1

「さぁ、ここを通りたければ俺を倒して行くんだな!」
「どうするよアンちゃん!あの野郎本気だぜ」
「ふふ、安心しろ。こっちには切り札がある」

「ん……?」
ブラウン管の中で繰り広げられる熾烈な闘いと激しいBGMで目を覚ました諸溝陽平(もろみぞようへい)は布団から起き上がった。
「……何だ、点けっぱなしで寝てしまったのか」
周りにはビールの空き缶とおつまみのげそが所々に散らばっている。
「ふぅ……」
諸溝はやれやれと溜息を付きながら、テレビの電源を切った。
ブラウン管の中では、アンちゃんが切り札の拳銃を出した所までが確認できた。
「……」
この映画は遠い昔に見た事がある。クライマックスは、アンちゃんが恋人の岬に撃たれて死んでしまうのだ。
当事はこんなきな臭い映画に一喜一憂したものだが、今となっては感動のかの字もない。これも年のせいなのか。
諸溝は空き缶を片付け、最後にはいつお日様の恩恵を受けたのか判らない程に平たくなった、かび臭い煎餅布団に入り込んだ。

それから数分後、やっとうとうとしかけた頃。
何処かで人間が叫ぶような声が聞こえた。
「(どうせ酔っ払いの戯言だろう)」
と思い、初めは気にしなかった。
だが、次は窓の外が一瞬青白く光った。
「(この時期に花火なんて酔狂なやつも居るもんだぜ)」
と思い、再び床に就こうとしたが、どうも気になった。

今度はさりげなく耳を澄ませていると、再び人間の罵声のようなものが聞こえてきた。
それも、かなり近い距離からと予想される。
「(何かあったのだろうか?)」

諸溝は布団から起き上がり、手早くジャージに着替え、万が一に備え愛用の竹刀を片手に外へと飛び出したのだった。

2

藤枝は絶妙なタイミングを見計らっていた。
勝己が縄梯子を伝って屋上まで昇り、そこからここ二階まで降り、丁度モヒカンの背後を取って攻撃を加えられるそのタイミングをだ。
勝己の通信機は最早使い物にならず、今は連絡する術もない。だから、お互いの時計および勘だけが頼りだ。
案の定、暗闇で思うように身動きが取れないノヴォゼリック達は、蛍光灯と監視カメラの破片にてこずっているようだ。
「さて、モヒカンの位置は……っと」
藤枝は頭の中でモヒカンの歩く姿をイメージした。
そして、丁度角に出てくるタイミングを割り出したのだ。
「(あと、五秒だな)」

そう言って定刻後、藤枝は角に飛び出した。

「うおおーーー!!!」
両手を挙げて、奇声を発する。
こうする事で、モヒカンにも自分の存在をアピール出来る。
「どうした!!」
学校全体に響くような太い声でモヒカンは現れた。
ノヴォゼリック達は突然の隊長のお出ましにどうしたら良いか判らなくなっており右往左往している。
「おい、おめぇか!!部下をやっちまったのはYO!!!」
血潮を滾らせ、モヒカンは問答無用でソウド・オフ・ショットガンを藤枝に向かって「一直線に」発砲した。

ズガン!!!!
ズガン!!!!

石つぶてのような激しいBB弾が通路全体に踊り回った。
藤枝は発砲直後に横っ飛びで再び角の奥へと逃げ込んだ。ここなら流石に跳弾は届かないはずだ。
一方、ノヴォゼリック達には良い迷惑である。
周りに破片があるために、横っ飛びをしたり、避ける事が出来ず、ただ体を丸めてBB弾の雨に耐えるしかなかったのだ。
「うわ!」
「……まじっすか?」
リトゲンに続き、神崎がBB弾の洗礼を浴びて吹っ飛んだ。そして放物線を描きながら、次々に壁へ叩きつけられた。
だが、ノヴォゼリックは体中にBB弾を受けながらも、何とか立ち堪えている。
「た、隊長……」
弱弱しく嘆くノヴォゼリックの姿を見て、モヒカンはやっと熱が冷めたようだ。
「す、すまねぇ!ノヴォ」
「ま、まだ……敵が……お願いします」

そう懇願するノヴォゼリックに近づこうとした時、モヒカンの後頭部に衝撃が走った。

バキ!!
「ぐわっ!」
勝己が縄梯子のフックの固い部分でぶん殴ったのだ。
自慢(?)のモヒカンがぐにゃりと曲がり、体もどすんと大きな音を立てて崩れ落ちた。武器も豪快ならやられる姿も豪快である。
「隊長!」
そんなモヒカンの末路に驚愕する暇もなく、ノヴォゼリックもまた、藤枝によって気絶させられたのである。
通路には一気に四人の人間が倒れこんだ。

「こんなに上手く行くとはな……」
「ほんとほんと」
四人を見下しながら、藤枝と勝己は口を揃えた。
「縄梯子で殴ったのか?」
「うん。だって、このヒトのモヒカンを素手で殴ったら硬そうなんだもん。足に次いで手も怪我したら女の株が下がっちゃう」
「ふ……そうかもな」
藤枝は口に手を当てて苦笑した。

二人の会話が終了すると同時に、宮元から通信が入った。
『こちら、マゼンタ。敵反応が一気に消えましたね』
『こちらキャメル。何とか敵を逆利用して倒したよ』
『機転が利いた勝利ですね。素晴らしいです』
『まぁ、そうもてはやすな。……で、カーマイン達の状況は?』
『着々と仕事は進んでいるようです。このままだと予定より早く撤収できそうですね』
『そうかそうか』
満足そうに頷く藤枝。

そんなやり取りを見ていた勝己は、藤枝の背後に何か嫌なものを感じた。
刃物のような鋭い視線……油断をすれば一瞬で真っ二つにされてしまうかもしれないこの緊張感。これは、ついさっき感じていたものと似通っている。
「危ない!」
勝己は藤枝の体に思い切り体当たりをして転倒させた。
「む!」
ついさっきまで藤枝の頭があった場所に、尖ったガラスの破片が矢のように通過していく。
体当たりの衝撃で、藤枝は通信機を落としてしまった。
それを拾い上げたのは、全く起きる気配が感じられないモヒカンが倒れている角から現れた巨漢の男だった。
巨漢の男は通信機を拾い上げ、右手で握りつぶした。
バキバキと激しいエグゾーストノイズばりの音をたててそれは原型をなくした。恐るべき握力である。

「おっと……手元が狂ってしまったかな」
巨漢の男は首を傾げながら言い、今度は懐からシースナイフを取り出した。
「よう、お嬢ちゃん。あれから足の調子はどれくらい悪い?」

「(さっきの……!)」
そう感じたのは二人とも同じであった。

「さっきはよくもやってくれたなぁ。予め跳弾の反射角を計算しておいて、俺をあの位置までわざと誘導させ、弾を当てる。実に良い連携プレーだよ」
と言って、巨漢の男は未だ赤みが残る左手を掲げた。
立ち上がった藤枝は、視線はそのままに勝己へ耳打ちをした。
「(ここは俺に任せろ。お前は退却の準備にかかれ)」
「(でも……)」
「(俺にも見せ場くらい作らせてくれ)」

躊躇しかけた勝己だったが、すぐに身を翻し、階段を上って行った。
今自分がここに残っていてもお荷物となるだけだ。そう判断したのである。
「ほう……今度の相手はお前か。まぁ、さっきのお嬢ちゃんよりは正当な闘いが期待できそうだな」
「そうだな。さっきは不覚を取ったが、次はそうはいかん」
藤枝が負けずにギラリと視線を返した。
身長の差はほとんどないが、やはり若干向こうの方が高い。こんな人間と戦うのは親父以来かもしれない。
藤枝はダガーナイフを取り出し、戦闘体勢に入った。
「お前もナイフ使いか……面白い!どちらが本当の刃に相応しいか、試してみようか」
「望むところだ」
「良い度胸だ。それと、これは勝負なんて言う生易しいものじゃない。どっちかが殺すか殺されるかだ」
「無論、そのつもりだ」
周りの空気が一気に凍りついた。二人の視線がそうさせたのかもしれない。

すると、巨漢の男は先程藤枝が囮で使ったコインを拾い上げてこう言った。
「このコインを指で弾き、床に着いた瞬間に勝負開始と行こう。異存ないな?」
「うむ」
「上等」
巨漢の男はさっそくコインを指で弾いた。

3

「(よし)」
新橋は千葉の指示と宮元の通信通り、物理のテスト用紙と国語のテスト用紙を手中に収めた。
一方の千葉は、デジタルカメラによってテスト用紙が複製かつ持ち出し不可能と言う問題を迅速に解決した。
再度言うように、保健体育と地理のテストに至っては、授業で配られるプリントの中からそのまま問題として出題される。元々平均点が高いため、今回はターゲットとして考えていない。
「これで……完了ですか?」
「うーん、そうね」
千葉はトライアングルバックに詰められた紙の束を見て、満足そうに頷いた。
「後は、床に散らばったプリント類を処分して終了よ」
「案外上手く行きましたね……」
「ふふ、それはマゼンタやキャメル、キャロット、アイボリーのサポートのお陰よ。勿論、シアンもね」
千葉はポニーテイルを翻し、最高の笑顔を見せてくれた。
そんな千葉の表情に、新橋の胸は熱くなった。

その時、職員室の廊下の方から、荒々しいスリッパの音が聞こえた。
逸早くそれ気付いたのは千葉である。新橋を机の陰にひっぱり、姿勢を低くかつ声のトーンも抑える様に促した。
「(だ、誰ですかね?)」
「(おそらく、宿直担当の諸溝よ。ったく、タイミングの悪い時に巡回するわねー……)」
「(ええっ!諸溝って、あの鬼の体育教師の!?)」
諸溝陽平……狩穂高校全学年の体育を管轄する筋骨隆々の教員だ。
運動は健康のためにするとか、ダイエットのためにあるとか、そんな甘っちょろい事は言わず、あくまで肉体の強化として考えている。
冬場のトラック三千周は当たり前、夏場には全長二十五メートルのプールにおいて、一千メートルの遠泳を平気で試みる。
そのため、生徒からは鬼教師として煙たがられているが、生まれつきの彫りの深いマスクと鍛え上げられた肉体が幸をそうして、PTAからの人気は高い。
「(そう。学内で悪事を犯してヤツに捕まった暁には教育上正しくないお仕置きが待ってる……それが元でノイローゼになった生徒も少なくないわ)」
千葉はさらにトーンを下げて言った。

新橋は思わず身震いした。
教育上正しくないお仕置きは、常備している竹刀を使用して行われるらしい。一体どんなお仕置きなのだろうか……。
その時に、鼻で大きく息を吸い込んだためか、近くからラベンダーの香りがした。
「(これは、部室で嗅いだのと同じ……)」
どうやら、千葉の頭部付近から発している匂いらしく、ジャンプーの類なのだろうか。
「(どうしたの?)」
「(いや、ラベンダーの香りが……)」
「(ああ、これね。良い香りでしょ?ラベンダーは心を落ち着かせる効果があるのよ)」
と、言って千葉は自分のポニーテイルを新橋の鼻に押し付けた。
たしかに、落ち着く匂いだ。今度から芳香剤はラベンダーにしよう。

「おい、貴様!!」
いきなり、耳をつんざく様な声が響いた。初めて聞く声である。
新橋の落ち着いた心はまた一気にボルテージが上がってしまった。
声の発生場所は、どうやら廊下らしい。
千葉もポニーテイルを引っ込め、辺りに耳を澄ませた。

「こんな臭ぇ柔道着を押し付けやがって!トラウマになったらどうすんだ!!!」
廊下に柔道着を叩きつける音が響いた。
「俺は……そんなの知らん!と言うか、お、お前らは何者だ。ふ、不審者か!」
狼狽する諸溝。こんな様子は見るのも聞くのも初めてだ。
「不審者だあ?貴様の格好の方がよっぽど不審者だぜ!見ろ、相棒はあまりの激臭に未だ起きる気配がないではないか!!」
「うわ!寄るんじゃない。匂いが移るだろうがっ!!」
「うるせぇ!愛用のMP5もなくなっちまったし、こうなりゃ人間体臭爆弾だ!!これが<Traffic Jam Zombies>の生きる道よっ!」
「う、うわぁーーーー!!!!」

悲鳴と共に、ドタドタと二人は遠ざかってしまった。
「行ってしまいましたね……」
「これで諸溝も少しは大人しくなるかもね。とにかく助かったわ」
『カーマイン?こちらマゼンタ!!』
危機が去って安心したのも束の間、宮元からの通信で再度空気が百八十度変わった。
『こちらカーマイン。何か』
『キャロットに次いで、キャメルの通信が特別教室棟二階付近で途絶えました。何か良くない予感がします』
『了解。カーマイン単独援護およびシアン撤退準備』
『気をつけて』

通信が終わると同時に、新橋は千葉に歩み寄った。
「ど、どういう事です?」
「シアン、良く聞いて。私はこれから二人の援護に行ってくる。シアンはこのバックを持って、さっき来た道を戻り、三年一組側の一番端の窓から脱出するのよ」
千葉は肩からトライアングルバックを外した。
「えっ!僕一人でですか!!」
「大丈夫よ。一人じゃない。マゼンタの通信もあるしね。そうそう、そのトライアングルバックの中身は今回の大事な戦利品だから、落としたりしたらただじゃおかないからね!」
事の重大さは千葉の表情を見て判った。新橋はこれ以上の無駄な質問はしないようにしておいた。
「わ……判りました」
「宜しい。じゃあ、行くわよ!」
「はい!!」
二つになった新橋のトライアングルバックの重みは、何故かとても心地良く感じられた。

4

ガキン!ギン!!ギン!
「ふあっ!」
「せぇい!!」
「む!」
妖しく光る二本のナイフが黒い空間を舞台に激しく舞っていた。
荒々しい力任せの藤枝のダガーナイフ、的確かつシャープな剃刀のような巨漢の男のシースナイフ。
相反する二本の役者が、お互いの悪い部分を相殺しあって、最高の舞を演じていた。

ギン!!

「はぁ……はぁ」
「なかなかやるじゃないか」

互いの体には大量の傷があった。
だが、肉体に直接ダメージを受けているのは藤枝の方だ。
顔や手から鮮血が滴り落ち、それらのせいで余計に体力の消耗は激しい。
巨漢の男は、藤枝の素早い攻撃であってしてもぎりぎりの所でナイフをかわす。傷を付けるのは専ら衣服や髪の毛までが限界であった。
「……こんな強い男が居るとはな」
独り言のように呟いた藤枝だったが、声を抑制する力はすでに残っておらず、相手にそのまま聞こえてしまったようだ。
「俺も正直驚いているよ。恐るべき腕力……まだ腕がガクガクしてるぜ」
「ああ、俺もこんなに的確なナイフ捌きは初めてだよ」
藤枝は額から流れる血を拭った。

暫しの沈黙の後、血振りをした巨漢の男は藤枝に名前を尋ねてきた。
「俺は……組織の中ではキャメルと呼ばれている」
藤枝が名乗ったので、今度は巨漢の男が名乗った。
「そうか、俺はパトリックだ。<Traffic Jam Zombies>の中ではな」
「存じておこう」

気が付けば、戦い始めた場所よりももっと階段近くに来ていた。
つまり、藤枝が押されていたと言う事になる。
いつも先手先手で相手を倒す事を前提としている藤枝にとっては珍しい事だが、一筋縄ではいかない相手にはまずは思う存分攻撃させ、相手の攻撃のカードを探る事が重要なのだ。
手痛い防御を重ねた末、大体のパターンは掴めてきた。
格闘においての人間の心理として、体力が消耗してくると無意識に攻撃がワンパターン化してくる。
なので戦いに勝利するには、腕力を鍛える事も重要だが、攻撃パターンのバリエーションを得る事、自分がたった今どんな攻撃をしたのか?を冷静に分析できる脳も必須だ。
パトリックはナイフでの攻撃のみならず、蹴りを織り交ぜてのコンビネーションを主としている。
だが、先程から見ている限り、蹴りで牽制をした後にナイフの突きで一気に間合いを詰めると言う攻撃パターンが全体の七割を占めていた。
しかしながら、両手両足ともに的確な位置を狙って攻撃をしてくる故に、利き手、利き足の判別は難しい。
「……」
藤枝は、ちらりと階段に視線を移した。
足場の悪い場所での戦いは、それだけで大きな補助となるが同時に妨げとなる。
ここで一気にかたをつけなければ……。
再び戦闘体勢に入ったパトリックを藤枝は階段よりに誘導した。

間髪いれずにパトリックが右の上段回し蹴りを放った。
それをバックステップで空振りさせると、そのまま巨漢の男は体を回転させ、左の中段回し蹴りを繰り出した。鮮やかな連携である。
予想していなかった攻撃に、藤枝は両手をクロスさせ、中段回し蹴りを防いだ。

バス!

「ぐぅ!!」
ビリビリと言う衝撃が腕に直接伝わる。
蹴りの体勢を解除したパトリックは、今度はナイフを上から振り下ろした!
だが、それはフェイントで突如逆袈裟の構えからナイフを振り上げた!

ガキン!!

虚を突かれたが、藤枝は何とかこれも防いだ。
鈍い音が辺りに鳴り響く。両手は蹴りを防いだ衝撃で未だぷるぷると震えていた。まるで別の生き物のような感覚だった。
「ほう……良く防いだな」
「甘く見るなよ!!」

ガリ、ギギギギン!!
パトリックの攻撃、藤枝の防御によってお互いの刃が面前に迫り、二本のナイフが十字架を作るように激しくぶつかった。
少しでも力を弱めれば、相手のナイフが顔を真っ二つにしてしまうだろう。
それでも、そんな恐怖にもかかわらず、パトリックと藤枝は口元を緩めた。
面白い!!
二人ともそんな表情をしていた。

今度は藤枝が右足で蹴りを放った。
体中の力を両手に注ぎこんでいるせいか、満足な蹴りが出来なかったが、パトリックの腰を打ち抜く。

スパン!!

「ぐっ!」
悲鳴を上げたのは、何と蹴りを放った藤枝の方だ。
その様子を見て、パトリックは不敵な笑みを浮かべた。
「残念だったな……俺のベストの腰付近には特殊な金属が巻かれている。そして、外部から直接体への衝撃を緩和するためのスポンジ素材も中に巻いてあるんだよ」
「な、にっ!俺の着ているベストにはそんな装備はなかったはずだ……」
「まだ位が低い連中は装備が認められてないんだよ。大方、俺と隊長ぐらいだろう」
そうか、先程から手ごたえがあるものの直接的なダメージを与えられないのは、この金属で守られているせいでもあったのか。
そう思うが否や、一瞬にして右足の感覚が奪われた。
藤枝は歯を食いしばった。ここで倒れてたまるか!

「うおおお!」

ギン!!!!

激しい音をたて、藤枝がパトリックのナイフを切り返した。
それが合図となり、双方の距離が離れる。
ひゅう、パトリックが口笛を鳴らした。
「ふぅ、ふぅ……」
「力、体力、技術、どれを取っても予想以上のものだな。お前は強い。だがな、お前にはまだ足りないものがある」
「何……っ!」
藤枝は肩で息をしながら問うた。

十分な時間を取り、パトリックはゆっくりと喋った。
「それは心だ」
「!!」
その言葉に藤枝聞き覚えがあった。
「お前はナイフを振る際、若干の迷いが見える。出来るだけ相手を傷つけないように倒すには……そんな事をいつも考え、寸前で手加減をしている」
「……っ!」
「弱い相手にはそれでも十分かもしれないが、少なくとも俺には通用しない」
現在、ボロボロな状態なうえ、肩で息をしている藤枝と、これと言った外傷が見つからないパトリックではその差は歴然であった。
「さっき、俺はこれは勝負じゃない。殺すか殺されるかだと言った。今のお前の甘っちょろいナイフ捌きなんざ、魚を捌くくらいが丁度良いんだよ!!」
「な、何だって……くそ、いい気になるのもいい加減に……ぐっ!!」
凄まじい精神力でカバーしていた体全体が一瞬浮遊感に襲われた。
「お前はもう戦えないだろう」
パトリックの目には、すでに鋭さがなくなっている。負傷者を見舞う、慈悲深い戦友のような目をしていた。
藤枝は必死に声を絞り出そうとしたが、ただならぬ疼痛で声帯もイカれてしまったらしい。
ぐぐ、と言うくぐもり声しか発する事が出来ない。

「……今年の夏もまた<ストリートウォーリアーズ>が開催される」
ふいに、パトリックは遠くを見ながらそんな事を言った。
<ストリートウォーリアーズ>と言う催しは、<新聞部>である藤枝も勿論、熟知している。
<スタンド・リバー・ステーション>周辺のエリアを貸し切り、周りを防弾壁で囲った中で派手なドンパチ大会をするのだ。ドンパチと言っても、武器は任意。肉弾戦でも一向に構わない。
戦闘不能状態に陥った瞬間に負けが決定し、最後に生き残った者はその年の英雄として仰がれるだけでなく、巨額の富も手に入れる事が出来るらしい。
だが、それはまた別の話である。
「それに出場しろ。今よりも強くなってな」
「……」

そう言って、パトリックは闇に紛れて消えた。
「く……そ」
藤枝は堰を切ったように倒れこんだ。
ダガーナイフも力なく転がった。光を失ったそれは、ただの金属の塊でしかなかった。
すぐ背後には階段も迫っていた。パトリックは地形的にも体力的にも藤枝が不利であり、すでにもう自分に勝つのは不可能だと見切っての行動だった。
完全なる敗北。
藤枝は悔しさのあまり、場を弁えずに激しく泣いた。

5

はたして藤枝は大丈夫であろうか。
勝己は引き返したい気持ちで一杯であったが、あの藤枝に限って負けるはずがないと思っている。だが、しかし……。
変な胸騒ぎは止まらない。これは走ったせいで鼓動が揺れているのではないのだ。
腕時計を見ると、作戦終了予定時刻まであと三百秒。
生徒会室からは妖しげな光が外に流れ出している。どうやらここが先程の傭兵達の本部らしい。
聞き耳を立ててみると、男性と女性が争うような声が聞こえた。

「我が部隊は全滅だ……まさか隊長までやられるとは」
「貴方達の隊長さんは見てくれだけ立派で、本当に役立たずね」
「うるさい!お前に何が判る」
「うるさいのはあなたの方よ。全く……どいつもこいつも」
「言わせておけば貴様……俺も戦闘くらいはできる」
「残念だけど、貴方では彼らに勝てないわ」
「うわっ!何をする!!!止めろ!」

悲鳴が轟く生徒室から身を離し、勝己は藤枝が闘いに勝った事を悟った。
後は校舎から脱出すればこの作戦は完了である。
今まで通ってきた道を引き返しても良かったが、屋上には敵が居ない事を確認しているため、そこから縄梯子を使って退却ルートに乗れば良い。
身を翻して勝己は屋上へと向かった。

「誰!」

麻生は生徒会のドアを開け、今まさに勝己が居た空間を吟味した。
床に手を当てると、まだほのかに温かい。
ついさっきまで誰かが聞き耳を立てていたようだ。
「逃がさない……」
麻生は光溢れる生徒会室から闇へと紛れて行った。部屋の中には力なく倒れる二人の人間が存在していた。

6

「キャメル!!」
つい大声を出してしまった。その状況があまりにも衝撃的だったからである。
特別教室棟二階に辿り着いた千葉は、何人もの屍を越えながら藤枝の側に歩み寄った。
『マゼンタ?こちらカーマイン。キャメルとの合流に成功。ただちに退却に入る』
『マゼンタ了解。急いでください、時間があまりありませんよ』
通信を終えると、千葉はすぐさま藤枝に声をかけた。
「しっかりして!まさかアンタがやられるなんて……」
うつ伏せで倒れている藤枝を仰向けにし、千葉はそう呟いた。
「すまん……相手は俺よりも強かった。ただそれだけだ」
「キャロットはどうしたの?」
「やつは……先に退却ルートに向かっているはずだ」
そう言って、藤枝はよろめきながら立ち上がった。
「シアンはどうした?」
「先に退却ルートに向かわせたわ」
「……まずいな。大方敵を撃破したと言っても、まだ残っている敵も居るだろう。格闘の心得がないシアンが襲われたら……」
「走れる?」
千葉は近くに落ちていた藤枝のダガーナイフを拾って手渡しながら問うた。
「無論だ」
「安心した」

藤枝と千葉は新橋を助けるため、すぐさま退却ルートに向かって走り出した。

7

下手な隠密行動はすぐさまキャッチされたしまった。
体臭爆弾に被爆した諸溝が竹刀と罵声と悪臭を振りまきながら、新橋の背中をゾンビのように一心不乱に追いかけている。
ご丁寧に罵声によって集められた体臭仲間を引き連れて。
「待ちやがれ!お前も道連れにしてやる!風呂に入っても匂いが取れなくしてやる!!」
諸溝の彫が深いマスクがはがされた瞬間であった。
「(た、助けてくれ!)」
心の中で新橋は泣いていた。もし捕まったら、教育上正しくないお仕置きにプラスして体臭爆弾、そして<裏新聞部>からも洗礼を受けるだろう。
「(ここで捕まるわけにはっ!)」
気力を振り絞り、新橋はアスリート顔負けの脚力で校舎を駆け抜ける。
それが幸をそうして、体臭集団を何とか引き離す事ができた。
「(やった!僕ってこんなに足が速かったのか……もしかして、兄貴よりも?)」
やがて、三年生の教室が並ぶ曲がり角に辿り着いた。そのままのスピードで三年一組方面へ曲がった矢先……。

人影があった。
それも小柄な。
それは微動だにせず、こちらを真っ直ぐ見つめている。
新橋は慌てて立ち止まった。

「ここは通さないわよ」
何となく冷たいその声には聞き覚えがあった。
「でも安心して。あなたの肩に掛けてるバック……それを渡せばあなたの安全は保障するわ」
「(えっ!)」
新橋は心の中で驚愕した。この人……いや、麻生は自分達が今まで何をしていたのか全て知っていたと言うのか!
「(ど、どうする!)」
トライアングルバックを渡せば、現在のこの危機を何とか回避できる。だが、後々同様の危機が待っている事はたしかだ。困難を後延ばしにするに過ぎない。
考えるまでもない。新橋は自分でも信じられないような大声でこう叫んだ。
「渡せるわけないだろう!」
麻生は一瞬ビクっとしたが、すぐに体勢を持ち直した。

『シアン。私の指示に従って、反対側に逃げてください』
ふいに、宮元から通信が入った。
「(反対側?)」
だが、あの宮元の事だろう。何か策があっての発言に違いない。新橋は<裏新聞部>の仲間の言葉を信頼していた。
『(はい)』

「交渉決裂ね……なら消えなさい」
一方の麻生は溜息を一つ漏らし、ポケットからフォールディングナイフを取り出した。
パチンと音が鳴ったと思うと、ナイフの鋭利な部分が現れた。
それと同時に新橋は麻生に背を向ける形で走りだす。
「馬鹿ね……そっちに逃げるなんて」
麻生はナイフを構えながら新橋の後を追った。

『良いですよシアン。そのまま進んでください』
『ですが……こちらは行き止まりですよ』
『大丈夫。私が三、二、一と言いますから、〇のタイミングで身を屈めて下さい』
『りょ、了解ですっ!』

面前には行き止まりの壁が迫っていた。
だがスピードを緩める事はできなかった。何故なら、麻生が背後まで迫っていたからである。
「切る……」
麻生の目は完全に据わっていた。
新橋の足を持ってしても、麻生は着実に距離を縮めている。本当に人間なのか!?
焦る気持ちを抑え、新橋は宮元の合図を待った。
「はぁはぁ……」

『三……』
「(き、来たっ!)」
『二……』
「(まだよ……まだまだ)」
『一……』
「(今だ!)」

宮元に言われた通り、一気にその身を屈めた。
「良い子ね。やっと観念したの。でも、ちょっとおいたが過ぎたようね……えっ!!」

何と、この先の何もない壁から一発のBB弾が飛び出してきたのだ。
それは、新橋の頭の上を通過し、麻生の頬を直撃した。
「きゃあ!」
フォールディングナイフを落とし、麻生はバレリーナのように体を大きく仰け反らせた。
新橋は何が起きたか判らなかった。い、一体何処から弾が飛んできたんだ!?

『今です!脇を通過して、本来の退却ルートに戻ってください!!』
呆けている新橋に宮元は激を飛ばした。
『はい!』
「くっ……待ち、なさい」
麻生は顔を手で覆いながら喋った。だが、相当に効いたらしく、立ち上がる事は出来ない。
新橋は素早く起き上がり、退却ルートへと走っていった。

「お、覚えてなさい……」
一人残された麻生は呪文のようにそう呟いていた。