武久 源造 (鍵盤楽器奏者 やや作曲家)

たけひさ げんぞう

 1957年、7月27日、愛媛県は松山市に生まれる。
1歳で失明。これについては、なぜか本人は それほど障害とは思っていない。
父は盲学校の音楽教師、母も歌うのが何より好きという家庭だった。
ごく自然に、ピアノやら歌やら、その他いろいろやりだしたらしく、
いったいいつ音楽を始めたのか はっきりしない。
その後、少年時代からチェンバロその他の古楽器に異常な興味を持ち、
勝手に研究を始める。

  1984年、東京藝術大学大学院音楽研究科修了。
と言えば、格好は良いけれど、このとき父は 既に死去しており、
家庭は窮迫の極み(!)、
勉学も続けたかったがやむなく自活の道へ。
チェンバロ、オルガンを弾き、教えて、何とか生活する一方、
大学時代に引き続いて、16〜18世紀の作曲法、
演奏法の研究を、あくまで自分のペースで進める。

  コンサートは、半ば意図的に、半ば偶発的に、 ユニークな企画を打ち出すことが多く、
日本全国、時に海外へも出かける。
その演奏のいくつかは聴いた人の心を揺さぶったようである(ただし、散々な 失敗も多数)。

  楽器製作にも大いに興味を持つ。
自分自身、趣味として工作、日曜大工を好む。
機会を見ては、 各国の博物館を訪れ、貴重な古楽器を触りまくっては顰蹙を買う。
しかしこのような中で、製作家の知己友人が増え、彼らから多くを学ぶ。

  1986年頃から作曲や編曲を始め、
オルガンで、ムソルグスキーの「展覧会の絵」や、
バルトークの「ルーマニア民族舞曲」などを弾き、
音楽界の話題に・・・ならなかった(音楽界の話題にすべく、現在も なお鋭意模索中)。
オリジナル作品としては、聖書に基づく一連の合唱作品が ドイツで瞬間的に注目を浴び、
リコーダー曲、ヴァイオリン曲、および多数の歌曲は、「知る人ぞ知る」というところか。

  1991年、最初のソロCD「シフォーチの別れ 」をリリース。
これが本人の予想を大きく上回って売れる (現在、1万枚以上)。
これに気を良くして、以後、30枚近くのCDを製作、またはプロデュース。
これが 悉く馬鹿売れ!・・・・とはなかなかいきません(関係者の皆様、ごめんなさい!)。
しかし、これらのうち、8枚が、「レコード芸術」誌の特選盤に選ばれ、全く望外の極み。

  1991年、チェンバロ製作家コンテスト(アトランタ)、
1997年および2001年、古楽コンクール(山梨)、
その他いくつかのコンクールで審査員を務める
(が、現在ますますコンクール嫌いになりつつあり)。

2000年、古楽とモダンを統合する「新しい」コンセプトによって、
スーパー・アンサンブル?「コンヴェル スム・ムジクム」を発起。
本人は眩暈を覚えつつも、大胆不敵なコンサート、およびCDを続々発表。
メンバーと共に、東京、高松、尾道、そしてソウルで好演!
実に全く、恐れを知らぬ所業である。

  フェリス女学院大学器楽科では、オルガンを教えているが、
己はいつもオルガンの弾き方では なく、
音楽について語り、しかもその話が、遠大、高尚、時に曖昧に、
しばしば雲をつかむようなことになるので、
生徒を大いに困惑させている。


武久源造さんのブログ
「新しい人は新しい音楽をする」
http://genzoh-here.jugem.jp/