していた。
『お嬢ちゃんは、めんこいからサービスしちゃおう!』
『わたしは……めんこい、のか?』

千穂の祖母は退魔師であり、この周辺では知らない人はいない、と言うほどの有名人である。
それ故に、その孫の千穂も皆が顔馴染みだ。
しかし、あの肉屋の主人は面識がない。おそらく、最近この町に越してきた者なのだろう。
『ふむ……めんこい、か。一体どういう意味なのだろうな』
千穂は白い息を吐きながら独りごちた。

そうこうしている内に、商店街の外れまで来てしまった。
『おそらく……明太子の親戚か何かであろう』
と、自分なりの結論を出した千穂は、ふと商店街の一角を見た時、見慣れた髪型の少女を発見する。

『睦月殿!』
それは緋袴睦月であった。
睦月は何やら叫んだり、頭を抱えていたりしている。
しかし、周りの音が五月蝿すぎて一向に気付く気配はない。
『む……何だこの不協和音は……戦(いくさ)でも始まるのか?』
千穂は危うく気を失いそうになった。大根が買い物袋から落ちそうになる。

『睦月殿!!』
何とか体制を整えた千穂は、再度呼びかけた。
二回目の呼びかけでようやく睦月は千穂の存在の気が付いたようだ。
睦月は一瞬驚いたような顔を見せたが、千穂の手を引き、話が出来る場所へと移動した。

『どうして千穂があんなところにいるんだい?』
『いや、夕食(ゆうげ)の買い物を終えて家へと帰ろうとした時に、たまたま睦月殿の姿を見つけてな』
『でも、睦月殿は忙しそうだったので、声をかけるかかけまいか迷ったのだが、知人を見つけて挨拶しないなんて礼儀に反するのでな』
『じゃ、じゃあ、あたいが叫んだり、頭を抱えたりしているのを見てたっていうのかい?』
『うむ』
睦月は、その言葉を聞いて顔が真っ赤になる。
『そんな恥ずかしいところを見られていたなんて……』
『睦月殿、良ければその悩み、相談にのるぞ』
睦月は、こんな事を千穂に相談するのは正直どうかと思ったのだが、自分一人の力ではどうにもならないのは事実だ。
ここは思い切って相談してみる事にしよう。
『あ、あの千穂。相談事とはアレなんだよ……』
睦月は、少々苦笑いを浮かべながら、そして言いにくそうにアレを指差す。
『アレは……何だ?』
奇妙な箱の中に、様々な人形が所狭しと詰まっている。まさに今の千穂の買い物袋のようだ。
『人形が捕らえられているのか?』
『捕らえられてる?』
千穂の珍妙な返答に、睦月は正直驚いたが、即座に千穂に合わせる。
『そ、そうなんだよ。あの箱には人形が監禁されていて、助けなくちゃならないんだ!』
『ふむ、そうか。睦月殿は勇敢だな』
千穂の目の色が変わる。
『それで、何とか助けようと頑張っていたんだけど、あたい一人の力ではどうにもならなくてさ……千穂、手伝ってくれないか?』
『ふむ、よく理解出来ないが、ようはあの人形を助ければ良いのだな?』

再度、不協和音が千穂を包み気を失いそうになるが、何とか持ちこたえる。
『どうやって操作するのだ?』
無論、千穂はゲェムセンタァなどには足を踏み入れた事がない。
ましてや、この箱がユゥフォウキャッチャアなどと言う名前だと言う事も知る由もない。
『まずは、クレジットを入れて……アームを縦、横、と上手く操作し、人形を助けるんだよ』
『睦月殿は、どの人形を助けたいのだ?』
明らかに千穂の目の色が違う。
『あの……人形だよ』
睦月はパーカーを着た黄色い熊の人形を指差した。
『うむ。あそこに人形があるとすれば、この位置だろうな』
千穂は、ぶつぶつと独り言を言いながら角度の測定やら計算やらをしたりしている。

数分後。

ついに千穂が動く。
『……』
彼女に言葉はない。しかし、それ以上の気迫と気合いを感じた。
これはいけるかもしれない……いや、きっと上手くいくだろう。
睦月は祈りのポーズをとりながら、千穂の操るアームを凝視していた。

数秒後。

見事、アームが黄色い熊の頭部を上手く押さえ、人形を持ち上げる。
第一段階は成功だ!
睦月は喜びと同時に、隣の千穂の表情を盗み見る。
千穂の顔には一滴の汗が存在し、今まさに滴り落ちそうだった。
だが、第二段階として今度はそれをゴールまで持ってこなくてはならない。
アームのバランスがとれていない場合、大抵は途中で人形を落としてしまう。
この瞬間が睦月にとって最大のイライラ要因であった。

しかし、そんな要因はよそに、難なく人形は救出された。

『オメデトゥ!ヤタネ〜!!』
ユゥフォウキャッチャアから異様な機械声がする。
『うむ。お主もよく頑張ってくれたな。礼を言う』
ソンナコトナイヨ〜。ジツリョクダヨ〜。
……と、聞こえたような気がした。

何はともあれ、救出した人形を睦月に手渡す。
『睦月殿が欲しかったのはこれであろう?』
『あ、ありがとう千穂!!』
睦月は思わず人形を抱きしめる。本当に嬉しそうだ。
『うむ。喜んでくれるならわたしも取った甲斐があるというものだ』
『それにしても一クレジットでとっちまうなんて凄いなぁ……あたいなんて何クレジット使ったかわかんないよ』
睦月は、何か悩み事があった時、千穂なら良い解決策を見出してくれるのではと確信した。そして憧憬した。

『む、いかん。もうこんな時間か』
千穂は年代物の懐中時計を手にとって現在の時間を確認する。
その中には男性と女性の写真が入っている事は、ここでは語らない。

『睦月殿、良ければ家に寄って共に夕食(ゆうげ)をとっていかないか?今夜は鍋にしようと思っているのでな』
千穂は買い物袋を掲げてみせる。
せっかくの好意を無駄にするのもどうかと思い、睦月は甘える事にした。
『鍋を祖母と二人で食するのも、少々寂しいのでな……』
千穂は、初めて悲しそうな表情をした。睦月も、こんな顔の千穂を見たのは初めてだった。
『千穂、半分持つよ!』
『そうか?悪いな』
睦月は、その言葉を後に後悔する事となる。

手渡された荷物の重さに、思わず愕然とする。
千穂は、こんな重い荷物を一人で、しかも二つも持っていたと言うのか。
千穂の自宅まで、まだあと三キロもある。
UFOキャッチャーのアームが人形を離したい気持ちが初めてわかった睦月であった。

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