天国






 休日の昼下がり、小さな影と共に道を行く。晴れた空と気分はうらはらで自然とため息が漏れる。なんだか滅入っちゃう。
 せっかくの休日なのにつまんない。いつもは黙っていても家を訪れる友人達は皆、忙しいのか全く顔を見せない。何だか落ち着かなくて一人で散歩でもしようと外に出てみたのは良いケド・・・。
 特に行くあてもなくただ気が向くままに歩いていく。さくさくと鳴る落ち葉は深まる秋の季節を教えてくれる。吹き抜ける風は冷たくて無性に人恋しい。
 はあ、とまた思わず大きなため息が漏れた。どうしてこんなに気持ちが暗いのだろう。空はこんなにも綺麗に晴れているのに。
 暗くなる気持ちを紛らわせようと落としていた視線を前へ向けた。そこで広がる景色に思わず足が止まり目を見張る。
 見慣れた古びた二階建の木造アパート・・・言うまでもなくナルカミくんの家。いつの間にココに向かっていたのだろう。決して自ら行こうとはしていなかったはず。
 無意識は心の奥底からの想い―自分で思っていた以上に彼を求めているらしい。
「・・・っロキ!?」
 ぼーっとしてたら背後から耳に馴染んだ声が飛んできた。何故か全身が過剰反応を起こし肩がびくんと跳ね上がる。
「ナ、ナルカミくん。どうしたの?こんな所で」
 出来るだけ平静を装って。そんなので隠せる筈がないのに。
「こんな所って…俺の家だし、なぁ」
 怪訝な顔で彼はアパートを見遣った。
 当然至極な意見・・・こんな場合、笑う以外にすることがあるだろうか。とりあえず乾いた笑みを浮かべてみる。あはっとね。
「まぁいいや。ちょうど良かった、どうせ暇だろ?俺ん家来いよ!」
 何がちょうど良いの?聞き返す前に手を引かれて問答無用で連れて行かれる。とりあえず彼がぼくの失態を気にする風もないし、誘いを断る道理もないから大人しくしていよう。・・・―ぼくって相変わらず素直じゃないな。







 そして、こちらも相変わらずな汚さを保つナルカミくんの部屋。小さなちゃぶ台には湯のみと白い箱が一つ。
「・・・何、コレ?」
 座らされたぼくは一応聞いてみる。正面には笑顔で得意気なナルカミくんがいることは言うまでもない。
「何ってバイトの余りもんのケーキだよ。お前好きだろ?」
 だからって普通緑茶と一緒に出すかな?いくら紅茶が無くてもさ。別に良いけどね。
「ありがとう」
 とりあえず口の中で小さく礼を言う。箱を開けると、中には茶色の丸いケーキとプラスチックのフォークがぽつん。このケーキは―・・・
「・・・ティラミス?」
 ちょっと意外。もっと単純な物だと思った。
 そっと箱からケーキを取り出すとふわんと甘い香りが鼻をくすぐった。フォークをケーキに差すと更に匂いが増す。
 ぱくっと一口、口に含む。甘いクリームとほんの少しの洋酒の香り。・・・ふと、頭に浮かぶ小さな知識の種。
「・・・ねぇナルカミくん」
 ぱく。もう一口。ぼくはケーキに視線を落としたまま言葉を発する。
「ティラミス・・・の意味知ってる?」
 ちらりと上目遣い。もし彼が博識だったら、ちょっとは期待出来るのに。
「?ケーキの名前に意味があるのか?」
 ほら、やっぱり。・・・つまんないの。無言でまた一口、ぱく。沈黙が空間を支配する。
「何だよ、気になるだろ?意味があんなら教えろよ。」
 ぱく。不遠慮な彼の視線が刺さる中、ぼくはケーキを一口含んでから口を開く。
「ティラミスってイタリア語なんだ・・・。」
 ぱく。更に一口。別に勿体ぶってるわけじゃない。けどさ、ケーキをもらった側が言うような言葉じゃないんだもん。
「動詞で始まるから命令形の文。」
 ナルカミくん、お願いだからそんな真剣な目でこっち見ないでよ。更にぱく。高なりそうな心臓の気休めに。
「直訳すると『私を上に引き上げて』ってなるんだけど・・・」
 ぱく。もう一口。ナルカミくんには最後まで言わないと伝わらないカナ。少しは深読みしてくれない?
「上っていうのが天国のことなんだ。だから、意訳は『天国まで連れてって』」
 残り少ないケーキをまた、ぱく。顔が上げらんない。ナルカミくんの視線が痛すぎて。まだわかんない・・・よね?
「・・・つまりはね、『天国に昇るくらい―気持ち悦くさせて』ってコトっ!」
 ぱくっと最後の一口を口に放り込む。自らの言葉を飲み込むように。けど・・・飲み込めなかった。
「っ・・・!?」
 顎にナルカミくんの手があって、俯いていた顔を上げさせられてたのに気付いたのはかなり後。不意なキスにしてはちょっと強引なくらいに深いし長い。息もさせないつもり?彼の舌は、ケーキの最後の一口をぼくからさらって、それでも満足出来ないらしい。なんか・・・全て持って行かれそう。抜けそうになる力を保つのが辛い。
 すっと彼の唇が離れた。もうぼくの口の中には甘い味も香りも残ってなくて、彼の舌の感触が残るだけ。そしてぼくは意識の中でまだそれを求めているみたい。息も出来なくて、こんなに荒い呼吸をしているのに。ぼくって、もしかしてかなり欲張り?
「・・・ッ最、後の、一口だった・・・のに」
 呼吸のせいでせっかくの皮肉も切れ切れ。もう、どうしてくれるのさ。
「意味知ったら俺も食べたくなってさ。・・・うまかった。」
 満面な笑み。ぼくとは違って余裕なのが何か気に障る。ようやく息も落ち着いてきたし、ぼくも余裕で返してあげなきゃ気が済まない。
「当たり前でしょ?ぼくからとっておいてまずいなんて・・・ッ」
 なのにずるいよ、ナルカミくん。また唐突に、今度は軽いキス。思わずぼくは真っ赤になって手で口元を押さえた。その手もすぐにナルカミくんに取られる。
「ちょっ、ナルカ・・・ッや・・・んっ」
 ぼくの首筋をナルカミくんは唇と舌で丁寧になぞっていく。同時に器用に外されていく自分のリボンの感覚が遠い。もうヤバイね。脳が絶対溶けてる。
「ナ・・・ッぁ、ルカ、ミく・・・〜ッ!」
 気が付けば、自由を奪われていた手は自らナルカミくんの首に巻き付けてた。代わりにぼくは自由に言葉を紡ぐ術を奪われる。彼の名前すら最後まで言えない。
 耳の縁を軽く舐められてまたぼくは小さく声を上げる。彼はそのまま耳にキスして囁いた。
「天国まで・・・行ってみるか?」
 動きを止めるナルカミくん。ぼくの答えを待ってるの?・・・決まってるじゃない。もう答える間も焦れったい。
「・・・ぼくの最、後、の一口、盗っ、たくせに、わざわざ・・・聞く、の?」
 乱れた呼吸に合わせて何とか出した言葉に満足そうにナルカミくんは笑った。














 ねえ、ナルカミくん。天国ってどこにあると思う?雲の上?神界の上?もっとずっと上の方?だけどさ、例えどこにあったって、どんなに素晴らしい所だってぼくは行きたいとは思わないね。だってそうでしょ?君が居なきゃ意味がないもの。君さえ居ればいかなる地獄だって天国になる。君が居なかったらどんな天国だって、ぼくにとっては地獄に等しいと思うんだ。




 ぼくは今宵、色褪せた畳の上に古い天井を仰ぎながら君の下で天国を見る。







・・・―どうか、君の天国がぼくでありますように。



裏に置くほどの物ではないと言われればそんな気もしますが一応・・・。
「ぼくは今宵うんたら」って辺りがひすいのお気に召した模様。
ティラミスの意味は一応本当らしいです。
少し前に読んだ小説に載っていたのでついネタに使ってしまいました。

天神美香

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