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【the database of obs】

「内容についての説明」

・このページは随時更新され、内容についても予告なく補足・修正・削除する場合があります。
・内容については、現在のobsメンバーと確認を取りながら主観的判断に基づき作成しております。
・個人に関する事柄について、必ずしも当人の許可・承諾・確認を取って記載している訳ではありません。対象となった当人が不快である場合など、下記の連絡先までメール頂ければ、削除等の対応を取らせて頂きます。
・事実に反する記載、誤記、訂正依頼等に尽きましては、失礼の無いように対応して参りたいと思います。
 もし、これを見た方がそれに気付いた場合、忌憚無く連絡を頂ければ、即座に対応して行きたいと思います。
 ご協力をお願い致します。           連絡先 →【 mail to 管理人 】

【あ】

 紅い稲妻号(あかいいなづま・ごう) (H26.2.18加筆)

 ウーの愛車の名称。中古自転車屋で6000円程度で購入した赤いママチャリ。FUJI自転車製。
 もの凄く速く走る(どの程度速いかと言うと,仙台〜台原間であれば,地下鉄より速い)。
 どんなに遠くても,彼はこれに乗って現れる。
 ある猛吹雪のライブの日,スネアとペダルをかごに入れて2本のシンバルスタンドとシンバル,タムタムと言う,通常では考えられない装備を背負い,この自転車に乗って,ごく普通にライブ会場に現れたことがある。
 H23.5とH24.4に転倒し、乗っていたウーがそれぞれ「顔面等擦傷(全治一週間)」、「左手首三角骨骨折(全治四週間)」の怪我を負ったが、本体は無事であり、H25.11に駆動ベアリングの老朽化により修理不可となるまで故障はなかった。大変長く乗られた車体だった。ちなみに、ウーは新たに緑色の自転車を購入したが、その車体はわずか1ヵ月で自動車事故に遭い廃車。極めて短命。 
 あと、「イナズマ」ではなく「イナヅマ」。
 アシュラマン(あしゅらまん・ashuraman)
@ゆでたまご原作「キン肉マン」登場の超人。3つの顔と6本の腕を持つ,魔界六騎士の一人で魔界の王子。初登場時はウォーズマンの体内リングの3階を担当しテリーマンと引き分けるが,その後キン肉マンのキン肉ドライバー(未完成)の前に敗れる。その後もタッグ編,王位争奪編などに登場。笑い声は「カーカカカ」。
  
Aマサハルが貼り紙により告知したバンド。国籍・年齢・性別を問わず,且つ楽器すら問わず。即興性を重視した究極の変態POPバンドを目指したが,賛同するメンバーがほとんど集まらず,頓挫した。
  
B個人名。obsのスタッフとして活躍するサイトウカズヒコ氏の別名。氏の見事な貼り絵による作品群は,ハイテクの時代を凌駕する逸品。obsのライブ盤の作成,数々のフライヤーデザインの他,イカサマ宗教のジャケットなど多彩多芸。
【い】
 石巻市 (いしのまきし) (H26.2.18加筆)
 平成17年現在,人口約17万人。宮城県北東地区の中核都市。仙台からは高速道路で約一時間。
H20年9月現在,ワイエーの居住地。彼は,練習・ライブの度にここからやって来る。平成17年4月まではアラキダアキラもこの地の居住者であった。その他,アシュラマン,イカサマ宗教アベ氏,菊池冨美恵氏、サンチェなどがこの地を実家とする。そう言う意味で何故かobsと縁深い。
 H23.3.11の東日本大震災において、地震と津波により甚大以上の大きな被害を受けた。
 Industrial (インダストリアル)
 音楽のジャンルの一つ。70年代後半から80年代にかけて活動されたスロッピング・グリッスル(THR0BBING GRlSTLE)のジェネシス・P・オリッジと言う人が掲げた“Industrial Music for Industrial People”と言う言葉に定義されるとされている。
 90年代にミニストリーと言うバンドの隆盛に伴う「インダストリアル・ロック」とは思想的に根底の部分から異なり,それらを以ってインダストリアルと言うのは良く知られた大きな間違い。
 obsも正確には「インダストリアル」と言うジャンルに属する音楽ではないが,あまりに「何と言うジャンル?」と聞かれることが多くて困り,便宜上そう言うことにしている。
 但し,インダストリアルと言う言葉自体があまり知られていないため,更にインダストリアルの説明からしなければならず,面倒臭くなって自分達のことを「パンクです」または「テクノです」と言うメンバーもいる。

【え】
 X68000 XVI (えっくすろくまんはっせん・えくしび)

 Licht Lab.時代のリーダー(り行参照)。シャープ製。当時の流通モデルNEC PC88,PC98と比べて圧倒的な処理速度と能力を誇ったパソコン。当時の買値45万円位。ヨシカワの指示を受けてウーが購入。
 96年のLicht Lab.解散まで,ヨシカワがネットでダウンロードした音楽ソフトを元に,シーケンサーとして使用。
 デスクトップでライブの際に一々組み立てると,それだけで20分位掛かってしまうので,木材でケースを作り,組み立てた状態で内蔵。そのまま持ち歩いた。ちなみに総重量は相当のもので,一人では持ち上げることは出来ても,そのまま歩くのは無理だった。
 ちなみに5年間,シーケンサー以外の用途には一切使われず,本来のスペックを無駄にしたと言う意味では不遇だが,様々な場所に移動したと言う点では恵まれた個体だった。Licht Lab.解散後,中古パソコン屋に売却。摺り傷,へこみなど多かったが,意外に高値で売れたらしい。
 ちなみにユーノも同機種を保有。そちらに活躍の場は無かった(今も所有中?)。
 書込み媒体は5インチFD。
 宴会 (えんかい)

 過去に脱退したメンバーも含め,ヨシカワを除き下戸は一人もいない。メンバー全員が好み,メンバーの大多数は酒豪。酒宴は大変盛り上がる。ちなみに一番量を飲むのはウーだが,飲んで一番面白くなるのはオオツキ,との噂。あくまで噂。

【き】
 機材 (きざい)
  練習,ライブ等で使用される楽器など一式を言う。通常,楽器の他はアンプ類で占められる場合が多いが,obsの場合はドラム缶などのジャンク類,リーダー一式が大きくかさばり,その他obsはドラムが2人いることから,ドラムセットも持参しなければならず,その量は機材車の後部半分と助手席を占めても尚足りない。すなわち機材車には運転手以外の人間は乗れない上,人間用の車にも楽器が乗ることになる。
 普通のバンドと同様にメンバーは楽器や機材を大切に扱っているが,搬出の際に路上に忘れられ盗難にあったり,あろうことか機材車で踏み潰してしまったり,obsの機材は不遇な目にあう場合が多々ある。

【こ】
 これ,宇宙人。 (これ・うちゅうじん)
 酔ったオオツキが真顔で灰皿を指差して口走った名言。要するに「何だってそういう定義さえすればそうなるんだ」と言うことを言いたかった様だが,どうして灰皿を以ってして宇宙人と定義したかは不明。
【せ】

 仙台三高 (せんだいさんこう)

 正式名称は「宮城県仙台第三高等学校」。ユーノ,ウー,イノウエ,ヨシカワ,ロクロクと多数のメンバーを生んだ学校。男子校だったが,平成21年4月より共学化。
 丘の上の団地の中にあり,通学生徒の93%が自転車通学をする。登校時はまるでどこかの東アジア。
 ユーノ,イノウエ,ヨシカワは27回生。ウーは25回生。ロクロクは35回生。
 イノウエ,ロクロクは音楽鑑賞部。ユーノ,ウー,ヨシカワはSF研究愛好会出身。

 仙台市 (せんだいし)

 宮城県の県庁所在地。推計人口100万人を上回る政令指定都市。obsの活動の主な拠点。人口の割に,排出するアーティストは少ない。

 仙台ライトミュージックフェスティバル(せんだいらいとみゅーじっくふぇすてぃばる)

 略称LMF。1997年から9年間に渡り,毎年成人式の頃に開催された。書類とテープ審査を得て出場が可能となる。開催は二日間に及び,当初は「ジャズ・フュージョン部門」,「ロック部門」と分けられ,それぞれにグランプリを選別していたが,ロック以外の参加数が少なく,そのうちコピー参加も可能な「ノン・ジャンル部門」と「オリジナル・ロック部門」,と言うように分けられるようになった。グランプリを取ると,無料でレコーディングをさせてもらえ,さらにCDをプレスしてもらえるなど現実的でバンド側には嬉しい賞品であった。
 主催は仙台市民文化事業団とお堅く,会場も仙台市青年文化センター内シアターホールと言う健全な印象の受けるイベント。それ故か,ライブハウスの猛者達の参加は薄く,一度も耳にしたことの無いようなバンドの参加がまま見られ,それがまたバンドマンからイベントを軽視する傾向を生んだ気配がある。しかしobsは「インディーズの身分でホール出演する経験を得られる良い機会」とむしろ喜んで参加した。
 obsは第一回にLicht Lab.で参加した他,都合計4回参加。2003年にオリジナル・ロック部門のグランプリと特別賞を同時に受賞している。この授賞式の際,当然受かると思っていなかったユーノは既に帰宅していた上,その瞬間メンバーはバラバラの場所にいたため,ステージの上に客席のあちこちから集まってくると言う感動の気配も無い姿をさらした。これまでポップ寄りの判り易いバンドの受賞が多く,obsの受賞はかなり意外であった。
 また,この時のメンバー,オオツキとイノウエは前年の2002年のノン・ジャンル部門に「ウロボロス」としてグランプリと特別賞を同時に受賞していて,客の投票の総数で決まるオーディエンス賞以外の全部門の全ての賞を2年で取ると言う凄い記録を持つ。
 obsが受賞した際のオーディエンス賞受賞者はBWH。出演順でobsの前の出番がabandonment(アラキダアキラ,ワイエーが在籍)であったなど意外に縁深い。
 ちなみにクランプリ受賞者は何故かその直後解散もしくは永久的な活動停止をすると言うジンクスがあったが,見事obsは乗り切った。
【た】

 高山岳志 (たかやまたけし)

 個人名。ユーノの中学〜高校の同級生。
 愛知県立芸術大学美術学部デザイン・工芸科卒(’96)愛知県立芸術大学大学院美術研究科デザイン専攻卒(’98)Licht Lab. ,obsの設立当初よりその構想に携わり、全ての公式作品のジャケット製作を行っている。
 現在クリエイティブディレクターデザイナーとして活躍中。  
 大の漫画好きで,その趣味は異常レベルに達する。 
 タモリ倶楽部 『空耳アワー』 でTシャツ獲得の経歴を持つ(voodoocultというバンドで,Jesus Killing Machineというアルバムの1曲目Killer Patrolという曲。「感じちゃったんだ、母ちゃんを!」と聞こえる。ちなみに本人は放映を見逃している)。 
 06年の「幾何05」では会場のアート展示を実弟・高山恒と共に担当した。

【つ】

 ツアー (つあー)

 インディーズ・バンドの必須事項であるが,現在も尚,obsは一度も出ていない(県外での単独ライブは有る)。メンバー変動が激しく,安定した日程が組めないことと,楽器重量がかさんで,ツアーに回るのに車が2台でも足りないことが主な原因,らしい。

 Zeitlich Vergelter (ツァィトリヒ・ベルゲルター) (H26.2.18訂正)

 80年代に日本で活躍していたインディーズ・バンド。メタル・パーカッションを前面に出し,攻撃的なリズムとクールなボーカルが印象的。
 通常のバンド編成にこだわらず,かつ無機質なサウンドは異質で特殊。現在ならいざしらず,当時のロック認知度自体が未成熟な中では極めて稀有な存在であったと言える。
 中心人物だった石川忠はその後もメタル・パーカッショニストとしての活動を続け,塚本晋也監督作品の映画「鉄男」の音楽を担当することにより絶大な評価を受けることとなる。その後も塚本作品には欠かせない存在として活躍する傍ら,デア・アイゼンロスト(DER EISENROST)を結成し,活動を行っている。
 ベルゲルターの解散後については,バンドの末期に藤井麻輝が在籍し,SOFT BALLETの母体となったと言う説がある。しかし確かに氏らしい人物が加入した形跡はあるものの,本人が経歴などの際に一度も言及したことが無く,その説については微妙なところ。いずれにしても,前身になったと言うものでは無いと思われる。
 全盛期がちょうどノイバウテンの来日期と重なったため,当時「ジャパニーズ・ノイバウテン」扱いである批評のされかたをしたが,音源やその後のメンバーの活動から鑑みるに根底から異なるものであり,真っ当な評価のされ方をしなかったと言う面では不遇であった。
 obsがメタル・パーカッションに興味を持ったのは,ノイバウテンより,むしろベルゲルターに影響を受けたから,とメンバー談。
 (ここから加筆更に訂正)SOFT BALLETの書籍「SOFT BALLET FORM BOOK R/O」藤井氏のインタビューの中で、本人が「ベルゲルターを作った」との発言があった、とこのページに記載したところ、石川忠氏が自身のツイッターで、H25.6関係性を否定されました。
 藤井氏とベルゲルターの噂は様々な形であったのですが、そもそも別なバンド、と言うことですっきりしました。石川忠氏に多謝。

 Twin Drums  (ツイン・ドラム)

  バンド内にドラマーが二人いること。通常のバンド編成であれば1人で事足りるので,二人いるのは珍しい。
 obsでは,タカクが加入した際(02年2月)にドラム+パーカッション編成に,ソッサン加入時(03年10月)にツインドラム編成になり現在に至る。
 ライブハウスには,通常ドラム・セットが常備されているので,特にドラマーがドラムセットを持参する必要性は無いが,ツインドラムになった時点で,1台分のドラムセットの持参を義務付けられるので,機材の量は倍増した。
 ドラムが二台あることで,セッティングやリハーサルに大変な時間と労力を必要とし,関係者に多大な迷惑を掛けている。またobsの2台のドラマーは,どちらも遠慮なく叩きまくる二人なので,練習など大変うるさい。
 ツインドラムの代表的なバンドと言えば,ROVOが有名。更に,Vincent AtmicusはROVOの二人のドラマーにパーカッションが加わったバンド。
 ちなみに本田美奈子 WITH WILD CATSもツインドラムでした。
【に】

 二重人格 (にじゅうじんかく)

 オオツキが泥酔するともう一つの人格が現れる。日頃の温厚で礼儀正しい姿のちょうど180℃反対の姿をしている。最も恐れられる現象の一つで,慣れている人物はその兆候が現れると遠くに避難する。大変危険だが,客観的にはおもしろい。但し滅多に人前には登場しない。
【は】

 花見 (はなみ)

@ 花、特に桜の花を見て楽しむこと。または,その席での宴会。

A 90年代後半のある春に仙台市内の榴ヶ岡公園にて行われた花見の席にての事件のことを指す隠語。
 正午より会場が消灯する22時まで10時間に渡り,様々なバンドのメンバー及びライブハウス関係者らが集まり行った花見の席にて,ユーノが泥酔して突然凶暴化した。その場に居た女性陣を次々に襲い始め,周囲が唖然とする中,最終的に,ウーの怒りを買い,アックス・ボンバー(直撃)を食らって,アスファルトの路上に激しく後頭部より落下した。と言う一連の事件。
 当時,無口で人付き合いの少なかったユーノのあまりの変貌振りと,後頭部が放った鈍い音,その過激な結末に周囲は青ざめ,ユーノの名は一躍有名人になる。
 その日は,責任を感じたウーが自宅に連れ帰り,介抱(但し,翌日説教)。ユーノも,その後はいたく反省し,しばらくは宴席で大人しかった。
 10年以上過ぎた現在でも,ユーノは「花見」と言う言葉に敏感に反応する。
 また,ウーが掛けた技が,パワー・ボムであったと言う噂もあるが,目撃者が全て酔っぱらいであったと言うこともあり確証ある証言はもはや無い。
【ふ】

 BROKEN (ぶろーくん)

 インディーズバンド。94年1月に結成。メンバーはマサハル(vo,g),チカ(g),コヤナギ(b,後にシゲに交代),ウー(dr)。ドラム不在のBROKENにウーが入り,ギター不在のLicht Lab.にマサハルが入ると言う形で結成したもの。ほぼLicht Lab.とは並行して活動を行っていたが,Licht Lab.より遥かに活動的であった。
 音楽的には現在のオルタナティブ系に属すると思われるが,ノイズやハウリングなど一切意に介さず,いきなり現れて怒涛のように去っていく激しいステージは,当時オルタナティブ、と言うジャンル自体が確立していない中で,異色の存在であった。
 月に2回のペースでライブを行い続け,更にライブの度に新曲を発表し続け,特に外に向かって吐き出す2本のギターサウンドと、特に危機感を煽るチカのパフォーマンスは高い評価を得たが,活動後半は内省的な印象も与えながら,96年12月にわずか3年弱と言う期間で解散。
 ちなみにマサハルはLicht Lab.に,シゲはNed Ludd,コヤナギとチカはobsにとそれぞれギタリストとして加入していて,結局全メンバーが携わったことになる。因果である。
【ま】

  マサハル (まさはる)

 マサハルが「バンドやろうぜ」と言う雑誌などに「ギター以外のメンバー募集」と言う告知をし,当時ギタリスト不在,実質ヨシカワの脱退の危機にあったユーノとウーが誘い込もうとして葉書を送ったことから加入。マサハルがLicht Lab.に,ドラム不在であったBROKENにウーが入り,互いに掛け持ちながら並行して活動した。
 96年11月にLicht Lab.を翌12月にBROKENを解散させ,イカサマ宗教に加入。2年間在籍していたが,その後仙台を離れた。
 一見おとなしそうに見えるが,実に皮肉屋で虚無的,攻撃的な思想と姿勢の持ち主で,ある有名バンドの打ち上げにて,そのバンドメンバーと客がほとんどの席でありながら,そのバンドを「おまえら全員クソだ」と公然と批判するなど,ステージ上に限らず危険な人物と見られ,彼のことを良く知らない人物から見ると良く思われないことも多かったと思われる。
 しかしながら,実際は真摯で礼儀正しい人物で,特に音楽に掛ける情熱は常人の粋を超えていた。特にBROKEN結成時に10曲程の曲が入ったデモテープをメンバーに配り,「同様のテープが既に10本以上ある」と言う話や,エフェクターの音作りに異常な情熱を捧げ,「毎日一つ以上の音を作り続けるノルマ」を自ら課していた話は有名。
 新しいことに飛びつく感覚に優れ,自主レーベル「エフェクト・レコーズ」を創立。優れたアーティストを発掘する傍ら,自らheadphone diary名義のソロ作品を次々に大量に作っては売り歩いた。
 大変な飲み好きで,しょっちゅうミーティングと称する飲み会を行っては大いに盛り上がり,犯罪行為際の行動を良く行った。
 ある時,酔って自転車で帰宅する際,目が覚めると道路に寝ていて,車に乗ったおじさんに声を掛けられて起き,そのまま帰宅したが後に顔面(眼窩)を骨折してしたことが判明。急遽手術を行ったことがある。その時のおじさんは,マサハルを心配して声を掛けてくれた人か,実はマサハルを車ではねた人かは今もって謎である。またこの時の経緯から,現在もマサハルは自分のことを顔面骨折,または顔骨と名乗るときがある。
 手術の前後の写真は,この頃のheadphone diaryのジャケットに使われた。ちなみに入院期間中,BROKENのライブがあり,マサハルは顔面包帯でパジャマのままステージに上がっている。
 仙台を離れ帰郷するとなった時に,残された人々に「仙台の音楽界は貴重な財産を失った」と嘆かせたが,やがて気狐と言うバンドを結成。その活動の幅を広げ,05年7月の「幾何・四」でobsは念願の共演を果たした。 
【め】

 メタル・パーカッション (めたる・ぱーかっしょん)

  金属製のジャンク品(鉄くずやドラム缶など)を打楽器として叩くこと。もしくはその楽器そのものを言う。音楽ジャンルのヘビー・メタルとは何の関係も無い。
 メタル・パーカッションを用いたバンドとしてはドイツのアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einsturzende Neubauten)が代表的で,他にもTEST DEPTなど。個人ではZ'EVや石川忠などの人物が有名。金属特有の攻撃的なサウンドを前面に出すのが一般的。
 obsでは,Licht Lab.時代から導入しており,レコーディングの際には,ジャンク品で一つのスタジオが埋まるほど持ち込まれる時もあった。
 現在もライブの際にドラム缶などがドラムセットの一部に組み込まれている。タカク,イノウエと言う専門のプレイヤーが在籍していたこともあった。

 メンバー交代 (めんばー・こうたい) (H24.9.3加筆)

 H24.9月現在まで,23人のメンバーが在籍。20回のメンバー脱退と,22回のメンバー加入(更に2回のバンド名変更)を経験している。
 obsのように意識の統一性が高いバンドの場合致命的であり,その度に残されたメンバーの混乱と迷走を生み出すが,ここまで何度も窮地を脱している。正に奇跡的である。
 多くのメンバーは脱退後もバンドと友好的な関係を保っているが,脱退後完全に連絡を絶ったり,入院後そのまま消息を絶つなど穏やかでない脱退劇を見せたメンバーも居る。
【よ】

 ヨシカワ (よしかわ)

 obsの前身,Licht Lab.の創始者。シャープ製のパソコンX68000を駆使し,DTM(ディスクトップミュージック・所謂PC上で作曲などをすることの総称)により作曲することから,シーケンサーとバンドの融合を試み,ユーノと賛同。発想は当時としてはかなり斬新で現在の礎となっている。残念ながら県外に転居したため,練習もままならず,やがて脱退する。マサハル加入後に4人で一度ステージに立つが,ガスマスクを着用してキーボードを弾いた姿はやはり異質。
 過去在籍したメンバーを含めた中で、唯一の下戸。梅酒ゼリーで泥酔する。
【り】

 リーダー (りーだー) (H24.9.3加筆)

 前身のLicht Lab.,Ned Ludd,obs全てに共通するのが,バンドとシーケンサー(打ち込み)の同期システムであり,そのシステムを稼働させるパソコンのことをメンバー達は「リーダー」と呼ぶ。
 Licht Lab.時代の零号リーダー(X68000)以降,ノートパソコンが務めている。H17年10月現在稼働中のものは2号リーダーと呼ばれている個体でユーノ君のお母さんから無償で譲られたもの。1号リーダーは96年から03年まで活躍し,引退したが,04年11月に一度だけ現役復帰した。
 ちなみに,初代,2代目共にWIN95。ソフトはOPCODE社のVISIONと言うソフトを使っているが,とっくの昔に社は倒産。代理店も取り扱いを停止している状態で,システム異常が起きた場合,対応が全く出来ない,と言う点で,実は大変危ない。
 平成22年3月のライブより,3号リーダーが稼動を開始したことがウーの日記により判明。今度はWIN XP。無事,危険は回避したようです。

 Licht Lab. (りひと・らぶ)

 91年2月に結成されたobsの前身バンド。結成時の全メンバー(ヨシカワ,ユーノ,ウー)がそれぞれ担当楽器未経験者だったにも関わらず,最初からオリジナル曲のみであった。結成時から既にシーケンサーを導入し,ドラム缶などのメタル・パーカッションも当初から存在していた。
 ステージングはエキセントリックで,ステージには車のホイールやハンマー,消火器などが常に散乱していて,サイレンが鳴り響く中,大ハンマーで自動車の部品を叩き壊す,ガスマスクをしながら客席でスプレーを撒き散らす(地下鉄サリン事件の直後なのに)など過激。機材を壊して会場のスタッフにこっぴどく怒られたり,しばらく出入り禁止になったりしたこともある。
 曲も現在より重く暗い曲が多かったため,不気味なイメージが強く対バンの人たちからはかなり嫌がられたが,ごく一部の人たちからは熱狂的に受け入れられた。
 マサハルの脱退を期に,96年11月のライブで解散。
 バンド名の由来は「光の工房」と言う意味であるが,バンド名を決める際に通りがかった商用車の側面に書いてあった言葉を元に決めたらしい。その言葉が実はある有名な文房具メーカーのものであると後日知ってメンバーは愕然とした。
 ちなみに,当時アマチュア・バンドのライブなど一切見たこともなかったメンバー達は,ライブの申し込みの仕方が分からず,マサハルがメンバーになるまでの4年間をひたすら練習だけに費やしていた。良くも途中で挫折しなかったものである。
【れ】

 練習(れんしゅう)

 定期的に行われる。基本的にobsのメンバーは練習好き。ただし,ほとんどの機材を狭い練習スタジオに持ち込むため,その搬出作業は大変。狭いスタジオ内に全て広がる様は,とても今からバンド練習をするようには見えない。