土曜の午後の音楽会

トランペットとチェンバロとソプラノによる教会の響き



織田 準一 (トランペット)   武久 源造 (チェンバロ)   稲富 祐香子 (ソプラノ)

1992年10月31日(土)14:30開演

桜町カトリック教会御聖堂
(高松市桜町 1-8-9)


プログラム

トランペット独奏

クラーク : トランペット・ヴォランタリー
ヴィヴィアーニ : ソナタ 第2番

ソプラノ独唱

モーツァルトの歌曲より
安らぎが微笑みをたたえて   Ridente la calma
おいでチターよ   Komm, liebe Zither
魔法使い      Der Zauberer
春への憧れ  Sehnsucht nach dem Frühling
満足     Die Zufriedenheit
夕べの想い  Abendempfindung

チェンバロ独奏

クーナウ : 聖書ソナタ 第4番(ヒゼキヤの病と快復)
Muskalische Vorstellung einiger biblischer Historien


---- 休 憩 ----


チェンバロ独奏

ヘンデル : 調子のよい鍛冶屋
バッハ : イタリア協奏曲

トランペット独奏

グノー : アヴェ・マリア
ヘンデル : オンブラ・マイ・フ
織田英子 :  ロマンス
ヴィヴィアーニ : ソナタ 第1番


クーナウ〜ヘンデル〜バッハ

このタイトルはもちろん、ダグラス・ホフスタッターの著作「ゲーデル〜エッシャー〜バッハ」とは直接何の関係もありません。

クーナウは「聖書ソナタ」の作曲者、ヘンデルはイギリスで活躍したオペラ、オラトリオの大家、バッハはバロックを代表する作曲家というように、一見するとこの3人、ドイツ出身の作曲家という以外につながりがないように思えるのですが、叩けば埃が出る関係....じゃなかった、探れば何か出て来るのではないか、というお話です。

では、まずクーナウとバッハの関係からまいりましょう。クーナウはバッハが務めた、ライプツィヒ聖トーマス教会の楽長の前任者であることは、比較的知られているところです。 ただ、この楽長(カントル)職の人事、クーナウの死後、当初テレマンに決まりかけていたのですが、断られます。 その後、二転三転した挙げ句、ようやくバッハがカントル職を引き継ぎました。当時引く手あまただったテレマンにしてみれば、このカントル職あまり魅力的ではなかったようです。

さて、このヨハン・クーナウという人物、トーマス教会のカントル、兼オルガニストだったのですが、若い頃、大学では法律や哲学なども学び、更に当時の音楽のイタリア趣味を風刺した、小説「いかさま音楽師」を出版するなど、なかなか多才な人物だったようです。 標題音楽の「聖書ソナタ」でも、そのユーモアのセンスが感じられるのではないかと思います。

次にヘンデルとクーナウの関係です。もちろんヘンデルとクーナウは直接面識はなかったのですが、若い頃、まだハレにいたヘンデルは、当時の良友テレマンと共に例のクーナウの小説に接していたものと思われます。 後にイギリスに渡ったヘンデルは、オラトリオ「サウル」に、クーナウの鍵盤音楽から旋律を転用して使っています。 当時の作曲活動の自由奔放さが伺い知れるエピソードではあります。 尚、ヘンデルの親友(悪友?)で作曲家のヨハン・マッテゾンの手記には、若い頃のヘンデルは鍵盤の即興演奏ではクーナウを凌いでいた、と評されています。

さて、以外に知られていないのが、バッハとヘンデルの関係。 バッハがトーマス教会のカントルになる以前、ハレでヘンデルに会い損なって、生涯会うことのなかった二人でしたが、少なくとも音楽の上での交流はあったようです。 バッハはヘンデルの初期のオペラや受難曲の楽譜を入手して研究していたようですし、教会カンタ ータなどにも少なからずヘンデルの旋律が聴こえてきます。 逆にヘンデルの鍵盤作品の中には、バッハの「平均律」のエコーなども聴きとることが出来るといった具合です。 ただ、このふたり、バッハがヘンデルに寄せる思いの方がやや強かったよ うです(笑)。

では、この少々つながりの見えてきた三者三様の作曲家が、鍵盤音楽という側面でどのような個性を発揮していたのでしょうか。 聴き比べてみるのも楽しみです。

半明 且己    


プロフィール

織田準一 (トランペット)

1952年香川県高松市で生まれる。 1977年東京芸術大学音楽学部卒業。その間北村源三、椿弘の各氏に師事。 東京芸大入学と同時に上野の森ブラス・アンサンブルを結成し、現在に至る。上野の森ブラスでは国内のコンサートはもとより、1990年にはインド、アラビア諸国を、また今年の1月にはフランス、アフリカ諸国を演奏旅行する他、テレビやFM放送出演も数多く、現在もNHK衛星放送「ザ・マーチング」にレギュラー出演するなど、精力的な活動をしている。 またバロックトランペット奏者としての活動も多く、バッハ・コレギウム・ジャパンなど、多くの合奏団と共演している。 1985〜86年にはヘンデルのメサイア、バッハのロ短調ミサ曲のソロトランペット奏者としてヨーロッパ各地で公演し、1989年にはガーディナー指揮のイギリス・バロック管弦楽団の日本公演にも参加した。 また今年の5月にはペーター・シュライヤー指揮のベルリン国立歌劇場室内オーケストラの日本公演に、ソプラノのエレーナ・ブリリョーワと共にソリストとして招かれ、日本各地で公演し好評を博した。


武久 源造 (チェンバロ)

1957年愛媛県松山市で生まれる。 1歳の時、病気で失明。チェンバロを小林道夫氏、鍋島元子氏に師事。 オルガンを秋元道雄氏、月岡正暁氏に師事。1980年東京芸術大学音楽学部楽理科卒業後、同大学院へ進み、服部幸三氏の下で16〜17世紀の西洋音楽における音楽修辞学について研究。 1982〜83年西ドイツ各都市で催された《北ドイツ・オルガンアカデミー》に参加、中世・ルネサンス・バロックの歴史的オルガンの銘器に触れる。 またハラルド・フォーゲル氏より歴史的指使い・調律法・音楽修辞学に関する重要な指針を得る。 1984年より各地で演奏活動を始め、1985年秋には、東京ハインリヒ・シュッツ合唱団と共に東西ドイツ13都市で公演、ブクステフーデのオルガンソロに見せたユニークな解釈に各紙の称賛を集める。 また1991年1月、アメリカのアトランタで開かれた《国際チェンバロ製作家コンテスト》では、審査員の一人として招かれ、彼の見識に対する信頼が高まりつつある。


稲富 祐香子 (ソプラノ)

東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。 1977年オーストリア給費奨学生として、国立ウィーン高等音楽院留学。 東京、高松、徳島などにおいて、ヘンデルやバッハの宗教曲、ドイツ歌曲、室内アンサンブルなどの演奏会や、歌劇「魔笛」「耳なし芳一」などに出演。 竹内肇、中村義春、毛利準、E.ドッティル各氏に師事。徳島文理大学音楽学部専任講師。