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ウィトゲンシュタイン 2
- 1 :考える名無しさん [sage]
:04/03/17 05:12
- ,r::::::::::::::::::::'-、
,,r'::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ ウィトゲンシュタイン (Ludwig
Wittgenstein) の哲学について論じるスレです。
.l::::::::::::::::::::;:-‐''" `-、::ヽ、
.
l::::::::! '" i::::::ヽ ■前スレ
ヽ::::i _,..
!_,.._- :..l::::::::::! ウィトゲンシュタイン
l:::l ,ィt:t::: ':::rtェ::;:..
ヽ::::;! http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1055694779/
!ヾ'´':::´;' ::.`ヾ ヾ Y ::!
. i :! ;` ー'`ヽ l ノi. ■関連スレ
ヽ! :, ---.、 : /! ' 【意味】(σ゚д゚)σ言語哲学大全を読む【意義】
ヽ :' − ::.
;'.! http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1046789016/
ヽ ,:' l,r 'ヽ
rヽ  ̄ ,
-'r' r'ヽ ■スタンフォード哲学百科事典の「ウィトゲンシュタイン」の項目
i' lヽ r'7,r'´ ' ' ` http://ime.nu/plato.stanford.edu/entries/wittgenstein/
■『論考』の原文および英訳(オグデン訳)
http://ime.nu/www.kfs.org/~jonathan/witt/tlph.html
■ウィトゲンシュタイン関連リンク集
http://ime.nu/www.ocf.berkeley.edu/~brianwc/ludwig/
■Rule-Following Considerations に関するリソースを集めたサイト
http://ime.nu/krypton.mnsu.edu/~witt/
ウィトゲンシュタインに関係する主要な研究者のサイト、その他関連サイトは >>2-3 あたり。
- 2 :考える名無しさん [sage]
:04/03/17 05:12
- ■主要な研究者
ピーター・カラザース (メリーランド大)
http://ime.nu/www.philosophy.umd.edu/people/faculty/pcarruthers/
スタンリー・カヴェル (元ハーヴァード大)
http://ime.nu/www.fas.harvard.edu/~phildept/html/cavell.html
コーラ・ダイアモンド (ヴァージニア大)
http://ime.nu/www.law.virginia.edu/lawweb/faculty.nsf/FHPbI/78991
ジュリエット・フロイド (ボストン大)
http://ime.nu/www.bu.edu/philo/faculty/floyd.html
ウォーレン・ゴールドファーブ (ハーヴァード大)
http://ime.nu/www.fas.harvard.edu/~phildept/html/goldfarb.html
ソール・クリプキ (ニューヨーク市立大)
http://ime.nu/web.gc.cuny.edu/Philosophy/kripke.htm
マシュー・マリオン (オタワ大)
http://ime.nu/www.uottawa.ca/academic/arts/philo/fra/prof/marion.html
エイドリアン・ムーア (オックスフォード大)
http://ime.nu/users.ox.ac.uk/~shug0255/
スティーヴン・マルホール
(オックスフォード大)
http://ime.nu/users.ox.ac.uk/~newc0929/
イーアン・プループス
(ミシガン大)
http://ime.nu/www-personal.umich.edu/~iproops/
エリック・レック
(カリフォルニア大リヴァーサイド校)
http://ime.nu/www.philosophy.ucr.edu/people/reck_e.html
トマス・リケッツ (ノースウェスタン大)
http://ime.nu/www.cas.northwestern.edu/philosophy/Persons/ricketts/ricketts.htm
クリスピン・ライト (セント・アンドリュース大)
http://ime.nu/www.st-andrews.ac.uk/~www_spa/STAFF/wright.html
- 3 :考える名無しさん [sage]
:04/03/17 05:12
- ■山元一郎訳『論考』(前スレ968氏がコソーリ提供)
http://ime.nu/www5e.biglobe.ne.jp/~petercat/etc/TLP.html
■『メイド哲学論考』
ttp://www45.tok2.com/home/maid/sasagawa/ronkou.htm
- 4 :考える名無しさん :04/03/17
05:18
- すげええええ
- 5 :http://www3.to/nouryoku
[sage] :04/03/17 07:14
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- 6 :考える名無し仔猫さん [sage]
:04/03/17 12:18
- 7ゲt
- 7 :考える名無しさん [sage]
:04/03/18 00:56
- L:チェスをしている人は、チェスの規則に従ってチェスをしているのであ
り、かつ、チェスの規則に従わないでチェスをすることはチェスではな
い。
W:では聞くが、チェスをしている人が、盤面を眺めることは、或いは眺め
ながら足を組み直したり、頭を掻いたりすることはどうなのか。
L:もちろん、それはチェスの規則にはない。
W:さっき君は、「チェスの規則に従わないことはチェスではない」と言っ
たが、チェスの規則に従わないことと、チェスの規則にないことを行為
するのとどう違うのか。チェスの規則に従わないということは、チェス
の規則にない行為をするということであり、頭を掻いたり足を組み直し
たりすることは規則違反と同じと見て、どうしていけないのか。
L:君は二つの異なった解釈を混同している。チェスの規則に従わないと
は、チェスの規則に反することであり、それは規則として記述されてい
る。それに対し、ちゃんと記述されたチェスの規則に反しない、すなわ
ち照らし合わされる規則のない行為は、いかなる規則違反でもないこと
は自明であろう。
W:そうではない。記述されていなくとも、たとえば、ゲーム中に盤面を
ひっくり返したり、騒ぎ立てたりすることは、大抵の人なら「それは
チェスではない」と言うだろうからである。ことはそれほど単純に区別
できることではない。
L:なるほど。しかしそれでも、そうした行為をたとえばマナーのようにし
て記述することが出来る。或いは共通認識が得られるということに異論
はないはずであろう。
- 8 :考える名無しさん [sage]
:04/03/18 00:57
- W:如何にも。そうした、チェスゲームの本来の目的に添わない行為は全て
そのように記述可能であろう。しかし、そうすると、違反行為を見つけ
ることはチェスゲームのうちにあるのだろうか。
L:対戦者本人であれ、ゲームに審判は欠かせない。自分たちの行為の基準
は規則にあり、規則の無いような場合でも経験的・常識的な基準を仮設
することでそれを規則と見なし、その規則に従うのである。
W:すると君は、行為に対してはアプリオリに規則が存在しなければならな
いと言っていることになる。ところが、我々は一般に様々な過ちを犯
す。故意であれ過失であれ、ある場合には審判ミスによる無実、など。
これらのケースは行為者が規則に従うことも従わないことも可能である
ということを意味しよう。
L:もちろんである。その場合に私は神の手が働いたとは決して言わないつ
もりだが。
W:当然のことだが、ある行為の元となった規則を記述することの可能性は
否定しない。次の一手を打つ手が見つからず、「エイヤッ!」とほとん
ど盲目的に一手を打つ場合でも、「エイヤッ」と盲目的に打った、と台
本には記述できるのだから。如何なる場合でも、それが規則に違反する
場合であっても、我々は彼が従った規則を書き出すことが出来よう。と
ころで、その書き出された規則に違反することは出来るだろうか。
L:端的にそれはナンセンスだ。そのように記述される規則に従わないこと
は出来ない。自らの(無意識的なものも含めた)意志に自身が逆らうこと
が出来ないようなものである。君が言うように、どんな場合であって
も、行為とその行為の規則は一致させられ得る。
- 9 :考える名無しさん [sage]
:04/03/18 00:58
- W:だが、果たして不一致のないところに一致はあり得るのか。また、従わ
ないことの出来ない規則を、規則と呼ぶべきか否か。たとえば法律のよ
うなものは、従うことも従わぬこともできるし、法を守るという自由意
志の問題でもある。ところで、意志に対して「意志・する」という行為
でもあり得ようなら、これは先行するものを取り出せないというありが
ちな無限退行でもあろう。そのように、一致も不一致もなく、従うこと
も従わないこともできないのが、その「規則」ということになる。
W:普通、規則を守るという自由意志の問題はパラドクスとして扱われるこ
とはない。ある意味で「規則は守るものであ(って破るものではないが
破られ・守られないものでもある)る。」という信念は我々に根強い、
と言えるかもしれない。
W:また、取り出された規則(例えば「規則的な動作」のように)が、あたか
もその規則に「従っている」と思われるのは、我々が物事を理解する上
である種の擬人化を行った方が分かりやすいから、のようなものであろ
う。もちろん、だが、わざわざ取り出した規則に従わないなどというこ
とはないのだから、従うということもない。例えば空気中の分子が意志
していると考えることはとてつもなくあり得そうにないように思われる
筈である、と期待したい。
L:ところで君は「自由意志」というテーマを出したが、「意志する」その
ものが自由なら、先行するものはなにもありはしないのではないのか。
それはあたかもさいころを振るようなものでしかない。もし、そのさい
ころの目を完全に予想できたなら、自由ということはあり得ないことに
なるだろう。
- 10 :考える名無しさん [sage]
:04/03/18 00:58
- W:そうではない。何故なら、さいころの目はどれであれ、どれか一つでは
あるだろうからである。我々の誤解は、規則に従わないことが出来ない
にも関わらず、規則に従って・・・云々と言ってしまっていることであ
り、そこには本来的に何ら自由は存在させられないのである。さいころ
を振らない、という自由はそこにはない。それ故、延々と「さいころを
振ったその理由=規則」が取り出されてゆくこととなる。
L:だが、君の言うように、規則は守られるのであり、かつ、守られないも
のでもある。それそのものは自由意志に委ねられている、と言って良い
ではないか。それが故に刑務所に入ろうと死刑になろうと「規則を守ら
ない」のも「規則を守る」のも自由であると言って良い筈だ。
L:2種類の規則を混同すべきではない。
W:一般論になるが、どこの世界の国々が「守ってはならぬ規則」を発布す
るものか(※禁止規則と混同しないように)。規則はそれ自身に従わせる
ためにあり、それ以外ではない。我々人類は、規則の不備や違反があり
得ることを知ってなお、理想的な規則を追い求めてきた歴史を持つ、と
いってよいのだ。それはあたかも空気中の分子が自由運動しつつも全体
として見事に平均化しているような、全ての人が自由であり得るための
規則を。
W:基準を持たぬ自由はあり得ない。それを求めるのはあたかも魔法によっ
て全てを我がものとするようなものである。
- 11 :考える名無しさん :04/03/18
02:13
自演スレの香り (藁
- 12 :考える名無し仔猫さん [sage]
:04/03/18 10:30
- じゃなくて同語反(略
- 13 :名無しさんの試論 :04/03/18
15:46
- なぜB.ラッセルがヴィトゲンシュタインと晩年袂を分かったのか、考えるべし。
- 14 :考える名無し仔猫さん [sage]
:04/03/18 17:59
- ポパーの挑発は、ちょっと分かるな。テーマに論考時代の真摯さがないし。
- 15 :考える名無しさん :04/03/19
16:38
- 前スレより下がっているのでage
- 16 :考える名無しさん :04/03/19
23:09
- 前スレより下がってるのでage!!
- 17 :考える名無しさん [sage]
:04/03/19 23:13
- 板違いです。
電波・お花畑
http://etc.2ch.net/denpa/
ちくり裏事情
http://tmp2.2ch.net/company/
================== 終 了 ==================
- 18 :考える名無しさん :04/03/20
03:34
- 分析系のコテは全滅かよ・・・
- 19 :考える名無しさん :04/03/20
04:22
- >>14
ポパーの挑発ってどんなの?
- 20 :考える名無し仔猫さん [sage]
:04/03/20 13:39
- >>15-16
先に前スレ、埋めれ。ジョーシキ
>>14
ウィトゲンシュタインが彼のいたにポパーに哲学的「パズル」をテーマに
講演するよう招待したら、「哲学的諸問題は存在するか?」って内容で、
ポパーが皮肉っぽく論考の内容を逆手に取って話をし始めて、ウィトが
キレた。
http://ime.nu/www.lifestudies.org/jp/witt.html
- 21 :考える名無し仔猫さん [sage]
:04/03/20 18:03
- そういや、こんな本もあったっけな。俺は斜め読みしかしなかったが。
http://ime.nu/bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/413013020X.html
聖書の言語を超えて―ソクラテス・イエス・グノーシス
現代のショアー(絶滅)に直面して,聖書は何を語れるのか.透明な生の近み
から,影のような「知」の全体主義をあばき,聖書にかくされた他者の記憶を
よびさます.哲学・神学・聖書学から,他者の他者なるイエスを通して,新し
い探究の視点を提起する.
- 22 :考える名無し仔猫さん [sage]
:04/03/21 18:11
- アレ、前スレDAT落ちか・・・
- 23 :考える名無しさん :04/03/22
00:25
- >>980超えたスレは強制的にdatにいくようになってる
- 24 :考える名無しさん :04/03/23
19:26
- >>21
やべ、宮本氏と大貫氏が書いているのにまだ目を通してすらいない。
- 25 :箜間桐孤 ◆TIGERSM8e.
[age] :04/03/30 17:27
『論理哲学論考』
言語と世界は切り離すことができない
世界そのものが言語
「2.12 像は現実のモデルである」
「写像理論」
私たちが言語化しているもの(命題)はすべて像をもっているのであり、それはこ
の世界の論理空間の組み合わせをそのまま表している。
↓
さまざまな哲学的命題は記号論理学によって言葉の使い方を分析すれば、正しい命
題と間違った命題がすぐに明らかになる。
↓
「神の存在」「人生の意味」など、現実の像としてはありえない。(正しく言語化
できない)
観察不可能な事象については、意味のある命題をつくることができない。
↓
問い自体が無意味
「4 思想とは有意義な命題」
「4・114 哲学は思考可能なものを限界づけ、これにより思考不可能なものを
も限界づけなければならない」
「7 語り得ないことについては、人は沈黙せねばならない」
言語化できないものは存在しないのか?
「6・522 だがしかし表明しえぬものが存在する。それはみずからを示す。
それは神秘なものである。」
- 26 :箜間桐孤 ◆TIGERSM8e.
[sage] :04/03/30 17:28
- 『哲学的探求』
写像理論で説明不能な言語(論理形式にあてはまらない言葉)もある
言語ゲーム
人々はそれぞれの生活のなかで一定のルールにもとづいて言語ゲームを営んでいる
言葉の意味は、文脈や文が属している言語ゲームのルールから理解されなければな
らない
- 27 :考える名無しさん :04/03/31
21:38
- 『論考』は中公、岩波どっちがいいんですか?
- 28 :考える名無しさん :04/03/31
21:42
- >>27
法政が吉。
- 29 :考える名無しさん :04/03/31
22:23
- arigato
- 30 :考える名無しさん :04/03/31
22:45
- 机の写像とは?
- 31 :考える名無し仔猫さん [sage]
:04/03/31 22:48
- >>27
中公の注釈のストイックな感じが俺は好きだな。
- 32 :考える名無しさん :04/03/31
22:49
- みんな、逃げてーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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/::●:::: ●:|
|::::/ ○\: |
|:: /三 | 三|:|
|:: | ト‐=‐ァ' |:| 食ってくれるわ
/:: | ` `二´' |:\
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- 33 :パレルゴン :04/03/31
22:54
- 「命題は一種の絵画である。絵画が事態に登場する人や物を色と形で表現する
のに対し、命題はそれをなで表現する。命題とは名を使って描かれた絵だ」
「ウィドゲンシュタインはこう考えた」鬼界彰夫著
- 34 :考える名無しさん :04/03/31
23:00
- あらゆる山が「山」という文字に写像される、そして「山」は象形文字であり、
図形で、絵なのだ。
- 35 :パレルゴン :04/03/31
23:04
- そうだ!
- 36 :考える名無しさん :04/03/31
23:11
- 実在、あるいは知覚の世界は無限の濃度を持ち、言語は幾ら連ねても有限である。
原理的な限界があると言える。
- 37 :考える名無しさん :04/03/31
23:13
- みんな、逃げてーーーーーーーーーー
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|:: /三 | 三|:|
|:: | ト‐=‐ァ' |:| 食ってくれるわ
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- 38 :パレルゴン :04/03/31
23:14
- ウィドゲンシュタインの思考は深い。
兵役・戦争によって彼は「生」と言う意味を知る。
ラッセルに師事し、言語哲学の解明に努める。
そして彼の研究は「論考」に結集する。言語この世界に語る「私」は
あるのか?それは何かを語れるか?主体とは何かと語れるか?
形而上学的な命題は、世界の外にあるのではないか?
ここに、語れぬ物の哲学が生まれる。
てな事で、ハイデガーの世界内存在を世界外存在にしたのがウィドゲンシュタイン
たしかに、世界外とすると、独我論的に、「言語は私の世界の限界」
って事になりそう?
- 39 :考える名無しさん :04/03/31
23:15
- 「山」は抽象された概念として無限個の山に適用できるが、実物の豊富さは
何も持ち合わせない。
- 40 :パレルゴン :04/03/31
23:17
- 36さん、それでもウィドゲンシュタインは言語の表現が世界の限界である
と考えている以上、世界は多重に存在するとはウィトゲンシュタインは言っていない。
と考える方がいいかも?もっとも、「論考」までは。
- 41 :考える名無しさん :04/03/31
23:18
- 知覚される、あるいは生きられる世界を言語で語り尽くすことはできない。
- 42 :パレルゴン :04/03/31
23:19
- 39さん。その意見は君の意見、それともウィトゲンシュタインの意見?
- 43 :パレルゴン :04/03/31
23:20
- 39さん。その意見は君の意見、それともウィトゲンシュタインの意見?
- 44 :パレルゴン :04/03/31
23:21
- 今日はねるので、明日読むね。それでは、おやすみなさい。
スヤスヤ。
- 45 :考える名無しさん :04/03/31
23:21
- 人間が感じ取り、区別している「色彩」はすごく多いが、表現のための
語彙は貧弱である。
- 46 :36,39、45 :04/03/31
23:23
- >>43
私の意見です。
- 47 :考える名無しさん :04/03/31
23:32
- >>46
ウィトの「無限」に関する議論はしっかり把握しておいた方がいい。
- 48 :考える名無しさん [sage]
:04/03/31 23:39
- ウィトが本当の激戦地、
例えば西部戦線のイープル、ヴェルダンなんかの最前線にいたら
論考もさらに違う本になってただろうな
- 49 :考える名無しさん [sage]
:04/03/31 23:46
- 本なんか書けるような精神状態じゃないだろ、それは・・・
- 50 :考える名無しさん [sage]
:04/03/31 23:49
- さらに宗教性や神秘主義的色彩を帯びるようになるだろう
- 51 :考える名無しさん :04/04/01
00:03
- >>47
ウィトの無限というのは数学的な意味合いですか?
- 52 :考える名無しさん [sage]
:04/04/01 05:34
- ヴェルダンなんてところにいたら、歴史にウィトの名前なんてなかっただろう
http://ime.nu/www3.kiwi-us.com/~ingle/honbun/verdan%20siege.html
- 53 :考える名無し仔猫さん [age]
:04/04/01 13:43
- 他に実際に戦争に参加したことのある有名な哲学者って、ソクラテスとデカルト
くらいかな?
- 54 :考える名無しさん :04/04/01
13:51
- レジスタンスは多い
- 55 :考える名無しさん [sage]
:04/04/01 14:29
- 「自称」じゃないの?
- 56 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[sage] :04/04/01 18:10
- カミュはレジスタンスの機関紙の編集に関わってたっけ。あの時代の
フランスの知識人は、「サロー(卑怯者)」でなけりゃ、皆、似たよ
うなもん。
- 57 :考える名無しさん [sage]
:04/04/01 19:36
- 戦後これだけ時間が経ってから、考えてみると
レジスタンスのなんてただの言い訳に過ぎないんだなってのが
はっきりしてきたな。あれで良心がどうとか言ってるのって
いったいなんなんだ?アホかと。
第三帝国を擁護するつもりは一切ないけど、第二次世界大戦が
終ったとたんに、戦争始めるフランスって国にはドイツ以下だな。
レジスタンスするなら自分の国の政策にまずは広義しろよ。
- 58 :考える名無しさん [sage]
:04/04/01 19:51
- >>57の書き込みを読んで、考えてみると
>>57の糞レスなんてただの言い訳に過ぎないんだなってのが
はっきりしてきたな。あれで良心がどうとか言ってるのって
いったいなんなんだ?アホかと。
>>57を擁護するつもりは一切ないけど、パソコン使えて2チャンネルに
書き込めるからって、糞レスしか書けない>>57は「ぴかぁ〜、ソフィア」A以下だな。
マジレスするならまずは小学生時代の教科書を読み直してからにしろよ。 (藁
- 59 :考える名無しさん [sage]
:04/04/01 20:34
- フランスみたいな言い訳ばかりのヘタレな国にはなってはいけない
- 60 :考える名無しさん :04/04/01
23:13
- そのうち、竹田vsウィトゲンシュタインってスレが立つに500ペリカ
- 61 :考える名無しさん :04/04/01
23:22
- >>48
たぶん「論考」が
ローゼンツヴァイクの「救済の星」みたいな本になるんじゃないか?
- 62 :考える名無しさん :04/04/02
01:27
- 大きな問題
「にんじんを食べると病気になると彼女は信じている」
- 63 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[age] :04/04/02 09:34
- ・・・ともかくも、ナチと同盟を組んだ戦前の日本は明らかにDQNである。
DQNなものについては口を閉ざさねばならない。
- 64 :考える名無しさん :04/04/02
12:34
- フランスも日本もヘタレだが、そもそも国というありかた自体がろくでも
ないわけで、愛国心がそもそもヘタレ。
郷土愛ならわかる。
- 65 :考える名無しさん [sage]
:04/04/02 13:39
- WW2はWW1の報復戦とみなしていいんじゃないの?
WW1自体がそもそも、新興工業国ドイツをぶちのめすための
戦いだったわけだし。WW1開戦の時点において、重工業は
フランスもイギリスも完全に追い抜かれていた。
- 66 :考える名無しさん :04/04/02
18:10
- 「ゲームを間違ってしている」
と言われてもその「間違った行為」も
我々にシーニュを抱かせるという点で
十分に意味があると思うけど、どうなんだろう。
- 67 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[sage] :04/04/02 21:39
- 嗚呼、打ち込みが進まない(溜息 ・・・フリーの数式変換ソフト探してて、
泥沼にはまってしもた。
- 68 :考える名無しさん :04/04/03
00:28
- ウィトゲンシュタインのAAよく出来ているよな・・・。
そういやウィトってもてたのか?
- 69 :考える名無しさん [sage]
:04/04/03 00:35
- ウィーン学団のひとたちにもてもてで、もう哲学ヤだったのに、
無理やり引き戻されますた。。。。。
- 70 :パレルゴン :04/04/03
07:57
- 今読んでるんだけど、「探求」でウィドゲンシュタインはゲーム論を述べるんだけど、
ゲーム論てのは、コンテクスト論と似ていると考えてもいいのかなぁ?
つまり、語る内容を語る通りに解すると言うよりも、その現場の状況に左右される
あるいは、その理解者の側に、委ねられる部分があり、言語が唯一の意味を
表現できない。つまり、パフォーマティブとコンスタティブみたいな
問題意識と共通点がある。そこで、言語は日常会話のように、遊び=ゲームになる。
- 71 :考える名無しさん [sage]
:04/04/03 09:18
- 漏れは、メタな意味論が成立しないっていう風に勝手に読んでた。
- 72 :パレルゴン :04/04/03
09:27
- 俺も、その辺の所を知りたいんだけど。
メタ意味論的問題点を意識している事は正しいと思うよ。
ラッセルの階型論(クラス論)にもある、例えばスプーンの集合
を考えると、世界中のスプーンを集合できるが、そのスプーンの集合という
概念はその中に入れない、よって、スプーンの集合はメタ・レベルを
必要とするんだけど、そのメタ・レベルもさらにメタ・レベルが必要に
なる、と言う悪循環になる。つまり、無限後退。これは、無限の問題=ゲーデルの問題
なんだよ。その点をウィトゲンシュタインは感じていた。
だから、かれは、単純な言語学者=分析学者から排除されたんではと思う。
- 73 :考える名無しさん :04/04/03
09:32
- ゲーデルの不完全定理なんてゲマトリアに過ぎない。恐れるな同士諸君。
- 74 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[age] :04/04/03 11:14
- 結局、集合論的な領域に関わる数学的な証明ってのは、案外と曖昧で
アテにならんつうことが明らかになりつつあるようだな。。。
- 75 :考える名無しさん :04/04/03
11:32
- >>72
たしかに初期のラッセルは、「オーダー」の区別によって嘘つきのパラ
ドックスを解決しようとしたが、それ以後の論理学では、そうした意味
論的パラドックスは、対象言語/メタ言語の区別で避ける、というのが
慣わしになっている。最近は、ちょっと違ってきているが。
また、メタ言語を用いた意味論というのは、対象言語の論理を分析し記
述するための一つの手段であって、基礎づけるための手段ではない。集
合論(メタ言語)の中でモデルを作ることによってある理論の無矛盾性
を証明するということは行われるが、それは集合論自身の無矛盾性を前
提にした、相対的な無矛盾性の証明であり、絶対的な無矛盾性の証明を
目指すものではない。
- 76 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[sage] :04/04/03 11:37
- ラッセルの階型理論については、
「AはBである(リンゴは丸い)」という命題は、実際には「AのCは
Bである(リンゴの形は丸い)」であって、命題の要素であるAとBは、
そもそも同一地平には存在しないという、命題の基本特性にまつわる話、
だっけな。それと、自分自身を含む集合についての議論は区別した方が
良いと思うが。
- 77 :考える名無しさん :04/04/03
11:39
- >>73
ゲマトリアってなに? ともかく、不完全性定理を恐れる必要はないと
いうのは同意する。しかし、内容を知らないまま不完全性定理の意義に
ついて語ろうとして、頓珍漢なことを言ってしまうことは、少し恐れた
方がいいと思う。
- 78 :考える名無しさん :04/04/03
11:44
- >>76
君はかなり典型的なデムパだな。(笑)
ラッセルのタイプ理論というのは、自分自身を含む集合をめぐるいわゆ
る「ラッセルのパラドックス」を避けための仕組みだよ。最初ラッセル
が、タイプの区別に似たオーダーの区別で「嘘つきのパラドックス」の
ような意味論的なパラドックスも一挙に解決しようとしたので、ちょっ
と混乱があったが。
- 79 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[sage] :04/04/03 11:48
- ・・・全く別の問題、ではない、か。単純な条件を基準に規定された
一次元的集合と、数学のそれのように命題相互間の論理的矛盾が許
されないような体系を混同すべきでもない、な。
- 80 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[sage] :04/04/03 11:51
- >>78
適当に人をデンパ扱いすると、痛い目にあうぞw
- 81 :考える名無しさん :04/04/03
11:53
- だって、デムパじゃん。違うというか?(笑)
- 82 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[sage] :04/04/03 11:54
- 君がデンパじゃないことを証明できるか、名無しくん?w
- 83 :考える名無しさん :04/04/03
11:59
- できるわけないだろが。そういう要求をすること自体がデムパだね。
さらに言うなら、「自分がデムパでないことを2ちゃんねるで証明す
る香具師は、間違いなくデムパである」ということは、ゲーデルの不
完全性定理ですでに証明されているのだ。(笑)
あっ、俺がデムパであることを証明してしまったか?
- 84 :パレルゴン :04/04/03
13:01
- それは良いとして、ならば、ラッセルの階型論によって、グループの問題
は解決したの?それはグループ分けにはグループを指し示す永遠のメタレベル
が要請されるって事じゃないの?
つまり、絶対に証明されない一点が最後には残る。(我思う。アプリオリな悟性範疇
無意識など)
そこを、言葉・分野は違っても、所与、前提、公理、超越論的領野
存在の開けって言っているだけでねえの。
分析哲学・構造主義・ポスト・構造主義の最大の違いはこの点を
どのように理解したかによるな、確かに。
重要なポイントでんな。
- 85 :あぼーん [あぼーん] :あぼーん
- あぼーん
- 86 :あぼーん [あぼーん] :あぼーん
- あぼーん
- 87 :あぼーん [あぼーん] :あぼーん
- あぼーん
- 88 :考える名無しさん :04/04/03
13:32
- >>84
何というか、あなたはラッセルの階型論が解決しようとしていた問題
が何だった、実際に解決できた問題が何なのかを無視して、論じてい
るような気がする。また、ラッセルの論理主義は破綻したというのが
現代の普通の解釈なのだけれど、その点も。
そのあたりを無視して、「分析哲学」を何か一つの教義で固まった流
派のように考えるのは、間違っていると思うよ。イギリスの哲学って、
まあ論駁のプロセスの連続で、とくにラッセルの場合、彼の主張でそ
のまま生き残っていることなんて、一つもないかもしれないぐらいで
しょ、多分。これ、私の勝手な独断だけど、イギリスの哲学者って、
完結した体系を作ろうという志向が少なくて、プラトンの対話編みた
いなもの一登場人物として発言しているつもりなんじゃないかな。
- 89 :パレルゴン :04/04/03
14:10
- 88さん。確認したかったのは、そのことです。
つまり、階型論で同じクラスの中に、クラスを指し示す概念ははいらない
と言う事で、メタ・レベルと言う工夫をしたのがラッセルで、
同じ問題であるクレタ人のパラドックスを解決したが、
そのクラスを指し示す概念にも指し示すメタ・レベルが必要と言う事になる
と言う事です。このことから、無限にメタレベルが要請され、
結果として、絶対の基礎は無限後退的に、煙に巻かれるのでは
と言う疑問を持つのです。この結果として、論理は無意味な差異の体系
になり、それでも、そうではない、論理は正しいと言う態度が
分析哲学にはあるのではないかと言っているのです。
この点をポスト・構造主義は認めているのです。
そこからの出発なのです。
- 90 :THE グル :04/04/03
14:19
- いいですか、
あなたたちの言語の限界があなたたち自身の世界の限界なんです。
自分の言葉で話さなければ、意味がないんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
- 91 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[sage] :04/04/03 15:00
- 理論的な「系」が集合論的に語られるというのは、どうなのか知らん。
- 92 :哲学初心者 [sage]
:04/04/03 16:17
- 「系」ってなんでしょうか?
- 93 :パレルゴン :04/04/03
17:53
- 88さん。俺も、イギリスの哲学、アメリカの哲学が経験主義的である事
には納得している。確かに、論理実証主義にしても、反形而上学
であるし、何にもまして、科学主義的と誰かレスしていた。
同様に、ドゥルーズにしても、イギリス経験論からあるいは英米文学
から多くの物を得ている。形而上学批判には、英米からおおくのものを
貰ったんだろうと思う。
俺は、別に、分析哲学批判をしているわけではない。
ただ、交流なのよ。相乗的な交流を求めているだけ。
THE グル さん
貴方の言っている事に全面的に賛成。それはまさに
ウィトゲンシュタインですし、その通り「言語の外には世界はない。」
そう思います。しかし、科学主義には言語の外の世界があるので
探求しているような気もします。
- 94 :パレルゴン :04/04/03
17:56
- 89の中での、「クラス」は「メンバー」に変更した方がいいかも。
- 95 :THE グル :04/04/03
18:20
- >>93
いいですか、
>科学主義には言語の外の世界があるので 〜
そうですね、
ですから"あたらしい言葉(認識だったり、体系だったり)”を生み出そうとしているんです。
それが、即ち科学なんです。
我々が発見する前から「法則」は既に厳然としてありますし、
「現象」も起こり続けているんです。
それを理解する私たち自身の言語がないだけなんです。
つまり、科学とは、人間と自然の「現象」に互換性を持たせるための作業なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
- 96 :パレルゴン :04/04/03
18:51
- どうもしませんよ。
発見する前から「法則」があると言う証明はどのようにしましたか?
また、そのことは正しいとどうしていえましたか?
多分証明は無理でしょう。
法則は人間が作ったものです。それを人間が証明することは
先ほどから言っているように、メタ・レベルの問題を含んでいる
からです。分かりやすく言うと、自己言及性の自問自答になっちゃう
と言う事。分かりますか。
なにかありますか?
定説はありません。全て反証されるんですよ。
- 97 :THE グル :04/04/03
19:29
- >>96
いいですか、
グルの言った「法則」とは、
人間に発見される以前に既に存在しているものの事なんです。
>発見する前から「法則」があると言う証明はどのようにしましたか?
ということですが、
三角形の内角の和が180°になるとわかる前から、
それは「存在」していたんです。
しかし、それを理解する言語を持っていなかったに過ぎないんでして、
発見しようがしまいが、最初からそこにあるからということなんです。
つまり、人間の世界の限界は、人間以外の世界の限界とイコールではないんです。
さて、
定説ですが反証可能な定説などグルは持ち合わせていないんです。
定説とはイコール病気。
定説とはイコールTHE グル。
これが定説です。
どうかしましたか?
- 98 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[age] :04/04/03 19:46
- >>92
良い質問かも。
系、と、集合が違うのは、集合はそれを構成する要素の帰属先で
あるが、それ自体としては場を形成しているわけではない、とい
う点かな? 系はそれ自体として場であるけれど。
- 99 :パレルゴン :04/04/03
20:20
- いいですか。三角形の直角の和が180°であることは
人間が表現した時に現われたものです。
それは人間が考えた創作にすぎません。
いいですか、分かりやすい例で示しましょう。貴方の論理ならば、
ここに3本の木があるとします。人間全員が死滅しても、貴方は
そこに3本の木はある。永遠に枯れない限りあると言うでしょう。
しかし、そうではありません。
何故か、それは人間が3と言う数量測定の為に考えた言語だからです。
3も木もすべて人間が分節した自然だからです。
その表現は人間が必要だから考え出した物であり、客観的な自然がそれ自身として
持ち合わせている尺度ではないのです。
同様に数式も該当するのです。便宜的に創った尺度です。
このことをウィトゲンシュッタインは知っているのです。
だから「世界は自分の語る言語以外にない。」と言えたのです。
分かりましたか。
- 100 :パレルゴン :04/04/03
20:38
- 言語で語った事以外に世界はないと言う意味は
それ以外のことは何もないと言う事であり、逆に、語って初めて世界となり、
真理となるのです。ですから、真理は知られる以前にあるとは言えないのです。
それでも、そうだと言うのならば、貴方はデカルトかプラトンを正しいと
信じている、古い思想に傾注しているのでしょう。
今はそんな人はいませんよ。彼らの考えをは既に論破されていると思います。
現象学は外は現象に映し出されたものと考えている。
- 101 :パレルゴン :04/04/03
20:43
- 存在論は現存在に開かれる意味の世界として捉えている。
また、構造主義は構造の布置によって、意味は現われると考えます。
分析哲学にしても、言語の無矛盾の体系をもって、真理を論理的に整合化
しようとしているのです。つまり、アプリオリな何かを通してしか
真理は見出せないのです。これが、現代の哲学です。
定説なんかないのです。
- 102 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[age] :04/04/03 20:46
- http://ime.nu/hp.vector.co.jp/authors/VA011700/math/part1.htm
§ 1−0
中学校や高校で教わる「集合論」は、世間一般では、正しい理論だと思わ
れている。しかしながらそれは、厳密に言えば、間違った理論である。つま
り、厳密な数学的観点から見ると正しい理論ではないし、また、将来の大学
で学ぶ数学の基礎となるわけでもない。
にもかかわらず、中学校や高校では、集合論を教える。なぜか? 教師が
愚かであるからではない。そこには現代数学の、根本的な困難がひそんでい
るのである。すなわち、問題点があるとわかっていながら、なおかつそのよ
うな理論を教えざるをえないのである。
本論では、それらの問題点を指摘し、さらに、それらの問題点を解決する
方法を提出する。
- 103 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
[age] :04/04/03 20:48
- § 1−1
集合論を教える際、次のように言われる。「集合論は数学の基礎である」
「現代数学は集合論の上に成り立つ」などと。
ところで、集合論には、二種類あるのだ。一つは、人々が中学や高校で
学ぶもので、「素朴集合論」と呼ばれる。もう一つは、専門家が厳密な数式
によって取り扱うもので、「公理的集合論」と呼ばれる。
この両者について、説明しよう。
素朴集合論とは、要するに、中学や高校で学ぶ集合論のことだ。たとえば、
次のような式で表される。
a∈{ x|xは偶数 }
(注。念のために言うと、この式が意味するのは、「 a は偶数全体の
集合の要素である」ということである。)
一方、公的理集合論とは、数学の専門家の使う集合論のことだ。それは
公理系の上に成り立つ数学理論である。ユークリッド幾何学がその公理系
の上に成り立つのと同様に、公理的集合論はその公理系の上に成り立つ。
公理的集合論の公理は、複雑な数式で表される。
では、この二つの集合論は、どういう関係にあるのか?
- 104 :ポール :04/04/03
20:56
- >>99
>いいですか、分かりやすい例で示しましょう。貴方の論理ならば、
>ここに3本の木があるとします。人間全員が死滅しても、貴方は
>そこに3本の木はある。永遠に枯れない限りあると言うでしょう。
>しかし、そうではありません。
僕には、「言語」と「その語が指示する対象物」をすり替えているように思えます。
たしかに「3本の木」という語彙は人間が死滅すれば消滅するでしょう。
しかし、「3本の木」という語で指示する対象は、人間の存在にかかわらず存在します。
言語はあくまで客観的な対象物のを指示する記号であり、対象物それ自身ではありません。
たとえ記号が消滅しても世界は残ると思います。
- 105 :考える名無しさん :04/04/03
21:03
- 世界が残るのは当たり前
- 106 :ポール :04/04/03
21:05
- 別の言い方をすれば、「3本の木」のSinnは消滅しますが、Bedeutungは残ります。
- 107 :考える名無しさん :04/04/03
21:06
- くだらねえ
- 108 :考える名無しさん :04/04/03
21:10
- 人間がいなくなったら人間にとっての世界がなくなるだけの話だろ。
犬にとっての世界や猫にとっての世界は続く。
- 109 :パレルゴン :04/04/03
21:15
- 木という概念と3と言う概念の質的差はないと考えられませんか。
ある言語での「犬」という言葉と、別の国の言語の「犬」の分節は
異なっている可能性があると考えませんか?大国の言語間ではかなり
その差異は小さいでしょうが、未開地の言語では、日本語の「犬」と「猫」
を分節していない場合もあるでしょう。
このように全ての世界は言語の分節により成り立っているのです。
そうすれば、言語がなくなった場合の「木」と言う言語は、指示対象を喪失
し、「木」自体はなくなるのです。
- 110 :考える名無しさん :04/04/03
21:18
- 丸山はつまんね
- 111 :パレルゴン :04/04/03
21:23
- 「指示対象は、指示する言語をもって現われる。よって、言語の消滅によって
指示対象も消滅する。」パレルゴン
- 112 :考える名無しさん :04/04/03
21:25
- 当たり前田
- 113 :パレルゴン :04/04/03
21:27
- 私が述べた意見は私が信じているものではありません。
私は寧ろ、意味とは身体的に現われるものであり、論理的・言語学的
客観的なものだとは思いませんが。
- 114 :考える名無しさん :04/04/03
21:28
- > そうすれば、言語がなくなった場合の「木」と言う言語は、指示対象を喪失
>
し、「木」自体はなくなるのです。
「言語がなくなった場合の『木』という言語」って何だ?(笑)
それはともかくとして、言語がなくなったって木はなくならないと言う
べきだな。なぜなら、われわれは人類が発生し、言語を話し始める時代
よりもずっと以前に存在していた木についても語っているんだから。
- 115 :考える名無しさん :04/04/03
21:31
- 意味とは存在の一義性ですよ。
きっと。
- 116 :ポール :04/04/03
21:32
- >>109
>このように全ての世界は言語の分節により成り立っているのです。
その通りだと思います。
ただ、僕が違和感を感じるのは、
>言語がなくなった場合の「木」と言う言語は、指示対象を喪失し、
ここまではいいのですが、(「木」という語がないのだから、当然その指示対象もあるはずがない)
>「木」自体はなくなるのです。
この表現に違和感を感じるのです。
「「木」自体」とは、「「木」という語が指示する客観物としての木」と受け取るのが普通です。
パレルゴンさんの意図では、「木という語のSinnは人間(言語)に依存する」といったほうが正確だと思います。
脳に障害を負って言語を話せない人にも、通常木と呼ばれる「物」は存在します。
言語とそれが指示する対象物をはっきりと区別して述べておかないと、形而上学的問題が生じる原因だと思います。
- 117 :考える名無しさん :04/04/03
21:33
- 存在の一義性ってもっとめくるめくようなもんじゃないの?
- 118 :考える名無しさん :04/04/03
21:59
- 言語がなくなると木はなくなる? なんつうか、バークリーの主観的観
念論が、言語論的展開を経るとこうなる、みたいな議論だな。たとえ話
が<言語が存在しない世界>についてであろうと、その世界やその世界
の中の存在について語ろうとするとき、われわれはわれわれの言語で語
るしかない、ということが分かっているか?
- 119 :考える名無しさん :04/04/03
22:10
- しかし、前の方でパレルゴン氏が分析哲学について語っていることも、
分かるところがある。ある種の分析哲学の研究では、非常に人工的な条
件が最初に仮定されていて、そうした仮定に基づいて話が進行していく
場合がある。肯定的にみれば、それは力学で理想的な質点からなる世界
を考えるのと同じようなものと考えることもできるが、しかし、その仮
定があまりにも現実離れしたものだと、そうした仮定の上で何かが証明
されたとしても、それは特殊な数学の公理系の中での証明と同じような
もので、われわれがそこで生活しているこの現実の世界については、何
も語っていない、ということにもなりかねない。
- 120 :118 :04/04/03 22:17
- 言い換えると、「言語が存在しなければ木は存在しない」というのは、
「アメリカには木は存在しない。あるのはTreeだけだ」というよう
なもの。
- 121 :考える名無しさん [age]
:04/04/03 22:32
- 言語によって世界を切り取っている。
言語がなければ「世界」は存在しない。
あるのは感覚への反応のみ。
- 122 :哲学初心者 [sage]
:04/04/03 22:44
- ポールさんの言ってるのは、言語とその語の対象物を
分けて考えないと、形而上学(単にあいまいなだけで、
フレームの定まっていない議論)に陥るっていうことですかね。
「木」という語がなくても木の実在は変わらない。またそれに加えて、
「机」という語を知らない不勉強な子供でも、積み木のような
物体を知覚でるし、「台」と呼ぶことで会話を成立させることがきる。
語・指示能力・対象物
と三つに分けた方がすっきりしませんかね?
上の例で言えば、不勉強な子供が「台」と言うときはその語が
他の子供が「机」と言うときにもつ指示能力をもっている。
大昔にラッセルの入門書かなんかに書いてあった話を
思い出しました。
>>98
場とはなんですか?
- 123 :パレルゴン :04/04/03
23:01
- もっと正確に説明してみよう。
我々人間が外界の物質を確認する場合、最初は感覚(五感)から
外界のデータが入ってくるよね。この五感のセンス・データは
そのまま無垢の自然だと言いうるか?
それは、人間の感覚器官に依存している事は分かるよね。
つまり、外的世界は人間のアプリオリな器官(恣意的器官)に依存している
事は明白なわけだよ。この器官によって我々の外的物質の認識には
限界がある事は分かるよね。
例えば他の動物には全く違う器官が備わっており、その器官に依存して
で、世界は見えている。
- 124 :考える名無しさん :04/04/03
23:04
- 色覚障害で赤と緑が区別できないということがある。この時、
赤と緑という言葉の意味は大きく損なわれている。
五感による区別が言語以前にあってこそ意味が充実した内容を
持ちうる。
- 125 :パレルゴン :04/04/03
23:06
- 次に、人間の器官に現われるセンス・データは(勿論外的な客観世界ではない)
既存の言語体系に位置付けられ、処理され、外的世界と認定される。
この認定作業は、時代の言説ネットワーク(力関係)においてなされる
んだ。つまり、二度にわたって、客観的な外的な世界と言われるものは
捏造される。そして、大多数の信憑性をもって、世界は構築される。
- 126 :ポール :04/04/03
23:07
- >>122
僕達が「木は存在しない」という文を用いる時、「木」をどう解釈するかで意味が変わってきます。
一つは、「”「木」という語がもつ意味”が存在しない」という時です。
この場合、日本語「木」が存在しない時代、地域には、「木(という語の意味)は存在しない」は正しい文となります。
もう一つは、「”「木」という語が指示する対象物”が存在しない」という時です。
これは実在物としての木が存在している限り、この文は誤りとなります。
このように同じ「木は存在しない」という文でも、全く異なった結果が生まれます。
>>99は、「(語の意味としての)木が存在しない」という文と、「(指示対象としての)木は存在しない」
という一見同じ形の文を混同したゆえに、「木自体(という実在物)は存在しない」という
形而上学的命題が生まれたのだと思います。