深町 研太 
(チェンバロ、フォルテピアノ製作家)
ふかまち  けんた

 1976年、福岡県出身。

  チェンバロの存在は小さいころから何となく知っていたが、
いくらかでも興味を引かれたのは高校生のころ。
アンサンブルの中からやっと聴こえてくるくらいの音でありながら
確かな存在感を持つその楽器に、鰻に山椒が必要なのと同じ理由で、
バロックにはチェンバロが必要なのだろう、などと思っていた。

  大学生のころ図書館で読んでいた音楽雑誌に、
久保田チェンバロ工房の写真つき広告が出ており、
その姿の点においてもチェンバロに興味を持つ。
と言うよりまず、日本に手造りチェンバロを造っている粋狂な人がいることに驚いた。
その後ひょんなことからT社の国産スピネットを3万円で入手したことで
チェンバロへの思いが増大(これは海で遭難した人が飲み水を海水に求めると、
さらに喉が渇く様を想像して頂ければ分かりやすい)。

  この辺りで転機が訪れた。

 大学四年生当時、有効求人倍率は最低を記録し、
卒業までに希望の職を得ることは無いだろうと悟るも、
ある時それならばと、チェンバロ造りになることを思いつき
夏休みに久保田チェンバロ工房を訪ねる。
これはまさに思い付きであったが、就職活動の惨敗に比し、
こちらはトントン拍子で事が運び、
最初は話を聞くだけの約束であったがそのまま弟子入りすることになる。
周囲の人たちはあまりの思い付きぶりに呆れ、かつ同情的であったが、
本人はその段階ですでに独立して工房を持つことまで考えていたのだからおめでたい。

  2000年久保田チェンバロ工房に「就職」する。
(最近知ったのだが、久保田チェンバロに弟子入りと言う概念は無く、あれは就職だったそうである。)

  その後2002年に独立。売れずともチェンバロは作り続けたため、
数年で手元に一揃いのチェンバロを抱え、とりあえず造るべきチェンバロが見当たらないので、
かねてより念願だったピアノ造りを思い立つ。
日本初のジルバーマンモデルのフォルテピアノを製作したことがきっかけで、
武久源造氏から多くのアドヴァイスをうけ、
現在はそこから次の楽器を画策中である。