神代文字の真偽

 我が国には、大陸より漢字が伝わる前に、日本独自の文字を持っていたという。
 それが「神代文字」である。
 こうした文字は、果たして実在したのであろうか?
 これは結論から言おう。現代残されている「神代文字」なるものは、その殆ど全てが江戸時代から明治にかけて作られたものである。

 神代文字と呼ばれるものには、夥しい種類が存在する。
 アヒル文字、アヒルクサ文字、イムベ文字、アコシ文字、アメコシネ文字、アメコシアヒル文字、ツクシ文字、ホツマ文字、クサキネ文字、カスガ文字、ウマシ文字、モノノベ文字、コレタリ文字、タネコ文字、豊国文字、モリツネ文字、ムサシ文字、ツシマ文字、アジチ文字、アメコシカズ文字……まだまだあるだろう。
 これらは神社の石碑や御札などに残されていることもあれば、こうした神代文字で書かれた古文書なるものまで存在する。だが、その歴史は先述の通り、古くはない。

 神代文字の真偽をめぐっての議論は、山田孝雄の論文「所謂神代文字の論」でもって、決着はついたと考えて良い。
 神代文字にとって一番致命的なのは、47音ないし50音しか無いことだ。これは神代文字が近世の作だということを雄弁に物語っている。万葉仮名を学んだ方にとっては常識であろうが、こうした「いろは歌」の50音が成立したのは平安時代中期からであり、それ以前の日本語は音がはもっと多かったのだ。
 言語学の研究により、7世紀後半(「古事記」の時代)には88音節もあり母音も8つあった。8世紀には87音節。9世紀前半には70音節を区別し6母音、10世紀にはやっと母音が5つになるが68音節を区別。「源氏物語」の時代11世紀になっても67音節が区別されていたことが分かっている。
 75音ある神代文字も存在するが、これは明治15年に神道オカルティストの幻視によって現れたものなので、除外する。

 また、古墳等から出土する銅鏡に刻まれた文字は、大陸の古い漢字として解読されている。
 しかし、これは漢字ではなく、神代文字だという主張もある。なるほど、確かに似ている……と言うか、銅鏡の文字をよく調べて似せて作っている。しかし、新たな銅鏡が次々に発掘されることまでは考えていなかったらしい。最近の銅鏡の文字を、その神代文字読みしようとすると、言葉がグチャグチャで意味を成さなくなってしまう。

 また、対馬の阿比留家に伝わるアヒル(阿比留)文字は、その構造上からハングル文字の原型になったと言う主張も聞く。だが、それはあまり説得力を感じない。
 確かにアヒル文字は、平田篤胤が注目しただけあって、神代文字の中でも比較的歴史の古い文字ではあるが、現存する古文書はいずれも江戸時代のものである。これに対し、ハングル文字は500年以上も前の李氏朝時代の世宗による「訓民正音」発布時代の古版が発見されている。さらに、その構造からも元朝のフビライ・ハーンが元の公用文字として作らせたパスパ文字と酷似している。朝鮮半島が元の支配を受けたことを考えれば、パスパ文字に原型を求めた方が、遥かに現実的である。だいたい、ハングル文字は中国の宋学の思想の影響が顕著であり、どう考えても大陸文化の産物だ。
 ようするに、対馬は半島との接触が多かったことも加味して考えれば、アヒル文字の方がハングル文字を真似したと考えた方が、遥かに妥当なのだ(だいたい、アヒル文字の「ん」音は、どう見たって変体仮名の「ン」からつくられてる)。

 こうした神代文字に注目し、実在論の立場から本格的に研究をしたのは、国学者の平田篤胤である。彼の著「神字日文伝」では、日本全国からこうした神代文字を収集した。そして、似た形態の文字を、もともと1種類の文字が変形し多様化した結果とし、一つの文字に集約した。彼は真性の日本古来の文字は、アヒル系列の文字であるとし、「日文」と命名した。また、この日文には楷書体の他に草書体もあるとし、アヒルクサ文字系列の文字が、これであるとした。そして、それ以外の形の神代文字を、「付録・疑字篇」として列挙した。
 だが、アヒルクサ文字がアヒル文字の草書体であるという説は、正直こじつけと見たほうが良い。両者は本来別物と見るべきだ。これは、昭和初期の神代文字の肯定派ですら認めている。
 そもそも、このアヒルクサ文字自体が、複数種の神代文字を強引に一種類にまとめた感がぬぐえない。
 そして、「日文」とされたアヒル文字にしてみても、先に書いた通りハングル起源の考えるのが妥当である。

 国学者の間でも、この神代文字をめぐっての意見は異なる。例えば平田篤胤の師匠である本居宣長は、神代文字を信じてはいなかった。彼の考えでは、ちょうど文字にされる前の古事記のように、「口述」による記録こそが大和民族的であるとし、文字の概念自体が日本の外から来たものなのだ、という説を持っていたのだ。
 だが、平田篤胤は、優秀な民族であるはずの日本人が文字を持たなかったことを、屈辱と考えていたようなのだ。それゆに神代文字の探索に心ひかれたのだろう。

 神代文字の最も古い記録は、何か?
 一説によると、1367年に忌部正通によって書かれた「神代巻口決」だという。これに「神代の文字は象形なり。応神天皇の御宇、異域の経典、初めて来朝してより以降、推古天皇に至って、聖徳太子、漢字をもって和字に付けたまふ」という記述がある。これは神代文字のことを言ってるのでは? という説がある。面白い説だ。しかし、多くの歴史学者達は、単に「絵」でもって情報伝達をしていたことを言ってるのだ、と解釈している。

 とは言うものの、これらの神代文字は、たいへん美しい。
 そして、こうした文字が、一種の霊力を帯びた神聖文字として崇敬の対象にもなってきた、ということを忘れていけない。
 ことに明治の神仏分離令により、神社では仏教より拝借した梵字が仕えなくなった時、この神代文字で代用することにより、ますます神聖視もされた。
 こうしたことも考えて、私は神代文字には、敬意も払うし、民俗学、宗教学としても魅力的な研究題材であると思う。
 それと、近世以降の作とはいえ、百年単位の歴史を持っている文字もあるのだ。そして、詳しい起源や使用された歴史的背景については、まだまだきちんとした研究はなされていない。
 これらの文字は、保存、研究してゆく価値は充分にあると私は思う。


「日本神代文字研究原典」 吾郷清彦 新人物往来社
「偽史冒険世界」 長山靖生 ちくま文庫
「平田篤胤全集 15」 平田篤胤 平文社