1
狩穂高等学校は、全校生徒約千二百人の共学校である。
自由な校風を主とし、明るく伸び伸びとを校訓とし、未来への可能性を開花させることが校長の狙いだ。
しかし、進学校ではないが故、とびきり頭の良い学校と言うわけではない。いわば、普通の学校なのだ。
そんな普通の学校、狩穂高校で不可解な出来事が起きた。
全校生徒を対象とした期末考査にて、ニ学年の生徒全員が全教科八割以上の得点をたたき出したのである。
無論、日頃から点数の芳しくない生徒も含めて、だ。
初めは、学生自身の努力の結果だとか、教師の熱心な教えが実を結んだとか、などと言われていたが、どうやらそうではないらしい。
ある組織の不穏な動きがそれらを支えていたのである。
2
ファミリーレストラン<ライラック>は、低価格のうえ、盛りが良く、しかも味が良いと評判の店である。
BGMはインストゥルメンタルの落ち着いたクラシックが掛かっており、明るい紫を基調とした店内と連動して、ゆったりとした気分にさせてくれる。
そして何より、一番の特徴は約六人ほどが座れるボックス席があることだ。
通常のファミリーレストランは、それぞれの席がパーテーションで区切られているだけだが、<ライラック>ではそれらが完全に遮断され、一つの別空間が出来上がる。
誰にも邪魔されたくないカップルや、水入らずの夫婦、独り者および食事の場面を他者に見られることが嫌いな人にとっては最適な場所と言えよう。
今は、火曜日の午後五時。
夕食のピークが近づく時間だと言うのに、店内はほぼノーゲスト状態だ。ある一つのボックス席を除いては。
<5>と書かれたボックス席に女性三人が座り、ドリンクを片手に雑談をしている。
上座に座っているのは、少々茶色がかった髪の毛をポニーテイルにしている、見た目から活発そうな千葉亜佐美(ちばあさみ)。
その隣に座っているのは、ふちなし眼鏡をかけた黒髪のセミロング、付箋の沢山ついた黒い手帳を片手に持つ宮元蓮華(みやもとれんげ)。
下座に座っているのは、小柄の童顔、ショートカットの髪が可愛らしい勝己時雨(かつみしぐれ)。
見ると、千葉が中心に話し手に回り、宮元と勝己が完全に聞き手に回っているようだ。
そんなお喋りに水を差すように、千葉の携帯電話が音を鳴らした。
3
新橋孝太郎(しんばしこうたろう)は、冷や汗と同時に居心地の悪い思いをしていた。
彼の両サイドを取り巻くように、二人の大男が一緒になって歩いているせいだろう。
とは言え、新橋が決して背が低いわけではない。この二人が大きすぎるのだ。
第三者から見れば、これから裏路地にでも連れて行かれて、リンチへの片道切符を買わされる哀れな少年と言う構図だろう。
「……あの、僕はどこへ連れて行かれるのでしょうか?」
新橋は問うた。
「うむ、しばらくすれば判るぞ」
大男の一人、やたら筋肉の幅が大きい方が良く通る低い声で答えた。
もう一人の大男は、筋肉絡みで大きいわけではなく、単純に縦に長く、顔は常に微かな笑みを浮かべていた。
そう、言うなればスポーツドリンクや炭酸飲料のCMに出てきても全く違和感のない感じだ。
対してこちらは……そう、言うなれば焼酎や日本酒のCMに出てきたらピッタリとイメージに当てはまるくらいに、渋い。
「でも、僕は<新聞部>に……」
かれこれ、二十分は歩いたであろうか。
やたら車通りの多い道に、何軒もの商店が軒を連ねている。
狩穂高校の最寄り駅、<スタンド・リバー・ステーション>からも大分離れているため、このような通りは新橋も知らなかった。
じきに、筋肉の大男が突然立ち止まり、一つの店を指差した。
「目的の場所はここだ」
そう言われ、顔を上げると、ファミリーレストランと言う文字が目に入った。
「……<ライラック>?」
まずは筋肉の大男が先導を切ってとり、呆けている新橋の背中を、縦の大男が押す。
「さぁ、入った入った」
「ちょ、ちょっと押さないでくださいよ!」
ガチャ
入店と同時に、ウェイトレスが近づいてくる。
「いらっしゃいませ♪三名様ですかぁ?」
やたら陽気なウェイトレスは、営業スマイルではない、(多分これが素なのだろう)飛び切りの笑顔で迎えている。
そんな姿に微動だにしない筋肉の大男は、こう答えた。
「<5>番で待ち合わせをしているのだが」
「<5>番ですかぁ?それならこちらですよぉ」
……と、案内をしようと、ウェイトレスは皆を促すのだが、筋肉の大男は続ける。
「いや、場所は判っている。案内はいい。それより飲み物を即刻に届けてほしい。カシスオレンジを二つ、そして俺は焼酎を生で」
「はぁい。かしこまりましたぁ〜」
ウェイトレスは軽く頭を下げ、パタパタと奥へ下がってゆく。
目の前でとんでもない注文がなされているとは露知らず、新橋はそんなウェイトレスの背中を見ていたのだが……
「おい、こっちだ!」
「は、はい!」
筋肉の大男に急かされ、慌ててその後を追う。
そう言えば、まだ二人の名前を聞いていなかった。
4
「失礼します」
ノックをしても返事がなかったので、失礼とは思いながらも、部屋のドアを開けた。
案の定、中は無人であったが、微かに残るラベンダーの香りが鼻腔をくすぐる。
「部屋を間違えたかな?」
ここは狩穂高校の部室棟の一室。
開け放したドアの中に見える部屋の様子に興味を惹かれ、少しばかりと言い聞かせ、部屋の中に入る。
一つの窓がドアから向かって正面にあり、左側面に大きな本棚が二つと小さな冷蔵庫、右側面にやたら古ぼけたコピー機などが鎮座している。
部屋の中央には、長方体の机が縦に二つ並べてあり、それらを取り囲むように数個のパイプ椅子があり、机の上には英和辞典や国語辞典やファイルやプリントがまとめて置いてあった。
ふと、プリントに目を向けると、見慣れた字体とロゴに気付く。
「これは……狩高新聞(狩穂高校新聞)の原稿!」
そのプリントを手に取ろうとした瞬間、背後から声を掛けられる。
「君は、誰だね?」
突然の出来事だったので体を強張らせたが、ゆっくりと振り返ると、自分よりも一周りも二周りも大きい男が存在していた。
「あ、あのっ……」
何とか声を出したかったが、舌と思考回路が上手く噛み合わない。
「もしかして、我が<新聞部>の入部希望者かね?」
「そ、そうです!新入生の新橋孝太郎です。僕の兄が狩高の卒業生で、よく<新聞部>の新聞を見せてくれたんです……それからファンになって……」
自分でも会話の順序が正しくないと思いつつも、何とかそれだけの言葉を発した。
「ふむ、そうか。それなら同志だな」
何やら堅苦しい言葉遣いをする大男は、さっきの新橋の言葉の意味を察してくれたらしい。
「では、とりあえず中に入りたまえ」
「は、はいっ!」
大男は、その図太い腕を新橋の肩に回し、部屋の中へ招き入れ、パイプ椅子へと促した。
「あ、ありがとうございます」
続けて大男も腰を下ろす。
「あの、今日は活動はないんですか?」
新橋は放課後の今、<新聞部>の活動を見学するためにここに来た。
そんな新橋の疑問に答えようともせず、大男は徐に携帯電話を取り出し、電話を掛ける。
「……ああ、千葉か。……うむ、入部希望者が……だから、ついでに……うむ、<ライラック>か、判った」
約三分ほどの会話時間が終了し、大男は新橋の方を見て言った。
「これから君の歓迎会を兼ねて、会議をするために場所を移動するのだが、良いかね?」
「は、はぁ……」
有無を言わせず、大男は部室のドアを開けようとしたのだが、先に開かれた。
「こんにちはー」
またもや長身の男が現れた。サラサラの髪に笑顔を浮かべ、妙に爽やかなイメージが感じられる。
「おお、丁度良かったな。これから<ライラック>で会議なのだが、同席してくれまいか?」
「また<ライラック>ですかー?本当に千葉さんは好きですよね?あそこ」
「仕方がないだろう」
「まぁ良いや、ところでそちらは?」
おそらく新橋のことを言っているのだろう。
慌てて立ち上がり、挨拶を兼ねて自己紹介する。
「初めまして、新橋孝太郎と言います!」
「我が<新聞部>の入部希望者だそうだからな、これから仲良くしてやってくれ」
「よろしくね」
「は、はいっ。こちらこそ宜しくお願いします」
新橋は深々と頭を下げる。
「では、行くか」
「そうだね、千葉さんの反応も見てみたいし」
「あの……さっきから言ってる千葉さんって誰のことですか?」
「ん?千葉亜佐美、ここの部の部長さ」
5
ボックス席には、それぞれ中が見えないように薄布の暖簾が張られている。
中に入る前に、筋肉の大男が壁を軽く叩く。
すると、中から女性の声がし、入るように指示を出した。
中に居た三人の女性の視線は、まずは筋肉の大男に向けられているが、すぐに新橋の方へと向けられる。
「そう、貴方が入部希望者ね?立ち話もなんだから、そこへ座りなさい」
ポニーテイルの女性がそう言い、正面に座るように指示する。
新橋が座ると同時に、隣には筋肉の大男、下座に座っている小柄な女性の正面には、爽やかな長身の男がそれぞれ座った。
簡略的な合コンの構図が出来上がっていた。
じきに、失礼しますと言いながら、先ほどとは違うウェイトレスがドリンクを持ってやって来る。
「また、お酒なんか勝手に頼んで!」
一番初めに声を挙げたのは千葉だった。そんな千葉を制し、筋肉の大男が手を伸ばし、カシスオレンジを受け取る。そして、それらを新橋、爽やかな長身の男の前に、そして自分の前には焼酎を置いた。
「いいではないか。新入部員の祝いだぞ」
「もう!それなら……私も!朱美さん、私にはレモンサワーを!あとは、パーティーセットを頂戴!!」
どうやら千葉と言う女性は負けず嫌いであるらしい。
触発され、先ほどから何も発していない眼鏡を掛けた女性が、それなら私は生ビールを、と控えめに言う。
「あたしは緑茶サワー!」
小柄の女性も続けて発する。
「では、俺はお代わりをくれ」
見ると、筋肉の大男のとっくりはすでに逆さにしても大惨事にならない状態になっている。
それ以前に、自分達は高校生だと言うことに気がついているのだろうか?
ドリンクの待ち時間の間に、千葉は新橋に声を掛ける。
「私は千葉亜佐美。<新聞部>の部長をしているわ。突然こんなところへ呼んでしまってゴメンなさい。詳しい話は藤枝から聞いているかしら?」
「えっ、藤枝って……」
新橋が返答に困っていると。
「な〜に、藤枝。アンタ自己紹介とかしてないの?」
「自己紹介?うむ、そう言えばまだだったな」
「じゃあ、南町田は?」
「ん?そう言えばしてないねぇ〜。ああ言うのは、タイミングを逃すとちょっと気まずくなるからねー」
二人の男の返答に、千葉はうなだれながらこう言う。
「……まったく、だからアンタたちは社交性がないって言われるのよ。人と会ったらまずは自己紹介!これが基本でしょ」
そんなことを言われ、二人の大男は、しぶしぶながらも自己紹介をする。まずは筋肉の大男からだ。
「うむ、俺の名前は藤枝貴一(ふじえだきいち)。二年だ」
次に、爽やかな長身の男が続く。
「僕は南町田誠司(みなみまちだせいじ)。同じく二年」
「ついでにアンタたちも自己紹介しちゃいなさい」
眼鏡の女性が、ずれた眼鏡を直しながら言う。
「私は宮元蓮華。二年です」
「あたしは勝己時雨!一年だよ」
最後は、体は小さいがやたら大きな声が印象的な女性が答えた。自分以外唯一の一年生である。
今度は自分の番であろう。そう察した新橋は、自分の名前を言おうとするが……
「新橋孝太郎、一年。乙女座の九月生まれ……」
言うが早いか、宮元が黒い手帳をめくりながら、自分よりも先に答えた。
「な、何で僕の名前を……」
「狩穂高校にまつわる伝説を作った、新橋純一郎さんの弟ともなれば、知らない者はいないと思います」
「さすが、蓮華ちゃん!昨日の私の家の夕食の献立も書いてあるの?」
「勝己さんの夕食ですか……茄子と椎茸をたっぷりと使ったミートソーススパゲティに、水菜と胡瓜とレタスとトマトを使ったサラダ、蛤の酒蒸しですね……栄養のバランスも優れていると思います」
「すご〜い、蓮華ちゃん!!」
「食後のデザートはブラックのコーヒーにカーヴェルのアイスクリーム・ケーキ。勝己さん……三つも食べましたね?太りますよ、そんなことでは……」
「うみゅ、それは言わなくて良いよ〜」
「(な、なんだろう。この人たちは……)」
こんなにも個人情報が流出していて良いのだろうか?
「孝太郎君、蓮華は部のデータ管理と情報収集を主としているの。この手帳には何だって書いてあるんだから!」
千葉は宮元の手帳を指差しながら言う。
細かいところは割愛し、さすがは新聞部である、と自分なりの結論を出し、続けてこう問うた。
「えっ……じゃ、じゃあ、それぞれ皆、役割と言うものがあるんですか?」
千葉は一拍置いてから切りだした。
「うん、藤枝が格闘係、南町田は狙撃係、時雨ちゃんは侵入ルートと退却ルートの確保係、そして私が作戦遂行係」
予想外の言葉の羅列に、少々困惑しながら新橋は問う。
「(格闘?侵入?)えっ……だってここは新聞部じゃあ……」
その言葉を聞いた途端、千葉含め、他の部員の目の色が変わる。
「表向きはね……でも、孝太郎君……私達は<新聞部>じゃない。<裏新聞部>なんだよ?」
矢の様な鋭い眼光に射抜かれ、新橋は言葉を失う。
「うむ。新入部員は大切にしなければならん。何故か、辞めてしまう者が多いのでな」
藤枝は、その図太い腕で新橋の肩をガッチリと掴む。
新橋の頬を一筋の汗が両手で抱えるように持っているグラスの中に滴り落ちた。
6
フライドポテトやミートボール、骨付きチキンにハンバーグが乗ったパーティセットと各種ドリンクが届けられると、ボックス席に花が咲いた。
「じゃあ、乾杯!カンパ〜イ!!」
陣頭指揮を取ったのは、勝己である。おそらく、そういう役回りなのだろう。
「ほら、孝太郎君も!」
勝己の持つ、混ぜたら青汁のような液体に新橋は吐き気さえ覚えたが、必至に堪え、言われるがままにグラスを掲げた。
「か、乾杯……」
ふと隣を見ると、藤枝はすでに三回目の追加オーダーをしている。
たしか、目的は歓迎会の他に、会議だったはずであるが……皆が個々に盛り上がり、単なる飲み会の状況になっていた。