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羊飼いの犬  お宅のポチも牧羊犬
 牧羊犬と聞いてどんな犬を思い浮かべますか。ほとんどの人が犬種名の中に『シープ』とか『シープドック』が入っている犬を思い浮かべるのでしょうか?  この様な犬たちにその名が付けられた時代には、恐らく羊を追っていたのでしょう。しかし、今では愛玩犬となっているものが大半を占めています。羊を追いかける仕事は今も昔も変わっていないはずなのですが…。より優れた牧羊犬へと品種改良されたり、流行に左右され、現在では、『ボーダーコリー』が代表的な牧羊犬です。しかし、最近彼等も、もう時代遅れ*1と聞き驚いています。
 私は牧場に入社して、初めて『ボーダーコリー』と出会い、数頭の犬を訓練してきましたが、ニュージーランドやオーストラリアなどを代表とする牧羊国で行われている牧羊犬の訓練とは、比較できないほどの低い次元のもの*2です。しかし、その程度の訓練だけの犬でも羊の仕事をする時には、いなくてはならない存在です。
 例えば、羊を畜舎から広い放牧地へ移動させる時、放牧地で自由に草を食べさせる時、群れを分ける時などで、特に羊を移動させる上では人間数人分の仕事をしてくれます。
 畜産関係者でなくても、犬が好きで羊も好きな人でしたら広い牧草地で犬と一緒に羊を追いかけてみたいと思うことでしょう。
 それではあなたの愛犬ポチは牧羊犬になれるでしょうか? 
 一つ、牧羊犬の仕事は実にきついものです。一人前の彼等は一頭で約600頭の羊を誘導出来ると言われています。この場合、600頭の羊の回りを走る事になります。少なくとも牧羊犬は羊の2倍の距離を走らなければなりません。体力が必要です。
 二つ、羊はたいへん臆病な動物ですが、中には牧羊犬に向かって来るものや、無視するものがいます。この様な手の掛かる羊に立ち向かう事ができる気の強さが必要です。
 三つ、行き先を見失い不安になっている状態の羊を誘導するには、羊を驚かせない様にゆっくりとした動作で近付きます。即ち、落ち着きが必要です。
 これら三つが、絶対条件です。忘れていましたが、羊を見て逃げたり、興味を示さない犬は残念ですが諦めましょう。*3
 三つの条件を満たした犬は次の牧羊犬としての訓練に入ります。
 犬を一人前の牧羊犬にするには、早くて半年、遅くても一年位掛かり、これは上記したような、その犬が生まれつき持つ素質に左右されると言う事はいうまでもありません。まず、初歩の訓練(『マテ』『オイデ』『スワレ』『ヨシ』など)を徹底的に教えます。お互い根気が必要です。これを、完璧にマスターし、初めて実際に羊を追う訓練に入るわけです。
 訓練が進むにつれ、徐々に個々の性格がその行動に現れてきます。例えば羊の群の追い方では、その回りを走る犬、中へと入り込む犬、群に向かって吠える犬など。これらを早めに見極め、その性格を利用する事により、後の訓練を容易にさえ出来るのです。
 さて、ここで忘れてならないことがあります。犬の実践練習の前に、羊たちを訓練しなければなりません。牧羊犬に慣れている羊ならば良いのですが、追われた事のない羊たちはパニックを起こすか、全く誘導に従わない事でしょう。無視されるという事は犬にとっても、おもしろくないどころか自信を喪失させ兼ねません。
 ここまでが訓練の前半であり、その成果は、人間側の指導力に左右されるものではないと思いますが、後半の訓練は実践になります。つまり、人間の指示で犬が動いて羊を誘導する訳ですから、次のポイントは人間の判断力なのです。羊の性質、群の動き方を十分理解し、その場その場に応じた的確な判断が何よりも大切なことになります。例えば、羊の群の方向を曲げる時に、いつ犬を前方に動かすか。群がどの位の長さになったら縮めるのか。群を二つに分けるとき、どこに犬を入れるか。群れ複数に分かれたら、どこから追い立てるのか。その時々の判断が羊の誘導を大きく左右してしまいます。そもそも、牧羊犬は、自分で判断し羊たちを誘導する能力がありますが、その能力を生かす殺すも指示を出す人間の責任です。これこそ場数を踏むことが必要で、さしずめ人間の訓練ともいうべきものでしょうか。
 最後のポイントは、犬と、人間のコンビネーションです。イギリスで行われている牧羊犬の能力を競う大会は、定められたコース通りに数頭の羊を誘導するもので、実際の作業での誘導とは少し違いますが、牧羊犬と人間のチームワークで勝利を得るのです。
つまり、たとえ、一流の牧羊犬を使ったとしても的確な指示が出せなければ良い仕事はできません。逆に一流でなくとも初歩的な訓練が十分出来た犬ならば、適材適所で、羊を誘導することも容易な事なのです。
 訓練上の補足として…私の場合、羊を誘導するとき、牧羊犬に出す言葉は『マテ』『マエ』『オイデ』『ヨシ』『スワレ』の5つだけです。また、これらの言葉とともに手による合図を付け加えるとより便利になります。牧羊国では主に笛を使っている所が多いようです。笛にしても手による指示も回りに人が居る時や、距離が離れている時などに有利になります。私の職場で観光目的の牧場であるため、周りには見物人がたくさんいる訳です。特に子供達は一緒になって名前を呼んだり、指示の言葉を真似するので、動作と言葉の使い分けが必要になります。ベテランの牧羊犬になると声を聞き分けますが、若い犬は迷ってしまうことが時々あって、声を使わない指示が必要となり、益々自分と、犬との関係を確実なものにしておかなくてはなりません。
 ここまでくればもう一人前の牧羊犬です。しかし、訓練には終りがありません。毎日、羊を追う事が訓練です。一つでも多くの事を牧羊犬に教えていきます。年を取り、リタイアした老犬にも必要です。例えば離乳前の子羊を追わせたり…。無理のない、大事な仕事を与え続ける事が長生きの秘訣であり、羊伺いの義務だと思っています。
 実際はほとんどの人が羊を追わせる機会に出会わないでしょう。しかし、訓練の初歩は牧羊犬として改良されてきた犬種でなくとも十分できることです。頑張って牧羊犬に近づけてみて下さい。確かな主従関係で結ばれたあなたとポチとの間には、もう鉄の鎖はいらないはずです。   
93.12  レアシープ研究会発行 レターズ No.6 より
  1. この時期に知り合ったニュージーランド人に聞いたものです。ニュージーランドでは移動させる羊の群れが大きいため、犬の仕事を二つに分けています。吠える犬   (ニュージーランド・ハンタウェイ)と吠えない犬(ストロングアイ・ヘディングドック)です。他の国ではボーダーコリーが現在でも第一線で仕事をしています。
  1. 現在では格段の進歩があると自負しております!
  1. この時は犬を仕事で使う立場での意見です。他のページに書いている様に、時間をかければ仕事に使えるように成長して行きます。仕事では出来るだけ短い時間で、犬を一人前にしなければなりません。ですから犬を選びます。これを書いた後に、ボクのところにやってきたレオンはまさしく諦めなければならない犬でした。諦めるわけにいかないボクは、ここから長く厳しいトレーニングが始まったのです。おかげで、どんなボーダーでも"お任せあれ"の自信を付けさせてもらいました。

ボクのポチは牧羊犬
イヌ年のラストを飾って、今回はもう少し詳しく私が実践してきた訓練方法を紹介します。
 犬の種類はボーダーコリー。聡明、沈着、忠実で、作業意欲おう盛なシーブドックの代表犬種です。しかも、これまで私の所では、一腹で、六匹生まれることがほとんどだったおかげで、より有能な子犬を選ぶ機会が与えられていました。生後3ヵ月から6ヵ月の頃に、散歩などを通じ先頭を切って走る活発さ、好奇心の強さ、反応の良さを、また餌を与える時には、落ち着きや主人を凝視する態度などを目安に、訓練を続ける一匹を選び出します。(しかしこの能力や種類についてのハンディは、時間を十分に掛けるということで補う事ができ、その時間さえ許せば、生まれてきた子犬すべてを訓練すべきだという事は付け加えておかなくてはなりません。)
 まず、子犬を待ち受けているのは、羊との対面です。ほとんどの犬は、羊に興味を示すはずです。その時は、ロープを使い羊を追い過ぎないように距離を調節します。もしも、興味を示さなければ、人間がその犬を連れ羊を追い回し、自分を怖がり羊が逃げることを教えます。
 続いて羊を追う性格を調べます。行動のパターンから見てみると、羊に向かって吠える、群れの周りを走る、群れの中へ入り込む、目の前にいる羊だけを追い回す、など4つに分れる場合がほとんどです。この性格を利用しながら、その能力を引き伸ばすように訓練を進めると近道です。多数の牧羊犬がいる場合、それらを適材適所に配置して、仕事を行えば良いのですが、一頭であらゆる仕事をさせる場合、その犬の新たなる能力の開発を試みなくてはなりません。この場合もロープを用いて群れの中へ連れて入ったり、群れの周りを回したりなどを実際に体験させ、体で覚えるようにします。また、合図によって吠えるように訓練し、その合図も、語調に強弱を持たせるなどして、状況判断を身に着けさせていきます。
 さて最後は、怒り方です。知らない人から見れば、虐待とも思えるほどの罰を与えます。指示通り動かないからと、むやみやたらに手をあげてはいけません。殴る蹴る事の恐怖だけで支配された犬は自己判断ができず、人だけを気にするようになります。しかし、反対におだてながら訓練された犬は愛想を振り撒き、媚びた犬になり兼ねません。仕事の相棒にする犬がそんな事では困ります。犬が言う事をきかないのは、未熟だからなのか、怠慢からくるものなのかを見極め、大事なのは、真剣に怒ることです。賢い犬はこの真剣さを判断できるので、両者の絆を強めると同時に、放牧時のあらゆる場面における対処の礎を体得するのです。
 このような訓練は、犬を仕事仲間と思って行う気持ちが大切です。一人前の牧羊犬は頭を撫でられるよりも、主人と共に羊の誘導が上手にできた時の満足感を喜びとして仕事をしているようです。
94.12  レアシープ研究会発行 レターズ No.9 より

『ポチ』のワザを磨く
 これまでに『お宅のポチも牧羊犬』『ボクのポチは牧羊犬』の中で初歩的な訓練や心構えについておおまかに触れましたが、今回は牧羊犬の具体的な活躍場面として、羊の背中の上を走らせるという事についてのお話をしましよう。
 春、出産も終わり羊も人も活動的な季節の始まりです。放牧、毛刈りや駆虫など羊を移動させなければならないことが増えてきます。特に、毛刈りや駆虫の時には広い放牧地から狭い畜舎に移し、1頭1頭捕まえての作業です。臆病な羊たちは普段と違う作業をする時、いつもと違う雰囲気を察知してなかなか畜舎に入ろうとしません。このような時には当然牧羊犬の出番ですが、いくら後ろから追い立てても先頭の羊が動かなければ、入り口の所や畜舎内の通路の途中で一塊になっておしくらまんじゅう状態となります。
 この時、ただむやみやたらに後ろから追い立てばいけません。群れが大きくなると、その真ん中や先頭にいる羊には犬の影響 ="狼の恐怖"が伝わらないのです。そこで、この羊達にプレッシャーを掛ける良い方法が"背歩き"なのです。この動作は牧羊犬が羊の上に乗る自信さえ付けば簡単に出来る仕事です。
 訓練の第一歩は、まず羊たちを一か所に押し込めます。この時、牧羊犬が落ちるような隙間を作らないようにして、羊の上に牧羊犬を乗せます(この時には必ず羊の上に乗る時の合図を言いながら行う。例えば『ジャンプ!』)。しかし牧羊犬は初めての柔らかい感触とと不安定な足場の為に歩きません。最初は羊の上に乗せるだけです。羊の上で立てるようになってから紐で引き徐々に歩かせて行きます。(この時も例えば『前へ』と合図を言いながら行う。)牧羊犬が慣れて自ら歩く様になればしめたもの。後は何度も繰り返し、動作をより確実なものにしていきます。そして、徐々に羊の群れに、ある程度の隙間を作り、その背中の上を飛ぶ事が出来たら、この訓練は終了です。
 訓練中一番注意をしなければならない事は、羊の隙間から牧羊犬を落とさないようにする事です。不安を抱きながら背中の上を歩いている時に落ちようものなら、羊の海に溺れた状態となり、『これはヤバイ!』と思い込ませてしまい、後の訓練が長引きかねません。その上、隙間がないほどに羊を押し込んだ中に落ちるのですから、逃げ場を無くした牧羊犬は、彼自身の思い込みだけではなく、実際に大変危険です。
 この牧羊犬の使い方は、上記のように狭い場所での羊の群れの誘導に有効な他に、"いなばの白うさぎ"のごとく、横並びにさせた羊の上を背渡りする"曲芸"?としてショーアップすることもできそうです。
 さて、前回までにも述べてきたことですが、訓練の成果が現れるスピードは、系統や素質によって、著しく変わります。優れた系統に生まれた場合は、かわいくないことに上記のような場面を設定すれぱ訓練なしに羊の上を歩くはずです。しかし、愛すべきポチとは、とにかく根気良く付き合い、繰り返しトレーニングすることでその動作に慣れさせ、自信へとつなげてあげましょう。
 牧羊犬ポチに見切りを付け、養豚場にベイブを見つけに行くのはまだ早い
96.4  レアシープ研究会発行 レターズ No.13 より

『ポチ』 群れを操る
今回は、羊飼育の上で、日常的に必要となるポチの仕事と、その訓練を紹介します。
 限られた面積の牧草地での放牧は、その草地の維持管理のため、輪換放牧を行います。これは、牧草地を等分に分け、羊の群れを一定期間ごと移していきます。こうすることにより、牧草の再生を計るのです。この様な時にも、羊たちをコンパクトにまとめ、思い通りの方向に誘導する技術は重要です。
 もともと羊は、文字通り群れる習性があるので、群れを一つにまとめるまでは優しいことですが、その群れを自在に動かす牧羊犬に育て上げるには、事にポチが相手では、大変難しい訓練となるのは確かです。覚悟を決めて頑張りましょう。
 まず、柵の中に広がっている羊は、人と、犬が入るだけで、集団を作ります。この時、必要以上に羊を驚かせてはいけません。せっかく一つになっている群れが爆走してしまうからです。ですから、今回の訓練の第一歩は、犬を落ち着かせて、羊にゆっくりと近付く事を教えます。
 最初に、5m程の長い紐を犬に付けます。この紐を短く持ち、共に欄の中に入ります。羊の注意は犬一点に注がれます。この時、犬が沢山の瞳に怯えずに、にらめっこをする形となれば、まずは合格。続いて、羊に近付こうとするならば、徐々に紐を伸ばしながら羊に迫らせます。そしてこの時の動作の速度も問題になってきますので、言葉の掛け方に抑揚を持たせ、コントロール出来るようにします。例えば、前進を意味する『マエ』という言葉でも、早く動かしたい時は『マエ! マエ!マエ!』と連呼したり、ゆっくりした動作が必要な場面では、『マ〜工』などと状況に応じて使い分けるようにします。この様に、積極的で羊に興味のある犬の訓練は、その行動を抑ええながら行えば済むので、楽に進みます。しかし、羊に近付かない犬も中にはいます。このような場合は、人が犬の側に付き、羊を追うこと、追えば逃げるものだということを教え、自信を持たせます。ところが、これを繰り返す余り、犬は人を頼りにして、傍らを離れなくなってしまったとしたらどうでしょうか。こんな弱虫ポチのために、次のような訓練もあります。
 まず杭と長い紐を用意します。図Tのように杭を打ち、紐を掛けます。人は、『マエ』の命令と同時に紐を引き、犬だけ前進するように教えていきます。またこれとは別に、人と犬を繋ぐ紐を、ストロー状の捧(約3m)に通すことによって、一定距離以上、近付くことを許さないようにし自立心を養います。 いずれにせよ、紐なしで出来るようになるまで、繰り返します。
 次は、いよいよ群れを自在に動かすための訓練に入ります。羊を思い通りの方向に進ませるためには、その動きを読み、的確なタイミングで指示が出せるかどうかの人の力量によるところが大きい訳ですが、犬に対しては、右・左を教え込む必要が出てきます。トレーニングの順番としては、例えば『右』という掛け声を掛けながら、人も一緒に羊の右側に回り、その方向をインプットさせます。この場合も短い紐を徐々に長くして、さらには、一地点からの指示のみで左右が理解出来る様にしていきます。次の段階は図Uのような位置関係にある時、羊を人のほうへ誘導するための訓練です。犬はこれまでに、左右を理解しているものの、羊を挟んで、人と向かい合った状態にあるために、命令の前後左右が自分から見た方向なのか、主人から見た方向なのか判断しにくいところです。この場合の命令の方向とは、犬にとっての前後左右で指示を出します。実際には、必要な方向に命令し、その後の動きに合わせて、指示を掛け直したり、指で方向を指し示すなどして、号令の言葉と方向に対する犬の迷いを解消していきます。また、ここでは羊も二方向からのプッレシャーを掛けられる事になるので、人との距離が一定以上近付くと動かなくなるか、左右に逃げてしまいます。この場合は、羊と距離を保ちながら、人も動く必要があります。また、羊を人に慣れさせることも一案です。これは餌を使えばたやすいことです。…牧羊犬競技会に見る面白い光景。羊飼いと犬と羊、そしてギャラリーを取り巻く緊張した空気の中。それでも牧草を食べる羊の食欲は、底知れぬものを感じます。… 餌の魅力を越える恐怖など彼等にはないのかも知れません。だとすると餌さえあれば犬など要らない?とふとした疑問が沸いてきてしまうところですが、まあともかく、ポチの自尊心を傷つけない程度に羊も上手に訓練することが必要です。
 ここまでこなせば、立派な牧羊犬の誕生です。例え、人の命令に従うだけで、目の前の対象物=羊の後にくっついて走るにすぎないかもしれませんが、人が、羊の動きを見通した指示さえ出せば、十分仕事の相棒になり得るのです。また、今回紹介した群れの移動は、日常のお決まりの仕事として、繰り返しトレーニングされることにより、犬自身にも状況判断の力がつき、臨機応変に対処できる優れた牧羊犬へと近付きます。もちろん個体差の存在はご承知の通りですが、優れた牧羊犬の両親を持つ犬に、適切な訓練を受けさせないまま、交配を重ねても、牧羊犬としての素質を受け継ぐことは出来ません。逆に、一代目ポチに、限界があっても、二代目、三代目、四代目と訓練を続ければ、より良い系統へと近付くものです。優れた牧羊犬の系統の確立は、単なるブリーディングだけでなく、人の、犬に対する根気と愛着の蓄積による成果だと信じたいものです。

’96.8  レアシープ研究会発行 レターズ No.14 より

ポチの老後
シープドッグの存在価値がしっかりと認められている牧羊国では、犬の能力、素質に対して、合否の厳しい判定を余儀なくされます。けれども、牧羊犬候補生ならぬ候補犬は、
数の上からいっても、大変恵まれているのも事実です。つまり、優秀な若い力は豊富にあり、旬を過ぎた牧羊犬を人が手助けしてまでも活躍させ続ける余裕は、これらの国にはありません。これと全く逆の事が言えるのが、日本の牧羊界の現状です。
 今回は、寂しい話題ですが、牧羊国ではない日本の"ゆとり"が生み出す、老犬における対応をお話ししていきましょう。
 数々のトレーニングをクリアして立派な牧羊犬になったポチにも、"年には勝てない"時が必ずやってきます。はたして、ポチの退職を考えてやらねばならなくなるのは、いつ頃、どんな時なのでしょうか?
 もちろん個体差はあるものですが、私のパートナーである牧羊犬を例にとって話を進めていきますと、2才で一人前になった彼等は、4才前後にまさしく"脂ののった状態"というべき姿をみせます。これ以前は、羊を追い回すことだけを考えているような、ひたすら元気!という彼等も、この頃を境に、落ち著きが出てきます。こちらが、『マテ』と言う命令を掛ける場面も少なくなってきて、我々の仕事が一番快適にできる時期でもあります。しかし、悲しいかな、この状態が牧羊犬の一つの能力のピークを過ぎた姿でもあるのです。この"落ち着き"というのは、牧羊犬自身、体力の衰えを逸早く自覚するはずで、その力の温存のために、無駄な動きを省くものと考えられます。また、日常お決まりの仕事に対しては知恵も付き、人間の出す指示の先を読み、自ら培った方法で、必要最小限の行動をとるようになるのです。この様に、走るという能力が低下しても、経験を元にした知能は、体力的ハンディが加わることでより高められ、総合的牧羊力(?)の高い状態はしばらく続きます。
 しかし、6才を過ぎると、体力の衰えは顕著になってきます。さらに、8〜10才で耳が遠くなり、12才を過ぎた辺りから目が見えなくなってくるものが出てきます。引退というラインを一本引くとしたら、この目が見えなくなった時なのですが、現実はその労働意欲がなくなった時に、現役を退かせ、別の仕事を与えていくようにして来ました。この労働意欲の低下というのは、前述したように、犬自身が、一番自分の体力の限界を知っていて、その能力以上の指示には従わないようになって来ます。また、中には、知恵が付き過ぎた余り、怠け者を装う犬さえ出てきます。このずる賢さをも含めた自己管理能力などを、他に生かさない手はありません。
 さてこうしてポチの老後の生活設計を立てる前に、こちらの感情移入も甚だしいながらも、老犬ポチにとってどんな状態が幸せなのかを考えねばなりません。私なら、ボーダーコリーのように"仕事の鬼"いう素質があるわけではないポチの場合…もともとは、ぐうたら昼寝好きだったかもしれないにもかかわらず、理由あって牧羊犬に仕立て上げてしまった以上、最期まで、ワーキングドッグとしての扱いを心掛けるでしょう。この事が、よぼよぼポチが寝たきりポチになってしまうのを、少しでも遅らせることに繋がればと念じながら…
 具体的には・持久力がなくなってきても、移動距離の短い仕事なら十分こなせるので、積極的に与えていきます。例えば、畜舎から羊を追い立てたり、嗜好性の良い餌さを羊に与える時に、その羊の混乱状態を静めるために、人と働を共にさせたりします。又・妊娠した雌羊や、仔羊の群れの移動には、しぶい老犬が適任です。不必要に、羊たちを興奮させ、暴走させたりすることも無いからです。一方・耳が遠くなってくる年齢に備えて・4才を過ぎた頃から言葉による基本的な命令には手による合図を加えていくようにしていけば、その時を迎えても、大声を張り上げずに、こちらの意思を伝えることが出来るわけです。
 しかし、このような充実(?)した第2の犬生も、12才を過ぎる頃には、柵から出して喜ばなくなってくると、本当の意味での引退を考えてあげなくてはいけません。喜ばない原因としては、外に出るのが億劫なほど、体力が落ちていたり、視力の低下のため不安で外に出たがらないのがほとんどだからです。
 これ以後の基本的な生活を送る事が出来るようにする為の対策は、なにも牧羊犬に限っての事ではありません。暖かく、また風通しの良い環境の提供などに関しては、ここでいまさら私が特筆すべき必要はないでしょう。しかしながら、この寂しい引退の日を迎えるのが、他の愛玩犬よりも早くやって来るのは労働犬の宿命と言えそうです。
 仮に、私がポチの隠れた才能を十分引き出せたと自負した上でも、やはりこの事がポチとの別れの日を早めてしまう現実があります。そこでこれまた人間の一方的な価値観にあてはめ、彼の犬生の"質"云々に思いを巡らせる事によって、同僚を失うその悲しみを紛らわさずにはいられません。この厳しい現実を通して、我々は一人前の羊飼いになるべく訓練を、逆にポチたちから受けていると考えるのは、思い込みが過ぎるでしょうか
 96.12  レアシープ研究会発行 レターズ No.15 より