back to "top"

17-8-1

 仙台のライブハウス、RIPPLEのHPのバンドコラム欄にobsが登場。

 →  RIPPLE WEB   

 (そこに掲載された内容は↓)

 こんにちはobsのギター担当の大月です。今回のこのコラムの担当になりました、よろしくおねがいします。
 僕もご多分にもれず音楽が好きです。ギターはそんなに聴く方ではないのですが、好きなのはDEREK BAILY、MARC RIBOTなどなどです。今回は先日DEREK BAILEYのCDを聴いたときに思った個人的な感想のようなものを紹介させていただきます。

 DEREK BAILEY : SOLO GUITAR VOLUME 2 (INCUS CD11)
 1991年6月22日に録音されたデレク・ベイリーのギターソロ。フルアコのギターを用い増幅装置を通さずに生音で録音しているようで、スチール弦の音質が過度に尖らず自然な響きが心地よい。
 円熟した抑制のとれた演奏で、均整のとれた音楽が展開される。ギターのコントロールは類をみないほど良くなされ、徒な音がない。

 一聴攻撃的な音には思われないが、デレク・ベイリーの音楽を聴くとき私は身を任せるような受容的な姿勢になる。細部にわたり受容したい欲求に駆られる。聴いていると解放的な感覚になるのだが無法的なものではなく、そこに何かしらの規範に近いものがあるのかもしれないが、それは感じられるだけで明確なものではない。宗教的ではないが、どこかしら近いものを感じることもある。乾いた音楽でもないし湿った音楽でもない。

 デレク・ベイリーの音楽はポロックのペインティングに呼応する所があるように思われる。ポロックの画も受容的に鑑賞させられた(観ていると三次元の空間性が強く、自分の焦点の基盤がなくなるような感覚になった)が、その手法的にも二人に近いものを感じた。
 絵具のさまざまな色はギターの音質に、絵具の線の長さは音長に、線の太さは音の強弱に。
 ポロックの画が一本一本の線で構成されると同じようにデレク・ベイリーの音楽も多様な単音を基本として構成される。また音楽の時間軸はポロックの線の場合、絵具の重なり方(奥ゆき性)に現れている。どちらも奥ゆきという点は重要な要素だと感じられる。
 デレク・ベイリーの音もジャクソン・ポロックの画も現前したとき、飽きることなく鑑賞し続けてしまう。ザラツキではないが乱反射するような表面性(耳触り、眼触り)も魅力的である。

obsは
ユーノ(bass)
ウー(drums+programs)
ミワ(voice)
アラキダアキラ(drums)
ワイエー(synthesizer+sampler)
オオツキ(guitar)
という編成で、機械を用い変則的な演奏をしています。