CLUBCGIレンタル日記 REVIEW
1月15日
1月16日
1月17日
1月18日
No.1
降雪
京都に雪。降っているのに自転車で強行突破。というのは遅刻したもの
で。
1限は哲学概論UL。今日は最終講義。ペーパーでまとめ。
2限教育人間学概論ULは予定授業終了につき、休講。
図書館に行き、学習かといえば、PC相手に遊んでしまった。
レポートが貯まっているのに大丈夫かいな。
3限は(教)日本史GB。この講義は社会科、地理歴史科の教員を目指す人
向けに開講されている。それゆえ、他専攻はもとより、他学部からも
受講生が来る。近代化の弊害、日本史を教える意義など考えるところが
大いにあった。最後は拍手でしめた。
4限は公民科教育法UGC。最終回は「青い目・茶色い目」というビデオ
を見る。授業のサンプルという訳である。
果たして教師は偽善者でなくてはならないのか。その辺りを考えた。
No.18
開設
CGIレンタル日記開設。
No.2
震災8周年
ついに8年目が巡ってきた。8年という月日は速かったような遅かった
ような気がする。あの日、知人のお母さんが亡くなられた。
そんな会話がなされる異常性。もっと遅い時間ならこんな数では
すむまいと父は言った。
天災は忘れた頃にやってくる。気を引き締めなければ。
No.5
筑紫哲也氏の講演会
News23で御馴染みの筑紫(ちくし)哲也氏の講演会が京都外国語大学
で開催された。演題は「筑紫流語楽のすすめ」。
演題の通り、語学の話が中心となった。
「グラマーがグラマーを失わせる」とか日本人の恥とかが出てきた。
質問としては「報道の客観性」など。
2つ目の質問(外大の学生)の「私たちが平和のために何ができるの
か。」というものが印象的。筑紫氏は「ブッシュがイラクを攻撃で
きないのはなぜでしょうか。それは国際世論の抵抗が大きいからで
す。国際世論は軽視できません。」と述べた。
2003/01/19(Sun)
No.6
漢字検定受験
漢字検定準1級受験。討ち死にしたかも。
塩小路堀川の京都科学技術専門学校が会場。
帰りにキャンパスプラザに寄って、別館の日記を更新。
地下鉄に乗って帰宅。
2003/01/20(Mon)
No.44
年度末
1限をまたも遅刻。
明日討論をやるそうである。IRAQ戦で、"Yes"
立場が異なるから頭が痛い。
2限は学会出席のため休講。
3限は原谷行最終回。
4限は地歴科U。最終講義試験となる。
題目不明。
2003/01/21(Tue)
No.4
後期最終日
本日、授業最終日。この後は、定期考査。
これが問題。
2003/01/22(Wed)
No.3
ごろごろ
大学の授業がないもので、家でごろごろ過ごしてしまった。
日が落ちてから郵便局の人が配達ミスの話をしにきたから、
応対したものの、外へ出たのは20時過ぎ。
期末レポートが大量に残っているのに大丈夫か。
2003/01/24(Fri)
No.12
文学部事務所にて
社会学概論ULレポート提出。
事務所で桂島宣弘教授に会う。
「原稿用紙で提出でしたね。」と確認すると、
「それが望ましい」
というわけで、死んでも出さないわけにはいかなくなった。
2003/01/25(Sat)
No.19
レポート完了
今日、現代と都市L、公民科教育法UGC、日本史基礎購読E6のレポート
を出し、ついに完了。我部山氏と会う。「徹夜明けやねん。」と私。
「ご苦労さん」
2003/01/26(Sun)
No.41
つれづれなるままに
つれづれなるままに日を過ごしてしまった。
2003/01/27(Mon)
No.39
嗚呼
2限に地球科学GBの定期考査が実施された筈であるが、
11時半に起床し、受験できず。
追試も寝坊では申請できまい。
2003/01/28(Tue)
No.10
定期考査
火曜は1限最終講義試験、2限レポートであるから少ない。
ところが、残る2つの不良債権をまとめて、消さなければならない。
3限化学GA。産社事務担当で、以6。
問題は予告めいたものがあったとはいえ、苦しい。
4限環境考古学L。キーワードが多数揃っていたので、それを書けば
通る気がする。持ち込み自由であるし。
2003/01/29(Wed)
No.7
とにかくすべて終わり
私にとって、定期考査最終日。
1限は哲学概論UL。久々の清549で実施。
出題はほぼ予告通り。という訳で、予定通り苦戦。
悪戦苦闘の成果が出ればよいのだが。
2限は教育人間学概論UL。こちらも出題は予想通り。
であるが、度忘れが本番出て悔しい。
コンソのレポートと苦闘して5時過ぎに下校。その足で
キャンパスプラザへ向かった。
無事提出。天命を尽くして、とは言い難いが、しかし、
人事を待つのみである。
PCで遊び、206乙で帰る。
2003/01/30(Thu)
No.8
帰ってきた
ようやく、帰ってきた。しかし、即バイト。
中3の三部さん、尾形君、鵜瀬君、・・・。
2003/01/31(Fri)
No.9
News23
今日は、「ニュースステーション」と「News23」をハシゴする。
両者の質が比べられる。今日は前者は某ソプラノ歌手のインタビュー。
相変わらず、久米氏は際どいことを訊く。
後者は、「Rolling Stones」のインタビュー。筑紫氏のインタビュー
を期待していたけれど、草野氏の担当であった。artistとbusineseの
境界という話は、違った視点があって面白かったのだけれど。
両者とも施政方針演説を報道していたが、どちらも叩いていた。
2003/02/01(Sat)
No.11
講師
4時から塾であったのであるが、ネクタイを締めそこない遅刻。
滝川の中2、中3を教える。
中2なのに数学は二次方程式。平方完成を利用する方法、
一次の項が偶数の場合の解の公式など。
2コマ目英語。
2003/02/02(Sun)
No.43
記憶にございません(塩爺風)
日曜であったので、ぼんやりと過ごす。
2003/02/03(Mon)
No.97
介護等体験社会福祉施設1日目
今日から5日間、垂水作業支援センターにて、介護等体験。
初日、施設の方々の話や、自己紹介。
作業そのものは、本来は難しいものではないのであるが、
袋詰ができても、テープでとめられないなどという方が
いらっしゃる。
西岡橋の郵便局に寄って、引き出し、そのままバスに乗る。
2003/02/04(Tue)
No.101
介護等体験社会福祉施設2日目
7時46分の西神中央行に乗り、今日も垂水作業支援センター
へ向かう。
吉田氏に会い、いろいろ話を伺う。聞くと、息子さんが
同志社へ通われていたそうである。
2003/02/05(Wed)
No.105
介護等体験社会福祉施設3日目
今日も8時の54系統「舞子駅行」に乗る。HINO。
乗る列車が7時46分の西神中央行になった為。
今日も1000系であった。
大門橋のバス停から西部障害者センターへ向かう
途中で同じ方向へ向かう人を抜く。
センターへ着いて、誰か分かった。
休憩時、オセロをやる。慣れておられないらしく、
大楽勝となる。
2003/02/06(Thu)
No.109
介護等体験社会福祉施設4日目
今日は7時55分の「西神中央行」(1000系)であったので、
8時ちょうど発の54系統に乗れず、8時10分発の53系統
に乗る。もちろん「舞子駅行」。両者のルートは大門橋
までの経由地が異なる。53は多聞東小学校、舞子高校、
本多聞5丁目などを経由し、大門橋へ着く。54は多聞団地
センター、多聞寺を経由して大門橋へ着く。
それはともかく、西部障害者センターへ到着。介護等体験
であるから、バスから下りるのをお助けする。手助けにな
ったろうか。
今日は吉田氏もいらしていて、いろいろ手伝わねばなるまい
と手を貸す。とはいえ、なんともはや。
今日は西部障害者センターから121系統で学園都市へ帰る。
ところが、交通事情からか、バスが8分遅れた。普段なら
定時より早く学園都市に着くこともあるのだが、
小束山で70出しても、4分遅れて学園都市へ着くこととなった。
その為、16時58分に乗られず、17時4分の「新神戸行」となった。
代償は北神急行であったので、帳消しとしよう。
2003/02/07(Fri)
No.110
介護等体験社会福祉施設5日目・最終日
最終日も8時10分の53となる。ゆえに、今日も7時55分の「西神中央行」
に乗る。
最後ともあって「いい先生になってください。」と向こうの方に言わ
れ、恐縮しきりであった。
帰りは大門橋から53。実は初めてここから乗るのである。
HINO Blue Ribon Cityのツーステップ車であった。神戸市バスでは
一番好きな車種。
遅くなったので、17時15分の谷上行となった。1000系。
名谷で運転士交代。地下に潜って板宿に到着。
2003/02/08(Sat)
No.24
明石海峡大橋を見に行く
月見山左折、衣掛町右折で海岸沿いの道へ出る。
須磨浦公園付近で渋滞に巻き込まれる。
明石海峡大橋は神戸市と淡路島を結んでいるが、
神戸側の架橋下がここ、舞子にある。
全長3911mというが、やはり下から見上げてみると、
その大きさは実感できる。付近には有料駐車場がある。
ガソリンスタンドを目印に左折し、北上する。
三井住友銀行から名谷町までは、かつての教習ルート。
ここを左折すると恐怖の七曲り。上りだからまだましであろう。
福田中学付近が最も見通しが悪い。
高丸から直進すると多聞。掖済会病院の案内につられて右折
してしまうが、実際は一本手前であることが後で分かった。
さらに左折する場所を間違えて、舞子高校前のバスのロータリー
で回転する羽目になる。
ここからは道も分かっているゆえ、容易。コープで右折、多聞寺
の交差点を右折、大門橋の交差点を左折、あとは上り坂を登れば
高丸IC。教習以来の第二神明を走る。
制限70の道であるが、流れは70キロ程度。名谷ICでクルマの台数
が減って85まで上がるが、先行のタクシーが変な動きを見せて
減速を余儀なくされる。
須磨の料金所で一般道へ出る。
2003/02/09(Sun)
No.26
南京町の一番館へ行く
元町商店街を一筋入った所に一番館というチョコレート専門店
がある。世界のチョコレートを販売している。
今日はその一番館が目的地。
多聞通りから元町6を右折する。すると、中央郵便局前という
交差点があるのであるが、ここは左の車両通行帯は左折のみ、
右のレーンは左折できないようになっている。
うっかり右へ入ってしまう。ようやく左折。
みなと元町の駅のビルを過ぎて南京町の南へ来ると60分パーキング
があり、駐車する。うまく止められず、母がやり直す。
一番館ではオレンジのリッツを買ってもらう。
この道を抜けると左折して大丸。真っすぐ進むと元町駅前。
この道は一方通行で、さらに二本ずつ通行帯が分かれていて、
左側は右折が禁止される。左側を行く。
元町6へ戻るとあとはほぼ同じ。
2003/02/10(Mon)
No.13
多事争論
今日もニュースステーションとNews23をはしご。
久々に多事争論。テーマは「知恵くらべ」。
2003/02/11(Tue)
No.31
大丸へ行く
元町の大丸へ行く。
初めて外祖母を乗せる。ルートは多聞通りから
栄町通へ入るルート。そこから、メリケン波止場前へ出て
水上署。左折の案内が出たから左折するとクルマの列。
多分、税関前の交差点の直前で曲がったのではなかろうか。
日本真珠会館の建物や市役所、東遊園地といったものが見える。
東遊園地はルミナリエの時、終点となる。
この通りは神戸市立博物館がある。
今度は右折。運転している本人はどこを走っているか
いまいち分かっていないのであるが、ここは一方通行が
かなり多く、あとあと地図で確認すると意外と分かる。
という訳で、あちこち回って、結構大丸から遠い位置の駐車場
へ入る。ここが正規の駐車場。
でもって今日も駐車は失敗。しかも母と逸れて大騒動。
出庫すると北行一方通行の道へ出る。
三宮神社の前を通る道へ出るのであるが、なんとか入れて
もらう。大丸の前の交差点から元町駅前へ出て帰る。
車庫入れに梃子摺ることを予想した母と祖母は先に帰る。
2003/02/16(Sun)
No.107
Sofmapへ行く
ハーバーサーカスのSofmapへ行く。
ここの駐車場は急な坂になっていて一苦労して駐車した。
2003/02/17(Mon)
No.14
散歩
母と大手町方面へ散歩。
2003/02/18(Tue)
No.16
大韓民国で地下鉄火災発生
大韓民国テグ市で放火による地下鉄火災発生。
現場はテグ駅の隣、チュンアンロ(中央路)駅。
死者は53名出ており、今後増える見通し。
2003/02/19(Wed)
No.25
地下鉄火災続編
死者は180名となってしまった。
なぜ、ここまで大惨事となってしまったか、
きちっと検証する必要があろうと思う。
2003/02/20(Thu)
No.15
三宮へ同伴
祖母と同行して、三宮へ出る。ジュンクで本を買うという条件で承諾。
往路は西神・山手線。目当ての「日本鉄道史」は発注。
「ユザワヤ」の広い店内でようやく祖母を捕まえて、逆に「にしむら」
に連れ込まれ、ブレンドコーヒーを飲み、大丸から地下鉄に乗った。
開通式の編成5104であった。
2003/02/21(Fri)
No.17
旅行貯金を始める
旅行貯金を始める。
芝崎氏が二冊目だから国際ボランティア貯金にして欲しいと言われ、
低金利だし、まぁいいか、とそうする。NPOに利息の二割が寄付されるそうである。
その上、カードを作ったものだから事務手続が煩雑になった。
今日回ったのは神戸菊池郵便局、神戸板宿郵便局、神戸大田郵便局、
須磨郵便局。こういう時は自転車が便利。結局須磨郵便局で
「キーンコーンカーンコーン」。チャイムが鳴り、ゲームセットとなった。
2003/02/22(Sat)
No.28
無為に過ごす
特にこれといったこともなく、無為に過ごす。
2003/02/23(Sun)
No.29
送迎運転士
今日はまず、野田中学・高校へ英検を受けに行く
母を送る。「シビックで会場へ行くと通る。」
というゲンかつぎ。
大橋9から直進、二筋目を右折すると、なるほど
見えてきました。右折して停車させて、母は降りる。
さて、国道へ戻って浪松町にあるGSで給油。
転回して、進路を東に変える。
向かうのは、六甲アイランド。
神戸の二つ目の人工島。東明の交差点から入るが、
その先で入口へ入り損ねて「ブー」
六甲大橋は2段になっている。往路は下段。
見晴らしはあまりよくない。ゆえに六甲ライナー
の方が好き。
今日は六甲アイランドカースクールという
自動車学校へ向かう。ここでハーレーの
試乗会を実施するので連れて行ってほしいという
のである。
とはいえ、道はややこしい。西側は工場などであるが、
その一角にある。
入口を間違えて六甲ライナーの六甲島検車場まで行く。
この道は直線が長く、50キロ制限であるが、70キロ
出したが、まず事故の心配はあるまい。
Uターンして到着。
ところが、弟曰く、閉鎖的過ぎるという訳で、
すぐ撤収。復路は六甲大橋は上段になる。制限速度は
60キロ。皆々様揃って80キロで走行中。
私もオーバートップを使う。
復路は多聞通り経由。
2003/02/24(Mon)
No.20
存心館B&Sへ行く
存心館の本屋へ行く。ラジオ英会話講座のテキストが残っているのであ
る。ついでに旅行貯金の数も増やす。神戸水笠郵便局から始める。
続いて長田郵便局。新長田図書館の南にあるのであるが、改築工事の為
仮設で移転中。局員に尋ねると、工期は9月までとのこと。
さらに新長田駅前郵便局。長田区内すべての郵便局の載った地図を貰
う。
さて新長田からJRに乗る。珍しく205系の京都行。神戸で新快速に乗り
換え。223系2000番台。大阪で明石電車区の運転士から京都電車区の運
転士に交代。京都で下車。ここで運転士交代。
駅前に京都中央郵便局があるので寄る。大文字のハンコ。
50に乗り、大学へ向かう。
復路は各停乗継を敢行する。まずは201系西明石行。続いて高槻で201系
新三田行に乗ると、運転士が女性であった。みやこ列車区の人。
大阪で大阪電車区の男性運転士に交代。尼崎で乗り換え。
207系1000番台西明石行。新長田で地下鉄に乗り換え。1000系VVVF改造車であった。
2003/02/25(Tue)
No.22
いかなごシーズン
今日は我が家もいかなごを炊く。
いかなごのくぎ煮はやはり神戸名物。とはいえ東の方はダメらしい。
今日は5キロ、明日は5キロの予定。
2003/02/26(Wed)
No.23
二・二六事件から67年
連日の無理が祟ったのか、倒れてしまった。
今日はNHK「その時歴史が動いた」で二・二六事件を取り上げる
そうであるが、見ることができない。
弟にビデオに録画しておいてもらう。
2003/02/27(Thu)
No.27
とりあえず、・・・。
からだは快方へ向かうも、全快とはいかず。
ゆえに、ジュンクから本の入荷の情報を得ても
三宮へ向かうことはできず。
であるから、ブラブラと過ごす。
2003/02/28(Fri)
No.32
ジュンク堂へ行く
ジュンク堂へ20日に注文した『日本鉄道史』を取りに行く。
成人式以来久々に海岸線に乗る。開通式の時の5104。
5404は女性専用車であるから、乗れない。今日は接続も良い。
11時2分発「新神戸行」(1115)に乗ったのであるが、これに
乗ると新長田に11時4分に着く。この「三宮・花時計前行」
は11時10分発であるから、6分の接続である。
ただ、今日は開通式の時とは異なり2番線の発車である。
11時25分、開通式の時と同じ1番線に着く。
ここは国際会館に近い。予餞会の時、映画を見た。
送り出す側(高2)と送り出される側(高3)の2回である。
ここでまず一局目に寄る。1Fにある神戸国際会館内郵便局
である。郵便局を出た時に久々に橘氏に会う。
国際会館からフラワーロードを挟んで向かいが神戸市役所
である。この市役所にある花時計から三宮・花時計前駅は
命名された。市役所2号館1Fに神戸市役所内郵便局はある。
母曰く、かなりの取引量があるとのことであるが、私が
行った時は閑散としていた。
ジュンクへ行くと、引き換え用のはがきを忘れたことに気付く。
続いて地図を頼りに神戸御幸通郵便局へ行く。
東遊園地へ寄るとカップルが何組か。ここを抜けてルミナリエ
の筋へ入ると神戸ポート郵便局。窓口は2階にある。
新しい建物に見えた。震災で建て直しを行ったのでは、と母。
曰く昔はみなと郵便局と言ったという。「みなと銀行と紛らわしい
から変えたのではないか。」と冗談まじりに私は言った。
ルミナリエの通りを逆行する。96年から元町から三宮への
一方通行になったので、この歩き方はルミナリエではできない。
大丸の裏側を通って元町通1丁目の交差点に立つと、
神戸元町郵便局を見つけることができる。
かなり混んでいた。道に迷いつつ、花隈駅に寄り、
最後に神戸中央郵便局に寄る。全国に60しかない中央郵便局
である。営業時間が他の郵便局より長い。
ここからみなと元町駅へ歩く。ここで乗るのは初めて。
2003/03/03(Mon)
No.21
雛祭りとは言っても、・・・
という訳で、我が家は散らし寿司。
男性はどうしても招かれねばこうなる運命なり。
2003/03/17(Mon)
No.47
名谷BPへ行く
名谷へ行くので練習兼用で運転士。
車の交差点右折で名谷へ向かう道へ折れて右折。
ここまでは順調であったが、うっかりすぐ右折レーンへ入って
しまった。1本手前である。ようやく戻って黄色なのに慌てて
右折。旧白川である。ここに神戸白川台郵便局がある。
上り坂の途中で駐車は難航。神戸市須磨区であるが、土地勘が
ないゆえ、探して一苦労。
交代して名谷へ向かうが、道を間違えて横尾へ出る。
教習ルートなのだから、もう少し覚えていてもよさそうなもの
であるが。
とりあえず、目的地到着。須磨北郵便局へ寄る。
ここで4時となったので、西落合は下見で、そのまま、西神戸
有料道路へ向かう道を途中で折れて車の交差点から帰る。
2003/03/20(Thu)
No.30
イラク攻撃開始
国連は権威を失ったのか。
そんな感さえ湧くこのニュースが飛び込んできた。
今日は11時に起きた。しかし、その32分後、ついに戦端は
開かれてしまった。
アメリカは常に正しいのか。そんな筈はない。
真の民主主義とは、さまざまな立場に耳を傾けることから
始まる。ゆえに、アメリカは民主主義国家ではない。
民主主義の衣を纏った帝国である。
2003/04/03(Thu)
No.49
すったもんだの予備登録
今日は予備登録。予備登録とは受講条件が定められているため、
本登録の前に別途手続きが必要な科目の登録手続き。
日本史は古文書学と日本史史料講読、考古学外書講読、
考古学実習入門が該当するが、私は日本史コース(文献史学)
なので、古文書学と日本史史料講読となる。
3回生は10:30〜11:00に啓321で手続きとなっているが、
朝が弱いのと自転車のパンクという悪条件が重なり、遅刻。
すでに2回生の手続きが始まっていた。どうにかこうにか
手続き完了。桂島教授に会う。「ゼミは」「吉村先生です。」
バスで西院へ向かう。京都西院巽郵便局へ立ち寄る。
ここから佐井通を上がって島津製作所から三条口へ行く。
ここに京都三条口郵便局がある。
203に乗り、帰る。
2003/04/04(Fri)
No.74
授業日なのに、・・・
単位が比較的順調だからなのか、取らねばならぬ
講義もなく、前期は金曜を休みとすることにした。
という訳で「喫茶山崎」を訪問すると、2回生の方々
がいらっしゃいまして、いろいろ。
でもって、時間割で昨年度受講した鳶野先生の
教育人間学概論Tが出ていたので、ノートを貸す
ことに。
そのあと、河原町へ向かい、阪急に乗る。
8300系の特急。地上に出て桂に停まる。
7300系急行に乗り換えると、一駅で新設駅洛西口。
2日ぶり2回目の訪問。今回はここから洛西ニュー
タウンへ向かう。西3系統洛西BT行。
向日市なものだから物集女にバス停が置けない
と運転士。いわく、国土交通省の許可が必要なのだ
そうである。公団住宅前で下りる。土地勘がない
ゆえ、ガードマンに訊くと、まったく自分が地図を
読めていないことが分かった。
洛西BTの側を通って洛西郵便局に到達する。
そう、実はバスは遠回りをしているのである。
洛西郵便局はこの地区の本局である。
16時までもう少しある。であるから、郵便局マップ
によって京都大枝北福西郵便局まで歩くことができた。
復路はバスに乗る。西2であったか。乗客は私一人
であった。
すぐ西3で折り返す。往路と同じ運転士であった。
洛西口へ戻ると急行は運転終了であった。
よって2300系普通に乗る。次の桂で快速特急に乗る。
2003/04/10(Thu)
No.38
いろいろありまして、・・・
1限は教職経済学。
2限は同じく教職科目の外国史U。ヨーロッパ中世史がテーマ。
3限は日本史史料講読。表先生は昨年度落としたのでリベンジ
となる。近世をやる。
4限は現代史ゼミ。初めて吉村和真先生とお目にかかる。
京都精華大学の教員で、専門は手塚治虫だそうである。
18時半から学校図書館司書の面接。副学長と会う。
明日授業がないので、帰郷。
2003/04/11(Fri)
No.130
神戸海運郵便局を訪れる
最近よく使っている浪松町の裏の筋に郵便局があると、
郵便局マップ、道路地図とも示している。
ゆえに訪れることに。
長田区であるが、須磨区にかなり近い。
郵便局の前の道は二本の車両通行帯が確保されている
のに、一方通行であった。
長田区の郵便局マップが公社化でリニューアルしていた。
菊池局で定期預金へ振り替える。
2003/04/13(Sun)
No.40
統一地方選
はたちになって半年、ようやく初めての選挙。
という訳で、地元神戸市会議員と兵庫県会議員選挙の
投票に行く。
母校滝川学園が会場。須磨区の選挙区である。
混戦が予想されるので、どうなることやら。
2003/04/17(Thu)
No.42
ゼミ
1限は(教)経済学。
2限は平和学L。今日も平和ミュージアム館長の安齋教授。
工学博士で原子力の専門家安齋氏が原爆の脅威を説く。
3限は日本史史料講読LE。割り当てを割り振る。
そのあとは表氏の平田篤胤基礎知識講座。
4限はゼミ。ウォーラーステインの世界システム論に関する
発表。
今日から東京旅行。今日は「銀河」が宿。
2003/04/18(Fri)
No.45
東京滞在1日目
今日はまず、あちこちのJR線に乗る。
東京地下駅の総武本線からスタート。E217系に初めてお目にかかる。
CS-ATC導入で、車内信号が導入されていた。地上に出て、錦糸町で
御茶ノ水へ行く緩行線に乗り換え。2分間隔で先行列車が見えていた。
E231系。多分次期主力車両となるのであろう。
御茶ノ水で下車。神田郵便局に寄る。湯島聖堂などがあった。
金曜なので通勤ラッシュ。都心へ向かう列車はとてつもない混雑。
201系にて東京へ戻る。
10時を過ぎて京浜東北線が快速運転を始めたのを見て、大宮へ
向かうことにする。しかし、結構人が乗っている。209系。
東京からの停車駅は秋葉原、上野、田端。速度はせいぜい75キロ
しか出ないが、やはり、神田、御徒町、鶯谷、日暮里、西日暮里
と通過するのが大きい。複々線なので、並行する山手線を2回抜いた。
田端からは各駅停車。ところが、ここから90キロで運転される。
順調に進んでいたのであるが、北浦和駅手前で非常制動。
与野〜北浦和間で上り列車が異常音の為停止、全列車が停止となり、
並行する東北本線の列車も停止していた。
どうやら運転再開となり、大宮に遅れて到着。
大宮ステーションビル内郵便局で区切りの80局達成。
大宮から埼京線に乗る。実は戸籍上は京浜東北線も埼京線も
存在しない。いずれも東北本線として扱われている。
これは昔日本鉄道が線路を敷いた経緯が関係する。
快速新木場行に乗る。大崎〜国際展示場〜新木場の東京臨海鉄道
へ直通する列車である。という訳で車両も東京臨海鉄道のもの。
埼京線はCS-ATCが施行されている。大宮地下駅も信号はない。
地上に出ると、東北新幹線と並走する。100キロ。信号はおろか、
踏切もないのだから当然かもしれない。
池袋から地上信号が立っている。戸籍がCS-ATCの山手線なので
意外であったが、ここからはATCバックアップ区間。
車内信号も作動するが、地上信号が作動している。
新宿で「ATC開放」とある。純然たる地上信号となったのである。
こちらは渋谷、恵比寿と停まり、大崎に着く。乗り換え。
運転士も交代。
さて、山手線のホームへ移る。待つと、E231系500番台が来た。
205系とは異なり、こちらは自動放送。英文もある。
"This is the Yamanote line train bound for Tokyo,and
Ueno."
東京へ戻り、営団地下鉄に乗る。02系。次の銀座で銀座線へ
乗り換え。01系。因縁の新橋を通る。もともと銀座線は二つ
の会社から成り、新橋を境に浅草側が東京地下鉄道、渋谷側
が東京高速鉄道であった。今でも東京高速鉄道旧新橋駅が残る
と聞く。線路が右へ合流するのはそのためである。
虎ノ門から新設駅溜池山王。ここで南北線に乗り換え。
南北線は目黒から赤羽岩淵へ走っているが、以前ここが終点
であった。CS-ATCはもちろん、ATOが施行されていて、
ほとんど自動運転である。悪名高い永田町、飯田橋などを通って
駒込へ抜け、王子神谷で運転士交代。二つ進んで、地下鉄の終点
赤羽岩淵。埼玉高速鉄道の運転士と交代。こちらもATOを施行
している。柵が開放型に変わる。
ようやく地上に抜けた。埼玉県の浦和美園へ到着。FIFA W杯
を宣伝していたが、田んぼが広がる地域。
埼玉高速鉄道の車両で逆行、王子で都電荒川線に乗る。
三ノ輪橋、早稲田と回って、東池袋四丁目で下車、東池袋
から07系有楽町線で飯田橋へ行き、18FのYHへ泊まる。
2003/04/19(Sat)
No.46
東京滞在2日目
都営大江戸線に乗り、汐留に下りたつ。
ATOワンマン運転のリニア地下鉄。
まさにハイテク地下鉄。松下電工のNAiS
ショールームの隣に目的地旧新橋停車場
跡はある。
2003/04/20(Sun)
No.128
東京滞在3日目
今日は営団千代田線、銀座線などに乗る。
今回、営団地下鉄には初めて乗られたが、
長期滞在によって、様々な鉄道に関して
見聞を広められた。
2003/05/23(Fri)
No.127
左京区の郵便局を訪れる
冷泉為人先生の日本美術史TLを聴講しようかと
思っていたが、学会に先生が行くので休講となって
左京区の郵便局へ行く。
100局到達を目指すも、京都二条川端郵便局で断念。
2003/05/30(Fri)
No.50
日本美術史聴講
今日は京大近辺の郵便局へ回る。
京都出町郵便局で100局達成。
今日は日本美術史を聴講することにする。
池大雅がテーマ。
2003/06/06(Fri)
No.51
再び、・・・
昼まで寝ていた。することもなく、日本美術史Tを聴講する。
今日から話は与謝蕪村へ移る。「春泥句集」序などを題材に
講義は進行する。
しかし、私語の多いことで。前列へ移ったが、周囲の女性の
ひどいこと。
2003/06/13(Fri)
No.52
もぐり常習犯化
やはり、昼まで寝ていた。結局今日も日本美術史Tへ行く。
2003/07/11(Fri)
No.54
いろいろなことがありまして、・・・
近来稀な8時44分の出立。203で烏丸今出川へ向かう。
車内で祇園祭の規制の案内。そういえば203も四条通
を通っていたなぁと思う。9時5分の到着。すぐにやっ
てきた「急行奈良行」に乗る。1102。市交なら、2次
車の方が良いと思うが、今日は贅沢は言わぬ。
地上に出た。奥竜彦運転士、ブラインドを開ける。
9時22分竹田に到着。運転士が近鉄に代わる。
西大寺行各停が来たので、先発させるかなと思って
いたら、こちら2番線の出発信号が「進行」を現示。
9時25分、30キロで出た急行は速度を上げ、80キロに。
丹波橋停車。急行は次の桃山御陵前にも停まる。
澱川橋梁に45キロでさしかかるが、途中で速度を上げ、
100で向島を通過。新田辺で運転士交代。私は次の新祝園
で下車。
奈良交通バス36に乗る。途中から料金がつりあがって
結局国立国会図書館前では240円に。
国立国会図書館関西館は京都府相楽郡精華町の関西学術
研究都市にある。『国鉄百年史』を読む。
2003/07/21(Mon)
No.58
ついに始まった
ついに2003年度前期も定期考査が始まった。
トップバッターは前回寝坊で「強制棄権」と
なった地球科学。(ただ、今回は前期2限なの
で、GAクラス。前回はGBクラス。)
日本列島のテクトニクスが課題である。
さて、出来はいかほどか。
2003/07/26(Sat)
No.57
雑記
図書館にて「近世日本天文学史」を返却。
清心館ラウンジにて山口氏と雑談。
嗚呼、昼過ぎのつもりが、4時前になるとは。
中原氏が来ていたら申し訳ないな。
若松塾の井沢滋人氏と連絡がつく。
2003/07/28(Mon)
No.62
祝園へ逃亡
京都府相楽郡精華町にある国立国会図書館へ逃亡する。
最寄駅は近鉄の新祝園。西陣郵便局へ寄っていたら
203に浄福寺を通過された。しかし後続の51に乗車。
という訳で、9時6分の近鉄直通急行には乗られた。
今日は新10系。
祝園郵便局が近くにあると聞いていたのであるが、
見落として迷った。
今日は本棚から「JR全車輛ハンドブック2001」という
本を見つけたので筆写しておく。
結局、上で食べる。メニューは少ない。定食。
そのあとは、「国鉄百年史」の1巻と3巻を閲覧。
3巻に寺田光伸氏依頼のRichard Francis
Trevithickに関する記事を見つけたので筆写しておく。
1巻は先回の続きを複写しておく。
結局直通急行がなくなってしまった。
8000系急行で京都へ出てバスで戻る。
なおかつ、今日はレポートを出さねばならない。
ようやく日本史史料講読LEのレポートを提出。
2003/07/29(Tue)
No.61
社会科教育法Vのレポート終了
ようやく、社会科教育法VGAのレポートが終わった。
とはいえ、9時の提出。
今回は5時に提出できたものがない。よくないな。
2003/07/30(Wed)
No.60
レポート終了
さいごの教職経済学のレポートが残った。
結局、5時に終わらず。
9時になって終わる。
2003/07/31(Thu)
No.59
神戸帰省
定期考査も終了し、ようやくゆっくり休めると思って、
11時半まで寝てしまった。今日は母と弟が来て、神戸
へ帰る日であるのに。
ところが、部屋も無茶苦茶なものだから、整理に時間
を費やし、荷物を運び出したのは3時半、出発は4時と
なってしまった。
いつもと同じく、七本松通を南下して中央図書館の角
を右折して、円町から西大路通へ入る。西大路九条に
あるGSにて給油。ここはセルフサービスである。
ここからは九条通を走ったのであるが、いい調子で走
っていると、トラックが発進するのを見落としてしま
った。京阪国道口から国道1号線を南下する。
この道は京都南ICへ通じる。名神高速へ入る。
出ると登坂車線なのであるが、流れが遅い。ゆえに
走行車線へ出た。ここは90キロ程度の流れ。しかたな
く追越車線へ移る。こちらは120キロの流れ。しかし、
同調する気はない。という内、車線は右ルートへ入り、
予定の車間が確保できる走行車線へ入る。110キロ出て
いた。制限80キロだから出しすぎ。
ところが天王山トンネルで先行車の速度が落ち始めた。
40キロまで落ちてしまった。なにやらあったらしく、
トンネルを抜けたところで、車線を抜けて固まった。
こちらは、そんな集団を相手にせず、一気に100へ。
と、思うと、走行車線は吹田JCTからの分岐でクルマの
出入があり、80キロまで落ちる。過ぎると、すっと行く
のであるが、もう吹田SAである。
吹田SAでは豚とのりの入ったラーメンを食す。なかなか
出てこないものだから催促した。どうも忘れていたらし
い。
吹田SAを出ると、すぐ制限70となる。千里山トンネルを
抜けると制限100となり、とばせるかと思えば工事中で
さもあらず。
今日の阪神高速は摩耶で混んだものの、停滞に至らず。
車庫へ行くと、隣の方が出ていたところで、いろいろ
親切に教示してくれたものであった。
2003/08/28(Thu)
No.67
G戦連勝
今日はユザワヤへ向かう。その前に兵庫県庁内郵便局
へ寄ることにしたので、下山手通経由となる。
下山手通7の交差点のあと、分岐するのであるが、
県庁へ向かう場合左へ進むのが原則なのだそうだが、
右へ進んでしまう。「ブリッジがある。」と母はしきりに
言うのだが、私には分からない。地図にはあるとあるが。
結局県警本部前の交差点まできて、右折せざるをえなく
なったところで、目の前に目的の郵便局が。
ここで母に交代したところ、クルマは実に快調。人格
ならぬ「車」格変貌か。鯉川筋を通過、トアロードから
南下して三宮神社の角で左折すると、ユザワヤが見えてくる。
ここでクルマの番をするのが私の役目。
ところが、この辺りは駐車スペースを確保するのが
非常に困難で、まず三宮駅前の方向へ周回することとなる。
ところが、ここへ入るとトアロードまで南行はなく、
さて、ようやくと思えば、やはりスペースは確保できない。
しかたなく、今度は市役所の方向へ出る。
花時計の前の交差点が最短ルートとなる。クルマは連続し、
右折はままならない。そのうち92のバスまで来た。
「ブー」警笛をならすから、何事かと思えば「時差作動中」
と出ている。対向車は赤なのであるが、こちらは青。それ
を示しているのであった。右折を完了させると、直ちにバス
は追い抜いていった。右折できる道を探すと、京町筋が北行
が可能なので右折。
ところが再度駐車スペースがなく、左回りルートをもう一周
する羽目になった。ようやく市役所前バス停の向かいに止めて
お手洗いに向かうと、母と弟は出てきた。
しかし男子便所を女性の下着のコーナーと同居(3F)させる
のはやめてくれー、ユザワヤさん。
復路は、先程の三宮駅前を回るルート。交差点に止まっていた
タクシーはまだ止まっている。赤になったので、停止していた
ら、(半ば)割り込みを食らった。
今日は左ルートへ進む。
今日は甲子園にて巨人戦。エース井川が先発。
二桁得点で完勝。走者は貯めつつも、7回無失点。
2003/09/28(Sun)
No.76
TOEIC受験
存心館802にて、TOEICの受験。
どうも連日大学に出てきている感覚なので、
勘が狂って仕方がない。
Readingがかなり苦戦して、時間がなくなった。
さて結果はいかに、・・・。
2003/09/29(Mon)
No.78
月曜日がやってきた
1限、古文書学LFから始まる。
一昨日授業があったので、実に奇妙な具合。
史料講読能力向上(というより、親しむ)ことを目的とした
講義である。坂本竜馬の姉に宛てた消息文を読む。
かなりのくせ字である。勝麟太郎(つまり勝海舟)の名も
出てくる。弟子入りした時のものである。
2限は交通・観光地理学L。
こちらは210名もの大講義。清534に、そんなにたくさんの
人が入れるとは思わなかった。
ということは、一体1回生の時の教育心理学Tは何名の受講者
がいたのやら。
青木栄一の論文を材料に、交通地理学の学史を追う。
青木氏は鉄道史にも、発言を寄せている。
そんな訳で、何か文献はないかとお尋ねしたのであるが、
何ともならぬお話であった。
3限は同じく清534にて日本文化史U。
昨年受講したTは出席を採らなかったのであるが、
今年は「全く出席しないで単位を取って欲しくない。」
と、採るのだそうである。
一昨日は休講であったので、今日が第1回。
素材は伏見宮貞成(ふしみのみやさだふさ)親王が書いた
「看聞日記」(かんもんにっき)。
4限は外国文化講読12。10月11日に東京で行われる
学会に出席するため、休講となる。それを受けて
10月6日5限に補講が行われることが決定した。
7限情報メディアの活用は、8名で行われた。
2003/09/30(Tue)
No.79
橘、後期始まる
寝坊した。10時50分である、と勘違いしたが、実際は
9時50分。何と寝ぼけていることやら。
とにかく、遅刻しても出席できる。これは天佑とばかり
1限へ向かった。
1限教育人間学UGBは、古寺名誉教授が鈴木大雪氏との
出会いについて述べているところであった。
2限は清心館へ戻って、地下の清508にて(教)地理学を
受講。Introductionとして、様々な地図を紐解きながら
妙心寺と立命の高低差などを具体例として挙げる。
2時まで『日本鐡道史』中篇を筆写していたが、
花園へ妙心寺経由で向かう。
14時38分の京都行をつかまえる。舞鶴鉄道部の運転士。
二条で交換して、京都に14時51分に着く。33番線。
14時58分の新快速に乗る。2000番台。
山科から京都山科西野郵便局へ向かう。
東野から東西線。次の椥辻で下りる。
京都橘女子大学は坂を上りきったところにある。
部屋は後期も清和館146が配当されている。
部屋へ向かう途中、五十嵐一郎先生に挨拶。
2003/10/01(Wed)
No.80
鳶野教授の講義の受講が70回目
1限は教育人間学特殊講義UL。他専攻(教育人間学専攻)の専門科目
である。皆目知らぬ人間が取るべきではあるまいが、
教育について考えるのに、机に向かわないとは、と思ったのが動機。
片桐ユズル先生も面白そうなもので、朝一でもやっていけそう。
清525でやったが、教室変更必至。
大長君曰く、「よくこんな講義取る気になったな。」
2限は自専攻へ戻って日本史特殊講義YL。
宮川康子先生の江戸時代の歴史書についての講義。
歴史とは何か。考えるところ大。
3限は歴史地理学TL。
地理学専攻の専門科目である。昨年度教職科目(教)地誌学で
お世話になった片平博文教授が担当。
歴史地理学とは、系統地理学である人文地理学の一部との
見解もあるが、そうではなく系統地理学と地誌学の両方の
要素を持つと解説。
4限の(教)自然地理学GBは板書が滅茶苦茶。
5限は教育人間学特殊講義TL。
度々お世話になっている鳶野教授の講義。
人数が少なければ演習形式も考えたのだそうであるが、
登録が42名で、口述形式と決めたという。
テーマは物語。物語とは、という問いから始まって、
historyという連想から歴史ということで私にお鉢が
回ってきた。さて、うまく回答できたか。
7限は(教)総合演習N。
評判宜しからず。鎌田君と話す。
2003/10/31(Fri)
No.84
寝坊
完全に寝坊した。起きると12時。
結局13時にバス停に立ったものだから、
3限も遅刻した。外国史T。
4限は生徒・進路指導論T。
5限は日本史特殊講義U。
今日もノートテイクが遅れて、田中先生に
ご迷惑をおかけした。
2003/11/01(Sat)
No.81
第2660回土曜講座に出席
今日はJR西日本が、ICカードを導入するというので、購入しに
京都駅へ出る。
ICOCA(イコカ)という愛称が与えられた。
IC Operating CArdのイニシャルによる。
101に乗る。あとで2分遅れだと知った。普段15分程度遅れる
系統だと認識していたから、少々見直した。「94」であった。
せっかくなので、まだ下りたことがない駅へ行こうと、
長岡京へ向かう。11時20分発の西明石行。201系7両。
運転士は大阪電車区であった。
この辺りは100キロで運転される。なので、西大路で「はるか」
に追いすがる。ところが、次の向日町で外側線へ入ってしまう
と、まったくなす術なし。
さらに、向日町の操車場から回送列車が追いかける。
「北近畿」のヘッドマーク、サボがもう出ている。
新大阪から「北近畿」になるようである。
長岡京で下りる。かざすだけで、確かに通過できる。
東京駅でバンバン叩いていた女子高生のようにはせずとも
通れるものなのだが。
復路は高槻から各停の「快速野洲行」。221系6両。
普通などに負けるものか(そんな訳はない)と、110キロ運転。
停車駅はまったく同じ。ところが、長岡京でもう先に行くべき
新快速が遅れて、向日町で抜いたものだから、西大路で信号が
「減速」を現示。「警戒」が出て、ついに場内信号が「停止」
に。
先行の新快速が、まだ京都駅2番線に停車中であった。
よって延着。
50はかなり人が乗ったが、最前列は空いていた。
北野天満宮で下りて、自転車で大学へ向かう。
カルムでカツカレーを食べて、土曜講座へ向かう。
今回(2660回)は、基礎講でお世話になった桂島宣弘教授。
11月は、"「日本型社会」を問い直す" という特集を組んで
いる。そのトップバッターとして「日本型」という言説ー
日本思想史の現場からーというテーマで話された。
「日本型」という言説はいかに立ち上がってきたのか。
その一人に津田左右吉が挙がったことに違和感を感じる人も
いたようである。私は日本史に2年半いて、慣れてしまって
驚きもなかった。とはいえ、これが驚きの欠如につながった
ら、それはそれで問題だ。
2003/11/14(Fri)
No.86
温かい夕食は心も温まる
1限東西文化交流史、大幅に遅刻。
それなのに、部屋に入った最後の人間は私ではなかった。
2限人文科学のための情報処理・応用UはPOV-Rayの課題提出。
しかし、課題は開始時点で未完で、星野先生に、objectのミス
を指摘していただいて、(}で閉じていなかった。)ようやく提出
へこぎつけた。
3限外国史T。清末を扱う。
4限生徒・進路指導論T。体罰について論ずる。
5限日本史特殊講義Uは、田中先生が韓国で開催される東アジア歴史
フォーラム(韓国大田13〜16日)に出席する為、休講。
何か収まりが悪く、妙心寺を下って花園駅へ出る。
「きのさき」の通過(16時46分)を見送って、
やってきたのは16時53分発京都行。113系4両。
京都電車区の運転士。
であったゆえ、京都へ出ると17時を超えた。
続いて高槻から快速の「普通網干行」に乗る。
223系2000番台。米原列車区の運転士が担当していた。
今日は目の調子がおかしく、眼鏡で通しているのだが、
それがマイナスになっているらしい。
高槻で下車。ふらふら見回り、枚方へ向かうバス停、
郵便局などを見て、そのまま新快速で折り返す。
今度も223系2000番台。18時16分のもの。
花園に駐輪しているので、花園まで進む。
偶然、橘からの帰りに利用する機会がある列車となる。
113系5700番台ほか8両。今日は火曜の時よりお客が
少ない。
円町へ向かって、「なか卯」で夕食。牛丼並と小はいから。
何よりお茶と夕食が温かかったのが喜ばしい。
2003/11/24(Mon)
No.88
嵐山もみじ号
「嵐山もみじ号」が今日運転されるので、嵯峨嵐山へ
行くことにした。北野白梅町から直通の嵐山行に乗る。
今日(15時21分発)はモボ2001形2両のゴールデンコンビ。
先頭の2001に乗る。1番線からの発車。
竜安寺道で交換した筈なのだが、記憶がない。
いつものように、鳴滝を出てすぐ、交換。
帷子ノ辻で運転士交代。
あっという間に嵐山へ到着。思い出の3番線へ到着。
しかしながら、到着してみると、16時にまだならない様。
あまりに早いので、16時11分の普通亀岡行で亀岡へ
向かった。湖西線向けの5700番台が来た。舞鶴鉄道部
の運転士。亀岡市へ出ると、世間様は田舎だと
言うだろう。しかし、逆に言えば、京都市が都会化
しているということなのである。
16時31分の京都行で折り返す。今度は京都電車区
の運転士。保津峡近辺のトンネルで、遮光カーテンを
下ろされた。16時42分に着くも、2番線で4分停車。
「きのさき」に抜かれる。
16時50分、223系の回送列車が通過。どうやら、亀岡
あたりまで送って回送してくるようである。
ようやく1番線に223系1000番台を先頭に「嵐山もみじ
号」が入ってきた。停車駅は高槻、新大阪、大阪、尼崎、
芦屋、三ノ宮。
所要時間を見れば、新快速並の高速運転をやることが
分かる。
しかし、本来の目的である嵯峨野から阪神地域への直通
という点では、ほとんど機能していなかった。
嵯峨嵐山から乗った方々は筋の人間であった。
なぜ筋の人間が乗るかといえば、その特異なルート
にある。21分嵯峨嵐山発。90キロで快調に進む。
しかし、二条で「きのさき」と交換の為、4分(17時31分発)
運転停車。次の丹波口でポイントを45でまたぎ、梅小路
への貨物線へ入るが、停車をはさみながら、「はるか」
ルートへ入っていく。向日町で正規ルートへ戻り、130キロ
120キロ運転。高槻で「雷鳥」を待避。
ここから130キロで追い上げる。いつものように東淀川で
減速が現示されるも、新大阪で射程圏内に「雷鳥」
をとらえる。さらに、新大阪からは、いつものように内側線
なので、追い上げるが、一歩及ばず。5番線に到着。
「40秒遅れ。」京都電車区から大阪電車区の運転士への
引き継ぎが聞こえた。
ここからも、120キロで尼崎、125キロで芦屋、120キロ
で三ノ宮と、ほぼ新快速並の運転が続き、神戸に着く。
以前行ったベーカリーで食べて戻る。
2003/12/09(Tue)
No.99
授業評価アンケートの方式が変わる。
1限(教)教育人間学UGBは古寺先生がすでにいらっしゃっていた
けれど、チャイムも鳴った直後であったし、講義は始まっていな
かったから、定時と記しておこう。
ルソーを取り上げる。しばしば、エレン・ケイなど教育学者が
影響を受け、教育不必要論であるなどと誤解されてきた。
それを正そうという試みの一環である。
今日から授業評価アンケートが実施される。立命館大学では、
教学改善の一環として、授業評価アンケートが実施されている。
入学以来ずっと行われているので、いつからかは定かではない。
本学だけではなく、近年、一橋大学も導入したとのことである。
2限は同じく教職科目の地理学GB。2章地形図について。
現行の地形図を入手する方法を学ぶ。
大長君は、就職活動であびこの大阪市大へ向かう。
私は二条へ向かい、そのあと道に迷いつつ、二条自動車学校
から京都西ノ京内畑郵便局を目指す。和菓子屋さんで道を
訊くと、行き過ぎていた。
橘での5限は、ゲストスピーカーアワー。現場での声を、
とのことで、同志社女子中高の家城氏を招く。
現場の貴重な話が聞けた。
2003/12/10(Wed)
No.96
木村敏氏の講演を聴く
立命館大学文学部は学科再編を実施し、哲学科、史学科、文学科、
地理学科を統合し、人文学科を新設することが決まっている。
実施は2004年4月、新入生から適用される為、私たち在学生の
学籍の異動はない。
人文学科新設を記念して、現在公開連続講演会が行われている。
その第三弾は精神病理学と哲学を修めた木村敏氏が「西田哲学と
精神病理学」という演題で講演された。
御本人曰く、「私は精神科の医者」。臨床経験から離人症と統合
失調症を挙げて、西田哲学を交えて講演される。
改めて哲学を勉強する必要性を感じた講演であった。
質疑応答では、池田善昭特任教授の西田哲学と精神病理学との
連関を問うた質問が印象に残っている。
司会の谷撤教授のフォローがまた、実にうまかった。
「書物で先生に触れることと、思索しつつ講演する先生に
触れるちがいが分かると思う。これが講演会を聴く意義では
ないか。先生は言葉に裏切られている。先生の意図とは違う
方向へ言葉がいってしまう。」
こちらは、ついつい、うんうんと頷くのであるが、あの感じ
では、この講演会へせっかく講義を振り替えた鳶野先生は
納得していないだろうなと思う。
今日は1限は10分延着。東門に駐輪したのでは、創思館には
遠い。大窪氏と話す。訊くとまだ、仕事は続けている
とのこと。大阪市が採用700人とかになったと言うものの、
応募者も増えて、倍率は下がらない、とか。
火曜を空きゴマにしておられるそうで、今年度後期の
アンケートは初めてだそうだ。
2限日本史特殊講義YL。中井竹山の「逸史」がテーマ。
史料講で山片播桃を読まねばならぬもので、どこを読む
べきかとお尋ねしたところ、「天文」「地理」でしょう
とのこと。
3限歴史地理学TL。平安京を事例に、現在までの地理的
あるいは歴史的影響を地理学の立場から明らかにする。
なぜ平安京かといえば、接点が得やすいからだと言う。
ノートテイクがまたも遅れた。片平先生曰く「熱心に
ノートをとっているね。」笑うしかなかった。
4限(教)自然地理学GB。
5限は振り替え。
夕定食(\504)を食べ、本屋へ寄る。あの雑誌はどこへ
行ったのか。売り切れか。中原君に存地で会う。
7限(教)総合演習Nは、新たなテーマ設定。あまりに
ゆっくりアンケートに回答して、周囲に迷惑をかけた。
OPRへ行くも、『自由学問都市大坂』がどこへ入って
いるか見つからず、手持ち無沙汰のまま9時45分を
迎えた。そのまま新聞コーナーで京都新聞を読む。
自衛隊イラク派遣が本決まりになるようである。
宮川先生の言うように死者が出るということには
なってほしくないし、そもそも自衛隊を海外に出す
ことに反対だ。第九条が泣く。
2003/12/13(Sat)
No.100
名古屋市営地下鉄4号線延伸開業
今日、名古屋市営地下鉄4号線が砂田橋から名古屋大学へ延伸された。
とはいえ、一番列車に駆けつけるのは不可能であるから
円町を8時4分に出る快速に乗った。8両。偶然にも昨日と同じ運転士。
そして、やってきた8時29分発「新快速長浜行」に乗る。
なんと3番線に案内が出ているではないか。実は、この時刻はそうなのである。
湖西線近江舞子行が隣の2番線から1分前に発車、あとを追って、
内側線を走る。普段とは全く逆の光景。内側線の出口の制限は100キロ。
減速して東山トンネルを抜け、105キロで山科カーブへ入る。
山科で先行の普通に追いつく。しかし、またもあちらが1分先に出る。
あちらが直進して、湖西線の高架を上っていく下をくぐって新逢坂山
トンネルへ入る。抜けると大津。石山で「ひだ」に抜かれる。これは
勝負あったかと思えば、草津で追いつく。
しかし、こちらは2分停まって、あちらに道を譲る。
米原では雨。線路をまたいで、6番線の到着。
後ろ4両を切り離し、8両となるのであるが、それは見ず、跨線橋を渡って7番線へ向かった。
あとで、切り離した4両を回送した運転士が女性であったことを知った。
最近は女性の運転士も増えてきた。
211系の大垣行に乗る。211系なので、110キロしか出さない。
大垣で313系快速に乗り換え。こちらが中京圏の主力車両である。
さすがに速い。出た時は、ポイントを45で渡ったものの、一度加速
を始めると。樽見鉄道の西大垣駅が見えた。レールバスが今、発車した
ところであった。揖斐川橋梁で120キロ。すぐに穂積に停まる。
岐阜から大量乗車。4両では賄えぬ。
名古屋から東山線に乗る。高畑行。代わった運転士が背中のカーテン
を下ろす。
高畑まで乗る。完乗したものの、そのまま真っすぐ帰るのも癪で、
八田で下りて、JRに乗る。こちらも313系だが、ワンマン。
単機回送のDD51を見る。
新快速で金山へ向かい、名城線に乗る。名古屋港方面が未乗であった。
途中の東海通で多くの下車。
そのまま上前津へ向かい、鶴舞線に乗り換え。名鉄を1本飛ばすと、
3050系が来た。CS-ATCの手動運転。御器所で桜通線に乗り換え。
こちらはATOが施行されている。今池で乗り換える。運転士も交代。
今池から本山へ向かう。東山線は5050系が増えた。
本山は、今回の延伸で4号線と東山線の乗り換え駅となった。
4号線(名城線と直通運転を行うので、名城線と案内では呼ぶ)
のホームはまっさらであった。どこぞも同じ、筋の人間がいた。
特にここでは、少年の姿が目立つ。名古屋大学行が入ってきた。
2619。一駅で名古屋大学。シールドの新しいトンネルを抜けると
すぐである。
下り立つと、そこは名古屋大学のキャンパスの中。来年、環状運転が始
まると、ここは中間駅となる。つまり、それまでの仮の終点駅。
そうなった時、ここはどう変貌を遂げるのであろうか。
2003/12/15(Mon)
No.98
安田喜憲講演会
10日と同じく、学科再編に伴う企画で、本学卒業生の
安田喜憲氏を招いて、講演会が開かれた。
氏は、『環境考古学ことはじめ』を書き、環境考古学
という学問分野を確立した人である。昨年、曲がり
なりにも環境考古学を学んだ人間としては等閑にして
おけなかった。とはいえ、『縄文の実像を求めて』を
読んだ人間としては、「縄文文明論」には批判的に
ならざるをえない。挙手はしなかったが、批判的な
コメントを残しておいた。
2003/12/20(Sat)
No.102
ヨハン・ガルトゥングの平和学トレーニングに参加
雪。道路が真っ白。家の前の、見知らぬ家の車もフロントガラス
からボンネットまで真っ白。
10で河原町へ出たが、懐も寒く、四条柳馬場の〒で引き出す。
それがもとで、バスは頑張って9時20分に着いたのに、9時48分
の9019列車に乗ることになる。6300系。
長岡天神で雪はやんだ。しかし、この列車に乗ると、10時半に
大阪に着けない。10時32分、1番線に到着。
方向は間違わずにHEPナビオの方角へ出られたが、何せ土地勘が
ない。しかし、誰に訊いても大阪YWCAがどこにあるか知らない。
結局20分近く遅れて大阪YWCAに到着。堂山アベニューはあまり
いい土地とはいえない。「聖」と「賤」の共存である。
ヨハン・ガルトゥングは平和をいかに築くかについて考えて
いるノルウェーの平和学者である。彼は構造的暴力という概念
を提唱したことでも知られる。今回は日本のイラク派兵が決まった
ところでもあって、目に見える暴力、つまり直接的暴力に重点が
置かれていたように思う。
アメリカの恐るべき10の世界戦略の一部が紐解かれた。
湾岸地域を我が物にしようとか、パックス・アメリカーナ
を世界にという妄想的なものや、対中国では、現政権転覆
などなど。
JRで帰途に着くも、大長君とdorlisと浜崎貴志のライブ
を観る。場所が悪く、今も共鳴中。
ロッテリアで食べ、ミスドで食後、でもって50でネグラへ。
2003/12/26(Fri)
No.104
政治・空間―先端学術研究科公開研究会
立命の院の先端学術研究科、公共分野の公開研究会が創思館303・304
で行われた。二部屋に渡るのは、仕切りを取り払って一部屋として使用
した為である。
講師は東大の吉見俊哉氏。文化の政治学など、政治一辺倒かと思えば、
さもあらず、むしろ文化史に関心のある人々こそ聴くべき話題が多かっ
た。吉村先生が繰り返し唱えるcultural studiesに造詣が深く、
あとで原武史氏の「『民都』大阪対『帝都』東京」にも参考文献として
挙がっていたのを知り、自らの無知を思い知らされた。
周知の天皇とマッカーサーが並ぶ写真の解釈で、受け手は一般に言われ
るような解釈をしなかったのではないかという問題提起に対し、隣席の
柴田氏から送り手の意図はどうなっているのかという厳しい質問が出
て、吉見氏曰く「送り手の意図通りに受け手が受け取るかどうか」とい
う反論が出て、なかなか面白い研究会になった。
結局、積み込みが8時半までかかり、そのあと西大路九条のGSに寄って
京都南ICから名神に乗る。よく流れている。とはいえ、100では先行の
トラックに詰まってしまう。左ルートへ分岐したところで、車線変更
して追い抜く。すると天王山トンネルへかかる。後続の中型トラック
が来ていることは承知しているが、トンネル内の車線変更は禁止されて
いる。抜けると、黄色のラインが切れない内に抜いていった。
どんどん抜かれるので、左へ戻る。東京起点500キロを過ぎ、梶原トン
ネルに入る。あとからできた左ルートは梶原トンネルが第一、第二と
分割されておらず、一本にまとめられた。抜けると、左右ルートが合流
する。左ルートの場合、右から合流してくるので、注意を要する場所
であるが、あえて軽を抜く為、車線を変える。
この辺りから四車線。次第に三車線へ統合され、吹田JCTを過ぎると
二車線となる。吹田SAに入る。強引な車に閉口。
とんかつ定食を頼む。うどん付。それでも足らず(22時になっていた。)
豚肉ラーメンを食べる。
出ると、すぐ制限70が出る。千里山トンネル近辺のカーブにかかる為
である。関大の下をくぐるのであるが、関西大学の標識が消灯してい
た。逆側の神戸側はまだ点灯していたとのことであるが、私はハンドル
を握っているので、見るに及ばず。
今日はあちこちで工事。この吹田SA〜豊中ICも各所で工事中。スピード
アップが妨げられる。名神高速を走る機会があれば、ラインを確認して
いただきたい。引き直した跡が残っているのである。
豊中ICを過ぎると制限は100となるが、今度は真っ暗な区間に入る。
夜景が眺められて結構なのであるが、煌煌と照らされた区間から突如
暗い区間に入ると暗順応が必要になるのである。バランスを欠いている
と評しておく。尼崎ICが近づくとまた煌煌とライトが照らす。
西宮ICが近づくと制限80となり、大きな左カーブが待ち構える。
終わると西宮料金所である。しかし、ここで一般道へ下りる必要はな
い。下りずに、そのまま右への分岐をぐるぐると回ると阪神高速3号
神戸線へ連続している。しばらく80で流れる流れに乗っていると、
芦屋の料金所である。摩耶あたりまでは先行の大型車を追走していた
のであるが、なかなか思うにまかせず、60〜70へ下がるもので追越へ
出た。京橋を過ぎて大カーブで道を譲ったが、譲る位置がよくなかった
と思う。
2004/01/01(Thu)
No.106
甲子園浜にて初日の出を見る
前日から見にいくとは約束していたものの、すっきり
起きられるかと不安を抱えていたのだが、実際のところ
目覚ましが鳴るとすぐ飛び起きた。
時刻は5時40分。起きてクルマへ向かう。お茶でも飲みながら
向かえば、そう眠いものでもない。
さて、運転席に座ったものの、全くフロントガラスが曇って
見えない。ようやくデフが機能して、見えるようになった。
側道をすぐ折れ、県道へ出る。道なりに進むと、板宿駅前
である。ここで右折。大田町から大橋9丁目へ進んで
国道2号線へ出る。国道の台数はいつもに比べてかなり少ない。
国道を道なりに進むと、つくづくストップ&ゴーの繰り返しだと
思う。やはり高速を使うメリットはここにあるのだと思う。
生田川ICから幾分台数が増えてきた。国道43号線へ移る陸橋
も相変わらず流れが速い。40キロ制限なのに70キロ。
なもので、スピードが乗りすぎていることに気付かなかった。
さっと、速度を落とす。
芦屋の本局を通過。気付かなかった。今回初めて気付く。
阪神高速の西宮ICに6時50分に着く。「7時までに名神の西宮IC
に着く。」と宣言したところ、6時55分に通った。西宮戎神社に
早朝から参拝する方々の姿を見た。
甲子園球場の手前で側道に入る。入っておかないと甲子園浜へ
向かえない。Joshinの看板が目印となる。
甲子園球場前の交差点を右折、そのまま直進する。
7時5分着。日の出の時刻丁度の到着。
かなりの人が来ていた。自家用車も少なくなく、遠出の人も
いらっしゃったものと見える。
さて、日が昇り、退散する。ところが道を逆に進み、小さな
川へ出る。公団浜甲子園団地第5のバス停があったことを根拠
に左折。この道はバス道である。浜甲子園局があった筈
なのだが見落とした。
抜けると県道340号線。すぐに曲がると、一昨年に通った道と全く
同じ道を走ることとなる。橋を渡ると、西宮港大橋を渡る阪神高速
の車が近づいてきた。道に迷いつつも、甲子園浜ランプへ至り、
湾岸線に乗る。すぐに渡る西宮港大橋は形状が異形であるけれど、
これはこれで、結構好きな橋。西宮浜を経て、南芦屋浜の料金所。
「おはようございます。」気持ちの良い挨拶だ。元旦から仕事とは。
さて、なおも高速は続く。制限80なので、ここでは120キロで飛ばす
車もいる。私は100キロ。
芦屋浜ICを過ぎ、深江浜ICを過ぎてすぐに渡る東神戸大橋がこの高速
では最も好きな区間。右手にHAT神戸が見える。
この橋を渡ると制限60となり、住吉浜、魚崎浜へ向かうクルマと六甲
アイランド北へ向かうクルマが分岐する。車線を右へ変えておいた
私のクルマは住吉浜へ向かう。この出口では乗継券が発行される。
しかし、それにはかまわず灘大橋を渡る。ハーバーハイウェイへ
向かうクルマと高浜ランプの手前で分岐。
東明の交差点へ出る。国道43号線を道なりに進んで、そのまま
中央区役所の前を通って多聞通りへ出て、いつものように帰る。
2004/04/29(Thu)
No.132
藤子不二雄A展観賞
美術館「えき」で「まんが道 藤子不二雄A展」
を観賞する。私が知らない作品が多く、
また伊集院静氏の評論が的を得ていた。