I  LOVE  YOU





愛してる

今宵も君に囁こう。この、甘美なる呪文を。






















 しとしとと降る夏の雨。先程まで轟いていた五月蝿い雷は鳴り止み、今は静かに雨の音がするだけ。晴れていれば満月の綺麗な月夜だったはずなのに、今夜の空はすっかり闇に支配されてしまった。まだまだ、雨は止みそうにない。
  ロキが窓枠に腰掛け、じっと外の様子を眺めていると、後ろからそっと肩に手を置かれた。すっぽりと肩を包む、大きな手。
「何見てるんだ?」
  そのまま、手の持ち主は身を乗り出してロキと同じように窓の外を見る。そして、絶えることない雨に盛大なため息をついた。
「止みそうにねぇな。…どうする?ロキ。」 
 彼は振り返り、ロキを見る。街灯に照らされた彼の顔は普段よりずっと端正に見えた。陰影がハッキリしているためだろう。
「ん〜、仕方ないから今夜ココに泊めてよ。急だけど、…いいでしょ?ナルカミくん。」
  雨が降り出したのは夕刻で、あまりにも突然な雷雨だった。散歩中の突然の雨に、ロキが逃げ込んだ先は鳴神のアパート。バイトがちょうど終わったばかりで、部屋に鳴神がいたのは幸いだった。そして、今に至るまでそのまま雨宿りをしている。しかし、既にこの部屋に駆け込んでから何時間も経過していた。すっかり夜も更け、よい子の寝る時間帯である。
  ロキの返答に、少しばかり鳴神が緊張したのが空気越しに伝わった。肩を包む手に、微かに力がこもる。
「あ、でもメガネが心配し…」
「さっき、えっちゃんに伝言頼んだ。」
  鳴神の言葉を遮り、先回りの返事を返したロキはにっこりと微笑えむ。鳴神は二の句が継げない。黙り込んだ鳴神を置いてロキは窓枠を離れた。

  鳴神の部屋は暗い。先日、あまりにも料金を滞納しすぎたせいで電気を止められたとのこと。外に灯る街灯のおかげで豆電球くらいの明るさがあるのが不幸中の幸いである。これがアノ雷神トールの生活だと知ったら、どれだけの人が落胆することか。

  部屋の中ほどまで来て、ロキはくるりと身体を反転させる。まだ乾き切らない服が少し重い。そして纏わりつく湿気に夏の熱さが増す。
「えと…っあ、傘…貸してやろうか?」
「……そうゆう、不粋なコトしないでくれる?」
  いくらバカな男でも、この言葉の意味がわかるだろう。口に笑みを浮かべ、反して真剣な口調のロキに鳴神はごくりと小さく唾を飲み込んだ。瞳に宿る、期待。逆光で闇に溶けそうな鳴神の目だけが光を帯びる。その目に、鮮やかなほど妖艶にロキは笑顔を写す。
  ぎしり、と窓枠をきしませ鳴神もその場を離れた。ゆっくりロキに近づく度に畳が鳴る。雨の音は、何故か無音よりも静寂を齎していて、呼吸音までも耳に届いた。


  近づく鳴神に、ロキは佇むだけで何もしない。それだけで充分。


 鳴神はロキの正面に立ち、歩みを止めた。笑えるほど真剣な目がロキを見下ろす。そっと頬に触れる鳴神の手は微かに震えていた。まるで壊れ物に触れるように。その手にロキが小さな手を重ねると、鳴神の瞳に一瞬緊張が走った。
「…明日、バイト早いんだよな。」
 ぽつりと、独り言のように鳴神は口を開く。くすりとロキは笑った。
「それで?」
「いや…何でもない。」
  話題を打ち切るセリフと同時に、軽い口付け。すぐに離れた鳴神は、まだ微かに躊躇っている様子。奥手な男にロキはため息をつく。
「バイトあるなら、この続きはやめとく?」
  押してダメなら引いてみろ。あっさり身を引こうと一歩後ろに下がるロキに、案の定、鳴神は本音を吐いた。
「いやだ。」
  低く地を這う声と噛み付くような乱暴なキス。腰から抱き寄せられる小さな身体。そして、背中に畳の感触が伝わった。






「っん…ナル、カミくん、…布団は?」
「…あっち。」
「いや、そうじゃなくて…。」
  鳴神の返事を否定すると、耳元で小さく舌打ちが聞こえた。心地良く身体を圧迫していた重みが軽減する。ロキが閉じていた瞼を開くと、不満そうな鳴神の顔が目の前にあった。不満の内容は大体察しがつく。
「いいじゃん、このままで。布団引くの面倒だろ?」
「やだよ。身体痛くなるもん。」
「…布団の上でやったって痛くなるんだから、気にすんなよ。」
  文句を続けようとロキが口を開くと、言葉を発する前にその口を塞がれた。侵入する舌とブラウスのボタンに掛けられた武骨な指に、ロキは心の内に本気でため息をつく。いっそこの舌、噛み切ってやろうか。しかし、こちらから誘ったという事実に何とかロキは思い止まり、鳴神の脇腹を引き千切るがごとくつねるだけにしておいた。ロキの急襲に鳴神は飛び上がり、思わず身体を起き上がらせる。
「ッいってぇ!お前、何すんだよっ!」
「…布団。」
  ロキは返事を返さず、伝えたい用件だけを静かに告げる。更に反抗を試みようとしかけた鳴神は、ロキの目を見て固まった。先ほど自分を淫靡に誘った瞳が、別人のそれのように本気で自分を睨み上げている。蛇に睨まれた蛙など可愛いものだ。逃げるコトの出来る可能性があるのだから。
  唯一の反抗とばかりに舌打ちをして、鳴神は大人しくロキの上から退いた。のろのろと部屋の隅に置かれた布団まで四つん這いで這っていく。…ふて寝してやろうか。そんな考えが頭に浮かんでも、本能に掻き消されてしまう自分が憎い。ふて寝どころか、テキパキと布団を引いている正直なこの身体に誰か同情くらいしてくれないものか。
  布団をきっちりと引き終わって顔上げると、ロキがいた。引き終わったばかりの布団の上に小さく座っている。少しだけ乱れた服、ハーフパンツから覗く白く細い足…そして、鳴神を見つめる大きな双眸。天下の雷神を震え上がらせた瞳とはまるで別物だ。鼓動を早くする心臓が焦躁を掻き立てる。


  蛙なんかより、ずっと良い。逃げる必要などない。この先にあるのは死の恐怖ではなく、本能の求める快楽。


  薄っぺらい布団の上にロキは押し倒された。鳴神が身体の上に跨がると、ロキはにっこりと子供のように笑って目を閉じた。僅かに笑みを象る小さく柔らかい唇に鳴神は唇を合わせる。そして、絡み合う呼吸と互いの舌。
  息苦しくなるほどの長い長いキス。それでも、離れた時にはいつも物足りなさを感じる。鳴神の首に細い腕を巻き付け顔を引き寄せようとすると、鳴神は不適に笑って唇を通り過ぎ、耳に唇を当てた。熱い吐息が掛かる。小さく声を上げそうになるロキに、そのまま鳴神は囁く。
「…また、さっきみたく止めるなよ?」
  返事の代わりに、ロキは絡めた腕に力を込めた。それに満足した鳴神は押し当てた唇を、舐めるようにロキの耳に這わせる。ひくっと小さく反応をするロキ。そして、催促するように顔の向きを変える。無言の要望に応え、鳴神が濡れた舌で耳の淵を丁寧に舐めていく。ロキの喉の奥から小さな声が漏れた。
 耳に舌の感触を残しながら、片手で器用にブラウスのボタンを外されていく。やがて鳴神が最後のボタンを外しに掛かると、鳴神の唇が首筋にずれた。舌先が軽く触れ、唇が肌をなぞる。そして何度も、肌を吸い上げられた。鳴神が音を立ててきつく吸うと、ロキの背中に痺れに似た快感が走る。
  ロキの口をついて無意識に出る、高い声。その声に首筋に唇をつけたまま鳴神が笑う。微かな振動が、更にロキの感覚を敏感にする。ぴくっと、身体が反応した。
  唇をそのままに、はだけたブラウスの下で鳴神の掌が身体中を這い回る。肩に手を滑らせ、汗ばんだ肌に張り付いた気持ちの悪いシャツを意外と器用に剥がしていく。腕が袖を通り抜け、ロキの白い肌が露になった。
  ふと、一度鳴神がロキから身体を離す。ロキが目を薄く開いた先で、鳴神は着ていたシャツを脱ぎ捨てた。そして頬を流れる汗を手の甲で軽く拭うと、ロキの指に自分の指を絡めて、またロキの上に覆いかぶさった。再び交わされる、深い口付け。
  歯列をなぞり、鳴神の舌が口内の奥まで侵入する。絡められた舌に、ロキは意識をも搦め捕られる錯覚を覚える。ただ性感だけが鋭く研ぎ澄まされていく。ロキの口の端から、どちらのものかもわからなくなった唾液が零れた。
  唾液を追うように、鳴神は唇をロキの頬に這わせる。軽く甘噛みを繰り返し、頬から露な首筋へ、鎖骨へ、そして更に下へと辿っていく。
「…白い。」
  ロキの胸の柔らかな肌に赤く跡を付け、鳴神は小さく呟いた。荒くなる呼吸に紛れた呟きをロキが聞き返す前に、鳴神は胸の突起に軽く歯を立てる。
「ッ…ゃだ、ぁ…っ」
「やだ…じゃねぇだろ、ロキ。んなイイ声出して。」
  鳴神が口の端を上げ、ロキの喘ぎ声をからかう。更に焦らすようにそこに舌を絡め、続けて唇で吸うようなキス。文句を言いかけていたロキの口から、言葉になり損なった声が喘ぎ声となる。
「っんゃ…ぁ、ナルカ…ミ、く…っ」
  びくっと身体が大袈裟なほど反応する。求める意識と裏腹に、逃げそうになる腰を鳴神が抱き寄せた。ぐっと押し付けられた肌が、汗ばんで熱い。
「っ…はぁ、で?何が、白いって?」
  動きを止めた鳴神に、ロキは乱れた呼吸の合間から問い掛けた。何がそんなに嬉しいのか、ロキの顔を見て鳴神は幼い笑顔を浮かべている。
「ロキの肌、白いよなって思っただけだよ。ほら、こんなにくっきり赤くなってる。」
  胸に残った赤い刻印を鳴神の指がそっとなぞる。それにすら、ロキはひくっと反応した。ちらりと、伺うような鳴神の視線がロキの目を見る。訝しんだロキを気にせずに、すぐに鳴神は自分の指に視線を戻す。つられて、ロキも鳴神の指を目で追った。色の濃いその指は、すぅっと白い肌を下へと滑っていく。
「ん…ッ」
「…俺の指と、こんなに色が違うんだな。」
  指の軌跡に感じて、小さく声を漏らすロキに構わず、鳴神はずっと触れていく。肌と荒い息が更に熱を帯びる。
「…なんか、壊れそうだな。」
  腰を焦らして、通り過ぎた鳴神の指が、白く細いロキの腿に触れた。
「な…っん、の…話?」
 熱さと快感に朦朧とする意識が、言葉の真意を取り逃がす。
「…お前の話。壊れそうで、こんなコトしてるとうっかり壊しそうだ。」
  言いながらにやりといやらしく笑った鳴神は大きな手でロキの足を抑えつけ、汗ばんだ内腿を舐め上げる。
「っ…ぁ」
  やけに唾液を含んだ舌先がロキの身体を濡らしていく。腰の辺りがじんじんと快感を訴えて、その先を急かしてくる。
  腿に当たる、唇の感触。それが小さく言葉を紡ぐ。しかし、ロキには肌と性感を刺激するモノでしかなかった。耳に届かなかった言葉を、漏れる喘ぎ声の合間から聞き返す。滴る汗を拭って顔をあげる鳴神は、ひどく真剣な表情を浮かべていた。
「愛してる…、って言った。」
 そして、照れた顔で笑う。子供の姿のロキより、ずっと幼く見えた。
  驚くロキを唐突に抱き締める。鳴神は再び言葉を繰り返した。
「愛してる。守りたいって思うよ。…こんな事言うの、恥ずかしいけどな。」
  ぎゅっと強く、腕に力がこもった。大きな手に腰が自由を奪われる。続いて訪れる、身体中を突き抜けるような快感。内部を押し上げられる感覚にロキの目尻から雫が落ちた。思わず鳴神の背中に爪を立てる。
「…愛してる」
  ロキを固い胸板に押し付け、緩慢に腰を揺らしながら鳴神は囁き続ける。快楽に意識を奪われそうになるロキの脳内を、鳴神のその声が響く。汗ばみ、熱を持つ胸にロキはしがみついた。




「…ぼくも。」
「ん?」
「ぼくも…好きだよ。愛してる。」
  掠れて消え入りそうなロキの声に、小さく鳴神は微笑んだ。



























 何を思う?何を感じる?何を捉らえる?欺瞞の神と言われるモノの呟きを。幾千と紡いだかもわからぬ言葉を。

「愛してる」

 ああ、愚かなる人よ。君はこのぼくの、その言葉を信じるのかい?哀れだね。君とぼくとでは、この言葉の意味は全く違うのに。
 君にとって、身体を重ね合うのは共に愛し合ってるコトの証明?この言葉はその舞台に添える華?





 ぼくには、セックスなんて単なる通過儀礼。君の華は、君が思ってるよりもずっと残酷だ。
























愛してる

今宵も君に囁こう。この、甘美なる呪文を。

そして君に投げ掛けよう。君を捕らえる、束縛の鎖を。

ぼくは君を離さない。

いずれ訪れる死闘にて、ぼくを守り切って死に絶えるまで。

さぁ、ぼくの命を守ってくれ。





激しく「裏」っぽくなりました。
そして救いようがないほどに内容暗いです。
ロキさんがまさに邪神。
小悪魔どころでなく、悪魔ちっく。
こうゆう策略くさいロキが意外と好き。
北欧神話後半の邪悪なロキ神ですな。
でも、私はまだまだ純真な子供なので、最中の表現が上手く書けません。
視覚的効果として使いたかったのに、残念な結果となりました。
単なるエセ官能小説のよう。


天神美香

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