グイド・フォン・リスト


 グイド・カール・アントン・リストは1848年にウィーンの裕福な皮革商人の家に生まれた。彼が貴族を意味する「フォン」を名乗るのは、1903年以降のことであり、これには何の根拠も無い。

 彼の両親は熱心なカソリック信徒であったが、彼はキリスト教にはさほど興味は無く、逆にゲルマン神話の神々に惹かれていた。彼は早くも14歳の時にオーディンの神殿を建てる、という誓いを立てたというエピソードが残されている。
 彼は最初は画家を志したが、両親は彼に家業を継がせたがった。そのため、彼はしばらくは目立った活動はしていない。
 だが、1875年に気になるエピソードを残している。彼はこの年にドナウ川下流にある古代ローマ時代の遺跡で、焚き火をしてワインの瓶をスワスティカ(卍)の形に埋めて、儀式を行ったという。これは、ドイツにおけるゲルマン優越主義を唱えるオカルティストが、スワスティカを最初に自分たちのシンボルに用いた記録であり、ナチのハーケンクロイツの最初の源流であるのかもしれない。

 1877年に父親が死去して、自由の身となった彼は、商売をたたんで、著述業に入る。主にドイツの自然や民俗、歴史を題材に取った無害なものだった。
 1881年には「カルヌントゥム」という小説を発表する。カルヌントゥムとはローマ時代の遺跡の名であり、ゲルマン人とローマ帝国との古戦場であった。
 この頃からリストは幻視体験を始めたらしく、この古代の戦争の様を幻視したらしい。
 この小説は、ドイツの民族主義者たちから好評をもって迎えられた。
 続いて1891年に、今まで書き溜めたドイツを讃える論考をまとめた本「ドイツの神話風景」を発表。これは、民俗学的な色彩の強い著書である。さらに、1894年に「若きディーターの帰郷」、1895年に「ピパーラ」という小説を発表。
 1901年に「夏至の日の魔術」、1903年には「黄金の硬貨」という演劇も書いている。
 これらもまた、ドイツの民俗主意者達から支持を受けた。
 こうして彼はドイツ民族主義者の中では、大きな地位を占めるようになり、金持ちのパトロンすら見つかった。
 当時、ドイツでは、いわゆる汎ゲルマン主義運動なるものが活発化していた。要するにドイツ優越を唱える民族主義である。彼等は、ドイツ民族は、キリスト教よりも本来の宗教である北欧神話の神々の崇拝の復活を唱える者もおり、宗教的な儀式をも実践していた。
 リストの劇や詩は、こうした集会でも用いられた。

 リストがオカルティズムに興味を持つのは、1890年代の初め頃かららしい。1893年に彼は白内症を患い、一時的に失明した。この時、一種の幻視体験をしたらしい。
 ここで彼は、「アーリア人の原言語」を発見したと称し、新ルーン文字を発明し、奇天烈な言語理論を主張した。彼はこれを論文にして、ウィーンの学会に送りつけたが、当然のごとく無視された。
 しかし、彼は自説の正しさを主張し続け、1908年には「ルーン文字の秘密」を著す。
 近代オカルティズムにおいて、ルーン文字に魔術的な効果があると、最初に言い出したのは、どうも彼らしい。
 さらに、1914年に「アーリア・ゲルマン人種の原言語と神秘言語」なる著書にまとめている。

 リストの思想体系は「アルマネンシャフト」と呼ばれる。
 彼はタキトゥスの「ゲルマーニア」を基に、独自の空想を膨らました。彼によると、古代ゲルマン人は、農民、知恵者、戦士の3つの階級からなっており、特に「知恵者」の階級は、王と司祭を兼任したような身分で、一種の秘教サークルであったという。
 リストはタキトクスが「ゲルマーニア」で触れているゲルマン人の部族であるヘルミノーネス族を、この「知恵者」集団に他ならないとした。そして、ヘルミノーネスをドイツ語風に発音して「アルマネン」と呼んだ。そして、この秘教集団を「アルマネンシャフト」と呼び、その教義をアルマネ主義と呼んだ。
 彼によると、このアルマネン主義は、古代ゲルマン人の中でも選ばれた者のみに伝授された一種の秘密宗教であり、一般のゲルマン宗教の密教にあたるものとした。そして、一般のゲルマン人の信仰は、かのオーディンの名を取って、「ヴォータニスムス」と呼んで区別した。
 彼によると、「アルマネシャフト」は、キリスト教の抑圧を受け、地下に潜ったという。
 そして、その秘伝の知識は、一種の秘密結社の形で伝承され続けた。
 こうした「アルマネンシャフト」の伝承者とは、テンプル騎士団ピーコロイヒリンジョルダーノ・ブルーノ、そして薔薇十字団フリーメーソンであるという!!
 さらに、リストは、自分をかのロイヒリンの生まれ変わりだと信じていた!!

 リストは神智学にも傾倒し、ブラバツキーの「シークレット・ドクトリン」の根源人種説を独自に改造し、奇妙な人種説を展開する。
 彼によると、アーリア人は北極で発生し、その優れた文化を世界中に広げた。ゆえに世界中の遺跡や文化には、アーリア文化の痕跡が認められる。メソポタミア文明やエジプト文明もアーリア人の指導のもとに作られた。日本の文字は、ルーン文字と酷似しており、あきらかにルーン文字に起源がある。
……この辺でやめておこう。

 彼の思想は、薔薇十字思想や神智学をドイツ民族主義と融合させた代物であり、悪く言えばオカルト右翼といったところか。
 彼の思想は、ナチズムにも通じる兇暴性を有していることを認めざるを得ない。
 彼の言う「アルマネシャフト」に基づく理想国家とは、アーリア人が特権階級として絶対権力を握り、非アーリア人はその奴隷とならなければならない。
 民主主義を廃止して、純粋なアーリア人による世襲制の王制国家を復活させなければならない。そして、アーリア人は純潔を守らなければならず、非アーリア人との混血はもってのほかである。
 ……実際、彼がナチズムとは全く無関係だったとは、到底言えない。
 彼は1911年にターンハリという奇矯な霊能者と知り合い、彼の霊言(?)を信じていた。このターンハリは、あのヒットラーに影響を与えたディートリッヒ・エッカルトとも親交があった。
 ともあれ、彼の思想は、アルフレッド・ローゼンベルクを始めとしたナチス思想家に大きな影響を与えることになる。
 しかしながら、リストが、ヒットラー個人に直接の影響を与えたと言う証拠は、いまのところ無い。そもそもヒットラーは、リストの「アルマネンシャフト」のことを知っていたのだろうか? これは謎である。
 
 1904年頃から、リストの信望者達が活動をはじめ、1908年には「リスト協会」が正式に発足した。
 これには当時の名だたるゲルマン民族主義者、反ユダヤ主義者が加わった。初期のナチス関係者もいた。
 1911年には「リスト協会」の内陣にあたる団内秘教結社「高次アルマネン結社」が設立された。
 さらにリストは黙示録的な思想も持っており、第一次世界大戦を理想国家設立のための聖戦とみなした。さらに、彼はゲルマン人の救世主の登場を予言した。彼によると、救世主が出現する年は1932年であると予言した。ナチス国家体制が出来上がったのは、1933年のことであり、これはリストの予言が的中したのだと見なす者もいる。

 だが、ヒットラーがドイツにもたらしたものは、焼け野原になったドイツの諸都市、人類史上稀有の大蛮行ホロコーストとそれによる永遠の汚名、そしてドイツ人の死体の山であった。
 リストは1919年に死去し、幸か不幸か、こうした惨状を目にすることは無かった。


「聖別された肉体」 横山茂雄著 白馬書房
「北極の神秘主義」 松田和也訳 ジョスリン・ゴドウィン著 工作舎
「99万年の叡智」 荒俣宏著 平凡社