恋に狂う―恋愛に堕ちた者を嘲笑うがごとく使われるこの言葉、実は間違ってるだろ。というか重複してる。恋するなんて行為自体が既に狂ってるんだ。愚かな人間達は、知らぬ内に愛を求めて狂って死んで逝く。神サマも、なかなか酷な試練をお与えになるもんだ。
頭が重い。足元も何だかおぼつかなくて地面が揺れてるようだ。学校に行く気も起きなくてサボったは良いが、回復の兆しは皆無に等しい。
原因は大体予想がつく。多分、昨日の雨だ。まるでバケツでもひっくり返したような土砂降りの中、傘も差さずに歩いたから。だって、俺に涙は似合わないだろ?
「…探偵のせいだ」
そう何もかも。悪い予感はしたんだよ。変に勘だけは良いんだよな。でも、運が悪い。
曲がり角を曲がった瞬間、目に飛び込んで来たのは探偵と鳴神。それだけならいい、いつもの事だから。でも、人通りが少ない道だからって道端でキスなんかすんなよ。俺もするけど。…見るのとするのとは違うんだ。
しかもその後の探偵の顔、幸せそうな顔しやがって。俺なんかには絶対見せないだろうな。んで誘われるように鳴神の家ん中に消えてった。
そんなもん見たくらいで俺が泣くかよ。涙なんてずっと昔に失くしたね。空が、代わりに涙を流したんだ。頬を伝う雫が口に入っても、人が持つ海の味なんかしなかった。
今日は昨日の雨が嘘のように嫌味なくらい晴れ上がっている。さて、これからどうしようか。家に帰る気もしないし学校に行く気などさらさらない。ゲーセンや女の子と遊ぶ気すらしないし…。と、なるとやっぱ行き先はあそこしかないよな。
この道を行けば探偵の家。ほら、俺って遊び人じゃん?過去を忘れるのって慣れてんだよな。昨日の嫌な感情は、雨と一緒に水に流しちまった。だから大丈夫、いつもの自分でいられる…
目の前に建つ見慣れた古い洋館は、何故か俺の中でいつも不思議な感覚を呼び覚ます。絶対的にその存在感を誇りながら、どこか頼りない…この館の主人のように。
ピンポーンッ
チャイムの音が静かに響く。平日のこの時間は冬らしく静寂が外を支配していて、耳をすませば館の中からぱたぱたとスリッパが廊下を駆ける音すら聞こえてくる。
ガチャッ
「光太郎さん、いらっしゃいませ。ロキ様がお待ちですよ。」
最上級の笑顔で、闇野とかいうメガネの兄ちゃんが俺を出迎えた。…てか、何で俺が来たってわかったんだ?
知らずに疑問符を顔に浮かべていたらしい。闇野はくすりと控えめに笑うと、館の2階の窓に視線を走らせた。つられて俺も顔を上げる。
そこには窓枠に手をかけて身を乗り出し、満面の笑みでこちらに手を振る探偵の姿。誰にでも見せる子供らしさはやはりいつものままで。恋人と友人の違いを見せつけられた気がした。もし俺が鳴神だったら、お前はどんなカオを見せる?
頭が痛い。脳がくらくらする。
探偵が体をひいて窓の奥に消えると同時に、闇野に促されて館に足を踏み入れる。途端に匂いが、雰囲気が変わった気がする。寒空の下なんかよりも意識を明確にさせるような鋭い空気、探偵がいつも纏う凛した薫りが漂う。落ち着く気持ちと共に、心のどこかがざわついた。この感覚はなんだろう…。
唐突に、闇野がくるりとこちらを向いた。
「どうぞ。私は後ほど何か飲み物でもお持ち致します。」
気付けば探偵の部屋の前。ぼーっとしていたから反応に遅れてしまった。本当に今日は調子が悪いかもしれない。
「…あ、どうも」
とっさに出た気のない俺の返事にも、闇野は満足顔で会釈してごゆくっり、とお決まりの文句を残して階下に消えていった。よく出来た助手だよな。
キィッ
軽くきしむ扉を開ける。
「いらっしゃい、光ちゃん。さて、悩める男子高校生の不登校理由を伺うべきかな?」
「女の子にモテ過ぎて学校に行けな〜いってな。どうよ、不登校児の小学生さん」
部屋に入った途端目が合って、やけに大人びた笑顔の探偵は俺を迎えてくれた。これも、いつものカオ。
「でも、本当どうしたの?こんな朝早く…。」
俺を伺うようなその瞳も、言葉を紡ぐその唇も、いつもと何も変わらない。今は平常値を示すであろう心拍数も、あいつの前では桁違いなんだろう?
どうしたら、特別なカオを見せてくれる?
目暈がする。体の芯が熱を帯びて、脳に巣くう何かを浸食する。
怪訝な顔をして、探偵が俺の顔を覗き込んだ。
「…光ちゃん?」
「探偵に、会いに来た。」
答えない俺を不思議に思ったのか、俺の名を呼んだ探偵に今度は即答する。自分でも驚くくらいに低く真剣な声、それでも何故か冷静に探偵の目を見据えている俺がいる。
明らかに探偵が動揺しているのがわかった。余裕な表情は消えて、軽く見開いた目で俺を見ている。いつもはそこで茶化して終了、でも今はそんな気分じゃない。ゆっくりと探偵に近づく。
何を思うだろうか。俺がマジでお前に迫ったら、手を出したり襲ったりしたら。でも、もしかしたらそうでもしないと、お前は俺に特別な感情を抱いたりはしないのかもしれない。
いつも頭に鳴り響く警鐘が聴こえない。ただ頭痛の音色が響く。
探偵のデスクぎりぎりで足を止める。探偵は俺の目を見つめたまま、固まって動けないでいる。そんなに意外だろうか。実は俺の本当の気持ちなんて、とっくに知っていたんじゃないのか?全て見通していたんじゃないのか?
手を伸ばしたら、簡単に探偵の頬に届いた。触れた瞬間、びくりと探偵が反応する。その反応も、怯えたように震える瞳も、いつもは俺の動きを止めるには十分なのに、今はどんな効果も示さない。
「こ、光ちゃ…ッ」
探偵の震えた声が俺の名を呼ぼうとした。しかし、それが耳に届いた瞬間、何故か俺は探偵の口を塞いでいた。自分の唇を押し当てて。
きっと非難や侮蔑が怖かったんだ。そんなの、何の理由にもならないが。
頭が痛い。熱が、俺の理性を溶かしていく。
「っ〜んぅ…!」
探偵の口内に俺の舌が侵入すると、探偵は苦しそうに息を漏らした。そしてギリギリと俺の腕に爪を立てる。
明らかな拒絶反応、なのにやめられない。更に奥を求めて深く口接けていく。歯列をなぞり、逃げる舌を追う。
「っ…や…ッぁ」
発熱の為だろう、高い熱を帯びた俺には探偵の中の温度が冷たく気持ちが良い。もっと感じていたくて、後頭部に手を回して探偵の逃げ場を奪う。
今、俺の行為を抑える物は探偵との距離を遠ざけるデスク一つ。理性も、常識も、熱病に冒されてとうに逃げだした。
願わくば、どうかこの熱よ覚めないで。全てを溶かしてしまってくれ。出来ぬならばいっそ殺せ。残酷な神、どうか俺を殺して下さい。恋愛という名の狂気に堕ちた哀れな俺に、二度と正気を与えることのないように。
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