下堰堤(都立狭山公園)
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武蔵大和駅(西武鉄道多摩湖線・4月) 駅の南を通る志木街道を西(写真左)にいくと、150mくらいで「武蔵大和駅西」の交差点があります。多摩湖・狭山公園への玄関口のひとつです。
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「武蔵大和駅西」交差点(3月)
横切る多摩湖自転車道(一般都道保谷狭山自然公園自転車道線)を出発点にします。以前は「多摩湖自転車歩行者専用道」と表示されていたのが、「歩行者」の文字がなくなってしまいました。とてもあぶない自転車が多いので、自転車のぼくも驚きます。「狭山・境緑道」とも呼ばれて、歩行者も利用する遊歩道なので自転車で行くときには歩行者優先の運転でお願いします。
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記念広場・導水路余水吐の水門跡(3月)
交差点のすぐ横にある広場は「導水路」や「余水吐」などの貯水池の施設を記念した公園(遺構)です。この広場の右奥には、北に斜面を登る階段があり、階段を登ると太陽広場に通じる赤松林の歩道にでます。狭山公園広場(桜の広場)に入るには自転車道の坂道をを200mくらい進むと狭山公園南通路の入口の門があります。(写真は昔ここにあった余水吐の水門橋です。)
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余水吐(よすいばき)排水路跡 武蔵大和西交差点の西側にある「隧道橋」の上から写した「前川」の写真です。橋の下の川底には暗きょになった地下導水路(導水管)のコンクリートが見えます。写真奥で、左から前川に水が流れ込んでいる場所が、昔ここにあった「導水路余水吐」の排水路の跡です。石垣に水路の石組みの形が残っています。(08年の工事で暗渠になりました)
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流量計測器(記念広場前)
地下の導水路(導水管)を流れる水量を自動で計測する装置です。以前は機械式の装置だったのが、テレメトリーの最新式になってここに設置されています。右が「多摩湖自転車道」で左が「多摩湖通り」と呼ばれる自動車の走る道路です。(通称「多摩湖通り」=「多摩湖道路」、東京都水道局では「周囲道路」、埼玉県では「外周道路」、案内地図では「周遊道路」、道路建設事務所では「尾根道」)
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南通路入口
大正9年にダム工事の資材を運ぶためのトロッコ列車の軌道の跡が狭山公園南通路の歩道に利用されています。当時の軌道は、東村山駅から清水交換所で分岐した東線がこの門のところから入って、桜の広場の北の端まであったそうです。強化工事期間中の工事車両専用通路として使用するために立ち入り禁止になっていましたが、09年4月に再開しました。
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狭山公園南門(09/4/11) 再開園した公園の南通路入り口です。
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南通路(強化工事の開始前・02年11月)
多摩湖通りから入ってくると広い砂利道があります。途中で右に坂道が分岐していて、太陽広場に向かう近道になります。写真の右の石垣の上の坂道がそうです。写真左の森は青年の家の森で、野鳥観察の名所のひとつです。東京都狭山青年の家は2002年1月で閉鎖になり2003年に解体されて公園として整備されます。
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工事期間中の南通路(03年10月)
堤体強化工事の期間中は資材を運ぶためのダンプカーの通路として利用するために立ち入り禁止になっていました。
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太陽広場への分岐(11月)
石垣の上の通路を進むと写真の分岐に来ます。右に行くと松林の中を少し登って太陽広場に出ます。左は少し坂を下りて工事中のダンプ通路の横をたっちゃん池まで歩く歩道です。
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太陽広場(3月)
何もない大きな芝生の広場だったんですが、2001年から木を植えて、球技などをしないようにしてあります。この広場でくつろぐ人は多いのですが、犬を放す飼い主が多くて、犬の○○も多いのがこまります。この広場の丘の周りは赤松の林で有名だった場所ですが、松枯れ病の広まりで、赤松の90%は伐採される予定になっています。
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たっちゃん池(宅部池・4月)
もともとは多摩湖ができる前からあった溜池「宅部池」を貯水池の工事のときに農業用の宅部(やけべ)貯水池として大きな堤をつくったものです。通称「たっちゃん池」と呼ばれています。多摩湖の工事前はもっと小さな池が南のほうにあったんだそうです。昔からの湧水の水が池の南西から流れ込んでいます。
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たっちゃん池の奥(4月)
「釣り禁止」の札が昔からあるんだそうですが、いつ来てもフナ釣りの常連さんが池の堤で釣りをしています。休日にはザリガニ釣りの子供も池の周りで釣りをしています。マガモやカルガモがハリスを飲み込むことがあるので、仕掛けを捨てていかない下さい。
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たっちゃん池の水源
池の南西にある湿地から歩道に沿って森の奥のほうに入っていくと写真の橋があります。橋の下や周辺から水がにじむように湧いています。季節によって湧き出す量が変わりますが、冬でも枯れることはありません。
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十二段の滝(余水吐・10月)
多摩湖のオーバーフロー(余り水)を宅部川に流すために作られた水路で、水の勢いを抑えるための段々です。昔はここを流れ落ちる滝を見ることができたそうですが、東京の水需要が増えてからは新規則で非常時以外は流さないそうです。
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十二段の滝と滝見橋(4月)
滝の上にかかる「滝見橋」より上に10段、下に2段で合計12段の階段状になった落差20mの放水路です。この水路沿いの木々にはたくさんの鳥が集まってきます。写真を写しているあたりはぼくの好きな場所のひとつです。午前中はいろんな小型の鳥たちが水路の中に下りてきます。
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滝見橋の広場(4月)
十二段の滝の北側にある芝の広場です。滝のすぐ横にある斜面はダンボールやソリで滑り降りるのに人気の場所でしたが、強化工事後は柵ができて滑れなくなりました。
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赤松のベンチ?
松枯れの被害を受けた赤松の大木は処分に困るため、公園のいろいろなところで2次利用されています。これは重すぎて運び出す費用を節約するために、ベンチみたいに置かれたものです。
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宅部通りのトンネル(11月)
大正時代まで利用されていた村山駅から宅部村を結ぶ村道があった場所です。西武鉄道ができるときに道路のトンネルとして造られましたが、現在は公園の入口のひとつになっていて、村道だった宅部池までの部分は散策路になっています。
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紅葉(01/11/18)
たっちゃん池の周りにはモミジがたくさん植えてあって秋には紅葉が楽しめます。夜の気温が10℃以下の日が続くと4〜5日で写真のように色が変わります。
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狭山公園(4月)
堤の下には広い広場があり、さらに一段下がって桜や赤松がたくさん植わった広場があります。赤松の木は公園の開園のときに植えられたものが育って大きな木になっていますが、狭山丘陵全体で発生している松枯れの被害を受けて、倒れる危険がある大木からどんどん切り倒されています。飲料水のための湖なので、松枯れを防ぐ強い消毒薬を散布できないんだそうです。昔は「都立狭山自然公園」の名称だったのを「都立狭山公園」にしたんだそうです。自然がなくなったのかなあ。
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村山下貯水池排水路(トンネル) 滝見橋から200mくらい下流にあった排水路出水口と放水用鋼管です。第一取水塔の北側から宅部川(北川)につながる長い地下水路の出口で、水門を開けると貯水池の底の水を抜くことができましたが、強化工事で導水管をコンクリートで閉鎖して撤去しました。(現在、宅部川水利組合の水利権をもつ農家が5人まで減ってしまったので、下流の田んぼのための特別放水は行われていません。田んぼも北山公園と諏訪町の2ヶ所だけが残ります。)
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排水路の輪切り(05/11/12工事見学会会場) 今回の工事で上の排水路の一部が掘り出されて撤去されました。大正12年に堰堤の盛土を積み上げるときに宅部川の水を堤の外に抜くための排水路トンネルです。取水塔が完成した後は必要なくなっていましたが、トンネル内に放水用鋼管を固定して灌漑用水を流していました。流域の住宅が増えて、宅部川への放水は危険なのでもう行なわなくなり、今回掘り出されました。
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桜の広場(03/4/8)
03年の満開の桜です。いつもの年より2週間遅れの満開が平日だったので人が少ない公園です。ここの桜は昭和8年に牛塚虎太郎東京市長の寄付で植え始めた桜のうち、主に里桜が植わっていた広場です。太平洋戦争の時には機銃台の設置や食糧増産のために多くの桜が切り倒されてしまったそうです。現在は多摩湖周囲に1万本、狭山湖周囲に2万本くらいが植わっていて、自生の山桜もたくさんあるそうです。
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桜広場(09/4/8) 堰堤工事が終わって、狭山公園の再公開が桜の満開に間に合いました。エドヒガンザクラの老大木はなくなりましたが、新しい植樹で桜が増える予定です。
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桜広場の夜(10/4/6) 雨上がりで風の無い桜広場にうすく霧がただよいます。 誰もいない広場では、花見客の食べ残しを探すタヌキとネコが歩いていました。
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氷川神社(11月)
公園管理事務所から北に歩くと桜の広場のはじっこに石碑と鳥居があります。石碑には「村社氷川神社」となっていて、宅部村の鎮守だったそうです。写真右端の木は貯水池の完成時に植えられた赤松だそうですが、04年に切り倒されました。樹齢は82年でした。
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氷川神社(4月) 堰堤耐震工事の際に古くて大きな桜は伐採されましたが、氷川神社の周りにはまだ残っています。
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鎌倉街道山口道(11月)
氷川神社の東側にある歩道は鎌倉古道のひとつで、山口から境峰を通って府中街道の九道の辻(小平境)に通じる古い街道の跡だそうです。写真右の道路は現在の「赤坂道」で道路の反対側には西武鉄道の西武遊園地駅があります。鎌倉古道の道筋は神社裏の斜面の上までつづいています。
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多摩湖の堤(村山貯水池下堰堤)
取り壊し前の下堰堤です。もともとは上堰堤と同じつくりだったそうですが、太平洋戦争の時の「堰堤防護工事」で耐弾層をつくって表面にカモフラージュの玉石を張り付けて、全体をコールタールで黒く塗ってあったそうです。コールタールが塗ってあった跡が最後まで残っていました。
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照明塔(旧堰堤の灯明欄干・親柱)
大正15年に造られた照明塔(親柱)の上部だけが耐弾層の上に出ていました。現在の上堰堤にある照明塔(親柱)と同じつくりで、横の穴には電球が入ってガラスのカバーがあったそうですが、真っ黒になって完成当時の面影はなくなっていました。平成15年の秋に取り壊されました。
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上堰堤(中堤)の欄干(高欄と親柱・12月)
西側の欄干(高欄)には高さ1mくらいの波除(なみよけ)がつくられていて、台風などの大風で堤の上に水があふれないようになっています。親柱の古い照明器具の穴はふさいで、後に取り付けた器具が付いています。下堰堤のものより小さいみたいです。
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新堰堤(村山貯水池下堰堤 2月) 2009年3月(平成21年)に完成した新堰堤は狭山湖(山口貯水池)の堰堤よりも強化された構造になっています。
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古い親柱 コールタールで塗られた部分が、以前の堰堤の上に出ていた部分です。現在は記念の遺構として南広場に埋め込まれています。
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満水の多摩湖(02年3月)
この年から写真中央の西武ドームの屋根が良く見えるようになりました。(西武ドームの完成は99年3月です)
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村山下貯水池第一取水塔(4月)
塔はレンガ造りで水面の上に出ている部分だけでも12m以上あります。塔の水面下には四角い7つの取水口あります。取水口のゲート(水門)を開けたり閉めたり調節して塔の中に水が流れ落ちる量を調節します。流れ落ちた水は塔の下から直径2mの導水路で東村山浄水場に流れていきます。
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取水塔の湖底(03/6/8)
堰堤強化工事のために水を抜かれて湖底が見えています。2003年の桜が終わるとすぐに工事が始まって、2009年の桜の開花前に終わる計画で、桜にあわせて工事期間を決めたそうです。手前が大正14年完成の第一取水塔、遠くが昭和48年に取水量を増やすために造られた第二取水塔です。二つの取水塔の中間には朝霞・東村山線から荒川水系の水を引き込む導水路口があります。
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第一取水塔の正面
この塔のあたりの窪地は昔の溜池「三光院池」があった場所です。地下の導水路は貯水池工事に使われたトロッコ軌道のトンネル「宮鍋トンネル」を通って、多摩湖道路(周囲道路)の村山貯水池駐在所の西にある軌道跡につながっています。高さ27m、外径8.7m、内径4.8mあります。
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第一取水塔の南側(04/3/17)
取水口が見えています。遠くに見える堤は耐弾層の撤去工事が終わった直後で、斜面に保護シートをかける作業をしています。(耐弾層の撤去工事は04年3月31日に終わりました。4月から夏までは生き物たちの営巣期になるので重機を止めて静かな湖にします。)
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第二取水塔の南側(3月)
昭和48年に取水量を増強するために、池の水を抜いて造られました。第一取水塔ににせて造られましたが、良く見ると窓の形や細かい飾りがちがい、作業用のベランダがあります。第二取水塔は高さ43m、外径9m、内径7mです。取水された水は新たに造られた地下の導水路「第二村山線」で東村山浄水場に流れていきます。(導水路のうち管状のもの=導水管)
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第一取水塔補強工事(06/10/25) 夜の仮設橋撤去作業で橋のなくなった取水塔です。補強工事終了後は昔からの景観に戻りました。
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朝の雲(堰堤東側の空 09/9/20 4時56分) 東の空の雲が動き始めると夜明け前の風が吹きます。
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夜明け前(09/9/20 5時54分) 秋の薄明を映して、湖面が10分くらい輝きます。夜明け前のふしぎな空気が流れて、やがて風が一瞬止むと太陽が昇ってきます。風向きが変って、湖面から吹き始めると朝の鳥が鳴き始めます。
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堰堤歩道(10/4/6) 安全対策の照明が堤を照らし出しますが、夜の活動を始める生き物にはちょっと迷惑のようです。堰堤を南北に飛ぶフクロウは現われなくなりました。
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貯水池余水吐(よすいばき・4月)
下貯水池管理所のすぐ横にあるオーバーフローのための水門と水路です。満水時に大雨が降ったりするとここの水門を開けて水を放流します。水門の手前にある長い水路は流木やゴミを取るためにでこぼこした構造になっています。写真手前の水路で十二段の滝に水を流します。水は宅部川(北川または後川とも呼ばれます)に流れていきます。(※貯水池管理所は管理事務所ではありません)
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改修後の余水吐 新規則で緊急時以外の放水は行なわないので、底を平らにして石垣が積み直してあります。
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耐弾層撤去工事(04/3/30) あと一日で重機の使用を終わらせるために、最後の5mのコンクーリートを撤去しています。4月からは検査と測量・記録が行なわれました。見えている土の斜面は大正15年に人の手でつくられた堤の本体です。77年ぶりに見えた堰堤の本体です。(04年5月には保護シートで見えなくなりました。)
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堤の南端(02/3/24)
強化工事以前は堤に上がる坂道が南北両側にありました。太平洋戦争の時に爆撃で壊れないように盛り上げられた「耐弾層」の厚さがこの高さです(2.5m)。ものすごく厚いコンクリートが上にのっていたそうです。堤体補強工事でこれを1年かけて取り除きました。昔の宅部山の三光院はこの左のあたりの斜面にあったそうです。
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新堰堤の南通路(10/2/10) 何十年かすると平成のサクラ並木になるよう、苗木が植わっています。
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宅部山の大桜(02/3/24滝の上広場)
狭山公園にあった10本の大桜の内の一本でした。残念ですが2005年に全て伐採されました。
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下堰堤南入り口通路の桜(03/4/8)
十二段の滝の上から南の入口方向です。通路を出ると多摩湖通りの「東大和警察署村山貯水池駐在所」の前に出ます。堰堤強化工事後は元の景色に戻されました。
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迷いのレース鳩(03/4/8堤の上)
多摩湖の下堰堤は鳩とカラスが多くて有名です。たまに鳩の群れの中にこんな足環をした鳩を見つけることがあります。これはレース鳩ですが、堤の上で休憩しているのか、野生の群れの仲間になってしまったのか。右足についている黄色い足環は「日本鳩レース協会」のもので、赤い足環は鳩の飼い主の連絡用のものです。もし迷いのレース鳩を保護した場合は「日本通運」に連絡すると、協会に代わって飼い主の家に届けてくれます。
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村山貯水池駐在所の前(03年11月)
左の建物が駐在所です。白い工事用の壁で囲まれたところが堤の上につながる通路の入口でした。写真右には狭山青年の家があった跡地の広場があります。
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村山貯水池下堰堤南口(10年2月) 昔、ここにあった駐車場のかわりに、写真の右にあった青年の家跡地が無料駐車場として整備されています。記念植樹されていたメタセコイアは伐採されてなくなっています。
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宮鍋トンネルの坂(3月)
埋め戻されたトンネルの跡が公園の通路になっています。多摩湖道路(多摩湖通り)の村山貯水池駐在所の西側にある交差点を10mくらい南に下った場所にあります。写真のまっすぐな道を後ろにのばした場所に、第一取水塔があります。
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宮鍋トンネル口の跡(3月)
坂道の下から上を写しました。宮鍋隧道(みやなべずいどう=トンネルのこと)の南入口があった場所で、大正時代に貯水池の工事資材を運ぶトロッコ軌道のトンネルだったところです。村山貯水池の工事完了後はその地下に導水路を埋めてトンネルも埋め戻されました。(写真右のコンクリートの壁が終わるあたりがトンネルの入口だったそうです)
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導水路広場・宮鍋トンネルの東(3月)
宮鍋トンネル跡は写真の左の後ろです。ここで左カーブした地下の導水路が写真中央の水道道路(多摩湖自転車道)の接続場所に向かっている場所です。この北側の公園からこの導水路広場には数百本の桜が植わっていて、多摩湖の工事期間中の花見の名所でした。
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水道道路の接続場所(3月)
導水路の広場の東にある坂道です。坂を上がると多摩湖自転車道に合流します。地下の導水路もそこから自転車道の地下を通って水道道路として東村山浄水場の西端にある「接合井」と「急下水路」を通って境浄水場までつづくことになります。
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急下水路(きゅうかすいろ)(11月) 水道道路(自転車道路)が東村山浄水場の西端に接続している場所にあります。高低差による水圧の急な変化で導水管を壊さないために設けられています。この上のプール(接合井)には多摩湖からの導水管の他にも、狭山湖からの山口線、玉川上水からの砂川線、荒川からの朝霞・東村山線の3本の導水管が接続していて、水門の調節で東村山浄水場と境浄水場に送り出す水量を調節しています。この水は境浄水場に送られます。
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ヤマカガシ(02/4/28狭山公園)
長さ80センチくらいの子供のヤマカガシです。頭の黄色い帯びと赤と黒の模様がきれいなのが特徴です。毒蛇ですが、マムシとは違ってあごの一番奥の牙に毒があって、深くかまれなければ命はだいじょうぶです。成長すると黄色い模様が小さくなって消えていきます。
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オオスズメバチ(02/10/6青年の森)
木の根元の洞(うろ)に巣を作っています。秋のスズメバチ、特にオオスズメバチは巣別れでとても攻撃的になっているので要注意です。公園で見かけるスズメバチは、誰かが巣に近づいてすでに攻撃モードになっていたりすることがあります。一度攻撃モードになると1〜2週間は続くので、刺激していないのに襲われたりすることがあります。
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多摩湖通り(周囲道路・多摩湖自転車道)
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多摩湖自転車道(3月)
狭山公園を出て多摩湖通りを西に進むと、しばらくは住宅が道の横にある区間が続きます。この住宅街の中を下ると「都立東大和公園」行くことができます。自転車道には写真のような進行方向のペイントがしてありますが、「自転車歩行者専用道路」として整備されていて、歩行者優先の道路です。自転車の同好会やクラブのタイムレースが行われていることもあって、自転車で走っていてもあぶないなと思います。ゆっくり走りましょう。
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つちんどモニュメント(狭山緑地・3月)
多摩湖道りを歩いてきて住宅街が終わって、写真のモニュメントがある場所にきたら、ここからの左側の斜面は「狭山緑地」です。右には「下南第10号扉」の水道用地の入場扉があります。ここからは森に囲まれて、鳥たちがたくさん見られる緑地エリアの中の道がつづきます。(モニュメントは湖底に沈んだ芋窪石川の「土が窪池」に伝わる伝説の大蛇「つちんど」(槌頭の蛇)だそうです。)
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多摩湖道り(多摩湖自転車道・3月)
狭山緑地の尾根のあたりの自転車道です。
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鹿島橋東(3月)
狭山緑地の西口にあるトイレの横が公園の一番西の出入り口になります。写真は狭山緑地の西口から西側にある鹿島橋を写しています。
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鹿島休憩所(3月)
自転車道の鹿島橋を渡ると「鹿島台」の頂上にある休憩所です。あずまやと水道の蛇口があり、トイレは北側に下りた鹿島台のバス停前にあります。あずまやのある場所には貯水池の工事前には豊鹿島神社の奥の宮が建っていた場所です。豊鹿島神社は写真の左のほうにある階段を下りて砂利道を200mくらい下った斜面にあります。
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鹿島橋(08/4/11) 塗装工事で環境になじんだ色に塗り替えられた鹿島橋です。以前の色より浮いているような気がしますが、環境色だそうです。
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鹿島台の旧道(3月)
鹿島休憩所の南にある階段を下りると写真の鹿島台の旧道に出ます。昔の村道です。この道を写真手前に歩いてくると西側の林の中に「子供広場」があり、広場の下のほうに向かって狭い道を下ってくると住宅地を通って、200mくらいで豊鹿島神社の社殿裏に出ます。(鉄橋は2005年に赤褐色に塗り替えられています)
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豊鹿島神社(とよかしまじんじゃ・2月)
鹿島台の南斜面にあり、芋窪の鎮守様です。神社の西側にある道路は交通量が多くて歩道がないので、多摩湖自転車道に戻るにはまた旧道を戻るか神社の参道を下りて青梅街道に出てから東の狭山緑地あたりから上ってこなくては危険です。
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豊鹿島神社の御神木(3月)
ケヤキの大木が倒れて何十年もたって、今はこれだけしか残っていませんが、近くで見ると大きな木だったんだとわかります。現在は二代目の木が右のほうに植えられて育っています。(写真の細い木ではありません)
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豊鹿島神社参道
青梅街道の芋窪の交差点から西に見える火の見やぐらの場所が参道の入口になります。参道前にあるバス停の名前は、都バスと西武バスは「貯水池下」で、立川バスは「芋窪」になっています。写真の遠くに見える森が境内の森です。貯水池の上堰堤(中堤)からは15分くらい歩きます。
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多摩湖北側
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多摩湖自転車道北回り(3月) 桜の広場から西武遊園地の尾根(境峰)に上がって山口城址通りの分岐から水道局のフェンス沿いに進むと、多摩湖自転車道の北ルートになります。レオライナーとゴルフ場を見ながらのコースで、徒歩30分くらいで西武ドームから中堤まで来ることができます。写真の切り通しの場所は山王峰の頂上あたりになります。(湖底に沈んだ清水の山王社と山王池が南側に降りたところにあったので「山王峰」と呼ばれています)
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中堤(村山貯水池上堰堤)
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上堰堤(通称「中提」03/9/14)
下堰堤の工事のために水を抜かれた下貯水池の湖底が見えています。中堤の上は狭い道路で埼玉県と東京都を結ぶ重要な道路になっています。何年か前に堤の下の広場の道が整備されて、歩きやすくなりました。それでも、自転車を押して上るのはきついです。
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上堰堤(中堤)の新しいフェンス(04/2/11)
工事中の下池に侵入する人が多いので、04年2月に高いフェンスができました。水路での人身事故が続いたので水道用地内への侵入対策を厳しくするんだそうです。写真中央上あたりの色の違う湖底のあたりが昭和20年春の空襲で爆弾が落ちて大きな穴があいていた場所だそうです。
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上堰堤(03/3/9)
水を抜く前の中堤です。中堤に現れる、シーズン最後の猛禽たちを見るために、双眼鏡や望遠鏡をもった人が集まっていました。丘陵の鷲や鷹たちは、カエルの卵の孵化が始まる頃になると、営巣のためにもっと餌の豊富な場所に移動して現れるようになります。
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下池の雪(05/1/1中提) 前日に降った雪で枯れ草の湖底が白くなりました。餌場の浅瀬が隠れてしまったので、カワウやアオサギが近くの河川や上池、狭山湖の方に移動していくのが見られました。
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上池取水塔(3月)
大正12年の完成ですが、上の操作室の建物は平成3年に改築されたものです。丸い取水塔の部分は内側を花崗岩、外側をレンガで張った高さ27m、外径7.8m、内径4.8mの鉄筋コンクリート製です。4つの四角い取水口がつけられていて、その上に満水時の「余水吐」(オーバーフローゲート)があります。塔の下から「引出トンネル」(村山上・下連絡管)で下貯水池に水を流します。
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村山貯水池・上池(6月)
梅雨前に急な増水に備えて水位を下げた上池です。取水塔の下の部分が見えています。
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南3番基準点(東京都水道局測量用基準点)
村山上貯水池管理所前の赤白のガードレールに囲まれた中には堤の両岸に埋められた基準点の標石があります。基準点は満水時の堤のたわみを測量するためにあるものです。定期的に測量していて、もし急な変化がある場合は堤の中の地下水位などを観察しながら貯水量を減らして決壊に備えるんだそうです。昔からの場所にあるので、バス停をつくる道路工事でこんな場所に残されています。(堤の北側のバス停近くにも2ヶ所あります)
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基準点の標石
この中心に打ってある真鍮の鋲の十字が測量の基準になります。1ミリ以下の精度で変化を監視しているんだそうです。車の重さや振動で動いちゃわないのかなと思いますが、深さが1.5m以上ある石柱が埋まっているんだそうです。これは「村山上堰堤南3番基準点」です。
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南4番基準点
堤防のたわみを測るための基準点は両岸に4ヶ所づつあります。道路の舗装工事のあった年には基準点が少し動いてしまったそうです。(他の基準点の位置から動いてしまった基準点を補正するんだそうです。)写真の基準点の後ろのほうには堤下広場に降りる階段があります。
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堤体基準点の測量(3月)
堤本体の内側と外側に4ヶ所づつある堤体基準点の浮き沈みと水平位置を計測中です。空気が揺らがない夜間に測量して、2ミリメートル以上の変化がないか確認します。毎年、3月の同じ頃に測量するんだそうです。
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地下水位観測用ピット 鋼管が堰堤の下部まで埋め込まれていて、堰堤の地下水位を測定するときにふたを開けて直接水位を測ります。堰堤のいろいろな場所にあって、さびたりふたがなくなったりしていますが、まだ活躍しています。(狭山湖の堰堤には最新式の自動観測装置が埋め込んであります。)
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調査中の村山貯水池上池(04/11/17多摩湖橋) 04年10月23日の中越地震の直後から1ヶ月以上、調査のために水が抜かれていました。水門を閉めて12月10日頃から水位が上がりはじめました。
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上堰堤南側
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上堰堤(中堤)南の階段(12月)
堤の上の道路は自動車が多く、歩行者は危険なので、堤の下の広場に造られている歩道を利用しなくてはなりません。写真は堤の南端の階段です。階段の左(東側)にあるフェンスとの間にある歩道から上堰堤南の広場に入っていきます。昔は広場と呼ぶくらいの広々とした場所だったそうですが、成長した木々で湖面は見えなくなっています。
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水道局のテニスコート
水道局職員のレクリエーションのためにつくられて、今でも利用されていますが、へたくそなボールが水面に飛んでいってしまうので初心者の利用はだめだそうです。向こう側の尾根の中腹に監視カメラがあります。この水路口で人が水に落ちると助からないことが多いので重点監視している場所です。
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サージホール
上池から下池には直径2.62mの導水路の「引出隧道」を通じて水を流して水量の調節をしています。このサージホールは下池の放水口のすぐ上にあります。上池から自然落下で流れ込んでくる水の流れの急な変化や水に混じった空気による衝撃(ウオーターハンマー)をここで緩和しています。見ていると数秒から数十秒の間隔で水が吹き上がります。(03年からの下池工事中は水量が減っていて、激しく噴き上げることはありません)
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サージホールの凍結(04/1/24)
毎年、周りの柵のあたりに氷ができるのですが、流量が減っているので穴の周りにも氷がつきました。
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連絡管路放水口(03/3/9)
この水の中に放水口があります。勢いのついた水が導水管(導水路)からでてくると、湖底の泥を巻き上げたり、湖面に大きな波を作って岸の泥をえぐってしまいます。飲料水の池ですから水のにごりは大敵です。いろいろな工夫をしてあるおかげでこの水路の水も澄んでいます。水路はくの字にまがって流速を下げながら下池に流れるようになっています。
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連絡管路放水口(03/12/14)
水を抜かれた放水口の水面下です。引出隧道が見えています。導水路の出口の先は石垣とコンクリートでできた湖底の水路で湖の中央にあった昔の宅部川の川筋に合流しています。(水を流し出す導水路のトンネル=引出隧道)
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ねずみ沢(03/3/9)
放水口のすぐ前にある谷は昔のねずみ沢で、写真中央のあたりに昔のねずみ沢のため池があった場所だそうです。写真の水面がざわざわしているところは湖底にある水路が左に急カーブしている場所で、いつも水が巻き上がって渦を巻いています。
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ねずみ沢(04/1/24)
上の写真の中央部分の湖底です。渦が巻いていたのはこのカーブの場所です。遠くの谷奥には明治時代に作られた水門式の溜池の堰の跡が見えます。
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ねずみ沢池水門跡
村山貯水池の湖底に沈んだ溜池の水門で残っているのはこの水門だけらしいです。貯水池ができる前の大正時代には、放水量を調節できる最新のものだったそうです。貯水中は水の中に沈んで見えない水門です。水を抜いた多摩湖の湖底には昔のため池の堤の形が残ってる場所が他にも数ヶ所見られます。
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湖底の川(1月)
導水路から出た水は湖底に造られた水路を流れて湖底の中央あたりで昔の宅部川の川筋に合流します。北側のほうに見えるもう一つの湖底の水路は、山口貯水池の第2取水塔から地下導水路(引出隧道)で流れ込んでくる水の流れで、これも旧宅部川の川筋に合流しています。
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水道用地の竹林(1月)
たけのこで有名になったゲートです。たけのこ(筍)を掘るために、このフェンスをこわしていく人が毎年いて困っているそうです。近くの茂みにはしごを隠していく人もいるんだそうです。斜面のあたりでは監視カメラで顔まで良く見えるんだそうですが。
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ダストシューター
花見の季節に出る大量のゴミを集めて、車両に積み込むために造ったものです。公園のいろいろな場所にあります。
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南の広場・春(通称「つつじ山」・5月) 桜の木に若葉が出るとツツジが咲き始めて、5月には広場全体がツツジ色になってしまいます。青葉に隠れるようにウグイスが鳴きはじめる時期です。
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中提から上池の奥(12月上堰堤)
天気がいい日には大岳山(左のとんがった山)や御岳山(その右のとんがり)が見えます。東よりの風が吹く日には写真右奥の入り江からオオタカが上空に上がっていくのを見ることができます。右奥の入り江は水道トンネル(かぶと橋や吉祥山)の方向になります。
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渡り鳥の到着(03/11/5上堰堤・日没後)
秋も深まると寒冷前線が通り過ぎるたびに、渡りの鳥の群れが到着します。北西の風に乗ってきた水鳥の群れは最後の山越えをして、日が暮れる頃には西のほうから丘陵に現れます。一部の群れは丘陵の上を通り過ぎて都心の池や河川にむかいます。
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アトリ・雄(04/1/24上堰堤)
丘陵には冬の間だけやってくる渡りの冬鳥です。雌とのつがいで仲良く渡ってきます。冬羽根の色がきれいですが、じっとしていないのでなかなか見せてもらえません。
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上堰堤北側
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沈殿池(ちんでんいけ・3月)
正式には「上堰堤下水設備沈殿池」というそうです。堤の上にある道路から汚れた雨水が直接貯水池に流れ込まないようにと造られた沈殿池と濾過池(ろかいけ)が堤の南北両側にあります。写真は北側の沈殿池で大正時代まであった蔵敷(ぞうしき)の溜池「すりばち池」があった場所です。自転車道路のこぶし橋の上からも見えますが、写真はあずまやのそばのフェンスのところで写しました。(堰堤の上は、雨水が西側の排水溝に集まるように東側を9cm高くした傾斜した道路になっています。)
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南側の沈殿池(上堰堤南側・1月) 上堰堤南にある管理所前のバス停から鹿島台に向かって120mくらい歩いたところから見ることができます。
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ヨコズナサシガメの巣(03/9/14上堰堤)
桜の木の割れ目の穴に巣を作って卵がかえっていました。赤いのは幼虫だそうです。脱皮すると写真右にいる羽化直後の成虫の色(赤い点々が残る)になるそうです。
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ヨコヅナサシガメ成虫(03/6/2上堰堤)
2cmくらいの大きさで、とても変な形の羽と模様です。
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「狐の大松」の切り株(05/5/7) 堰堤北のあずまやの広場に立っていた大松がありました。江戸時代から堂入、長峯、新塚の尾根道が集まる場所で、尾根越えの道しるべになっていた大松がついに伐採されました。樹齢は160年くらいでした。
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多摩湖橋からの富士山(03/3/9)
狭山湖の堤ほどではありませんがここからの富士山も人気があります。ここの湖面には下池ほど多くの水鳥がいません。写真の湖面あたりは秋から冬には猛禽類のトビやオオタカが飛行するコースです。
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上堰堤の桜(4月)
堤下の広場には木はありませんが、両岸の桜は300本くらいあるそうです。
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モンキチョウ雌(04/12/11上堰堤) 白っぽい前翅(まえばね)とピンク色の縁取りがめだつ、シーズン最後のモンキチョウです。(白型と黄型の中間くらいの白さでした。)
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慶性院山門(慶生門または慶性門・9月)
村山上貯水池の工事で移転した芋窪の石川のお寺「慶性院」の山門が工事の完了後も上池の奥のほうに取り残されていました。昭和29年、保存のために解体してここに移築されました。平成4年には大修理をして周囲が整備されました。
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だいだら法師の丘(1月)
慶性門の上に上がると頂上に広場があります。日が暮れてからここに上ると、ドキッとします。多摩湖通りのすぐ横なので、車の音でうるさい場所ですが、春に桜が咲きだす頃には多くの鳥たちが集まってくる場所です。冬には見通しのよくなった木の間から、多摩湖と狭山湖を行き交う鳥たちを観察できます。
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だいだら法師の丘の三日月(11月) 11月の第3週になると紅くなった落葉樹の葉が毎日のように落ちて森の中の見通しがよくなります。
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山口観音・釈迦堂(3月)
山口観音の本堂から五重の塔に上がって、南側の道路に出ると、レストランブルーベリーの横にでます。レストラン裏の砂利道は昔の西武鉄道のおとぎ電車の軌道跡です。レストラン裏の軌道跡の砂利道を100mくらい上ると、竹林の上で軌道跡は右に曲がります。軌道跡とは反対の左にまがると写真の釈迦堂にでます。
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釈迦堂の蜜の木(3月)
釈迦堂の周りには5本の蜜場の木があります。マニアの間では「山口観音の木」で知られているそうです。お堂の正面にあった一番古い木はクワガタの木でしたが、03年の11月に倒れてしまいました。
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倒れたクワガタの木(03/11/5)
倒れた翌日の写真です。倒れて裂けた木の断面です。黒っぽいクワガタムシの道とその周りに巣穴が5本あるのがわかりました。残念ですが撤去されてしまいました。
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朝焼け(02/7/20ユネスコ村、朝4時半)
夏、まだ外の暗い3時くらいに森に入ると日中は見られないめずらしい虫や生き物たちにあうことができます。そして、7月頃だと4時過ぎには東の空が明るくなってきて、多くの鳥たちがいっせいに森のふちに出てきます。
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旧・山口線の軌道跡(おとぎ電車の線路跡・3月)
1984年に廃線になった旧・西武鉄道山口線の線路(軌道)跡です。写真を写しているあたりから後ろにホームがあったそうです。砂利道の脇にはレールをとめる釘が落ちていました。以前、左のほうの駐車場の場所にはぼろぼろの汽車が展示してあった場所です。汽車は保存のために移転したそうです。
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鳥獣保護区の看板
古そうな看板には、ユネスコ村駅の表示があって、現在の西武球場前駅が狭山湖駅、西武遊園地駅が多摩湖駅となっています。(西武鉄道の駅名は昭和53年に変わりました、東大和市駅もそれまでは青梅橋駅でした)そして、多摩湖、狭山湖の周囲は「鳥獣保護地区」でさらに狭山湖の周囲は「特別保護地区」に指定されています。
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トロッコトンネル(2月)
狭山湖の工事のために昭和になってから造られた、道路をくぐるトロッコ軌道のトンネルです。上のフェンスは多摩湖自転車道路のフェンスで、トンネルの向こう側が狭山湖側です。夏になると毎晩のようにタヌキが通路にしているトンネルです。左の斜面を上がると「玉湖神社」、後ろのほうに歩くと「狭山富士」があります。
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ゲラのアパート?(2月)
4cmの小さい樹洞から8cmくらいの大きな穴まで、6ヶ所も樹洞があいているコナラの木です。古い爪あとがあるので、何かが棲んでいたみたいですが、今は何が棲んでいるのやら。
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玉湖神社(たまのうみじんじゃ)
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あかまつ橋から玉湖神社(02年3月)
山口観音釈迦堂の交差点から200mくらいでこの自転車道の「あかまつ橋」に来ます。左の先のほうに玉湖神社の鳥居が見えてきます。紅葉でも人気の玉湖神社ですが、桜の季節も見のがせません。橋の名前にもなった写真中央の赤松の木は倒壊の予防のために03年に切り倒されて、現在はありません。
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玉湖神社(たまのうみじんじゃ・11月)
参道の一番鳥居です。玉湖神社と狭山富士の場所は多摩湖の北岸ですが、東京都東大和市になります。写真を撮っている場所の足の下にはトロッコトンネルが通っています。
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玉湖神社拝殿(11月)
昭和9年12月に、明治神宮を設計した大江技師が設計して造られました。昭和10年1月から山の神様と水の神様を祀(まつ)り、昭和42年に神様を府中に戻すまでの32年間、愛護会が守ってきました。長年、水道用地内の遺構(いこう)扱いでしたが、平成23年3月11日の東日本大震災でコンクリートに亀裂が入り、23年11月に解体されました。
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キイロスズメバチの巣(04/12/7玉湖神社拝殿)
直径25cmくらいの小さい巣が拝殿の屋根の下にありました。外側の殻が割れて中に三段の巣盤が見えました。500頭くらいのキイロスズメバチが羽化したみたいですが、夏に引っ越して空っぽになったままのようです。
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昔の狭山富士(昭和9年の写真だそうです)
03年夏から、狭山富士を復元しようと努力している70歳のおじいさんがいます。毎日自転車で東大和駅の近くから通ってきています。長い間笹に埋もれていた山頂や崩れた登山道を登れるようにしています。4本の登山道のうち3本を修復しました。ごみもたくさんの袋で運びました。おかげで山頂に上れるようになりました。ほんとうにありがとうございます。(このおじいさんの名前をもらって「じろー富士」と呼ぶことにしました)
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狭山富士参道入口(03年11月)
参道の正面です。長い間手入れされていなかったので、階段は埋もれて草のなかに隠れています。
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きれいになった狭山富士参道(04/2/11)
参道の階段もきれいになって道路から登り口が見えるようになりました。狭山富士は完成後1年で山頂の南側の土が大雨で流されて山頂の部分にかぶせてあったコンクリートのドームが崩れ落ちたそうです。昔の写真にある頂上部分は3つに割れて、南と西には大きな塊が落ちています。今も危険な斜面があるので注意して歩いてくださいとのことでした。
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狭山富士頂上(03年11月)
完成したときの頂上より低い部分のコンクリートが残っているだけですが、これが現在の頂上です。すぐ北にある高射砲台の森から給食センターの森や仙元の尾根までを見渡せるのでオオタカやハヤブサが空中戦をするのを眺めるには絶好の場所です。(野山北公園の展望台がなくなったので、六道山の展望台とここが猛禽エリアを見渡せる場所になりました。)
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狭山湖第一取水塔(狭山富士山頂から北方向・11月)
昔は多摩湖と狭山湖の両方を見渡せる場所だったそうですが、成長した木がじゃまをして湖面の一部が見えるだけになっています。写真は西谷戸の中うね方向にある取水塔です。
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勝楽寺の森(狭山富士山頂から西方向・11月) 通称「給食センターの森」の方向です。尾根道(周囲道路)に沿った多摩湖側の入り尾根が三つと狭山湖側の大尾根が二つ見渡せます。写真のまん中より少し左の一番高い尾根の向こう側に武蔵村山市の給食センターがあります。写真右端のひいらぎの尾根の向こう側あたりが、狭山湖の中丸谷「カラスの森」で一日中カラスが出入りしています。左端あたりが七国峠です。
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トロッコ軌道跡・西側ゲート(11月)
狭山富士の南側に下りると、フェンスに沿う幅3.6mの道があります。山口貯水池(狭山湖)の建設工事のときに、トロッコ列車が走っていた軌道跡です。村山貯水池工事の時に使われたトロッコ軌道が工事終了後も、武蔵村山の中村・横田から中藤の五つのトンネルを通って上池の導水路口まで残されていました。山口貯水池の工事がはじまると、上貯水池の導水路水門(導水路-導水路制水門=通称「どうどう」)の北からこの場所を通って山口貯水池に資材を運ぶ軌道がつくられていました。
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トロッコ軌道跡(11月)
太平洋戦争の最中の昭和19年には村山貯水池下堰堤の耐弾層工事に使う砂利や玉石を羽村から輸送するために、この先で線路を東に分岐して輸送したそうです。狭山富士を造るときもここにあった線路で土を運んで盛り上げたそうです。このフェンス沿いは1年を通じて多くの鳥たちが集まる場所です。見通しはあまりよくないのですが、ぼくのお気に入りの場所のひとつです。
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トロッコ軌道跡(12月) フェンスに沿って100mくらい歩くと横に古道の坂道があります。古道は芋窪街道が豊鹿島神社から多摩湖の湖底を通って北上する道で、この坂を北に上がると大久保の尾根から狭山湖の湖底の神門(ごんど)に下りて、北の天神峰に上がると三ヶ島八幡神社につながる道でした。坂道は北寄りの風が吹く冬には大型の鳥が狭山湖と多摩湖を行き来する空路にしている谷です。
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トロッコ軌道の分岐場所(11月)
フェンスに沿って軌道跡を東の端までくると、写真の場所に来ます。写真中央にあるゲートは道路下のトロッコトンネル前にあるゲートで狭山湖に向かう軌道が通っていた場所です。右に見えるゲートは、昭和19年の耐弾層工事のときにトロッコ軌道の支線を村山貯水池の下堰堤まで延長するために新しく設けられたトロッコ軌道のあった場所のゲートです。写真を撮影しているあたりで線路が別れていたそうです。左に上ると玉湖神社です。
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狭山富士の紅葉(03/11/26)
狭山富士の周りには紅葉する木が植えてあります。紅葉の季節には、夕日が照らす時間になると、この色を楽しみにしている人たちが集まってきます。
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西武球場
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西武ドーム(9月) 西武ドーム西側にある屋内練習場と第二球場です。昔ここにあった丘(狐峰)を切り崩して、村山貯水池上堰堤を造るときの盛り土にしたそうです。大正時代までは東側の新堀の尾根(東峰)に向かって三つの小尾根と谷戸があり、現在の屋内練習場の下から駅の北のほうまでは段々の田んぼがあったそうです。
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西武ライオンズ第二球場(03/4/9)
満開の桜の球場で、巨人対西武の2軍の公式戦をしていました。この日は清原が一軍復帰前の最後の試合でしたが、3三振でした。写真の一塁は清原です(見えないか・・・!)。2003年の春は気候が2週間くらい遅れていたので、桜だけでなく、いろいろな生き物に影響が出ました。虫たちの発生や、鳥たちの営巣、カエルの孵化、それに夏のセミやカブトムシたちの羽化にも大きな影響が出ました。
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おとぎ電車の軌道跡(西武第二球場三塁側・3月)
西武ライオンズ第2球場の南側のフェンス沿いは昔のおとぎ電車の線路があった場所です。二軍の試合がある日にはこのフェンスから選手を見ようと人が集まってきます。
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西武ドーム(02/9/18)
日が暮れてもにぎやかな音と光がもれてきますが、生き物たちは夜の活動をはじめます。ナイターのあった夜は東側のフェンスの下をくぐってタヌキが球場の敷地の中に入ってきます。暗くなったスタンドや売店のあたりをうろついて掃き残した食べ物をさがしています。一塁側のフェンスの近くで照明が消えるのを待っているタヌキが見かけられています。東から3匹と第2球場のほうからもたまに3匹が現れるそうです。(2002年シーズン)
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ヒゲコメツキ(11/6/4大芝原) 体長22mm、落葉が積もった林床に生息します。日当たりがよくなると消えていく、森の生き物です。
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タヌキの道(10月)
球場の東側のフェンスは地面とのすき間が数センチしかないのでタヌキは通りません。でも、3ヶ所通れる場所があります。職員ゲートとレオライナーのトンネル出口の上、それから写真のフェンスを修理した場所です。写真左の森に住んでいるタヌキはこの道路を横切っていちばん安全で近いこの右のフェンスの下をくぐって球場に入ります。
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けものみち(2月) 上の写真の左側のフェンスです。写真中央のフェンスの下から斜め左下に向かって、タヌキが通るけものみちあります。タヌキのにおいがするのにウサギもここを通ります。(03年の8月から9月にかけて球場近くの道路で3匹のタヌキが交通事故死で見つかりました。年末までに鹿島台の事故死とあわせて合計5匹が死にました。04年4月までは中堤北にある石碑の裏にタヌキの白骨死骸がありました・・・)
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丘陵雲(03/11/26狭山富士頂上)
日が沈んで、丘陵の南に沿って東西に長く出ていたちぎれ雲の列がどんどん消えていくところです。南の空には三日月が見えてきて、これから寒い冬の月夜の週がはじまろうとしています。下弦の月になるまでの10日間、渡ってきた冬鳥たちは静かに夜を過ごすようになります。(左上に上弦の月と中央に富士山です。)
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