アルベルトゥス・マグヌス


 アルベルトゥス・マグヌスの生年は、1193年以降とされており、おそらく1200年であろうと言われている。
 シュヴァーベン州のラウインゲンに生まれ、家は貴族ではなかったが、ボルシュテット伯爵家の流れを組む裕福な家庭であったらしい。
 1223年にドミニコ会に入会、その後ケルンで神学を講義し、45年にパリで学位を取得し、パリ大学で神学を教えた。この時、45〜48年にかけて、かの大神学者トマス・アキィナスの師匠であった。1148年にはドミニコ会の国際的な神学研究機関の設立のためにトマスと共にケルンへ戻った。
 
 彼は教会の仕事が忙しく、しばしば学問的研究が中断させられたが、多くの著書を残している。
 彼の著書は実に広い範囲に及んでいる。彼の大きな業績は、アリストテレスと偽ディオニュシオスの注釈を書くことにより、アリストテレス主義をヨーロッパに広め、新プラトン主義的傾向の著書を著したことである。当時ヨーロッパは学問において、イスラム圏と比べて大きく遅れをとっていた。アリストテレス哲学が広がることによって、ヨーロッパの知は大きく進展した。これには、彼の業績によるところが大きい。
 また、オカルティズム的には、新プラトン主義の原型を造ったことが、大きな業績であろう。彼の著書には、ヘルメス・トリスメギストスの名も見られる。特に彼の偽ディオニュシオスの注釈書は、新プラトン主義的傾向を持ち、後世に大きな影響を与えた。
 また、彼はアリストテレス哲学と偽ディオニュシオスを両立するものとして考えていたようだし、これらの思想はキリスト教神学に取り入れた。また、自然魔術の先祖にあたる技術を容認していた。
 しかし、彼の偉大なところは、こうしたアリストテレス哲学を取り入れるにも無批判に右から左に流すのではなく、独自の解釈を施し、発展させたことである。
 実際、彼はアリストテレスの著書の殆どについて注釈書を著したが、それは「注釈」と言うより「パラフレーズ」に近いと言われる。かなり自由な叙述の形式を持ち、原テキストから離れて独立の問題を論じる章を設けたり、様々な学説の紹介や引用をも含んでいる。
 
 ことにアリストテレスの「動物論」、「植物論」、「鉱物論」の注釈書については、この時代としては数少ない、かつ高レベルな科学(と魔術の混在)の書として評価が高い。これらの書に注釈を施すにしても、過去の情報だけではなく、彼自身の観察や実験結果についても叙述している。これは、彼が書斎に閉じ篭もるペーパー学者ではなく、野外に出て観察し、実験室で研究を行う博物学者、実験科学者であったことを示している。
 彼が、後述する魔術師としての様々な伝説を生み出したのも、こうしたことからであろう。
 実際、彼のこれらの書は、アリストテレスの「動物論」やプリニウスの「博物誌」と並んで、後世の自然魔術に影響を与えることになるのである。

 彼の思想は、アリストテレス哲学と偽ディオニュシオスの融合にある。
 だからこそ、彼はアリストテレスの著書と同じく偽ディオニュシオスの著書の注釈も大量に著したのである。
 例えば「神」については、こうだ。神とはアリストテレスの言う通り、「第一原理であり、「それ自身」によって存在するものである。それを受け入れた上で彼は、第一原理たる神と世界を区別する時、偽ディオニュシオスに従って、神は我々全ての観念を超越し、我々が神に帰属させようとするいかなる名辞もそれで神を説明することは出来ず、神については「何であるか」ということより、「何でないか」を知ることの方が真実に近づくと考えた。
 とは言うものの、彼の神学は、あまり整理されておらず、混乱をも引き起こした。
 彼の仕事を引き継いだのが、かのトマス・アキィナスであり、彼によってヨーロッパの神学、哲学には革命がもたらされることになるのである。

 彼は1254年から59年までにドミニコ会のテウトニア管区長、60年から62年まではレーゲンスブルグの管区長を務めたが、ローマにもたびたび出かけ、またボヘミア十字軍の説教師ともなり、忙しい毎日を送った。
 生活態度も真面目で質素。学問だけでなく、経営の才能もあり、財政難だった教区を立て直す等もしている。
 1274年には自分を超えた弟子トマス・アキィナスに先立たれるが、終生を弟子の擁護に捧げた。パリにおいてトマスの著書が批判されたとき、老骨に鞭を打ってパリへと赴いている。
 1280年、ケルンで死去。
 彼が列聖されるのは、だいぶ後世になってからの1931年である。

 彼に関する最も有名な伝説は、人造人間を作ったという話しであろう。
 その人造人間は陶器で作られ、体の各部品は占星術に基づき、星の影響で動いたという。そして言葉を喋ることも出来たが、ひっきりなしにわけの分からないことを喋り続けるので、瞑想の邪魔をされた弟子のトマスが怒って、これを槌で叩いて粉々にしてしまったという。
 また、こんな伝説もある。オランダのウィルヘルム2世がケルンで彼と食事をした時のことである。その日は冬で、王の一行が修道院に着いた時は雪が一面に積もっていたのだが、食事の用意が出来ると、いつのまにか修道院の庭は春になっていて、美しい花々が咲き乱れていたという。
 この伝説の一番古い記録は1320年頃のことらしい。
 だが、言うまでもなく、これらは後世の作り話しと見るのが無難であろう。
 また、「大アルベルトゥス」や「小アルベルトゥス」と言った彼の名を冠したグリモワールも存在するが、これらは17〜8世紀に成立したもののようである。
 しかし、「大アルベルトゥス」などは、植物や動物や鉱石の博物学的な呪術が記されており、これは彼のアリストテレス「動物論」や「植物論」を意識しており、なかなか面白い。


「中世思想原典集成13」 平凡社
※アリストテレス「形而上学」と「動物論」の注釈。偽ディニュシオスの「神秘神学」の注釈が収録されている。
「大アルベルトゥス」 河出書房新社