ファウスト博士伝説


 かの人類史上の大文豪ゲーテの戯曲によって、おそらく世界で最も有名な魔術師、それがファウスト博士であろう。
 しかし、名前ばかりやたら有名な割には、彼がどのような人物であったかは殆ど分ってはいない。虚像と実像の知名度の差が、これほど極端な人物もそうそういないであろう。
 彼に関する伝説それ自体は、大量に残されている。
 また、彼の伝説は古くから、民衆文学や文芸、あるいは上流階級の文学にも格好の材料と考えられ、多くの文学作品のテーマとされた。それは、ドイツの民衆に流布した教訓物語から、芸人の人形劇、かのシェークスピアに次ぐイギリスの大劇作家クリストファー・マーロウによる「フォースタス博士の悲劇」から、ゲーテの「ファウスト」に至るまで、夥しい数にのぼる。
 しかし、逆にあまりに伝説が多すぎて、彼の実像がかえって分りずらくなっているのだ。こうした大量の伝説は、その殆どが後世の作り話しであるからだ。

 もともと、ヨーロッパの民衆文学には、魔術師が登場する物語があった。有名なものとしては、テオフィラス伝説が挙げられる。テオフィラスは悪魔を呼び出して契約をする。生きているうちは悪魔を自分の好きなように働かせることが出来るが、死後は魂を地獄に引き渡すという契約である。
 彼は悪魔の力を借りて、様々な不思議を行う。
 しかし、地獄堕ちの恐怖に耐え切れなくなった彼は、聖母マリヤに祈り、心から本当に悔い改めてしまう。
 すると、聖母は、この黒魔術師を憐れんで、悪魔から契約書を没収して破り捨て、彼を救う。そういう物語である。これは、盛んにキリスト教の教訓物語として物語られ、宗教芸術のテーマにすらされた。
 
 これに対して、ファウスト伝説は、ずっと悲観的である。
 彼が悪魔メフィストフェレスと契約し、様々な不思議を行うところまでは同じだが、彼は最後まで悔い改めることはせずに、無残な最期を遂げる。
 もっとも、ゲーテの戯曲ではハッピー・エンドであるがゆえに、もともとの彼の悲惨な物語は、日本ではあまり知られていないようではあるが。

 実在のファウスト博士に関する確実で最も古い記録は、かのトリテミウスの書簡である。この天使召喚魔術の研究者にしてアグリッパの師匠、魔術の近代化に至る功労者は、ファウスト博士と同時代人であった。彼は友人の占星術師ヨーハン・ヴィルドゥングに1507年に宛てた手紙の中で触れている。
 いわく、愚劣極まる、無知で無学で、大言壮語する倣岸不遜な男で、信仰心も道徳も無い下司、頭がおかしい二流の魔術師……。
 要するに罵詈雑言である。ただ、トリテミウスは何かと物事を針小棒大に語る癖のあった人物である。
 また深読みすると、彼は当時、魔術師にかけらがちな嫌疑、「魔術師は悪魔の力を借りる」ことが誤解であると激しく弁明していた。そこへ、「降霊術を売りにしている男」の登場は、こうした風評を助長するだけと思ったのかもしれない。こうなると、彼はファウスト博士を全否定せざるを得なかったのではあるまいか。事実、彼は当時の魔術師を罵倒するときの決まり文句、「悪魔の力を借りている黒魔術師」という表現を一切使っていないのである。
 次に古い史料は、エルフルトの人文学者ムチアヌスが1513年に書いた手紙である。そこでは「大言壮語する愚か者。だが、無学な連中たちからは支持を集めていた」といった内容である。
 また、トリテミウスの孫弟子にあたるアグリッパの弟子たちも、ファウスト博士に対しては否定的である。エセ学者、正統な魔術をいかがわしい迷信・黒魔術にすり替え、ヘルメス哲学を危うくする男、と言った評価を加えている。

 反面、彼の高名ぶりを示す記録もある。
 1520年のバンベルク司教の財務官が、出納帳に残している記録で、「哲学者ファウスト博士は司教のためにホロスコープを作成し、報酬10グルデンを受け取った」とある。これは、かなりの大金であり、彼が占星術の大家と見ていた者もいたことを意味する。
 1540年には、フィリップ・フォン・フッテンという貴族が、ベネズエラ遠征に行った際に、ファウスト博士の予言が当たった、と言った内容の手紙を書いている。
 その他、彼の死後にも、年代記や回想録にも色々なことが書かれることになる。
 しかし、作り話しの伝説も、早い時期に多く現われる。また、ファウスト博士の著書と称するグリモワール的な本も流布した。無論、これらは偽作である。
 そんなわけで、彼の本当の伝記を作るのは、やはり困難である。
 ある現代の研究者は、こうも言っている。彼の実像を描こうとすれば、現代風の新たな伝説をまた作ってしまう。

 彼は、現代ではヨハン・ファウストの名で知られている。
 ちなみに彼は生前、いくつもの名前を名乗ったらしい。修士ゲオルギウス・サベクリス、ゲオルギウス・ファウストゥス、ハイデルベルクのヘルミテウス等だ。
 出身地については、ハイデルベルク説とクリットリンゲン説が挙げられる。
 おそらくクリットリンゲンが出身地で、ハイデルベルク大学で学んだ可能性が強い。なお、ハイデルベルグの卒業生名簿にフォウストという名前があるが、最近の研究でこれは別人らしい。ただ、ゲオルギウスという名もあり、ファウスト博士が「修士ゲオルギウス」を名乗ることもあったことから、これこそが彼ではないかと言う説もあるが、今のところ確証は無い。
 ともあれ彼は、各地を遍歴して歩いた。
 彼の足取りで確実と思われるのは、1506年ゲルンハウゼン、同年ヴュルツベルグ、1507年クイツナハ、1513年エルフルト、1520年バンベルク、1528年インゴルシュタット、1532年ニュウベルグ、1525〜1532年ヴィッテンベルグである。
 なお、こうした記録にはトリテミウスの書簡のような悪口から、追放、入市拒否、逃亡の記録も含まれる。
 彼は魔術師として支持を受ける反面、生前から詐欺師や山師としての悪名もとどろいていたようである。
 アグリッパの弟子の著書に見られるのだが、彼は「剃刀を使わずに髭を剃る方法」を知っていると吹聴していたと言う。そこで、ある人がその方法を教えてくれと頼むと、彼は塗り薬を渡した。その塗り薬を使ったところ、なるほど髭は抜け落ちたが、一緒に皮膚と肉の一部も剥がれ落ちてしまった。それは砒素を含有した劇薬だった……。
 このエピソードは、彼の山師を物語るものとしてよく引用されるが、これも彼の死後だいぶたってから伝えられた話しであり、真偽は怪しい。
 つまるところ、彼がどのような人物だったのかは、やはり謎なのだ。

 彼の死についても謎は多い。少なくとも1536年には生きていた。1539年の記録でも、彼は生きていたとある。しかし、1548年には彼の伝説化された死の記述がある。このことから、1540年代の初め頃に死んだらしい。
 その死因は、伝説だらけである。悪魔に首をねじられて死んだというのが有名な伝説である。
 この伝説は、かなり早い時期に生まれていること、また別の記録には「惨めな死」とあることから、変死の可能性が強い。錬金術の実験中に爆死したと想像する者もいる。

 彼の死後、悪魔と結託した黒魔術師としての伝説は、急速に発展する。
 マンニリウスの「話題集」に短い伝記がのり、この本が16世紀に9版を重ねるベストセラーになったことから、彼の伝説は広まった。
 その後も、多くの本が、彼の伝説を取り上げ、膨らませ、育てていった。
 空を飛んだの、何も無いところからワインを取り出したの、死者の霊を呼び出したの、荷馬車を丸ごと飲み込んでみせたの、騎士の頭に鹿の角を生えさせたの、面白いが荒唐無稽な話しが多く作られた。
 決定的だったのが、1587年フランクフルトで「実伝 ヨーハン・ファウスト博士」なる伝説に基づいた伝記(?)の出版である。なお、この本の作者は不詳である。これは主にドイツの一般大衆を読者にしたもので、キリスト教の教訓話の形を取った娯楽作品である。
 これはまさに荒唐無稽な作り話しとみるべきだが、娯楽作品として面白いのも確かである。
 この本が、大きなきっかけとなってファウスト伝説は広まり、人形劇などの民衆の娯楽芸能にも取り入れられ、やがては文豪達をも魅了し、ゲーテに「ファウスト」を書かせるまでに至るのである。


「ドイツ民衆本の世界・3 ファウスト博士」作者不詳 松浦純訳 国書刊行会
「ファウスト」 ゲーテ作  高橋 義孝訳 新潮文庫
「妖術師・秘術師・錬金術師の博物館」 グリヨ・ド・ジヴリ著 林瑞枝訳 法政大学出版局
「ファウスト博士の真実」 ハンスヨルク・マウス著 金森誠也訳 中央公論社