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◆形而上学的な命題には何の意味も存在しない◆

1 :♪( ◇jygHQ/Swug :04/01/15 01:11
哲学の正しい方法は、本来こうであろう:語り得るもの以外、何も語らぬ事:したがって、自然科学の命題  それ故、哲学とは何の関係

もない事  以外、何も語らぬ事;そして常に、他人が何か形而上学的な事を語ろうと欲するときは、彼に、彼は彼の命題の中の或る記号

に何の意味もない事を立証してやる事。この方法は、他人には、不満足なものであろう。  彼は、我々に哲学を教わったという感じをも

たないであろう。  しかし、この方法こそが、唯一厳格に正しい「哲学」の方法であろう。

2 :考える名無しさん :04/01/15 01:11
2げっと

3 :考える名無しさん :04/01/15 01:12
W? >1


4 :考える名無しさん :04/01/15 01:12
aynl,;.bdhgrv n,jmnlk.,m

3get!

5 :Tar ◆SQIDAUQYpc :04/01/15 01:16
哲学の適切な方法は独創的にそうになるでしょう:
以外、何も話されないようにすることができるものを話してください:
従って、それは自然な科学の提案です。
従って、哲学はどんな関係かです。
もない物
以外、何も話さないでください;
そして、よそ者がいつも形而上学との関係を持っているある物を話すであろう時に要求する時に、彼は彼への彼の提案においてあるシンボルです。
に意味が全然0ないことを証明してください。
こちらで、よそ者への不満足なものになるでしょう。
私達から哲学を知ったために彼が感じることで、また、それはたないになるでしょう。
しかし、それは、この方法こそが、唯一の厳密な右の「哲学」の方法です。

6 :考える名無しさん :04/01/15 01:28
なんでわざわざ ◇トリップ ・・・。

7 :考える名無しさん :04/01/15 01:44
>>1
このスレの科学的命題はなに?


8 :考える名無しさん :04/01/15 01:45
わざわざ「論考」を引用して何がいいたいんだよ。無駄スレたてんな。

9 :考える名無しさん :04/01/15 01:48
1さんが精神的満足を得ようとするなら、科学的命題と科学的立証
で議論に勝つしかないですね。
このままでは負け犬ですよ。

10 :考える名無しさん :04/01/15 01:51
だから「論理哲学論考」という本の1節を抜書きしてるだけのスレなの!
気付けよ!

11 :考える名無しさん :04/01/15 01:55
10=1

負け犬宣言としておきましょうwww

12 :考える名無しさん :04/01/15 01:58
あほ

13 :♪( ◇jygHQ/Swug :04/01/15 02:01
>>7哲学的命題が無意味であることを
2ちゃんねらーに自覚させることでつ( ・∀・)

14 :考える名無しさん :04/01/15 02:03
>>1
哲学やってる人間を馬鹿にしたい気持ちはわかるけど、馬鹿が不用意に人を馬鹿
にすると、自分の馬鹿の傷口を大きくするだけだよ。

15 :♪( ◇jygHQ/Swug :04/01/15 02:03
あぁ ぴかぁ〜みたいな賢い大人になりたいなぁ・・( ゚д゚)ポカーン

16 :考える名無しさん :04/01/15 02:06
ばかぴか

17 :考える名無しさん :04/01/15 02:08
数学にも意味がない

18 :考える名無しさん :04/01/15 02:09
物理はもっと意味がない

19 :考える名無しさん :04/01/15 02:10
形而上学的命題だろ。たとえば
「ぴかぁ〜尊師こそ宇宙で唯一絶対の真理の体現者である。」
とかだな。

20 :♪( ◇jygHQ/Swug :04/01/15 02:14
く((レ゚ -゚ノァ∩<哲学は意味のない事ばかりだぁ〜(・∀・∩)サッ
        個人的には哲学をしている過程にのみ意味があるかと・・


21 :♪( ◇jygHQ/Swug :04/01/15 02:16
>>19うむ ( ゚д゚)y━・~~  

22 :考える名無しさん :04/01/15 02:17
>個人的には哲学をしている過程にのみ意味があるかと

こいつバカだよ。


23 :考える名無しさん :04/01/15 02:18
晒しあげ

24 :♪( ◇jygHQ/Swug :04/01/15 02:36
>>22( ´∀`)オマエモナー

25 :考える名無しさん :04/01/15 06:04
\ さて、とりあえず置いとくか /
    ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ∧∧ ∧∧ __._
    ∩゚Д゚,≡,゚Д゚)   |.|
     `ヽ    |)====
       | _ |〜 .|__|.|
       U U


        ∧∧  ミ _ ドスッ
        (   ,,)┌─┴┴─┐
       /   つ.  終  了 │
     〜′ /´ └─┬┬─┘
      ∪ ∪      ││ _ε3
               ゛゛'゛'゛


26 :考える名無しさん :04/02/15 07:07

チンパン福田君



27 :考える名無しさん :04/02/15 07:22
これって、ウイットゲンシュタイン。
形而上学が何か語る時、それは、正否の認定が出来なくなる。
カントのアンチノミーなのね。
だから、形而上学は言っている事の正否が認定できない。
つまり、神の存在の有無は語れない。語るなと言っているんだけど、

でも、ウイットゲンシュタインは「論考」から「探求」にシフト
する中で、言語をゲームと考えるんだけど、この事は
むしろ語れない事をあるていど認めている事ではないかな。
コミュニケーションは、言語だけで語れぬ要素がある、だから、人と人の会話は
言語以外の要素、つまり、コンテクストが関与する要素を彼は認めたのではないの。

28 :方法論的名無し仔猫 :04/02/15 10:41
ここで一つ、分析的命題と構成的命題という二つの区別を
立ててみよう。伝統的な命題の概念は分析的であり、その
ヴィトゲンシュタインが「有意義な命題」と呼んだ命題は
構成的であり、定義に関わるものだとする。

29 :じゆん ◆DxrYYrrJjQ :04/03/04 13:10
形而上の命題は、すでに思考停止されたコンテキスト(背景)があるのだ。

命題そのものをまず思考停止(エポケー)して得られる特段の論理なのだと言っていいと思う。
だから形而上の命題によって得られる答え(思いこみ)はまったく無意味と言っていいかと思う。
しかしそこに至る過程を徹底記述、もしくは経緯の特異点を見出し、そして記憶に留めること
によって、その経緯を把握することの総合的判断が、その形而上の命題に対する探求から、
生まれるのである。

つまり形而上の命題、哲学的思索は、自己探求における視座を設けるためにあった
方法論的な意味に過ぎないのかもしれない。むしろ視座を確立するためにその探求はある。


【コンテキスト(context)】
文章などの前後の関係。文脈。コンテクスト。

【エポケー 】
〔哲〕〔判断中止の意〕
(1)古代ギリシャの懐疑派の主張する哲学態度。現象に対して一切の断定を留保すること。
(2)フッサールの現象学の基盤をなす方法。純粋な事象そのものへ至るために、素朴な自
 然的態度を差し控えること。

と言うことはその哲学的探求はコンテキストを導き出すものであり、
かつその思考停止された思考の状態を現象させるためのものなのではないか
そのように思った。うーん語彙が少ないからちょっと説明不足の感あり。

30 :車輪 ◆WHEEL/7o3. :04/03/05 05:23
>>1
トリップのつけ方も知らないんですか?

31 :☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/05 05:40


≧(´▽`)≦アハハハ

32 :☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆VtnkunD3mw :04/03/05 05:53
>>30
ヽ( ^Д^)ノ┌┛Σ(ノ´Д`)ノ

33 :車輪 ◆WHEEL/7o3. :04/03/06 11:03
>>32
それで実際に私が痛みを感じるとか思ってるんですか?
あなた本当に想像力豊かですね。
実際私は痛みなんて感じてないわけですが。
そんなこともわからないんですか?
あなたのその書き込みを見た時点で、あなたの事を「こいつ馬鹿だな」と思われてしまうのではないか?という事を考えつかなかったんですか?


34 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 12:44
訂正、

先験的命題 / 命題の真偽は経験によって左右されない。

経験的命題 / 命題の真偽は経験によって決定される(暫定的)。

構成的命題 / 命題の真偽は常に真である(定義的)。


35 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 12:45
先験的命題は、真である時は同語反復的であるが、我々は
先験的命題の具体的内容を直接知ることは出来ない。

経験的命題は通俗的な世間知でもあり得るし、厳格な方法論に
乗っ取った科学的知識でもあり得る。

構成的命題は、「客観的」事実について明言しない。定義の問題でも
あれば、反証不可能な形而上的(乃至、超越的)命題でもあり得る。



36 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 12:48
形而上的命題は、やっぱ先験的命題の範疇に入れといた方が良いか。
この場合、我々は命題の内容を知ることが出来ても、真偽について
は不可知である(乃至、反証不可能である)、と。

37 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 12:57
先験的命題の例 /
 具体的内容を知ることの不可能なカントの物自体。
 神様は白いヒゲを生やしている(形而上的命題)。

経験的命題 /
 日本人は胴長短足でメガネを掛けている。
 リンゴは9.8m/s*sの加速度で木から落下する。

構成的命題 /
 1メートルは100センチである。
 命題は先験的、経験的、構成的の三種類の命題に区別出来る。

38 :考える名無しさん :04/03/06 16:27
>>37

論理的に無矛盾な系には、その系内では真とも偽ともつかない命題が少なくとも1つは存在する。

という命題は、どれになるの?

39 :考える名無しさん :04/03/06 16:36
先験的命題

40 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 17:06
訂正、

先験的命題 / 命題の真偽は経験によって左右されない。
  我々は先験的命題の具体的内容を直接知ることは出来ない。
  もしくは、反証不可能な形而上的(乃至、超越的)命題でもあり得る。

  先験的命題の例 /
     具体的内容を知ることの不可能なカントの物自体。
     神様は白いヒゲを生やしている(形而上的命題)。

事実的命題 / 命題の真偽は事実によって決定される。
  事実的命題は具体的、乃至、一回的事実を取り扱う。

  事実的命題の例 /
    今日は晴れだ。
    ソクラテスは人間だ。

経験的命題 / 命題の真偽は経験によって決定される(暫定的)。
  経験的命題は通俗的な世間知でもあり得るし、厳格な方法論に
  乗っ取った科学的知識でもあり得る。

  経験的命題の例 /
    日本人は胴長短足でメガネを掛けている。
    リンゴは9.8m/s*sの加速度で木から落下する。

構成的命題 / 命題の真偽は常に真である(定義的)。
  構成的命題は、「客観的」事実について明言しない。

  構成的命題の例 /
    1メートルは100センチである。
    命題は先験的、事実的、経験的、構成的の四種類の命題に区別出来る。

41 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 17:11
ヴィトゲンシュタインの「トートロジー」は事実的命題に
ついてだな。ちなみにアリストテレスの三段論法は経験的
命題と事実的命題で構成される。


  大前提(経験的命題) / 人間は死ぬ。
  小前提(事実的命題) / ソクラテスは人間である。
  結論 ソクラテスは死ぬ。

42 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 17:23
>>38-39
すると、先験的命題の規定から外れちまうな。自己言及的
な命題だからかな???

43 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 17:37
>>38はゲーデルの不完全性原理だが、事実命題に入れてしまいたい
誘惑があるんだが(ゲラ、すると、先験的命題の中に事実命題を繰り
入れてしまった方が良くなる、かな?

44 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 17:44
・・・というのは、不完全性定理まで事実的命題に入れると、
形而上的命題を先験的命題の範疇に入れて置くべき根拠が
希薄になるから。ここが難しいところ、かな?
「形而上的問題とは実存的問題の異名である」、とすれば
先験的命題と事実的命題の区別はいらないような気もする
が。

45 :考える名無しさん :04/03/06 17:48
38が不完全性定理って……! まあそうれはいいや。それより、命題を
先験的/経験的ど区別しようとすることに無理があるんじゃないか?


46 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 17:50
数学の特徴である厳密な証明による真理保証のシステムは、それを厳密かつ完全に
しようとすればするほど、その結果として不完全性を露呈する。(第1不完全性定理)

厳密な証明による真理保証のシステムが安全であるということを、それより安全と
思われるシステムを使って証明することはできない。(第2不完全性定理)

だろ? 区別は便宜的なものだからな。アタマん中を整理する為の契機にはなる。


47 :考える名無しさん :04/03/06 17:52
ガムちゃん?

48 :考える名無しさん :04/03/06 17:58
>>46
たしかに、その言い方だとそんなに変でないな。

49 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 18:17
同語反復的命題も反証不可能っていや、反証不可能だな。

50 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 20:12
>>45
そうだなぁ、先験的命題と経験的命題を区別することは、個人的経験の
累積によって形成された主観的世界観を相対化するという重要な意味が
あるね。

51 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 20:14
つまり、先験的命題と経験的命題の区別を嫌がるってことは、
自分の個人的な偏見にアグラをかいて暮らしたい、複眼的な
思考だなんて面倒は御免、って態度を意味したりする。

52 :考える名無し仔猫さん :04/03/06 20:29
余談ながら、日本語では「経験」と「体験」という言葉の意味は
明らかに違うが、英語に訳すと両方とも"experience"になってし
まう。我々がごく普通に「体験」として使っている言葉は、欧米
社会ではジェームズの「純粋経験」やベルグソンの「純粋持続」
のような特殊な哲学的概念になってしまうような感じかな。
「体験的命題」は「経験的命題」に比較して、「事実的命題」に
近いと言える。並びとしては、「主観⇔客観」の方向で

先験的命題⇔事実的命題⇔体験的命題⇔経験的命題⇔構成的命題

という感じになると思う。

53 :考える名無し仔猫さん :04/03/07 09:59
数式は経験的命題、代数式は構成的命題になる、かな? 例えば、

経験的命題
「1+2=3」は「ある量とその2倍の量を足すと、ある量の3倍になる」
という自然言語による経験的命題の特殊な形式表現に過ぎない。

構成(定義)的命題
「a+b=c」は「記号cで現される量cは、記号aで現される量と記号b
で現される量の和である」

54 :考える名無しさん :04/03/07 10:09
>>53
集合数的発想に近いけどなんか曖昧。
他に順序数列的な考え方もできるけど。

55 :考える名無し仔猫さん :04/03/07 10:13
数学基礎論の話になっちゃうかな? そっちの方は俺は
時間かけて考えたことないからなぁ。もっと複雑な数学
的問題は、その内、やるかも知れない。

56 :考える名無し仔猫さん :04/03/07 13:14
考えてみると、小学一年生に1+2=3を教えるのって、>>53みたいな
感じだね。バナナやリンゴの絵、使って。

57 :考える名無しさん :04/03/07 14:02
\ さて、とりあえず置いとくか /
    ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ∧∧ ∧∧ __._
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        (   ,,)┌─┴┴─┐
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     〜′ /´ └─┬┬─┘
      ∪ ∪      ││ _ε3
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58 :考える名無しさん :04/03/07 14:03
           __
          ⊂::::::|\
             ̄|/ ̄ ̄―_   ヘ::
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         | :::::::::::::|:::::::::::\\    |   あ あ
         | :::::::::::人::::::::::::::::::\    |   ぁ あ
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           |::::::` ̄::~:::::|::::    ノ
           \::::::::::::::/_ノ―
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59 :考える名無し仔猫さん :04/03/07 14:05
複雑な数学的問題に取り組む場合は、命題を完全にシンボリックに
認識して、訓練によって、アタマの中に計算回路を作るわけだね。

60 :考える名無し仔猫さん :04/03/07 22:14
自己言及的命題の単純な例

A / この命題は真である。
B / この命題は偽である。

嘘つきのパラドクス、「私は嘘つきである」という命題の詳細な内容は、

「私の立てる命題は常に偽である」

であり、「この命題は偽である」のBを含む。

61 :考える名無し仔猫さん :04/03/07 22:20
ヴィトゲンシュタインの論考で言えば、
TLP/3
  「事実の論理絵とは思考のことである」。
同/4
  「思考とは有意義な命題のことである」。

自己言及的命題は真偽の判定のために参照すべき事実を
持たない無意義な命題、と言えるわけだね。事実的命題
は参照すべき事実を持つ。だから、自己言及的命題は先
験的命題に分類すべきである、と。

62 :考える名無し仔猫さん :04/03/08 11:12
訂正、

先験的命題 / 先験的命題は参照すべき事実を持たない(超越的)。

  先験的命題の例 /
    カントの物自体の具体的内容を知ることの不可能である
    (形而上学的命題)。
    善なるは神のみである(信仰)。
    ナザレのイエスはキリスト(救い主)である(同上)。
    ヒトラーは悪人である(道徳的命題)。
    私は嘘つきである(自己言及的命題)。

事実的命題 / 命題の真偽は事実によって決定される。
  事実的命題は具体的、乃至、一回的事実を取り扱う。命題に
  対応した事実が、参照不可能な場合もある。

  事実的命題の例 /
    ソクラテスは人間だ。
    ヒトラーの行いはナザレのイエスの教えに即していない。
    神様は白いヒゲを生やしている。
    千年前の今日、東京は晴れだった。

63 :考える名無し仔猫さん :04/03/08 11:12
経験的命題 / 命題の真偽は経験によって決定される(暫定的・反証可能性)。
  経験的命題は通俗的な世間知でもあり得るし、厳格な方法論に
  乗っ取った科学的知識でもあり得る。経験的命題は直接、参照
  すべき事実を持たない(帰納的参照)。

  経験的命題の例 /
    日本人は胴長短足でメガネを掛けている。
    リンゴは9.8m/s*sの加速度で木から落下する。

構成的命題 / 命題は真理値を持たない(定義的)。
  構成的命題は、参照すべき事実を持たない。

  構成的命題の例 /
    1メートルは100センチである。
    命題は先験的、事実的、経験的、構成的の四種類の命題に区別出来る。

64 :考える名無し仔猫さん :04/03/08 11:17
ソクラテスの哲学姿勢は分析的である。・・・これは事実命題かな?w

65 :考える名無し仔猫さん :04/03/08 11:21
先験的命題と構成的命題は、共に参照すべき事実を
持たない。これは「ヘルメスの公準」、すなわち
「反対物の一致」。

66 :考える名無し仔猫さん :04/03/08 14:10
ヘルメスの公準が意味するのは「主客の一致」問題である、と。

論考5.63
私とは、私の世界のことである。
論考5.64
ここからして、独我論は、厳格におしつめてみると、純粋なリア
リズムに合致することが分かる。後略

他、5.631 〜 5.634等

67 :考える名無し仔猫さん :04/03/08 14:12
論考が独我論をテーマとして取り上げるのは、それが「単独者(世界に
たった一人しかいない自分)の思想」、乃至、実存的だからである。

68 :考える名無し仔猫さん :04/03/09 11:11
訂正、自己言及的命題は、構成的命題の範疇に入れて置くべきだな。


69 :考える名無し仔猫さん :04/03/09 11:13
「神は世界内存在ではない」は、先験的命題か、それとも事実命題か?w

70 :考える名無し仔猫さん :04/03/09 11:18
「物自体の具体的内容を知ることは不可能である」というのは、
「我々は観測問題から逃れられない」から。これは先験的命題
か、それとも事実命題か?w

71 :考える名無し仔猫さん :04/03/09 19:27
データ(事実的命題)が仮に理論負荷性から逃れられないとしても、
データはデータであって、法則(経験的命題)ではない。

体験(事実的命題)が仮に個人の主観的偏見から逃れられないとしても、
体験は体験であって、経験則(経験的命題)ではない。

72 :考える名無し仔猫さん :04/03/10 12:36
体験は短期記憶として自己意識の側に確保される。睡眠によって
それは、長期記憶(経験則)に均質化されて世界観の側に埋め込
まれる。

73 :考える名無し仔猫さん :04/03/10 16:04
演択法は三段論法である。


  大前提(経験的命題) / 人間はいつか死ぬ。
  小前提(事実的命題) / わたしは人間である。
  結論 (演択的命題) / わたしはいつか死ぬ。

74 :考える名無し仔猫さん :04/03/10 18:56
 演択的命題は、日常的経験則に基づいたものであれ、物理的法則に
基づいたものであれ、それ自体としては蓋然性を逃れられない。経験
的命題に基づいた、外れる可能性のない完全な予測は不可能である。

 私はいつか死ぬ。

 この命題の真理性は蓋然的であるから、疑うことは可能である。死
の不可避性についての通俗的な観念は、この演択的真理である。この
ような場合、死は一般論から導き出された抽象概念に過ぎない。

75 :考える名無しさん :04/03/11 05:06
>>46
なんか変な感じ。

>数学の特徴である厳密な証明による真理保証のシステムは、それを厳密かつ完全に
>しようとすればするほど、その結果として不完全性を露呈する。(第1不完全性定理)

完全性の意味、わかっていますか?
「完全にしようとすればするほど」「その結果として不完全性を露呈」?

>厳密な証明による真理保証のシステムが安全であるということを、それより安全と
>思われるシステムを使って証明することはできない。(第2不完全性定理)

「それより安全と思われるシステムを使って」ではなく、
「その体系内で形式化できる論法だけでは」無矛盾性を証明できない、でしょう。
実際、ゲンツェンは超限帰納法を用いて自然数論の無矛盾性を導いています。

76 :考える名無し仔猫さん :04/03/11 12:27
「人はいつか死ぬ」という「事実」は一般論であるが、現実の死は事実命題の
地平にある。演択的命題には検証のためのものと、応用のためのものがある。

>>46
数学的命題は経験的だから、どっちにしろ真理値の担保は系の外にあって帰
納的に参照された事実命題、ということになる。

77 :考える名無し仔猫さん :04/03/11 12:28
訂正、>>75

78 :考える名無しさん :04/03/12 01:26
>>53のような考え方は、小学生に直観的理解をさせるための方便。

数学は帰納的科学や実験科学ではない。
純然たる演繹科学。
2つの泥団子を柔らかいうちに合体させて、結果的に1つの泥団子ができたからといって、
「1+1=2は一般には正しくない」ということにはならない。
自然数の加法において「1+1=2」はつねに正しい。

一般に理論の基礎概念や、出発点となる公理を設定する段階で、
経験からある種の規則性を抽象する。
(経験の源泉は、物理学をはじめとする人間の思考活動全般。
とくに既存の数学理論も含まれる)
その後は、思考実験や直観により命題を予測はするが、
公理と基礎概念の定義から純然たる演繹によって証明されない限り、
定理とはみなされない。単に予想(Conjecture)と称される。

逆に数学における真理性は、ある体系内で演繹的に証明されたかどうかによってのみ決まる。
各体系を含む全域的な無矛盾性の保証には、超限帰納法など担保を外に求めているが、
数学における各種の定理は、公理(使用可能な推論規則も含めて宣言される)の範囲内で
形式的に演繹できるかどうかによってのみ真偽が判定される。
そして自然数論を含む理論を形式化して得られる無矛盾な体系内には、
上に述べた意味での真偽 を判定できない命題(論理式)がある、というのがゲーデルの示したことの一つ。



79 :考える名無し仔猫さん :04/03/14 09:41
>2つの泥団子を柔らかいうちに合体させて、結果的に1つの泥団子が
>できたからといって、

離散体(個数)と連続体(量)の加算は、本質的に異なると思う。

> >>53のような考え方は、小学生に直観的理解をさせるための方便。
は、
>一般に理論の基礎概念や、出発点となる公理を設定する段階で、
>経験からある種の規則性を抽象する。
ね。




80 :考える名無しさん :04/03/14 10:43
>>75
> 「それより安全と思われるシステムを使って」ではなく、
> 「その体系内で形式化できる論法だけでは」無矛盾性を証明できない、でしょう。

<無矛盾清性があきらかな単純なシステム>の中で<より複雑で無矛盾
性が疑わしいシステム>の無矛盾性を証明することはできない、という
方が、不完全性定理の意義の説明としては正しいだろう。





81 :考える名無しさん :04/03/14 10:58
>>78
数学理論が演繹体系であることは、それだけでは数学が経験科学である
可能性と両立し得る。物理学の理論も演繹体系として構成されるのが普
通だが、物理学は経験科学だろ?

82 :考える名無しさん :04/03/18 11:28
演繹的に記述されていることと、それが経験科学であることは別。

83 :考える名無し仔猫さん :04/03/18 22:25
しかし、数学を純粋に自己定義的な記号体系と見なせば、
応用への着地点を失ってしまうんじゃないか?

84 :考える名無しさん :04/03/21 11:41
言語自体を自己定義的記号体系とみなしながら、
それでも日常生活している人たちもいる。
応用には、役に立てばいい以上の根拠はいらないでしょう。
しかしそう振舞えない論理学者は多いね。

85 :考える名無し仔猫さん :04/03/21 12:10
現実世界との接点がないんじゃ、文字通りの机上論でしかない。接点があると
すれば、譲歩するのは現実世界ではなく数学の方だろ。

86 :考える名無し仔猫さん :04/03/21 17:57
理論と現実では、理論は現実に譲歩する。理念と現実では、しかし関係は
逆転する、と。

87 :考える名無しさん :04/03/21 20:16
>>79

> >2つの泥団子を柔らかいうちに合体させて、結果的に1つの泥団子が
> >できたからといって、
>
> 離散体(個数)と連続体(量)の加算は、本質的に異なると思う。

泥団子の話は、連続量には全く着目していないのでは?
まさに泥団子の個数を、くっつける前後で比べて、1と1が結果として1に落ち着いた、
しかしそれをもって自然数論に対する反例とみなして自然数論を書き換えよう、という話にはならん
ということでしょ。



88 :考える名無しさん :04/03/21 20:24
>>81
経験科学という言葉をどういう意味で使っているのかにもよるけど、
物理が数学と決定的に違うのは、観測された事実によって正しさが決まるところ。
それに対して数学の定理は、その定理が定式化された公理系内では未来永劫正しく、
新たな観測によって修正されることがない。
それに物理学は、定義のはっきりしない概念でも平気で用いる面がある。
超函数も最初はそうだったように、形式的に便利だからとか、
そうするとある局面で上手く現象を記述できるから等の理由で、
演繹的にも不備があっても気にしない面がある。

>>85
すでに数学は現実世界を記述するものではないでしょう。
解析学や数理物理ですら、それを目的としない研究がある。
現実と接点は当然あるけど、それは出来上がった理論の応用であって、
現実が数学における真偽の判定に関与することは皆無でしょう。



89 :考える名無しさん :04/03/21 22:25
このスレの議論は論理実証主義以降か?

90 :考える名無しさん :04/03/21 22:38
今この時点で議論してるってことは、以降ってことだよ。

91 :考える名無し仔猫さん :04/03/21 22:41
>>87
この反論は「アキレスと亀」ばりの詭弁だと思うがw

>>88
数学は、現象世界の量的問題を記述するために特化した特殊な
記号言語、もしくは論理絵と考えられるんじゃないか?


92 :考える名無しさん :04/03/21 23:26
>>91

反論?大丈夫?
> 離散体(個数)と連続体(量)の加算は、本質的に異なると思う。

これ自体にはなんら異存はないですよ。反論したつもりはない。
これ自身、泥団子を持ち出したもともとの主旨からしたら的外れじゃないのかってこと。
自然数の体系は、起源はどうあれ、今では現実世界とは独立だということでしょ。
だいいち、起源にしたって個数=基数だけでなく、序数も起源となっているみたいだし。
どっちが先かはわからないけど。

あと、数学の記述する世界は量的問題に限らないです。
たとえば幾何的な構造や、各種の空間構造を代数系に投影する話もあるし。


93 :(゚д゚) :04/03/22 00:28
ヽ(`Д´)ノ

94 :(゚д゚) :04/03/22 00:29
(´C_` )sage

95 :考える名無し仔猫さん :04/03/22 18:32
ま、出発点としてはそうだって話。数学における言語論的転回ってのも
あるな・・・。幾何学は、図形が命題記号ではなく、事実そのものであった
りして、また別な話かも知れないが。
泥団子の話自体が的外れだろ。我々の自然体の認識では、もともとの泥
団子の「一つ」と、二つをあわせた後の「一つ」を同一のものだとは見
なさないからな。

96 :考える名無し仔猫さん :04/03/22 18:43
言語論的転回っていや、ヴィトゲンシュタインの論考の
現象論的態度に対する論理実証主義の立場もそうかな?

97 :考える名無しさん :04/03/22 20:34
そろそろ可能世界について語れや

98 :考える名無し仔猫さん :04/03/22 21:30
あー、俺、それピンと来ないんだよな。何か重要な問題が隠されてる
ような気もするが、今ひとつ、明晰化出来なくて。夢見ない方だから
かな?w

99 :考える名無し仔猫さん :04/03/22 21:47
幼稚園の頃のことだが、俺は夏休みとかに田舎の祖父母の家に行くのが
何よりの楽しみだった。積み木で一人遊びをしている時、ふとしたキッ
カケで、俺は積み木を使って目の前に、祖父母の家のある田舎の町を作
り始めた。ほんの一瞬、その世界に没頭して、次の瞬間、それがただの
積み木の集まりに過ぎないことに気付いた。あの瞬間の、言われようの
ない空しさ、あの感覚に似たものを今でも時々、味わう。俺は抽象思弁
の世界に溺れるのは嫌いなのさ。

100 :考える名無しさん :04/03/23 03:34

> 泥団子の話自体が的外れだろ。我々の自然体の認識では、もともとの泥
> 団子の「一つ」と、二つをあわせた後の「一つ」を同一のものだとは見
> なさないからな。

ええっ?
ものを数えることから、数という概念を「抽象する」ということは
まさに異なっている点を無視して、共通点のみに着目するってことでしょ?
バナナとリンゴ1つずつ、バナナ2本、リンゴ2個、このどれもが
等しく2という概念を共有する。

既に出来上がった数の体系というのは、
「我々の自然体の認識」を起源や直観的背景に持っているとはいえ、
本質はそれらと独立な観念上のものです。
そのへんを心底わかっていないと、例えば複素数に実数と同じようなリアリティを感じられなくなってしまう。
実数体だって、自然数から一定の手続きを経てつくられた人工的な創造物だという面も理解していないと
微積分をごまかしなく展開することができなくなってしまう。
逆に複素数体だって、十分に現実感を感じられる直観的源泉を持っている。


101 :箜間桐孤 ◆TIGERSM8e. :04/03/23 13:14
言語と世界は切り離すことができない
 世界そのものが言語
 「2.12 像は現実のモデルである」
「写像理論」 
 私たちが言語化しているもの(命題)はすべて像をもっているのであり、それはこの世界の論理空間の組み合わせをそのまま表している。
          ↓
 さまざまな哲学的命題は記号論理学によって言葉の使い方を分析すれば、正しい命題と間違った命題がすぐに明らかになる。
          ↓
 「神の存在」「人生の意味」など、現実の像としてはありえない。(正しく言語化できない)
 観察不可能な事象については、意味のある命題をつくることができない。
          ↓ 
 問い自体が無意味
 「4 思想とは有意義な命題」
 「4・114 哲学は思考可能なものを限界づけ、これにより思考不可能なものをも限界づけなければならない」
 「7 語り得ないことについては、人は沈黙せねばならない」

 言語化できないものは存在しないのか?
 「6・522 だがしかし表明しえぬものが存在する。それはみずからを示す。
  それは神秘なものである。」


102 :考える名無し仔猫さん :04/03/23 19:27
>>100
>ものを数えることから、数という概念を「抽象する」ということは
>まさに異なっている点を無視して、共通点のみに着目するってことでしょ?

認識における抽象化作用というのは、自覚的な意識レベルで「概念を抽出する」、
というのとは、少し違うような感じだと思うが。しかも、それは長い文明の歴史
の中で我々の中に徐々に生成して来たものだ。


>逆に複素数体だって、十分に現実感を感じられる直観的源泉を持っている。

人は空想に没頭していれば、周囲の現実のことなんかキレイに忘れて
しまうことは当たり前にある。あらかじめ整った理論を基盤に形成さ
れた観念連合体系なら、それはキレイな感じはするだろう。

103 :考える名無し仔猫さん :04/03/23 19:30
>>101
言語はコミュニケーションの最も重要な手段だ。言語化されていない
対象は社会生活の中では「話題に上らない」。

104 :考える名無しさん :04/03/25 14:28
>>103
言語化され意味は理解できるが、言語化することで的はずれとなるものも存在する。
例えば独我論など。

105 :考える名無し仔猫さん :04/03/28 16:20
それは孤独なる者にのみ許される秘密、ってわけやねw

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1075393944/485-494
スレタイから逸れて来たから、コッチでやろ。


106 :考える名無し仔猫さん :04/03/28 16:32
いかなる事実も、何らかの「場」において成立する。「場」は語り得るもの
であっても対象ではない。「私は今、ここ(哲学板)にいる」という命題に
おいて、哲学板は対象化されてはいない。しかし、「この板」という形式で
指示した瞬間、「場」は対象化され、「場」としての地位を失う。
ともかくも、対象化可能なものは明らかに対象化されうる。対象化不可能な
ものは認識することも不可能である。つまり、事実は形而上学的前提なしに
成立不可能なのである。「世界はどのようにあるか、ということが神秘的な
のではない。世界がある、ということが神秘的なのである」(論考6.44)。

107 :考える名無し仔猫さん :04/03/28 16:58
・・・「この板にいる」、でも別に対象化はされていないか。
まぁ、「この板は〜である」って命題にすりゃ対象化され
るってだけだな。

108 :考える名無し仔猫さん :04/03/28 22:50
構成的命題は経験的命題を、
経験的命題は事実的命題を、
事実的命題は先験的命題を、

各々、前提とする。・・・理論って何だぁっけ、何だぁっけ♪

109 :考える名無し仔猫さん :04/03/28 22:53
>>106はホーリズム(全体論)でもあるな。

110 :考える名無し仔猫さん :04/03/30 23:40
場について訂正と補足、

場は事実の前提である。

場は周縁を持たない。乃至、周縁を意識しないことによってのみ、場は場で
あり得る。境界付けられた全体として把握された場は、その時点で対象化さ
れ、場ではなくなる。私は自分の現在いる場について「ここは〜である」と
語ることは出来る。一見、私は自分のいる場について、その場にいながら語っ
ているようではある。しかし、「その場」について語ることは、「その場」
に対して距離を置くことである。
我々は、雰囲気("atmosphere")に呑まれることによって、その場に登場し、
その場について語ることによって、雰囲気を壊す。

111 :考える名無し仔猫さん :04/03/31 01:01
・・・「呑まれる」、と主体性を剥奪されてしまうな。「疎外」という
ヤツだろうが。人は大抵は、仮面の下に主体性を確保しながら雰囲気
に「溶け込む」、大抵は。

112 :箜間桐孤 ◆TIGERSM8e. :04/04/06 18:30
保守

113 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/04/08 11:19
あ、ご苦労様w 今、チョイ休憩気味でね。

114 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/04/10 16:40
いかなる事実命題も、先験的命題の前提抜きに成立することは不可能である、
ということは、いかなる事実命題も、その真偽については、最終的には「信
じるか、否か」という決着の付け方に依らざるを得ないことを意味してもい
る。これは、事実命題における直感的検証についての問題であって、経験科
学における手続き上の厳格さとは全く関係のない話である。

115 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/04/10 16:50
自身の、あるいは他者の、その世界を形成している形而上学に
ついて全く無関心、乃至、無自覚な者らの間で取り交わされる
議論ほど、空しいものはない。

116 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/04/10 23:08
取り合えず、まとめ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~petercat/etc/zakkou.html



117 :箜間桐孤 ◆TIGERSM8e. :04/04/14 00:56
                     ⊂二⊃
          ⊂⊃
≡ ( ̄ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       ⊂二⊃
  / ̄ ̄                            \
=∈=∋        マルチ&葵号             〉
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≡ (_ノ \_________________/
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           \ 、ヽノノ)))) 〉/ ,ノノハヘヾ  ./ 
     はわわ〜  \リ0);´(フノl ゙'v(!゚ ヮ゚ノ'゛ /頑張ります!
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