Blues Albums



マディ・ウォーターズ/AT NEWPORT

シカゴブルースの父と呼ばれ、エレクトリックギターでのボトルネック奏法を確立したマディ・ウォーターズは、1947年ポーランドの移民、LeonardとPhilのChess兄弟が創設したシカゴのR&Bのレコード会社、チェスレコードの看板ミュージシャンとして活躍しました。それまでの、ディープなブルースを商業的に成功させた功労者といえる彼はブルースだけでなくロックミュージシャンにも多大な影響を与えた事でも有名です。60年代のイギリスのロックバンドはブルースをカバーするようになり、ロック・シーンからもブレイクしました。ローリング・ストーンズの彼への傾倒ぶりはあまりにも有名です。契約のためにシカゴのチェス本社を訪れたストーンズのメンバーは、あのマディーがチェス本社の内壁にペンキを塗っている姿を見て驚いたそうだが、その当時、ブルースの本場アメリカでは、ブルースはすでに過去の音楽になっていたのも事実でした。

このアルバムはギターに名手パット・ヘアー、ハープはジェームス・コットンが参加。もちろんピアノはオーティス・スパンといった充実したマディ・バンドの1960年の有名なライブ盤です。
Hoochie Coochi Man、I've Got My Mojo Workingなど、彼の代表作の多くが収録されており、音楽性、録音状態…というよりブルースの大きな一つの足跡として、またフレーズのあちこちに新しいスタイルを織り込み、エレクトリックブルースの先駆者としてのマディ・ウォーターズを堪能できるアルバムだと思います。


サニー・ボーイ・ウイリアムソンU/down AND out BLUES

最高のブルースハーピストと称されるのがサニー・ボーイ・ウィリアムソンU。なんでUなのかと言うと、サニーボーイウィリアムソンという名前のブルースマンが二人居て、しかも、両方ともハープ奏者であるからややこしいですね。Tをジョン・リー、Uをライス・ミラーと呼ぶこともあります。
ミシシッピ州グレンドーラに生まれ、独学でハーモニカを習得します。30年代以降、南部でロバートジョンソン、ハウリンウルフ、エルモアジェームス、サニーランドスリムなど多くのブルースマンと演奏を行い、51年、52歳のときトランペットレーベルで初録音を残します。チェス・レコードから55年に発表された「ドント・スタート・ミー・トゥ・トーキン」は、R&Bチャートで好ヒットを記録し。その後、イギリスの魅力にとりつかれ、ヤードバーズやアニマルズと共演。後期に録音された「アイム・トライング・トゥ・メイク・ロンドン・マイ・ホーム」では、ジミー・ペイジによるギターとの共演を聞くことができます。また、アーカンソー州ヘレナのラジオ局KFFAの「キングビスケットタイム」という15分の人気番組のDJをつとめて、人気を博していました。
このアルバムは59年、チェスレコードからリリースされた、彼の最高傑作といっても過言ではないでしょう。ギターにマディ・ウォーターズ、ジミー・ロジャース、ベースにウィリー・ディクソン、ピアノにオーティス・スパンを迎え、当時のシカゴブルースシーンで考えられる最高のバンドを従えたレコーディングでした。ヴォーカルもさる事ながら、ハープのカッコイイ事。それは肉声に近く、鋭く突き刺さってくる感じです。もちろん、バックがしっかりしてるからでしょうが…シカゴブルースの真骨頂を余すことなく堪能できるT枚です。
ちなみに、ジャケットに写ってるオヤジは彼じゃありません…

ロバート・ジョンソン/THE COMPLETE RECORDING

キング・オブ・デルタ・ブルースと呼ばれるロバート・ジョンソン。アコースティック・ギター一本でブルースを弾き語りして、大陸中を渡り歩き、当時の聴衆はそのギター・テクニックが巧みなのに驚き、「十字路で悪魔に魂を売り渡して引き換えにテクニックを身につけた」という有名な「クロスロード伝説」という噂話を作って広めたのは有名ですね。 夫のいる女性に手を出したため、26歳の時に毒殺されたとされています。(直接の死因は肺炎だったらしい)彼が遺したものは三枚の写真とテイク違いを含む41曲(このアルバム)だけです。
彼には、家もなく、妻もなく、子もありませんでした。彼は母親の不倫によって産まれた子であったため、父親のことを何も知りませんでした。彼は失うものなど最初からなく、ジューク・ジョイントと呼ばれる安酒場で歌いながら、旅を続け、街一番のブスを見つけては、彼女の家に居候、酒場では、誰彼かまわず女に手を出し、ついには、その女の旦那や彼氏ともめ事を起こし、ついには街を逃げ出し、また次の旅へと出発する。その繰り返しが彼の人生でした。
彼の女好き、酒好きは有名ですが、彼ほど内気なブルース・マンもいなかったとも言われています。実際、レコーディングの際、彼は録音技術者の顔を見るのが恥ずかしく壁に向かって吹き込みを行ったといいます。あらゆるポピュラー音楽は、アメリカの黒人音楽の影響を受けているといわれており、そのルーツこそ、彼が全米に広めたデルタ・ブルースにあると思います。ロバート・ジョンソンは、このデルタ・ブルースをシカゴやニューヨークなどの大都会へ、旅をしながら運んだだけでなく、レコードを吹き込むことによっても、全米各地にブルースを広める役目を果たしたと言えるでしょう。
その偉大な彼が残したすべてがTHE COMPLETE RECORDINGです。ロック・R&B・ソウル…多大な影響を与えた彼の肉声です。これだけで充分だと思います。
Amazon.comでの永田 清氏のレビューを引用すると「これを持っていないブルース・ファンは、聖書を持たないキリスト教信者と言えるような決定的な名盤だ。あのエリック・クラプトン、ローリング・ストーンズのメンバーの推薦がなくても今では、しっかり売れるアルバムだろう。ディスク1の<1>から始まるウォーキン・ベースに裏打ちされたジョンスンの世界は、ブルース音楽の入り口としても最適だろう。」
じわじわと、心に、体に沁みてくる1 枚だと思います。


ライトニン・ホプキンス/MOJO HAND

ライトニン・ホプキンスはテキサス出身のカントリー・ブルースの大御所。1912年、テキサス州センターヴィルで生まれ。1940年代半ば、アラジン・レコードと契約し、初のシングル「Katie MaeBlues」をリリースし大ヒットを記録します。ホプキンスはレーベルには薄情でアラジンからすぐにゴールド・スターに移籍。1950年代初頭、シッティン・イン・ウィズ・レーベルからリリースした「Coffee Bluse」「Give Me Central 209 (Hello Central)」がR&Bチャートにランク・イン。50年代後半フォーク・ウェイから名作『The Root Of Lightnin' Hopkins』をリリース。
1962年『ダウン・ビート誌』のニュー・スター賞、男性ヴォーカリスト賞を獲得。ファイア・レコードで不朽の名作「Mojo Hand」をレコーディング。60年代から70年代あらゆるブルース・フェスティバルに出演していた。1982年1月30日、がんのためヒューストンで死去、享年69歳でした。
「Mojo Hand」は彼を、いや、アコースティックブルースの不朽の名盤として位置づけられると思います。エレクトリックサウンドを擁する洗練されたシカゴ・ブルースとは明らかに一線を画した作品です。トレードマークの帽子とサングラスに、くわえ煙草で不敵な笑みをたたえる姿から、期待通り?のドスの利いた迫力満点の歌声と、ぶっ壊れるんじゃないかなって心配になるくらいの強烈なギターワーク…。いつ聴いても、何を聴いてもすぐにライトニンだとわかります。このワンパターンがすごく心地よいのです。
ちなみにこのジャケットも強烈です。ブルースでは「MOJO」って単語がよく出てきます。ヴードゥーのお守りの一種でモジョはモージョと発音されることもあります。モジョ・ハンドの使用方法は、まず聖書の上に置き、その四方に火・風・地・水を象徴する物を置き・・などとなかなか複雑で、願いが成就した場合は、モジョ・ハンドを秘密裏に埋めなければならないとされる。日本で言えば藁人形に五寸釘…


バディ・ガイ/I Was Walking Through The Woods

70歳にして現役バリバリのバディ・ガイはルイジアナ州レッツワースで生まれ、ギターを弾き始めたのが17歳頃という少々遅いような気もします。1957年にトレーラーの運転手の職を捨て、ミュージシャンとしてシカゴを目指します。しかし50年代のシカゴといえば、ブルースギタリストがそれこそ雨後の筍のように現れていた時代。決して器用なタイプではなかったバディは厳しい現実に直面します。夢を諦めてルイジアナに帰ろうかと思案していたバディの目の前に現れたのが、シカゴの首領、マディ・ウォーターズでした。サラミサンドイッチを奢ってもらった上に、マディバンドのギタリストとして雇ってもらうこととなったのです。翌年、マジック・サムの紹介で「コブラ・レコード」で初レコーディングをします。パワフルな歌声と、驚異的なテクニックを誇ったバディでしたが、80年代まで鳴かず飛ばずの繰り返しでした。80年代も終わりに近づいた頃になり、エリック・クラプトンやスティーヴィー・レイ・ヴォーンらが口を揃えて賞賛したことにより、やっと日の目を見ます。かのジミ・ヘンドリックスが彼の熱狂的なファンであったことは有名です。

チェスレコードから出されたアイ・ウォズ・ウォーキン・スルー・ザ・ウッズは、1960〜64年の録音を収録したモダン・ブルース名演集。スリリングでパワフルなバディ・ガイのギターを聴くと、彼がロック・ミュージシャンに与えた影響の大きさが窺える。2005年の3月、ロックの殿堂入りを果たしたのも納得です。とにかく、カッコいいのです。フレーズ、サビ、パワフルなヴォーカル、全てが。70歳にしてギンギンでハデハデ、ロック好きな人には違和感、感じないと思います。


KEB'MO'/Martin Scorsese Presents The BLUES

ロバート・ジョンソンの魂を、今に蘇らせるブルース・マン、デルタからシティ・ブルースまでを網羅する現代ブルースの第一人者と言われるケヴ・モ。もともとは、80年代に、本名のケヴィン・ムーア名義でブラック・コンテンポラリー系シンガーとして活動していたが、94年にブルースの老舗レーベル<Okeh>より、ブルース・シンガー兼ギタリストとして再デビュー。カントリー・ブルース・スタイルのギター・プレイを得意とし、アルバム毎にロバート・ジョンソンのカヴァーを披露して高い評価を得ています。
このアルバムはマーティン・スコセッシ監督(ロバート・デニーロが主演したタクシードライバーでカンヌ映画祭グランプリを受賞)が音頭を取ったブルースを題材にした7つの映像作品「Martin Scorsese Presents the Blues」関連で出されたサントラ&大物ブルースマンのベストアルバム群の中の一枚。先月(2006年1月)WowWowで一挙放映してました。全編にわたりロバート・ジョンソンを彷彿させるプレイが堪能できる美しいアコースティックブルースアルバムに仕上がっており、マーティン・スコセッシのセンスの良さを感じる一枚です。