1
ピピー、ガー、ザザザー
特別教室棟、生徒会室は激しい雑音と罵声と熱気で包まれていた。
モヒカンが机を思い切り叩くと、モニター画面が一瞬歪み、後に元通りに映し出す。
うとうととしかけていた四月朔日は、その音に驚いてハッと目を覚ました。
「YOう!こりゃ一体どういうこった!?アルデレイト応答しやがれ!……どうなってる、おいメガネ!!」
モヒカンの目を向けた先のモニターには、本来居るべき時刻に居るべき仲間の姿が見えない。
ただ無機質な機械が、正常にその仕事を全うしている。
だが、応答に応じない部下に、モヒカンは苛立ちを隠せないようだ。
「一般教室棟一階配置のアルデレイトが何かを発見し、追跡する姿が確認できています。しかし、そのまま応答がありません。無線も破壊されてしまっているようです」
「くぅ!族か?……するってぇと、アルデレイトから見える位置から侵入したのか……?」
メガネは中指で自分のメガネの位置を整え、モヒカンと視線を交えた。
「……それは早計だと思います隊長。単に、族が今までの戦いをやり過ごしていたのかもしれませんし、アルデレイトが小動物の類を族と見間違えたと言う可能性もあります。ですが、次の被害者が出た時点で何かが判るかもしれません」
「被害者、だとぅ!?って事は、アルデレイトは完全にやられちまったってわけか?」
「無線からの応答がないのが何よりの証拠かと」
「……ちっ!」
アルデレイトは経験こそ浅いが、小動物と人間を間違えるような事はないはずだ。
だが、冷静さを失ったり、恐怖感を感じていたり、突然のアクシデントに見舞われた人間は、時として枝でも人に見え、猫でも獣に見えるような事があるだろう。
モヒカンは眉毛を大きく曲げ、腕組をしながら天井を仰いだ。よく見ると、細かい亀裂がところどころにある。
すると、今度はメガネが大声をあげた。
「これは!?」
「今度はどうした!」
メガネの声に反応し視線を戻すと、モニターの一つが白い煙に覆われた。先程のアルデレイトの巡回場所の監視カメラだ。
「これは……スモークグレネード」
「俺達の装備にこんなモノはねぇ!やはり族がこっから入り込んだんだ!!まだその付近に居るかもしれねぇ。YOし、早々にケリをつけるぜぇ!!」
乱雑にマイクを取るモヒカン。口から大量の唾を飛ばしながら叫んだ。
『おい、アメリオ!三年教室の方に族が侵入したらしい。一発ブチかましてやれYO!!』
モヒカンは、アルデレイトの配置から一番近いグラウンドの下駄箱の前で警備を任されている一人、屈強が取り柄のアメリオを呼び出した。
「あっ、待ってください……これは罠かもしれま……」
「アン?どういう意味だメガ……」
『……こちらアメリオ、了解した……。……ぐっ!!ああ』
微かに聞こえる「バチッ」と言う音……次いで荒い息遣いに体を床に擦り付ける音……モヒカンはその事態を瞬時に察した。
『どうしたアメリオ!おい、アメリ〜オ!!』
『く、くそっ!!姿を見せろ、卑怯者め!!』
何者かと戦うアメリオ、無線からはその声だけが聞こえる。くそっ、近くに居れば助けられるのに、そう出来ない自分が情けない。
モヒカンはその場で歯軋りをした。
バキッ!!
その後、一言二言セリフを吐いた後、無線機が踏まれる激しい音がした。モヒカンは堪らず耳を離す。
あの音……打撃の類のモノじゃなぇな。それに、いくら近距離でのハンドガンでも、あの屈強が自慢のアメリオが一発で倒れるとも思えねぇ……そのアメリオの戦闘力を確実に喪失するには、誰かが狙撃をしてやがるな……それか、何か強力な銃火器を扱っているのか?否、族がそんなでかい獲物を持って侵入してくるとは考えられねぇ。だとしたら、やっぱり狙撃か……だが、一体何処から?
モヒカンはこの地域の地理に詳しいわけではない。生憎、部隊にもこの地域の人間はいない……いや、ここに生徒が居るじゃないか。
「YOう、お嬢ちゃん!この辺りに学校全体を見渡せるような高い建物はあるか?」
腕を組みながら、その様子を傍観していた麻生は、静かに口を開いた。
「それなら、ここから数百メートル離れた先にあるビジネスホテル<アサイラム>。もしくは、<スタンド・リバー・ステーションビルの屋上展望台>ですね。どちらも、校舎全体を見渡せ、狙撃には持って来いだと思います」
窓際から身を乗りだし、麻生はモヒカンに判るように建物を指差した。
「(狙撃と言う言葉を俺は発していなかったはずだ……なのに、このお嬢ちゃん……ふっ、只者じゃねぇぜ!!)」
モヒカンは口を吊り上げながら愛用のソウド・オフ・ショットガンを取り出した。
銃身を限りなく切り詰めた、軽量で扱いやすいショットガンだ。連射が出来る反面、装弾に時間がかかるが、点綴な銃弾を発射し、一瞬で相手を蜂の巣にする事が出来る。
特に、物陰から物陰に横っ飛びをしながら撃ち、相手を吹っ飛ばす様なんてのは、最高にクールじゃねぇか!想像しただけでにやにやしちまうぜ。
ありったけのBB弾をマガジンポーチに、そして頭には妄想を詰め、櫛で自分のモヒカンをセットし直した。
2
人気のない職員室に入ると、カーテンが閉められた窓から僅かに月明かりとグラウンドの照明が同時に入り込み、足元を大きく照らしてくれている。
教室の二つ分くらいの広さに、向き合うように並べられた教師用の机が、合計で二列。そして左の壁には教師用のロッカーがある。
じきに、千葉と新橋がやってきて、彼らの仕事を始める事だろう。
勝己は、並んでいる教師用の机よりも低い姿勢を保ち、職員室に入って右手に進んだ先の壁に設置してあるキーボックスまで走った。
職員室内は印刷室内ともつながっており、キーボックスはその二つが通じる扉の真横にある。
キーボックスと言っても、厳密にはボックスではない。ただ、それぞれが壁にかけられているだけだ。あらゆる部室の鍵やら特別教室全般の鍵、体育館の鍵……と数が半端じゃなくあり、言わばキーウォールやキーアートとも見ることが出来る。しかし、それでは何となく格好悪いので、キーボックスと言うそうな。
色々な用途で使われる鍵の中から、連絡通路用の物を探し出す。
カチャ
「よし、これだね」
勝己は連絡通路用の鍵を取り出した。錆が程よく付いたそれは、何処となく年代が感じられる。
鍵を懐に入れた瞬間、背後で何かが動く気配を感じた。
「!」
警戒しつつ素早く振り向くと、先程まで閉まっていたはず窓が一つ開けられ、外からの強風でカーテンがバタバタと舞い上がっている。そのせいで、机の上に置いてある軽いプリント類といった物が宙を舞った。
「な、なに……?」
敵が近くに居たならば、事前に宮元から警戒の連絡が入るはずだ。しかし、通信機は一言も喋ろうとはしない。
『こちらキャロット。マゼンタ、マゼンタ?』
『こちらマゼンタ……何か?』
『うーん……なんか誰かの気配がするんだけど……』
『ちょ……それはどうい……う…ガガガ……あら?キャロ……ト、状況を……』
『マゼンタ!?くっ……』
鍵を手にした今、一刻も早く藤枝のところに行き、合流しなければならない。時間の経過と共に、作戦は失敗の濃度を高める。
だが、誰かが居る。そして自分を狙っている。
ごくりと唾が喉を通り抜ける音を自分でも確認出来た。
後からやってくる千葉達に厄介な荷物は残したくない。
キーボックスを背に、神経を研ぎ澄まし、残り百八十度に警戒を放った。だが、何かが襲ってくる気配がない。
それでも、ここで気を抜けば間違いなくやられると言う気持ちもあった。
勝己が取れる方法は三つ。
まず一つ目。
風が吹き込んでカーテンが揺れている位置の窓は開いている。そこから外へ出て、中庭を通り連絡通路まで移動する。
だが、これは危険かもしれない。外へ転がった先に敵が待ち構えている可能性は十分にあるからだ。
二つ目。
印刷室への扉を抜け、廊下へ出た後、通用口を使って外へ出る。
とは言え、肝心の印刷室への扉は開け放されていない。しかも、その扉に鍵が掛かっているのか、いないのか、それさえも確認できていない。もし、鍵が掛かっていたら、即アウトだ。
また、敵に無防備な背中を見せてしまう事にもなる。
三つ目。
正体不明の、今対面している(と思われる)者と対決する。
これは何とか避けたい物だ。勝己は素早く、かつ格闘術にも優れているが、原則には奇襲攻撃がメイン。つまり、やられる前にやるだ。
長期戦ともなればそれだけ後に支障を来すだけでなく、それ以前にスタミナにあまり自信がない。
月が雲に隠れた。
視界がより暗闇に染まる。一気に空間が広くなった感じがした。思わず目を細める。
さて、どうする……?
カチカチ……
カチ……カチ……カチ
職員室に設置された壁時計の針の音がいつもより大きく感じる。
それと連動して、どくどくと言う胸の高鳴りが激しくなってきた。
「……」
勝己は念のため、懐から筒状の物を取り出した。先には導火線が付いている。信号弾だ。
自分が何らかの危機に陥った場合、逸早く南町田や他の仲間に知らせるために、予め常備しておいた物である。
だが、これを使う場合、取れる選択肢は一つ目だけと言うことになるが……。
ようやく目が慣れてきた矢先、暗闇から染み出るように、ゆっくりとそれが実態を表した。先程の傭兵達と同様、歪な防弾ベストを羽織っている。背格好は自分よりも二回りも大きい巨漢だ。
左手には、遠目には棒のようなものが握られ、その先に付いているものを外すと、鋭利な刃物が現れた。どうやら、ナイフのシースケースを外したようだ。
パサッ
そのまま、シースケースが床に落ちる。
勝己の頬からは汗が滴り落ちた。
今日は決して暑くない。緊迫した空気が勝己の汗腺を刺激したのか。
双方の距離はおよそ七メートル……巨漢の男はじりじりとこちらに近づいて来る。相反して勝己は距離を少しづつ空けていく。
「ま……〜……は、な」
「?」
ブツブツと聞き取れないような小声で、相手は何かを言っている。
そして、勝己よりも先に相手が行動を起こした。
コンマ数秒。
それだけで十分だった。巨漢の男は、たったそれだけで机を飛び越え、勝己の面前までたどり着いた。そのスピード、尋常ではない。
堪らず、勝己は横に転がり距離を空けた。左手にはカーテンが見える。
体勢を完全に整える前に、巨漢の男はナイフを振り上げた。
まずは鋭い突き。
「!」
顔面を狙うそれをダッキングの要領で避ける。背が小さくて良かった。
その反動で、今度は勝己が右足で下段の足払いを仕掛ける。
「くっ……」
そう言えば、右足は先程負傷していた。思うように力が入らない。
バシッ!
だが、その足払いが何故かヒットし、巨漢のバランスが崩れる。だが倒れない。その隙に、勝己は立ち上がり、一歩ずつ素早く距離を空け、揺れるカーテンの方へと向かう。
足が言う事を聞かないせいか、何処となく不自然な足取りである。
「ほう……その歩き。右足を無意識に庇っているな。思い切りがない。怪我でもしてるのか?それに、パワーも全然足りねぇ」
全然と言うところにアクセントを置き、巨漢の男はにやりと笑った。
「!」
なんと、巨漢の男はわざと攻撃を食らったのだ。
それで、相手の戦闘力、癖、状態などを素早く分析する。明らかに戦闘慣れしている!
巨漢の男が喋り終わって間もなく、再び勝己から攻撃を仕掛けた。左の下段回し蹴りだ。
勝己の身長から言って、顔面への攻撃は不可能に近い。ならば、足から潰していくしかないだろう。
だが、巨漢の男はその場で垂直ジャンプをし、蹴りが空を切った。床の埃が円形状に舞う。体格の割りに素早い!
「消えろ」
「な……っ!」
見上げる形となった巨漢の男はジャンプによって蓄積された反動をナイフに込め、勝己の体に向かって振り下ろす。
「う、うわっ!」
ガキン!
勝己はそれを何とか後転して避ける。代わりに床が悲鳴を上げた。
「ちっ!ちょこまかしやがって。次は外さねぇ」
巨漢の男が誰にでも聴こえる様な大きな舌打ちを鳴らした。
一体どちらが刃物か判らないような鋭い眼光三つに、勝己はただ慄然としていた。
その間にも、巨漢の男はゆらゆら近づいてくる。
「っ!」
中腰の姿勢から立ち上がろうとした勝己だったが、まるで右足がその機能を忘れたかのように働かない。
前につんのめりそうになり、慌てて床に手を付いた。
「(い、痛……足に力が……入らない!な、何て事……)」
もうだめか!勝己は目をつぶって歯を食いしばった。
「(だ、誰か……誠二君……!)」
「ジ・エンドだ」
ブワッ!
その時、外で一際大きな風が吹いた。
バサバサ……パチン
なんと、カーテンが勢いよく室内に入り込み、巨漢の男の顔を包んだのだ。
堪らず体をよじるが、その度に体に食い込んでくる。どうやら視界が完全に奪われているようだ。
「な!なんだ。くそっ、前が見えねぇ!!」
「(チャンス!)」
その隙に、勝己は痛みを飲み込み、一気にカーテンの外へと飛び出した。ここが一階で本当に良かった。そのうえ、幸いにも他に敵の姿は見当たらなかった。
前転受身を成功させ、すぐさま一般教室棟と特別教室棟へを繋ぐ連絡通路が見える中庭まで走った。本来のルートと外れてしまったが、作戦にアクシデントは付き物である。
「もう、あいつ一体何なの?」
宮元に再度通信を試みたが、やはり反応がない。これは何かがおかしい。
曲がり角を抜ければ、中庭はすぐそこだ。勝己はダッシュをしつつ、右手に持っている信号弾の導火線をコンクリート壁にマッチの要領で滑らせ、着火させた。
ふと後方を見ると、やっとカーテンから解放された巨漢の男も追いかけてくる。足を庇って走っているせいか、距離自体はそれほど開いていなかったようだ。
「うみゅ、しつこいなー!」
右手に持ったシースナイフのブレードにはカーテンの繊維が付着している。どうやら、カーテンを八つ裂きにしたらしい。自分も捕まったらああなるのだろうか。
信号弾が爆発する間際に、勝己は天に向かってそれを投げ上げた。
ジ……ジ、シュ〜……パン!
青白い光が黒いキャンバスを一瞬変化させる。だが、夜は黒の支配下だ。どんなに明るい色を持ってしても、黒には敵わない。そして飲み込まれた。
一階の中庭には現在は使われていない焼却炉や物置、何が住んでいるのか判らない薄汚れた小さな池や花壇がある。
勝己は、池を背に巨漢の男と向かい合い、肩で息をしながら戦闘体勢をとった。
背水の陣ならぬ、背汚水の陣である。
「くくっ……この期に及んでその姿勢、気に入ったよ。だが、それは所詮は蟷螂の斧だ。後ろは水、前には俺、さてどうする?」
巨漢の男は人を小馬鹿にしたような口調で言い放った。
「切り札と言うのはね、最後まで残しておくものだよ?」
勝己は先程切り札への伏線を張っておいた。それに気付いたものは、仲間の内の二人……いや、三人か。
そして、今立っている場所もその一つだった。
「はっ、そんなものがあるとは思えないな。まさか、その負傷中ではない左足の事じゃあるまい?」
巨漢の男は、微笑を浮かべたままシースナイフを構えた。改めて見ると、とても大きい。
「残念ながら、お前の蹴りでは俺に傷を負わせる事はできん」
勝己は体をそのままに保ち、横目で連絡通路横の開け放たれた窓を見た。そこには、一つの縄梯子が下ろされている。
「(よし)」
「それにしても、こんなやつに不覚を取るなんて、<Peridot Revolver>も大した事ねぇな……」
見えない伏線が張られ終わった事を、巨漢の男は気付いていないようだった。
やっと顔を出した月の光がシースナイフのブレードに反射し、最高の切れ味を視覚でも表している。
「……人を外見だけで判断しちゃいけないと思うけどね」
「はっ、笑わせる。それが世の中ってもんだ。誰も中身なんて評価しちゃくれねぇ。……仕事でも何でも結果が全てなんだよ。上に上がるのもな。俺は意地でも上に上がらなくてはならない理由がある。それだけだ」
一瞬、巨漢の男の表情に悲しみに似た陰りが見えた。
「何か、訳ありの用だね……」
勝己はこの巨漢の男に個人的な興味を持った。
「へっ、族に同情なんてされたらおしまいだな。さて、お遊びはここまでだ。まぁ安心しろ、殺しはしない」
「ふふ、あたしもね、あなたは殺さない。悪い人じゃなさそうだからね」
そう言って、勝己は戦闘体勢を解いた。
巨漢の男は鳩に豆鉄砲を食らったような顔になり、その言葉に呆れかえった。
「命乞いもなしか……まぁ良い。これで、ジ・エンドだ!!」
巨漢の男は地面を大きく蹴り上げ、一気に間合いを詰める。そして、逆袈裟の要領でシースナイフを振ってきた。
だが、勝己は避けないようとはしなかった。巨漢の男をただじっと見つめている。
「そうだ!実力なき者は素直に実力者にひれ伏していれば良いんだよ!!」
シースナイフが勝己の右脇腹を触れるほんの数距離。時間がスローモーションになったような気がした。
巨漢の男の交差された腕の隙間から、相手の目の色、息遣いまでもが確認できる。
「敵は……陸上だけじゃないんだよ」
ガン!
突然、焼却炉から乾いた金属音のようなものが響いた。
それに連動して、次に一つの悲鳴。
「う……ぐあっ!!」
巨漢の男の比較的無防備な左手に、後方からBB弾が撃ち込まれたのだ。
あまりの激痛に歯を食いしばり、涎が流れ、巨漢の男の動きが弛緩した。だが、右手にはまだナイフは握られている。凄まじい精神力だ。
「ぐ……こ、この野郎!やりやがったな……」
中腰になった巨漢の男は左手を大きく震えさせながら勝己を見上げる形になった。
「……」
「キャロット!」
それが合図となり、上方からスタングレネードが投げ放たれた。勝己は素早くその場を離れる。
「なに!」
突如、激しい閃光と爆音が辺りに蔓延し、身動きが取れない巨漢の男の視界を奪った。
勝己は足の痛みを堪え、下ろされた縄梯子に飛び乗り、窓から校舎内へと侵入した。廊下に居たのはやはり藤枝であった。
3
「はぁはぁ……」
緊張が解けた勝己はすぐさま廊下にへたり込み、足の状態を確認した。やはり血が滲んでいる。
『マゼンタ。こちらキャメル。キャロットとの合流に成功。任務を続ける』
『マゼンタ了解。任務途中報告、シアン、カーマイン目的地へ侵入成功。および、任務限度時刻まであと八百秒』
『キャメル了解』
「大丈夫か?」
「もう全然ー。やっぱりさっきの飛び蹴りが原因みたい。それに、通信は全然出来ないし、来ないし……故障かな」
「おそらくそうだろうな。俺も信号弾が見える前にマゼンタから通信が入ったからな。キャロットに通信不可能、とな。……歩けるか?」
差し伸べられた手に素直に従った。
「な、何とか……ね。はい、鍵」
とは言え、勝己の額には冬場の結露のような汗が滲んでいる。
怪我は予想以上に酷そうだ。だがあえて藤枝は、宮元のところへ戻ってはどうか、などとは言わなかった。黙ってタオルだけ差し出す。
連絡通路の鍵を開け、特別教室棟に移動する。その道すがら、一階の中庭を見ると信号弾の音を聞きつけ、何人かの人間が集まって来ているのが見える。
しかし、その中に巨漢の男の姿はなかった。
その様子を一瞥しながら藤枝は言った。
「ふっ、それにしても……あのナイフの男は予想以上に曲者だったみたいだな」
「ほ、ほんと、滅茶苦茶強かったよ!」
「あいつはまだ完全にダウンしたわけじゃない。いずれまた現れるだろうな」
「その時は頼むよ、ほんとに!」
「任せておけ」
ここは特別教室棟の二階。まず右手の突き当たりには被服室と家庭科調理実習室。そして左手には曲がり角を挟んでコンピュータ室と化学実験室と準備室がある。
『こちらマゼンタ。曲がり角付近に敵の存在が三つあり』
『キャメル了解』
曲がり角の先の様子を伺うと、雑談している人間が二人居る。生徒会の人間と警備の人間が一人づつみたいだ。
宮元からの通信の内容を勝己に伝えると予想通りの答えが返ってきた。
「二人しかいないけど……?」
「まぁ、待て」
暫し、二人の会話に耳を傾ける事にした。
「ノヴォゼリックさん、いつ女紹介してくれるんすか?」
まず、生徒会の人間がややハスキーな声で言い放った。
次にノヴォゼリックと呼ばれた警備の人間が少し考えてから答えた。胸の付近に旗が多く付いている。かなりの上の者のようだが……。
「そうだな……再来週の日曜日はどうだ?」
「まじっすか!時間と場所を教えてくださいよ!」
「うーむ、午後九時に駅前に新しく出来たダーツ・バーだな。神崎よ……今回はちゃんとシラフで来いよ?お前の行動次第ではお持ち帰りコースになるかもしれないぜ?くくっ」
「ますますまじっすか!部屋の掃除しとこ!!」
もう一人の神崎と呼ばれた男は意気揚々とモップでフロアを掃除する仕草をとる。
「それにしてもノヴォゼリックさん、奥さんが居るくせにニクイなぁ〜」
「朱美には上手い言い訳をしてるさ。それに浮気ってのはドンパチと一緒でな、危険が一杯で、アバンチュールで、ワン・ホット・ミニットだよ」
「すげぇ!心から尊敬します。俺、一生付いていきます!」
「まぁまぁ落ち着け。女の事で何かあったらいつでも相談にのるぜ。そう言えば、リトゲンのヤツ遅いな……下痢か?」
「一見、良き上官(先輩?)を演じているように見えるけど、言ってる事はサイテーだね……」
勝己は溜息を漏らし、呆れながら言った。
「ああ。あのノヴォゼリックとやらの細君を当日のダーツ・バーに連れて行ったら面白いものが見れそうだな」
「それいいかも」
「(ふむ……それにしても、朱美と言う名前は何処かで聞いた事があるな)」
「で、どうするの……?」
「どうやらもう一人は厠で用を足している最中みたいだな」
トイレは男子用、女子用共に曲がり角を抜けた先に存在している。
「合流されたら今より不利な状況になるよ」
「ならば、行動あるのみだ」
藤枝はポケットから一枚のコインを取り出した。
それを、未だ雑談を続けている二人を通り過ぎるように思い切り投げ放った。
チャリーン!コロコロコロ……
コインが壁に跳ね返り、奥へと転がっていった。
「そうだ。女ってのはまず雰囲気が大事なんだ。それから、満足させるには……って、族か!?」
「まじっすか!」
ノヴォゼリックと神崎は揃って懐からブローニング・ハイパワーを取り出し、腰ための姿勢で警戒態勢に入った。
今現在、二人の視線はコインの落ちた方向を向いている。つまり、藤枝達に背を向けている事になる。
「行くぞ!」
藤枝はSIG P226を取り出し、ノヴォゼリックと神崎の膝裏に向けて一発ずつ発砲した。
まるで意志を持っているかのように、BB弾は目標に向かって真っ直ぐ飛んでいく。
それが神崎の膝裏には見事命中し、体がグラリと揺れた。一方、ノヴォゼリックは発砲音を逸早く察知したらしく、素早く体をスライドさせ、BB弾をかわした。
「ちっ!」
次はノヴォゼリックが発砲した。
右手で持ったブローニング・ハイパワーを左脇に通す形で反射的に撃ったが、視線をこちらに向けていないため、弾が天井の蛍光灯と監視カメラを直撃して粉々に砕けた。
破片の雨が一斉に床に跳ねる。
それと同時に、廊下の視界が一気に奪われた。
藤枝は勝己の手を引っ張り、一度曲がり角まで退却することにした。
ノヴォゼリックと神崎はそれぞれ完全に体勢をたちなおし、暴言を吐きながらブローニング・ハイパワーを連射する。
やがて、装弾発を撃ち込んだ後にぱったりと静かになった。
「失敗か……」
藤枝と勝己は、そのまま化学実験室の扉を開けて中に侵入し、奥の机の影に隠れる事にした。
化学実験室は、実験用の水道が付いた大きな机があり、四方を薬品や実験器具の収納した棚で囲んでいる。
今日もどこかのクラスが使用したのだろう。薬品の鼻をつく匂いが未だ充満していた。
「まさか、あの至近距離で銃弾を避けるとは……」
「あたし達の行動が読まれていたって事?」
「さあな。だが、もしかすると俺達が曲がり角で待機していた時から存在に気付いていたのかもしれんな。だとしたら、かなりの手練れだよ」
「でも、もう一人のヒトは避けられなかったようだけど……」
「そっちの方はおそらく、女の話で舞い上がっていたのだろう」
とにかく、この部屋は危険な薬品が多く保管されている。隣の準備室もそうだ。
下手に銃撃戦になって薬品が漏れたらそれこそ厄介な事になる。
かといって、特別教室棟三階の生徒会室へ行くには、ノヴォゼリック達が雑談をしていたあの通路を通らなくてはならない。
『マゼンタ、こちらキャメル。予想以上に難敵だ。先の状況を伝えてほしい』
『こちらマゼンタ……周囲に三人の敵の存在を確認。徐々にそちらに向かっているようです』
『キャメル了解』
藤枝は眉を顰めた。
「何て事だ……こっちに向かっているらしい」
トイレに行っていたリトゲンも合流したと思われる。
「え!それってかなりやばいじゃん」
「撃退するしか、ないか……ん?」
「どしたの?」
化学実験室の窓から、三階へ向かう階段が見える。そこからイカしたモヒカン頭が降りてきたのだ。
無数の銃弾を一気に送り出す事で知られるソウド・オフ・ショットガンを肩に荒々しく叩きつけている。
遠めに見ても苛立っている様子が判った。
「(ふむ……)」
藤枝は一つ頷き、トライアングルバッグの中から、先程勝己を回収した縄梯子を取り出した。
この縄梯子はそれぞれの両端に伸縮可能なフックが付いている。余程間隔の空いた場所でなければ、引っ掛けられる仕組みになっている。
耐久度も藤枝を二人分支える程度はあるだろう。
藤枝は窓から屋上の金網を見た。
「キャロット、俺が梯子を金網に引っ掛ける。お前はそれを伝って屋上へ行き、そのまま今あいつが居る位置まで駆け下りて来い」
「……」
たったそれだけの事で、勝己も納得したようだ。
つまり、現在の敵の位置はモヒカンと藤枝達の間にノヴォゼリック達がいる。
荒立っているモヒカンを挑発し、狭い通路にもかかわらずわざとソウド・オフ・ショットガンを発砲させ、跳弾を誘い、あわよくば敵を全滅……。
もしくは、蛍光灯の破片が散らばった通路で悪戦苦闘しているノヴォゼリック達を挟み込む形でモヒカンに撃たせれば、直接的に全滅出来るかもしれない……。
勝己を屋上に行かせるのは、モヒカンの背後を取るためだ。
藤枝は、腕を大きく振り、縄梯子を投げた。それが見事屋上のフェンスに絡みつき、縄がピンと張った。
「さぁ行け」
「むー」
勝己は、さっきから自分は貧乏くじばかりを引いているような気がしてならなかったが、有無を言っている暇はなかった。
3
「なっ!これはどういう事?」
半開きになった職員室は人の気配は感じられないが、外から吹き込んできた風にプリント類やカーテンが揺れている。よく見ると、カーテンに大きな切れ目がある。
「もう!余計な被害を出しちゃって。どうするのよ〜」
新橋は千葉に次いでカーテンに近づき、窓を閉めた。そして、ふと床に目を落とすと、大きな亀裂を見つけた。
「千葉さん!これは!?」
「ば、ばかっ!カーマインだって言ったでしょ!!」
「……すみません」
さっきから何度も繰り返している出来事だが、一度定着した名前を違う名前で呼ぶという行為は予想以上に難しかった。
「これは、刃物で出来た傷かしら。かなり深く突き刺さったようね……ん?」
千葉は床の端に転がっている一つのBB弾を見つけた。
「(そう言う事ね……)」
それを回収しておいた。
「えっ、刃物!?あの二人はどうなったんでしょうか……?」
新橋は慌てふためいた声で聞いてきた。
「落ち着きなさい。あの二人に限ってやられるなんて事はないわよ」
千葉は新橋と反してあっけらかんとしている。仲間を完全に信頼しているのか。
「それじゃ、さっそく仕事に取り掛かるわよ」
「は、はい!」
『マゼンタ、こちらカーマイン。目的地に到着、これより仕事に入る。この荒れようの原因は?』
『こちらマゼンタ、どうやらキャロットが敵と遭遇したようですね……被害はどれくらいですか?』
『カーテン二枚に、床の亀裂……かな』
『了解しました。発注しておきますね』
新橋も無線の会話に参加した。
『こちら……シアンです。キャロットは……大丈夫なのでしょうか。敵と遭遇って……』
『軽傷を負ったみたいですね。でも大丈夫でしょう』
『そうですか……』
宮元も千葉同様、仲間の強さを信頼しきっているようだ。
『カーマイン、シアン。これから個々に情報を送ります。迅速に作戦を実行してください』
『了解』
「まず、シアンは教師用ロッカー……あれね。に向かって川本司のテスト用紙をお願いね。マゼンタからの通信を聞きながらやればバッチリよ」
「……公民の教師ですよね。カーマインは……?」
「私は陣内武時のパソコンからデータを盗むわ。終わったら次の指示を出すから、とっとと行く!」
「は、はい!!」
そう言って、千葉は陣内武時の机に置かれたラップトップパソコンを床に置き、起動させた。
「相変わらず立ち上がるのが遅いわね……」
懐から出したフロッピーディスクを手のひらでポンポンと叩きながら言った。
「川本司……これだな」
一方、教師用ロッカーに向かった新橋はやっとの事で目的のロッカーを見つけた。
月明かりが入ってきているとは言え、視界はかなり暗い。ロッカーに書かれた名前が皆、黒マジックで書かれているせいもあるのかもしれないが。
『こちらマゼンタ。シアン、ロッカーは見つけました?』
『こ、こちらシアン。ええ、たった今に。でも……』
『鍵が掛かっている、でしょう?』
『はい。0から6までの数字で四桁のナンバー式の鍵が掛かっています……今のナンバーは、4651となっています』
『4651ですか……一見すると、そのまま鍵のナンバーとして使えそうな番号ですね』
『でも……開きません』
新橋は鍵の開閉を試みたが、今のナンバーでは開かないようだ。
『話は最後まで聞いてください。このロッカーの主……川本司教諭の性格を思い出してください』
『性格……』
そう言えば、あのリポートの中にそのような事が書かれていた気がする。
必死に頭を回転させた。
『アバウト……ですか?』
『そう。つまり細かい事は気にしない性格……鍵に関しても同様の事が言えるかもしれませんね』
『……つまり?』
『判りませんか?几帳面な陣内武時教諭ならば、安易に他者に鍵を開けさせないために、手間をかけても常にナンバーを1111とか5555等に設定し、開錠ナンバーを少しでも判らない処置を施すと思いますね』
『な、成る程……つまり、アバウトな川本先生の事だから、鍵のナンバーを1111とかにいちいち合わせず、すでに開錠ナンバーの4651に近いって事ですか』
『ふふっ、そう。おそらく、下一桁……を変えただけだと思われますね。4650、4652、4653、4654、4655、4656のどれかが怪しいかと。ちょっとやってみてください』
たしかにそれは言える事かも知れない。普段からよく開閉される鍵にとってはなおさらだ。出来るだけ、手間を煩わせたくないのは人間の心理かもしれない。
『判りました……えっと、まずは4650……と』
慣れない手つきでカチカチとナンバーを回していく。それに、手袋を付けているためことさら上手く回せない。
そんなこんなで、ようやく4655に差し掛かったところ……。
カチッ
『開いた!』
『開きましたか。では、中から赤いスクラップブックを取り出してください』
無線の先で、宮元がペンを走らすような音が聴こえた。
ロッカーを開けてみると、中には無造作に突っ込まれたと思われる、参考書の類やよれよれのYシャツ、まだ開けていない缶ジュースなどが入っていた。
「(……き、汚いな)」
新橋は教師たる者が何たる杜撰さであろうかと、頭が痛くなってきた。改めて、その主の性格を思い知らされた。
目的の赤いスクラップブックはすぐに発見できた。中には、多彩の配色が施されたプリントが無造作に挟まれており、下のほうに白黒文字の公民のテスト用紙があった。
二枚目、三枚目と見ると、それも同じテスト用紙であった。予備のものらしく、文面は全て同じであった。
「(この中から一枚持っていっても、おそらく気が付かれないだろうな……)」
と、新橋は心の中で呟いていたが……
『教諭の性格から言って、一枚くらいテスト用紙を盗んでも、到底気付かないでしょう』
『わっ!何で僕の考えてる事が判ったんですか!!』
『ふふ……そんな事は良いですから、早く一枚拝借して、鍵を掛けて下さい。そうそう、ナンバーは念のために掛かっていた時と同じものにしておいて下さい』
『(うーむ……宮元さんには見えてないはずなのにな)りょ、了解しました』
鍵を4651に掛けなおし、千葉の方を向くと、当の本人がこちらに手招きをしている。
「上手くいった?」
「え、ええ。この通りです」
新橋は公民のテスト用紙一枚を千葉に手渡した。
「ふふ、上出来ね。時間もさほど掛からなかったみたいだし」
千葉は腕時計をさりげなく見た。
「次はどうすれば……?」
「おっ、さっきよりやる気になったみたいね。感心感心」
こんな事にやる気になっても、とりわけ自慢にもならないのだが。いや、どうやら僕は人を使う方ではなく人に使われる方に向いているのかもしれない。
与えられた仕事を忠実にこなし、上司に評価をされる。それはこの世の中で自慢できる事と言っていいかもしれない。
「じゃあ、ちょっと私の仕事を見てて」
「……は、はい!」
千葉は、やっと立ち上がったラップトップパソコンのドライブにフロッピーディスクを差し込んだ。
デスクトップのショートカットアイコンから<三年生テスト問題>と称されたフォルダをクリックすると、中から多くのワードファイルが見つかった。
「な……凄いファイルの量ですね」
「どうやら今までの教師人生のテスト問題を全て消さないで取っておいているみたいね。ご苦労な事だわ」
「この中から目的のファイルを見つけるのは困難じゃないですか?」
「……大丈夫。この項目の詳細をクリックすると……」
千葉が舌をちろっと出しながら言った。
「あっ!更新日時が出ましたね」
「うん。おそらく一番最新に更新されたファイルが目的のファイルじゃないかしら」
『いえ、それ以前にファイル名で判別できるのではないでしょうか?』
突然、宮元から通信が入った。
「そう言えば……そうね」
ファイル名にはそれぞれテスト日の西暦と年月日が記入されている。
千葉があははと笑いながら言った。
「じゃあ、このファイルかな?っと」
やがてモニターにはワードが立ち上がり、数学の問題が几帳面に羅列されたいた。
微分、積分の問題に、行列、二次曲線と言ったものから、度数分布表と明記された式を用い、その平均値と標準偏差を求める、と言った文章問題もあった。
勿論、一年生の新橋にとっては残念ながら問題の意味が判らなかった。三年生ともなると、こんなにも難しい問題を解かなければならないのか。
「難しい問題やってるわねー。点数を与える事を前提に作られている因数分解や二次方程式のサービス問題以外は頭の良い人間にしか解けないかもね。こりゃ、平均点は五十点以下かな」
千葉はそう言いながらにんまりとした。
「(ますます高い値段が付けられるわね……)」
ファイルをフロッピーディスクにコピーしている間、千葉は新橋に新たな指示を出した。
「シアン、そこが化学の伊達京一郎の机ね。その隣が英語の嶋原恭子(しまばらきょうこ)……それぞれ鍵が掛かっている引き出しに入っているはずだから、そっちを頼むわ」
「え?ええ。……でも、鍵は?」
「伊達の方は机の上の観葉植物の鉢の下に。嶋原は……椅子をどけて引き出しの底を見て御覧なさい」
自信たっぷりの千葉の言動に、新橋は驚きを隠せなかった。
「な、何でそこまで知ってるんですか!」
「がたがた言ってる暇はないわよ。さっさと動く!」
それっきり、千葉はパソコンに向かい、通信機ごしに二言三言交わしている。
仕方なく、新橋は言われた通りに行動を開始した。
化学の伊達京一郎の机は、乱雑に積み上げられた参考書に加え、実験器具のビーカーやアルコールランプ、鉄製三脚、金網などが置かれている。決して綺麗とは言えない。
少なくともここで実験をする事はないだろうから、おそらく違う用途で使われる器具なのだろう。
観葉植物の鉢は、今にも参考書の雪崩で倒れそうだ。
新橋は鉢を雪崩の危機から救い上げると、小さな鍵が見つかった。それを引き出しの鍵穴に入れてみると、相性がばっちりであった。
「(本当に開いたよ……)」
意外と学校の情報に関するセキュリティーは甘いな、と改めて感じた。<裏新聞部>が本気になれば、この学校全体すらのっとれるかもしれない。
引き出しに唯一入っていたスクラップブックには、今期のテスト用紙が挟まれていた。
次に、英語の嶋原恭子の机に向かった。
たしか、千葉は椅子をどけて引き出しの底を見ろ……と言っていたけど、どう言う事だろう?
ギギと音を立てて旧式の椅子を端に寄せ、机の下に潜り込んで底を見ると、成る程……鍵が引き出しの裏にセロハンテープで貼ってあった。
「(随分と原始的な隠し方だな……僕だってもっと隠し場所にはこだわるぞ)」
例えば男が隠すエッチな本などは、場所や偽装にこだわる物だが、かえってこういう判り易い場所の方が案外見つかりにくいとも言えない事もない。
机から這い出してくる時に新橋は頭をしこたま打ったため、奇声を上げようとしたが、ギロリと光る千葉の一瞥で何とか痛みを飲み込んだ。
嶋原の引き出しの中は伊達とは違い、音楽CDの類から筆記用具やファンシーな小物が混じっているが、テスト用紙のファイルは容易に発見できた。
これで、化学と英語のテスト用紙も手に入れたわけだが……一つ問題があった。
新橋は千葉の方を振り向くと、ちょうどこちらへ向かって来る所だった。
「カーマイン……一つ問題が」
「判ってる。テスト用紙に予備がないんでしょ?」
「え?ええ、そうです」
「川本は予備のプリントがあったし、陣内はファイルをコピーすれば複製は可能……でも、今度ばかりは取ったらバレるわよね。さて、どうしよう?」
困ったセリフを言っているつもりではあるが、千葉の表情は相反して笑いを含んでいる。
新橋は宙を仰いだ。取ってもバレないような方法……とは。存在を残したまま、情報だけを抜き取るには……。
「どうしよう……って。僕に言われても……ん?取ってもバレない……撮っても?そうか!」
「しっ!大声は禁物よ。判ったみたいね。これを使うのよ」
千葉はトライアングルバックから一台のデジタルカメラとペンライトを取り出した。
「でも……あまりに光量不足ですよね……」
「それはペンライトで補うしかないわ。電気を点けるわけにはいかないし、近距離で満遍なく撮影ね」
今回はテスト用紙ではあるが、市販されている書物等を無断でデジタルカメラや携帯電話のカメラに収める事を、何とか詐欺とか言ったはずだ……ええと、何だっけ。
だが、今さらそんな事を言っても遅いのだ。今、僕達がやっている事はさらに悪質な物なのだから。
そう考えている間に、着々と作業は進められていくのだった。