1

宮元の通信と謎のBB弾の援助によって何とか麻生の攻撃を回避した新橋。
麻生はそのまま追いかけては来なかった。
あの時……新橋が麻生の脇を通り抜けた時、一瞬目が合ったような気がする。
苦痛によって押し曲げられた瞳は憎悪に満ちていた……と思う。
新橋は頭を振ってその記憶を振り払った。
じきに、三年一組側の一番端の窓に辿り着いた。侵入時と同様の手口で予め鍵が開けられた窓から外へと飛び出す。
「!!」
降り立った先に人影があった。
新橋は一瞬ビクついた。まさか、麻生が先回りをしたのか……と思ったが。
そこには笑顔で迎える勝己、宮元の姿であった。ほっと胸を撫で下ろす。

「た、ただいま戻りました……」
「よかったー」
「上出来ですね」

次いで、千葉と藤枝も現れた。
「おお!シアン。無事だったか……」
最初と着ている服が変わっていた藤枝にはびっくりさせられたが、体中についた傷にもさらに驚かされた。
「その傷は!?」
「ああ、単なる切り傷だよ。唾でも付けておけば直るさ。それよりもシアン、よくやったな」
そう言って、藤枝は白い歯を見せて新橋の頭をガシガシと撫でた。正直かなり痛かった。
千葉の方も喜びを隠せないようだ。
「シアン、頑張ったわね」
「あ、ありがとうございます!」
悪い気はしなかった。新橋が<裏新聞部>の部員として、改めて認められた瞬間でもあったのだ。

しかし、そんな余韻に浸っている暇もなく、宮元が眼鏡を直しながら切り出した。
「まだ完全に学校から脱出したわけではありません。遠足は家に帰るまでが遠足と言いますし、最後まで気は抜けませんよ」
「そうね。グラウンドにはまだ敵がうようよしてたわよ」
「あのモヒカンやノヴォゼリックとやらも出てきていたしな」
藤枝が腕を組みながら渋面を作った。

刹那、宮元に通信機が音を鳴らす。
ここには居ない、南町田からであろう。
数秒後、宮元が何度か頷いた後、通信を切った。
「……アイボリーが校門近くで軽トラを待機させているみたいです」
「おっ、相変わらず手回しが良いな」
藤枝は軽快に指を鳴らした。
「ほんとほんと」
勝己も同様に指を鳴らしたが、上手く鳴らなかった。

<裏新聞部>一向は一般教室棟の一角からグラウンドの状況を確認する。
見ると、すっかり萎れてしまったモヒカンやノヴォゼリック達がまるで獲物を探すゾンビのような足取りで渉猟していた。
「このまま壁伝いに移動していきます。私が先頭に行きますから、合図を出したら一人ずつ私の所まで来てください」
そう言って、敵の目が退いている瞬間を狙って宮元が走りだす。
多くの機器を持っているにもかかわらず、千葉顔負けの機動力で茂みの奥へと消えた。
なるほど、たしかに宮元の位置はここからでも見る事ができない。
そんな事を考えていると、突然茂みからピースサインが飛び出した。

「(何をやっているんだ?)」
と呆けていると、勝己、藤枝と順々に茂みに向かって走って行く。
その意味を理解し、新橋も慌てて千葉の後を追って茂みの中へと紛れ込んだ。
その時、勢いが余って思わず千葉の臀部に触れてしまった。
「ちょ!どこ触っているのよ」
「うわ、すみません!!」
「もう、エッチなんだから!」
「……」
殴られるかと思ったが、現在の状況を考えてなのかは知らないが、千葉は顔を赤らめてただ俯くだけだった。
その表情は何だか普通の女の子のようであった……っていかんいかん。そんな事を言ったらそれこそ鉄拳を食らってしまう。
何はともあれ。その日を境に、程よい弾力がある千葉の臀部の感触が新橋の右手に居座りついたのだった。

「まず第一関門は突破ですね……このまま移動しますよ。姿勢は低く保ってください」
全員が無事な事を確認してから宮元がさらに進む。
今現在モヒカン達がどういう行動を取っているのか新橋は気になったが、顔を上げればすぐさま見つかってしまうと思い、おいそれと上げられなかった。
十分に時間をかけ、やっとの事で校門の面前まで辿り着いた。
幸いにもモヒカン達は気付いていないらしい。
すると、すぐそこの壁の向こうでボテボテと言うエンジンの音が聞こえた。

「今から十秒後に軽トラが校門を横切ります」
宮元はそう言いながら、勝己に視線を馳せた。そして全体を見回した。
「キャロットは助手席へ。私を含む後の方は荷台に乗り込んでください。ただ軽トラは徐行とは言え、止まらず移動していますから乗車に注意してくださいね」
「了解!」
<裏新聞部>が頷きながら息を合わせた。
これが最後の正念場だ!

定刻後、軽トラが門前を通り抜ける。
「今です!」
予め走る準備を整えていた<裏新聞部>一向は宮元の合図と共に校門へと飛び出した。

まずは宮元が軽快な足取りで軽トラの荷台に乗り込む。
続いて勝己が助手席に入り込み、シートベルトを締めた。
藤枝は宮元の手を借りて荷台に飛び込んだ。
千葉は藤枝と宮元から差し伸べられた手によって荷台に上がる事ができた。
新橋は宮元、藤枝、千葉の三人の力によって何とか荷台に滑り込む事に成功した。

<裏新聞部>を乗せた軽トラは近所迷惑なエグゾーストノイズを響かせ、車体を上下に大きくバウンドしつつ狩穂高校から遠ざかって行った。
やっとの事でその異変に気が付いたモヒカン達は一足遅かった。
彼らが校門へ駆けつけた時には、辺りに排気ガスが蔓延しているだけだった。

2

「ふぅー。やったわね!!」
やっと安堵した千葉は荷台に座り込みながらそう漏らした。
「作戦も何とか無事に成功したな」
「ま、私はちょっと心配したわよ?その傷」
千葉は藤枝の体を突付きながら言った。
「私も……勝己さん始め、通信が途絶えた時はどうしようかと思いました。思わず加勢に行きそうになりましたし……」
「参ったな。恥ずかしい所を見せてしまったようだ。俺もまだまだ修行が足りないな」
そう言って藤枝は大きな口を開いて笑った。
「それに……さっきあんた泣いてたでしょ?」
「えっ、そうなんですか!詳しく聞かせてください」
宮元はさっそく手帳を取り出しながら言った。
「おいおい、俺が泣くわけがないだろ?そ、それはおそらく汗だよ」
「本当かしら〜?」
千葉がにやにやしながら藤枝の顔を覗きこむ。
藤枝は堪らず視線を逸らした。

「あの……ちょっと良いですか?」
新橋は笑っている千葉達に向かって問うた。
「あははは……って、孝太郎君どうしたの?」
「宮本さんって……もしかして運動神経抜群なんじゃ……?」
「えっ、何の事でしょう?」
突然話をふられた宮元はすっとぼけたような表情をしている。
「だ、だって……さっきの茂みに入る時の身のこなし、トラックに乗り込む時だって……そして今も加勢に行きそうになったって言ってましたし……」
そんな新橋の言葉を聞いて、三人は顔を見合わせて再び大笑いをした。

「孝太郎君。やるわねー。その洞察力、凄いわ。やっぱりあなたは<裏新聞部>としての素質があるわよ」
「それに俺が見込んだ通り、脚力もなかなかのもんだしな。今の時代、情報化社会と言われようが、やはり体力は必要不可欠だぞ」
「そうですね……テストが終わったら体力面も私が鍛えてあげますよ」
宮元は眼鏡の奥に妖しげな瞳を浮かべながらそう言った。
「そ、そんな!」
新橋は、この<裏新聞部>を知れば知るほど謎が深まるばかりだと改めて思い知らされた。

3

「誠二君、ありがとね」
「どうしたの?改まって」
軽トラのハンドルを握る南町田は視線を前に向けたまま聞いてきた。
「職員室で私がピンチになった時……助けてくれたでしょ」
「ああ、あれね。うん。でも時雨ちゃんが無事で本当に良かったよ」
赤信号を見届けた後、南町田は勝己の顔を見ながら言った。
その温かみのある表情に、勝己はシートベルトを強く握りながら赤面した。
「でも……」
信号が変わり、南町田をハンドルを切りながら呟く。
「新橋君の時はさすがに緊張したよ。少し位置がずれたみたい。当たった人には申し訳ないね」

4

たった数分間ではあったが、軽トラの荷台に乗って感じる風は火照った体を緩和してくれるようでとても気持ちよかった。
そんな快適なドライブの末、軽トラは勝己神社の前で停止をする。
「よし、無事成功した事を報告しに行くぞ。今日はその後に飲み会だ!」
荷台の上から藤枝が景気よく叫ぶ。周りの木々から野鳥が一斉にバサバサと羽ばたいた。それが成功を祝福してくれたのか、はたまた迷惑だったのかは知る由も無い。
「オー!」
助手席から出てきた勝己が我先にと声をあげる。
一方の南町田は欠伸をかみ殺していた。

石段を登った<裏新聞部>は賽銭箱を目の前に手を合わせて鈴を鳴らした。
「よーし、これで報告は終了ね。さっ、飲みよ飲み♪」
千葉がまた妖しげな踊りを踊っている。
相反して宮元の表情は優れない。
「そう言えば私の奢りでしたね……ああ、これが夢だったら良かったのに。憂さ晴らしにあの事をばらしてしまおうかしら?」
宮元は新橋に対し一瞥をくれた。
「ちょ!止めてください。それだけは……」
懇願して新橋は手を合わせる。
「ふふ……安心してください。それは秘密にしておいてあげますよ。麻生副会長と取引を求められた時の男らしいセリフに免じてね」
「えっ!」

「どうしたのよ、二人して盛り上がって」
そこへ元凶の千葉が笑顔でやって来た。
「いえ、何でもありませんよ。ふふ……」
「ははは!」
「えー、変なの」
続いて南町田がこう言った。
「新橋君、着替え持ってきてないだろ?僕のを貸してあげるよ。僕はいつも体にフィットするくらいのきつい服を着ているから、新橋君でも十分着れるはずだよ」
南町田は英字があしらわれた白いTシャツと半袖水色のヨットパーカー、ブラックブリーチのジーンズを差し出した。
先程から話を聞いていると、どうやらこれから作戦成功を祝して飲み会があるらしい。
本当はすぐにでも家に帰りたい所なのだが……。
ふと腕時計を見ると、今の時刻は午後十一時を回ろうとしている。
あんな事があったのに、まだ一時間しか経っていないなんて……こんなに凝縮された一時間は生まれて初めてだろう。
それにこんなに貴重な体験をさせてくれた仲間に対し、ここで帰ります何て言ったら興ざめもいいところだ。
「ありがとうございます!」
新橋は洋服をありがたく受け取った。その時の笑顔は、南町田のそれにも負けないくらいの笑みであった。

いつの間にか、藤枝、千葉も着替えを済ませている。
簡単な羽織いものをしただけだったが、印象がまたガラリと変わった。
藤枝は格好良いし、千葉は可愛い。
先程までの<裏>のイメージがない。正真正銘の高校生らしい表情に戻っている。
勝己も着替えを済ませたのだろう。神社の裏手から何やら複雑な表情でこちらへやって来る。

「どうしたの?」
「ふふ……実はそういうカラクリだったのかー」
勝己は独り言を言い、皆の前に後ろ手に隠していた一枚の紙を掲げて見せた。
「それは、俺の書き初めではないか」
画仙紙のスペースを余す事無く使い、順風満帆と豪快に書かれた藤枝の流麗な文字に、始めは違和感すら感じられなかったが……。

「(あっ!)」
「帆の点の部分に穴が開いてる!!」
そう言ったのは千葉であった。新橋もやっと気が付いた。

「あたし達が作戦前にお参りをした後、誰かがお賽銭を勢い良く投げ込んだらしくて、それが見事帆を突き破っちゃったみたい、ね」
「たしかに、帆に穴が空いたらその船は満足に進めんな!だから俺も勝己も思い通りに行かなかったのか。これは納得だ!」
腕を組みながらうんうんと頷く藤枝を筆頭に、皆が笑い出した。

そういうオチだったなんて!
だが新橋は、たとえ帆や船体に穴が開きようとも、決して僕達の船は沈まないと感じていた。それくらいに<裏新聞部>の結束は固いのである。