通学路。

毎日地下鉄を乗りついで学校へ向かう。
中学高校一貫であるこいちの通学路は、6年間ずっと同じはずだった。
千代田線で25分。小田急線で20分。計45分。痴漢もいるし、空気も悪い。
別に死ぬほどイヤではないけど楽しくもない。
中学3年間、登下校の間、電車の中ではウォークマンとマンガが必需品だった。

ぴーたーは空が好きである。ぴーたーは風が好きである。
って、みんな好きか。

ある日こいちは通学路にどうにかして、風を入れたくて、学校までチャリで行ってみることにした。
その頃ぴーたーみかも、うまいことチャリ共用通学に切り替えていたのだ。

家を朝の4時に出る。
ミニマップっていう東京23区の地図を見ながら末期的方向音痴のこいちの冒険がはじまった。

家から学校までを直線に結んで行こうとしたのが間違いだった。世田谷区に出るまでが死ぬほどウザい。

新宿、渋谷を通り抜けるのはいいけど、赤坂あたりには、朝帰りのおねーちゃんや、サラリーマンの人たちがいっぱいいた。
妙な立体交差もある。制服で地図片手にはぁはぁ言ってるこいちは結構あやしかった。

そう!その時がまさに、ぴーたーのオプションとも言える人々の白い目を完璧に堪能した初めての時だった!

今までの知人や教師、友人などの
ばっかでぇーとは違い、
ほんとに関係ない赤の他人たちの白い目。
あやしんでる?
「あ、今見てないふりして、めっちゃこっち見てた!」

白い目に興奮した中学生のこいち。
よき朝でした。

結局、迷いまくって4時間もかかって8時過ぎに学校に着いたが、
いくら風が入ってもこれでは登下校としては時間がかかり過ぎる。
早く気付けと心で叫んだ。

こいちは考えた。
「中継地点を作ろう!」
 が、こいちの家のまわりは駅が多く、どうあがいてもチャリは必要ない。
どう乗換えを変えても必要ない。

考えたあげく通学にはおよそ必要ない案が出てきた。

「遠回りしてみるか。」

千代田線に10分、日比谷線に20分、東横線に10分、学芸大学前駅にチャリをスタンバイ、そこから学校まで30分。
ただのバカである。
「なんだ、ぴーたーってのはバカのことか。」
なんて思わないでほしい。
 意義があるのです。そこには大きな意義があるのです。

 ぴーたーみかと共に、(ぴーたーみかも学大経由チャリ隊なのだ!)朝のチャリ通学は気持ちいい。

部活後のチャリ帰宅も気持ちいい。
駒沢公園で日なたぼっこも気持ちいい。
環七を車になった気分で車道の真ん中を走るのも気持ちいい。
(でも免許を取った今、いくらぴーたーでももう怖くてできない。)
ぴーたーみかと学大前のビッグカレー(まだあるかな?)に挑戦するのも気持ちいい。
柴田○兵の家の前を
「○兵」コールで走り抜けるのも気持ちいい。
二人で「あ○ない刑事」ごっこを披露するのも気持ちいい。
ついでに学大付属高に通ってるひとつ年上のたっちゃんにほんのり
恋心も抱いていた。
完璧である。

 そう、青春時代であります。それがぴーたーであります。
ぴーたーとはつまり
「永遠に15歳」ということに似ている。
感動に貪欲。好奇心が原動力。
そこにぴーたーオプションを感じれるこころが加わると、ぴーたーになれるのである。

話はそれたが、こうしてこいちも、異例のチャリ族としてデビューしたわけである。
こいち15歳の春。

 今は亡き赤と黒のジャイアントのマウンテンバイク。
こいち1号の誕生の日でもあったのだ。