ローマ法王と魔術


 カソリック教会の頂点に立つローマ法王が魔術師だった?
 もし事実だとしたら、これは大変なことであろう。確かに歴代の法王の中には、占星術や錬金術、自然魔術に近い「科学」に理解を示した人は何人もいたが、厳密な意味での魔術師だったといえる人は居ないであろう。結局これも伝説の域を出るものではない。
 しかしながら、魔術師だと噂を立てられてしまった法王は何人かいる。

 まず、シルウェステル2世である。在位は999年から1003年。最初のフランス人出身の法王である。
 大変学識があり、また真面目な性格をした法王であった。彼は聖職売買を厳しく取り締まり、伝道活動も熱心に行った。
 また、政治的野心も強く、神聖ローマ皇帝と共に「キリスト教大帝国」建設の計画を建てるが、皇帝と親しくなりすぎたためにローマの有力者達の反感をかい、一時的にローマを追い出されるという目にも合っている。
 彼は、科学に強い関心を持っており、ヨーロッパにアラビヤ数字を導入し、また振り子時計の発明者としても科学史に名を残している。
 彼が魔術師であるとの噂を立てられたのは、ここに原因がある。
 伝説によると、彼は密かに魔術を実践し、悪魔の力を借りて教皇の座を手にいれた。悪魔は契約の中で、「法王はエルサレムでしか死なない」としたという。彼は決してエルサレムには足を運ばないようにしていたが、ミサの最中に突然卒倒した。そこは「エルサレム聖十字教会」だったという。そして、死ぬ間際になってそれを告白したとか。だが、このエピソードは15世紀のイタリアのいい加減な年代記作家の捏造であるという。
 こうした噂はエスカレートし、終いには「庭にドラゴンをペットにして飼ってる」という荒唐無稽な噂も広がった。

 しかし、それ以上に有名な教皇は、ホノリウス三世であろう。
 彼はローマの名門貴族の出身で、名はチェンチョ・サヴェッリ。高位聖職者を歴任後、1193年に枢機卿となる。学識を持って知られ、後に彼と激しく対立するフリードリヒ2世が皇子だった頃に家庭教師を務めるという皮肉な偶然もあった。
 1216年に法王となり、ホノリウス3世を名乗った。そしてその在位は1227年まで続いた。
 彼は、当時出来たばかりのドミニコ会やフランチェスコ会の擁護者としても知られている。
 だが、政治家としては、あまり優秀とは言いがたい。十字軍を呼びかけ、これに消極的だったフリードリヒ2世と対立し、皇帝に破門の脅しをかけて無理矢理十字軍を組織させようとするなどし、混乱をもたらした。また、アルビ派などの異端(?)に対しては冷酷無比な迫害者であった。

 しかし、業績もある。彼の主な業績は著述活動であろう。
 ローマ教会の歴史書、最初の教会法集の編纂、歴代の教皇列伝の増補作業、説教集等の業績がある。彼は学者でもあったのだ。
 彼が魔術師であるとの噂を立てられたのも、おそらくこうした学識から来たのだろう。

 あるいは、異端派弾圧そのほかで、さんざん恨みをかった教皇である。
 そんな彼を悪魔喚起の魔術と結びつけることによって、彼を茶化すという政治的なイタズラもあったのではないかと見る向きもある。

 ともあれ、ホノリウス法王の名を冠したグリモワールは、複数種類ある。
 古いものでは、14世紀頃に編集されたものもあるようだが、現存するものは17〜8世紀頃に成立したものらしい。
 「恐るべきホノリウスの書」、「魔術師ホノリウスの誓願書」、「法王ホノリウス3世の奥義書」、「偉大なるホノリウスの律法」など、様々なものがある。
 また、ものによっては「ホノリウス2世」としているものもあるが、「3世」とするものが多い。

 この魔術書に限らず、グリモワールの類をよくよく調べれば、カバラの知識も含有していることが多い。
 しかし、無学な者によって写し取られてゆくうちに混乱が生じ、スペルミスや改竄、勝手な補遺、あるいは本がバラバラにされる等して、次第にわけの分からない呪い本と化していった。
 いろんな言語がゴッタ煮よろしく混ぜられた呪文が使われるのはまだ良い方で、「テトラグラマトン」を、そのまま「神の名前」とするなど、あきらかにカバラの知識が無い物が編纂したと分かる部分もある。
 ホノリウスの書は、しばしばこうした通俗化した魔術、零落したカバラの代表とされがちである。
 内容はものによって、だいぶ違う。

 例えば、「法王ホノリウス3世の奥義書」。 内容は、まじない集的なものだ。一例を挙げるとこんな感じ。
 まず、貴方の寝室を綺麗に掃き清めよ、大きなテーブルに3つの椅子を置き、三人ぶんのパンと水を用意せよ。暖炉には火をくべ、ベッドの横に椅子を一つ置くべし。そして、ベッドに横になって、呪文を唱えよ。すると、暖炉の中から三人の精霊が現れる。術者が男性の場合、精霊は淑女の姿を取り、術者が女性の場合は紳士の姿を取る。彼らは、用意したパンと水で食事をし、貴方に一宿一飯の恩義に応えるため、籤をひいて一人だけ残る。一人残った精霊は、アームチェアに座り、ベッドの上の貴方に、財宝の埋もれている場所を教えてくれる。そして、その財宝が呪いや魔術で守られている場合、その精霊は貴方のために財宝を守る精霊と闘い、追い払ってくれる。
 他にも、様々な記述があるのだが、「女が処女かどうかをしらべる法(アラバスターの粉末を飲食物に入れて飲ませれば分かるそうな)」のような、正直どうでもいいような「まじない」が大部分を占めている。

 「魔術師ホノリウスの誓願書」では、ずばり天使の知識や悪魔の喚起などが扱われる。
 ここでは四人の悪魔が挙げられる。すなわち、西の悪魔ハルサン、南の悪魔イアマズ、北の悪魔アルブナリス、東の悪魔フォルノック。これらは四大の水火土風にも照応する。
 この「ホノリウスの書」によると、これら四人は便宜上、悪魔としたが、実は邪悪でも神聖でもなく、人間に対しては悪意も慈悲も持たない存在だという。魔術そのものは邪悪ではなく、邪悪な人間が用いる魔術が邪悪なものになるにすぎぬという。 

 ともあれ、こうしたホノリウスの名を冠した魔術書は、やはり悪魔の喚起を扱ったものが多い。
 魔術師は、この書に従って魔法円を描き呪文を唱え、悪魔を喚起して使役する。
 かのエリファス・レヴィは、こうした「ホノリウスの書」が、一見、馬鹿げた迷信じみた代物であることを認めている。しかし、カバラの奥義に通じた者がみれば、ある有益な技術が隠されていることが分かるという。すなわち、「人間の信じ込みやすい性質、この性質を牛耳っている「こけおどし」たる悪魔を支配下に置き、この性質を自在に操れるようにする」ことであるという。


「ローマ教皇事典」 マシュー・バンソン著 長崎恵子・長崎麻子訳 三交社
「魔術の歴史」 エリファス・レヴィ著 鈴木啓司訳 人文書院
「Twilight Zone」誌 No.121 「西洋魔術の奥義書大公開」朝松健著
「The Grimoire of Pope HonoriusV」