パパゲーノ・ブランチ |
ある日曜の朝。
朝と言ってももう9時を回っている。
ロキは鳴神が布団から出るのを感じて薄ら目を開けた。
隣にあったぬくもりがなくなり、冷たい風がロキの素肌をなぞる。寒い…意識の遠くで小さく思い、身を縮めて布団を被り直す。ガラス扉一枚隔てた台所からは、ばしゃばしゃと水を使う音が響く。鳴神が顔でも洗っているのだろうか。
「だぁ〜ッ、寒い!」
彼は一人の時もこんなに煩いのだろうか。ガタッと扉を乱暴に開け部屋に戻ってくる。もう少し体力低下していて静かに眠りたい幼い恋人に気を使えないものか。
ばたばたと鳴神がロキの居る布団の横へ座り込む。ロキがしかめっ面で薄ら目を開けると、満面の笑みが覗く。
「よっ、ロキ。大丈夫か?」
ロキの薄茶の髪をさらりと撫でながら本当に心配してるのかよ、と思わず突っ込みたくなるような軽いノリで言葉をかける。
「…うん、平気。でも寒い…」
体温を求めてロキが、鳴神の腕に手を伸ばした瞬間…
がしっ!と鳴神の大きな手がロキの寒さで赤くなっている頬を包んだ。
「わっ!冷たいッたら!やめろってば…!」
「どーだよ、目ェ醒めるだろー。顔と口も冷たいぞ。試してみるか?」
と訳の分からない事を言って鳴神がにやにやと悪戯に笑う。ロキは朝からからかわれて、少々むくれた。鳴神の手を強引に剥がし、上着に手を伸ばす。
「も〜…朝からやめてよね…あー寒い。君ん家は寒過ぎるんだよ。てゆーかその半袖やめてくれないかな?見てるこっちが寒々しいんだけど」
がーっと文句を羅列しながら、ロキはブラウスに腕を通す。
鳴神の足元に落ちている白のリボンを拾おうとして、手を鳴神に取られた。
「…何だよ。放してよナルカミくん」
鳴神が自分の手に指を絡めてくるのを、苛々しながら視線を送る。朝から一体何なんだ、こいつは。
「リボン結んでやろうか?」
クリスマスの時、ケーキのリボン掛け、死ぬ程したから任せろよ、とよく分からない理由を付けてくれた。ああ、そう。好きにしたら?朝から勝手な鳴神に呆れて適当に返事をしてやる。すると、鳴神は満足した様ににっこり笑った。
実に単純だ。笑顔も恥ずかしくなるぐらい純粋で明るい。
…仕方ないよね、君のそーゆートコ、嫌いではないらしいし。顔を赤らめながらロキは鳴神の襟元で動く手を眺めていた。
「…ね、まだ結べないの?」
「…綺麗に結べねーんだよ。お前が大人しくしないからだ」
飛んだ言い掛かりだ。かれこれ十分も君のやり直しに付きあってるんだ。ロキは焦れったくなって、鳴神の手を退け自分でさっさとリボンを結び終えるとぱっと立ち上がった。
「ナルカミくん、流し借りるよ」
アホ面をさらす鳴神を横目にロキは服のしわを伸ばしながら台所に出た。靴下を履かずに出た床はひやりとし身を縮めさせた。
流しに背伸びをして顔を近付け、蛇口をひねる。冷たい水が指を擦り抜けていく。少しづつ掬って顔を洗う。はぁ、と合間につく息は空気中に白く残ってすぐ消える。しまった、タオルを手元にもってくるのを忘れていた。頬の雫を手の甲で拭いながら鳴神の姿を探す。こうゆう時はきっと…期待どおり、振り返ると鳴神がタオルを差し出して立ってくれていた。
「ほれ、ロキ。これ使え」
「アリガト。…お腹空いたな…」
運動しすぎた上に夜更かし。脳が糖分を吸収したがっている様だ。ロキはタオルを持ったまま小さく鳴く腹部をよしよしと撫でた。まぁ、誰が考えたって分かる事だが、こればかりは鳴神に期待してもどうにもならない問題であった。早く帰って闇野の温かい手料理に有り付くのが一番いいだろう。だ
が、鳴神の言葉と行動がそんな考えを止めた。食器棚の前に立って、調味料をがたがたいじりながらこちらに問う。
「ロキ〜、牛肉好きか?」
…朝から焼肉でも食べようと言うのだろうか。
「…嫌いじゃないよ。まぁ最近狂牛病とかなんとか騒いでるけど。てゆーか朝から肉はどーかと…」
ま、一番気になるのは給料日後でもないのに、君の家にそんな高価な食物があるかどうかだけど。考えながら、鳴神の方に顔をあげたロキは、その行動に目を見張った。
鳴神は舌を出して、そこに食塩を振り掛けていたのだ。
遂に食物がなくて、そこまでするようになったか。確かに、雪山で遭難した人が食物が無くなって雪に食塩をかけて飢えを凌いでいた、と言うのを聞いたことはあるが。足りる筈ないよ、そんなの。ロキは一人、思考が巡るのを止められずにただ、鳴神の奇怪な行動を見つめるだけだった。
そこへ塩のご飯を堪能した鳴神が、ゆっくりこちらへ来てロキの頬を包む。
「…君、何してん……」
「黙る」
鳴神の低い声と、バカみたいに真面目な目に一瞬身をひく。
にやりと、いやらしく口だけで笑った鳴神に更に引く…
強引に鳴神が自分の唇を塞いでいた。少しもしない間に鳴神が歯列をなぞり小さな口の中へ侵入してきた。その感触にロキは身を硬くする。
「っゃ…」
いつもと違う感触にロキは頭をふろうと頑張るが無駄であった。時間がたつに連れ、快楽を追って身体が意識を先行する。比例して、腰の力もが抜けていく。吐息と共に唇の端を唾液が伝う。
「……んっ…は、ちょっ…と…!」
ちょっとは待って話聞けよ!聞きたい事も聞けず、ロキはただ強引に口と拒絶していた意識を快楽へと奪われた。
「っあ〜、苦しかったぁ!」
鳴神がぱっと顔を離す。ロキは鳴神の腕に体重を預けながら、大きく呼吸をした。つーか、あんだけ口ん中引っ掻き回して離れ方がそれってそーなのさ。ムードを知りたまへ、少年よ。ロキは、上がった息をそのままに声を荒げて聞いてしまった。
「いきなり何なの?訳分かんないよ!しかも…しかもさ…」
そう、しかも。
「…ああ、朝飯だよ。タン塩」
にっこり、得意げな笑いでロキを見つめる。
「…タ、タン塩??」
あまりにバカげ過ぎている返答にロキは更に体の力が抜けた気がした。更に鳴神の体に体重を預けてしまう。
「そ、それで塩かけてたの?僕までしょっぱかったじゃないか。君の舌、どーかしてる…」
あんな塩辛いキス、初めてだ。信じられない。口元を押さえるロキに鳴神は平然とした顔で言う。
「お前とキスするのに普通の舌だともたねーからなぁ。それにキスはレモンみたいな香りはしないってモー娘。も言ってたぞ?」
そーだろうね。僕にこんな事するならそれだけの技術はないとまずいよね。その部分にはロキも小さく頷いてやる。しかしキスの味がどーのなど、そんな知識は何百年前から自分だって知っている。今更お子様の歌に教えて頂かなくても。ねぇ、君もそうだろ?心で鳴神に問い掛けながらロキは愕然とした。てゆーか、モー娘。ってどーなのさ。
しかし、納得行かない目の前の満足気なこの男。どうにかしてやれないものか。
ちらりと鳴神の肩越しに目に入った調味料の棚を見てロキは小さく笑った。
「ナルカミくん、こんなのじゃ納得行かないから、彼女たちの歌を覆してみない?」
「…?難しくてよく分かんねーぞ?」
ロキは頭の悪い恋人に溜め息をつきながら調味料の棚に腕を伸ばし、一つの小瓶を鳴神に見せる。
「レモン果汁の調味料、これでどう?」
「…悪くないな」
そういうと鳴神はロキの手から小瓶を取る。
「ウマい朝飯だな♪」
笑う鳴神の額をロキはぴしゃりと叩いてやった。
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