読者投稿NO.100以降


NO.100【小児科医療の問題点】 NO.101【セカンドオピニオンのデメリット】 NO.102【ナースの退職理由】  NO.103【ナースの退職理由2】
NO.104【ある家族より】 NO.105【病院内の意外な無駄】 NO.106【ある医師の意見】 NO.107【アメリカ医療の現状】
NO.108【ある医師の意見・今昔物語?】 NO.109【困った患者列伝】 NO.110【あるナースの意見】 NO.111【新聞記事より】
NO.112【あるドクターの意見】 NO.113 NO.114 NO.115 NO.116 NO.117 NO.118 NO.119 NO.120 NO.121 NO.122 NO.123 NO.124
NO.125 NO.126 NO.127 NO.128【ある介護職員の意見】 NO.129【早期発見・早期治療の幻】 NO.130【ドクターからの投稿】
NO.131【ナースからの投稿】 NO.132【ドクターからの投稿】 NO.133【ドクターからの投稿】 NO.134【臨床工学士からの投稿】
NO.135【医療事務からの投稿】 NO.136【ドクターからの投稿】 NO.137【ドクターからの投稿】 NO.138【ドクターからの投稿】
NO.139【ドクターからの投稿】 NO.140【ナースからの投稿】 NO.141【ドクターからの投稿】 NO.142【病院勤務の方からの投稿】
NO.143【薬剤師からの投稿】 NO.144【ドクターからの投稿】NO.145【ドクターからの投稿】 NO.146【ナースからの投稿】
NO.147【ナースからの投稿】 NO.148【ドクターからの投稿】 NO.149【ドクターからの投稿】 NO.150【ドクターからの投稿】
NO.151【インフォームドコンセント・日本人の大きな勘違い】 NO.152【ドクターからの投稿】





NO.100【小児科医療の問題点】
小児科を選んだとき、先輩に「物を伝えられずに苦しんでいる(パニックをおこしている)子供とその子供を抱えてパニクッている
母親の両方をみなきゃいけないんだよ」といわれた言葉がとても重いです。暴れている子供の状態を把握し、
押さえつけて検査をしたり点滴をしなければいけないこともあります。
その時、親が「内の子をそんなに泣かせるのか」といわれることもしばしばです。
もちろん(採血や点滴確保の不備は)自分の技術的な未熟さが原因のこともありますが、
これこそ1番小さなチーム医療(看護婦さんの介助は不可欠で、時にはお母さんに手を握っていてもらうこともあります。
子供の安心のために)です。そんな状態で「患者(この場合多くは両親ですが、場合によってはおばあさんのこともあります)に
十分に納得してもらうため、ひとつの処置の必要性に30分話していれば、次の患者さんは30分以上の待ち時間を強いられます。
で、待たされた人は「待たされた不満と待ったからこその心配を10分位(子供のの状態ではなく)話し、子供の話になり、
そこから子供のための30分です。そうしていわゆる「積み残し」にどんどんなっていくのです。決して医師は単純に受け付け順番
とかで差別はしていません!重傷と思われる患者さんは優先して処置をしていたり、すべての患者さんに必要と思われる説明と
処置をしようとしています。それを超えて「あなたには大勢のうちの1人でも患者にとってはたった1人の主治医です」なんて
いわれても一時的にも、それはそれを主張する患者さん側のわがままも入っているのではないでしょうか。
急患センターでよくみられる「昼から熱があったようですけど、まあ、夕飯も摂れてたけど、一応念のため、今日の薬があれば
明日は母も仕事にいけるから」的な人・・・。私はこれを急患センターのコンビ二化と呼んでいいます。
「子供を助けたい、子供の苦しみを見ていたくない」それはどの小児科医ももっています。
でも、その意識を誤解して、自分が楽になるために責任を小児科医の責任にすりかえている親が多くを占めていることも事実です。
児童虐待問題ともからめて、親の教育(意識改革)も必要だと思うですが、そこまでする時間が急患センターという体制内では
ないのが実情です。正直、夜間救急体制で小児科医ができる分野は限界です。それは医療体制にも問題はあるのでしょうが、
受診者側の意識にも問題があるのではないかと思っています。

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NO.101【セカンドオピニオンのデメリット】
最近、程度の低いマスコミの思いつき報道もあって、セカンド・オピニオンの「功」ばかりが取りざたされることが多いですが、
それには常に「罪」が付きまとうこともあるのです。すなわちセカンド・ドクターがヤブである可能性だってあるのです。
大体その患者のことはやはり主治医がよく分かっているので、腕のいい、信頼できる主治医を探しましょう。

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NO.102【ナースの退職理由】
やはり地元に帰るため、結婚・出産するために退職する人が1番多いのではないでしょうか。
ちなみに私も2年目のペーペーですが、実家に帰ろうと今年度限りで退職を考えてます。
後者は、どうしても女の方が家事の量が多いので体の負担も大きく家庭も犠牲になります。
これは看護婦に限らないのではないでしょうか。女が就職する際男性のように一生働く・・・と決意している事は
そんなに多くないのでは?。でもこれは仕方のないことですよね。少なくても私は一生看護婦をやっていこうと思っています。
身体を動かす仕事のほうが好きなので。 私は実家に戻るので実家から通える範囲という場所的なものが1番です。
他には、休みの数、看護婦歴に加えられる職場かどうか、希望の科かどうか、保険がしっかりしてるかどうか、病院の方針が
自分の考えに合ってるか、などです。逆にこだわらない事としては、給料の額(夜勤加算があるため)、病院の規模、2交代制か
3交代制か(どっちも長所短所がある)、など。全く気にしないというわけではないですが。

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NO.103【ナースの退職理由2】
やはり御礼奉公が終わった時です。前の意見でもありましたが、病院附属の看護学校出の看護婦には、多くの場合
御礼奉公というものがあります。ウチの学校の場合、在学中毎月奨学金を貰う代わりに卒業後2年間は附属病院で働く、
そうすれば奨学金を返済しなくてもいいというものです。2年間働いて地元に帰る予定の子は辞める、そんなところですね。
結局のところ地元を離れて学校に入ってる子が多いってのが1番の原因なんでしょう。あと他に聞くのでは、仕事の過酷さ、
人間関係が悪い、というところでしょうか?
前者は科によって大きく違います。急変や入退院の多い病棟は仕事がキツくサービス残業が多いのに定時で帰れる病棟と
同じ給料だったり。後者は・・・女の職場はホント恐いです。

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NO.104【ある家族より】
去年の夏に父が死去し、秋に母が倒れ、現在は京都の義父が入院中です。
いずれのケースも重態に陥ったため、ICUにて救命、手術を受けました。
その際感じたのは医者を始めとする医療機関のスタッフの仕事に対する真摯な姿勢と献身的な
態度でした。充分な設備や人材が不足しているため高度なサービスを受けられない人の方が
もしかしたら多いのかもしれませんが、そういった意味では私はいずれのケースも大変感謝して
います。
私の場合には偶然親が高齢であったために私自身の気力・体力が充実している時に
倒れてくれて(?)逆に助かりましたが、通常であれば子供も介護時には高齢であることの方が
多いのではないかと思います。驚かすようで恐縮ですが100年も200年も生きる人がいない以上、いつまでも家族全員が
健康で長生きということはありえません。
昔は、といってもほんの30年ぐらい前までは廻りに介護疲れを起こさせるほど長生きする人が
いなかったため長生きは人生の目標でもあり、また本当におめでたい事でした。
男女共に世界一の長寿国となった今、目標は達成されたわけですが、その内容はお寒い限りです。
短いコラムでまとめられるような内容ではないのですが私自身が実感として感じた事は
行政、医療サービスは全員が等しいサービスを提供されるわけではない、ということです。
建前としてはもちろん同一ですが毎日のように区役所や病院に通わないとわからない情報や
手続きは山のようにあります。けしてオフィシャルに教えてくれるところはありません。

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NO.105【病院内の意外な無駄?】
患者の経済的な負担を考えた治療もこの不況の中、医療機関に求められるべきものでは
ないでしょうか?
肝臓と血圧で定期的に病院に通っていますが、請求が高くなったことには驚いております。
私は外資系の金融機関に勤めていますが(といってもトレーダーのような高収入の
かっこいい仕事ではなくて設備購買をしております)おどろくほど効率的な経営には驚きます。
今の日本の病院なども私から見れば無駄だらけです。たとえば診療費の支払ひとつとっても
アウトソーシングなどを考えたり、事務所やナースステーションなどのゴタゴタした机や電話、
書類などの配置なども極めて効率化という点からは悪い見本のような気がします。
それ以外にもたくさん経費の無駄遣いはあると思います。
患者に負担をかける前にもっと仕事の効率化などで経費を浮かせることも考えて欲しいと思います。

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NO.106【ある医師の意見】
内科開業医です。最近、私は日本の医療に危機感を持っています。
その1つはマスコミの医療機関叩きです。あたかも医師が不正をして大儲けしているかのように
新聞に書き立てています。
皆さんは、現在の医師の給料はいくらぐらいだと思いますか。開業医などの診療所では
来院患者数によって決まりますから、一概には言えないと思います。年収数千万から
閉院に追い込まれた医師までさまざまだと思います。
一方、勤務医については1千万円前後が多いのではないでしょうか。仕事の内容はかなりハードで
勤務拘束時間も長いと思います。中にはポケットベルを持って、24時間オンコールという人も
多いと思います。週休2日で年収1000万、数百万の金融関係と比べるとかなり条件は
厳しいと思います。しかし医師の収入はますます下がります。なぜなら日本の医療費は極端に
安いからです。例えば、虫垂炎の手術料は日本が約7万円、マレーシアが約22万円、
シンガポールが30万円、アメリカが40万円以上です。日本の7万円というのは、
インドネシアと同じです。アメリカの医療費は高すぎて問題になっていますが、日本の医療費は
安すぎて問題なのです。
ディズニーランドに勝とも劣らぬほど大繁盛している病院がほとんど赤字経営です。
市場原理から言って考えられません。しかし、製薬会社は黒字で天下り役人がたくさん再就職
しています。現に岡光事務次官の問題がありました。
技術料を低く抑えて、薬価差で収入が上がるようにして製薬会社を儲けさせて来たとしか
私には考えられません。最もそれに甘んじてきた日本医師会にも問題はあると思いますが。
いずれにしても、医師たちは新聞報道に対しもっと発言すべきだと思います。

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NO.107【アメリカ医療の現状】
私は、今アメリカに住んでおり,日本の医療保険制度の偉大さをつくづく感じています。
日本では「自分の行きたいときに行きたい病院へ行く」のを当たり前としていましたが、
それは「当然」の権利なのではなく、いろいろな方の知恵と努力から成り立った「恩恵」なのだ
ということがわかりました。
こちらで「病院に行く」ことが贅沢なことなのには、驚いております。
病院に行かないよう,できれば市販の薬で済ませようとする姿勢。よほどの緊急でなければ
予約を取って待たなければならない。かかりつけのホームドクターに紹介されないと
専門医に、ましてや大病院には行けませんし、保険会社が指定した医者にしか行けないのです。
保険会社が変われば,いままで使っていた医者を変えなければならなくなる事も・・・。
おまけに、保険に入っていても、目が飛び出るような金額の請求書がきます。
救急車に乗っても、お金を取られるのには、ただただ、唖然とするばかり。
救急車は無料,という中で育った身には信じられないことばかりでした。

今、日本で、医療保険制度を見直す動きがあるそうですが、それもアメリカをお手本とする
という話を聞きました。日本にいると、井の中の蛙じゃないですが、自分達がいかに最高レベルの
保険制度を持っていることに気づかないのだと思います。
私も実際、アメリカに来るまで知りませんでした。ただ「当然のもの」だと思っていました。
国民の為を考えるのならば,なぜアメリカを、アメリカのどこを手本にするのか、
理解に苦しみます。
確かに、暇にまかせて病院に毎日通う方がいなくなって待ち時間が短くなるでしょう。
でも人々の不満が多くなることは予測できると思います。
毎月の保険料を高く感じるのはわかるのですが、全体を考えるととても安いと思います。
改革をすると必ず良くなると思うものですが、逆に現状より悪くなることもありうるのだと
考えさせられました。今の日本の保険制度が「安くて最高のもの」と皆に知らせるのはとても
良いことだと思います。
自分の受けている恩恵のありがたさを考える機会になるのではないでしょうか?
また日本人はそういう考え方をしない民族だったのでしょうか。

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NO.108【ある医師の意見・今昔物語?】
昔の人や農民は自然と共に暮らしていたので、人間の力ではどうしようもないことが
人生にはたくさんあると悟っていた。
世の中便利になり、自分の我がままがかなうようになった。外が寒くても暖房がある。
暑くてもクーラー。自分では採れなくても人が捕ってきたマグロはお金さえあれば食べられる。
努力すればなんとかなる。そう思う人が増えてきた。
でも、人の命は自然の一部。どうにもならないこともある。そう悟っていない人々には
なかなか素直に受け入れることはできない。
誰かが悪いハズだとか、とにかく責める。自分を責めることもあるだろう。
仕方がないと思うことが出来ない。
そのはけ口としては、こじつけでも医師にもっていくしかないのだろう。

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NO.109【困った患者列伝】
1.生活保護は医療費がただ。そのため必要以上に病院にくる。入院期間を延ばしたがる。
  入院したら後はほったらかし。時間外診療もただ。だから昼夜問わず好きな時間にくる。
  社会的地位が低い人が多いから、文句があると「こっちは病気できてるんじゃ」と怒鳴る。
  生活保護でありながら個室希望。治療費先に払え。お前らに楽させるための公費負担と違うぞ。
  金がないんやったら体壊すまで働け。こっちは睡眠時間けずってまで仕事してるんじゃ。

2.保険証は母子家庭。なんで父親がついてんねん。なんで新しい子供ができるねん。

3.慢性疾患の適応をしきりと望む。治療費がただだから。わが子を難病にしたいのか。
  官僚の天下り問題とか外務省問題とか、世間は権力者と金持ちがいじめられるのを喜ぶ。
  いわゆる庶民にいいたい。あんたらは生活すべてにおいて潔白なのか。
  不正は程度の問題ではない。不正は不正。不正するやつに批判する資格などない。

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NO.110【あるナースの意見】
私は大学病院の救命救急センターに勤務しているナースです。
大学病院という点では、教育システムはあるかもしれませんが、やはり離職率は高いです。
私は結婚、主人の仕事の都合で職場を変更しなければいけず3つめの病院です。
でもこの救命の離職率の高さには吃驚しています。
やりたいと希望を持って入職したのに直ぐに辞めてしまう人がいます。
それも、しばらく出勤してこず、ある程度休み続けてからです。
忙しさと、勉強して覚えなくてはいけないことが多すぎて・・・。
思い描いていた自分の姿と違うらしいのですが。
最初からうまくできる人はいないと分かっていても今の辛さからのがれたいらしいのです。
その先に一回り大きくなっていく自分がいることが分からないらしいです。
あとは、嫌なら他にいけばいいや、と簡単にやめてしまいます。
注意したことが怒られたになり、先輩が悪いことになってしまうのです。
若者気質とはいいますが、なにか自信や気付くきっかけがあると続く様ですが。
要は個人の問題ではないかと思います。就職難がそれほど影響していないためでしょう。
どこの病院でも同じようなものなんですね。

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NO.111【新聞記事より】
12月17日の朝日新聞12面に次のような投書がありました(以下全文を投稿者の手入力により転載)。

かかりつけの歯科医が何度も通院させることに疑問を感じ、昨年、社会保険事務所に
レセプトの開示を申請した。すると覚えがないのに歯周病と記載され、毎回歯石を取り、
検査や指導をしたことになっていた。私が支払った金額は2万円を超える。
医者は10万円以上を得た計算になる。
良い歯医者だと思うからわざわざ交通費をかけて通っていたが、レセプトを出して説明を求めると
態度が一変した。そして、私は歯周病でそのための検査も治療もやったと強弁した。
ほかにもやっていないはずの治療を挙げると「それはやっていないかもしれませんねえ」ととぼけた。
私は詐欺容疑で告訴しようと警察に行ったが証拠がないと言われた。
社会保険事務所長あてに手紙も書いたが、なしのつぶて。
知人の市議に相談すると自民党が歯科医師会の支持を受けているから、歯科医の不利になるような
ことは難しいと言われた。みんな庶民をばかにしている。歯医者に言われたとおりだった。
「役所にいっても無駄だ。役人はめんどうなことはしない」と。

この投書者の症状の詳細が分からないので、医療行為が適正に行われたのか分かりかねますが、
この場合、ドクターとしては患者様の為を思ってのこととは考えられないでしょうか。
例えば「定期的に通っているのに病気を発見できなかった」として、ミスだと言われる方も
いらっしゃるのです。とすれば、ドクターはいろいろな可能性を検討し、検査を行うことも
考えられます。勿論、ありえない病名を疑うことは許されませんが。
「やってもいないはずの治療」というのは、仮に投書者の記述が事実とするなら、
あってはならないことであると思います。行っていない医療行為を元に窓口負担金を徴収し、
保険給付を受けたとするならば、医療機関としては致命的な「自己返還処分」を処分を受けることが
予想されます。さらにいうと、開業さえできなくなる恐れがあります。
ただ、投書者にどれだけの知識があったかという点が疑問点ですが。ややもすれば
「言いがかり」とも受け取られかねない危険があります。

ここで注目したいのは、「レセプトの開示を申請し」、それが認められたということです。
現在、レセプト開示については、「医師が差し支えないと認めた場合」という条件が
つけられています。ということは、その「歯科医」は自らの医療行為を間違いがないと信じての
「申請」応諾と考えられます。
当然ながら「どうせ素人にはわかるまい」とタカをくくっていたということも考えられます。
「歯科医」がどのような理由で開示を応諾したのかはワタシにはわかりかねますが。
その上で「レセプトを出して説明を求め」たとありますが、その際カルテとの突合(とつごう)は
されたのかという疑問があります。
レセプトはカルテを元に作成するわけであり、カルテにないことはレセ請求できないのですから。
弁護士への依頼も辞さないのならば「カルテ保全措置」も可能かと思われます。
そして「詐欺容疑で告訴」するよりも、診療内容を疑問とする民事訴訟を提訴したほうが
良いと思われます。
「『やっていないのかもしれませんねえ』」と言っているのなら「医療行為はしていないが実は…」
というニュアンスが含まれていると推量します。
ですからこの発言が何らかの形で残されているなら(ビデオテープならなおよい)刑事事件としての
立件も可能かもしれません。それに「知人の市議」に相談するより、その方に都議を紹介してもらう
ほうがよいと思われます。
都衛生局監査が(病院の場合は)2年に1度はあるはずです。最近ではカルテ監査というのも
別途行われつつあるという話です。金銭的な理由で追求したいというなら民事訴訟以外にないと
考えられますが、道義的に追及したいとするのでしたら、医道審議会に持ち込むという方法も
あります。

前4段までにワタシが述べたのは、「歯科医」・投書者それぞれの立場から考えられることを
ワタシのわかる範囲で提示し、特に4段で蛇足かもしれませんが、患者として取りうる対策を
提示しました。これについて異論があるのは承知の上です。もし他の方法があるのでしたら
御教示いただきたいと思っています。
そして事務員としての私見を述べさせていただくならば、カルテがすべてという一言になります。
ただ、事務員として見ても明らかにおかしいと感じる場合は、ドクターやナースに問い合わせる
こともあります。ドクターの指示がすべてということであり、事務員とて診療報酬については
同様なのです。
医療スタッフはその指示に疑問があったとしても、ドクターが「これでいい」といえば
従わざるを得ないという事実があります。
いままで読んでくださった皆様に申し上げたいのですが、ワタシは「歯科医」・投書者の
いずれかを擁護するわけではありません。お互いのモラルというものである程度回避できるものと
信じているからです。
それは「医療は患者の手助けをするのであって、病気を治すのは患者自身である」
ということに尽きるのではないでしょうか。
患者様の中には医療機関にかかっただけで「すべて治った」と思われる方もいらっしゃいます。
ですから、スタッフは常にこのことを念頭において接遇することが重要ではないかと考えられます。
そうしないと、この投書者のように嫌な思いをされる方が増えて「医療不信」につながる
恐れがあります。

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NO.112【あるドクターの意見】
医療従事者も、ただ一生懸命医療の仕事に取り組めばいい時代は終わりました。
おかしな患者、家族から自己防衛をしなければなりません。
経営面からコストカットも考えて医療をしなければなりません。
一番損をするのは医療を受ける立場の人たちだというのはまさにその通りだと思います。

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NO.113
社会的入院の自己負担というのが正しいかどうか分かりませんが、4月からまた医療費の改正が
ありますので老人の方の窓口負担限度額が少し上がりますね。
確か、10月からは社会的入院(医療の必要性が乏しいのに家庭の事情で退院できない等)の患者は
保険では85%しか払ってくれなくなります。残り15%は患者の自己負担です。どうやら介護保険への
移行をさせたいらしいですけど。
病院への受診回数を減らして、医療費の伸びを押さえるって国が言ってるけど、今回の改正ってのは
通えば通うほど窓口負担が安くなる不思議なものです。(ある特定の状態にある患者を除く)
負担額が安くなるなら、受診回数って増えると思いませんか?病院側としては大きな痛手。
これが3方1両損というのかしら・・・?

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NO.114
治癒まで数ヶ月ぐらいの期間を要する疾患で子どもさんの患者。
いつもは母親とともに来院で、対応上特に問題点はなく、多少アレンジを加え、ベストをめざす、
いわゆる普通の診療を続けていた。しかし先日、土曜のせいか父親とともに来院。
この父親が相当のクレーマー気質。
その処置器具は別の病院で見たときと違うみたいだがとか、いろいろ、ぶつぶつ・・・。
そっちがそうならと、クレーマー用の防衛的治療に方針転換。
ケーススタディ的には大変勉強になった。

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NO.115
愚痴らせてください。最近、病院勤めが嫌になった医師です。
自分の都合と、厚かましいリクエストばかりして、こちらが精いっぱい答えようとしてるのに
不信感むき出しの患者。そうやって、病院転々としろ。
患者の権利と都合ばかり主張する患者。それならそっちも最低限の患者としての義務、
常識を守ってからいってもらいたい。
夜8時じゃないと話聞きに来れない?自分の親だろ。
それに、突然来て「話聞かせろ」はないだろ。
何回も絵にか書いたり、文を書いたりして説明してんのに、なんでいつのまにか自分の都合が
いいように話作ってんだよ。こっちが、患者を訴えたいよ。
すぐ欧米諸国を引きあいに出す患者。あっちのホームドクターのレベル知ってんのか。
医療はサービス業だといわれるけど、病院をホテルと勘違いしてる人たくさんいますよね。
医療って、ホテル業と同じ土壌の、サービス業なのでしょうか。とにかくもう、くたくたです。

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NO.116
いわゆる「ギャルママ」さんたちは、診察室にもお友達(こちらも子連れ)と入ってこられます。
で、診察中も医者の話を聞くより、母同士でおしゃべりしてたりします。お友達に出てもらうように
お願いすると、「えー、だって、この子(母)がかわいそうジャン!」ときたもんだ。
お友達は一応、診察に協力してくれているのか「こっち(自分の子)は泣いてないよー」と
本来の患者さんを励ましてくれるのですが、医者と患者さんの間に入られたら診察できません!
自分が周囲へ迷惑をかけている自覚がない親御さまに、周囲に迷惑をかけないお子様を育てることが
できるのでしょうか?まあ、結局はよそのお子さんだし、そのお子さんがどんなお子さんに育っても、当方は関係ないのですが。

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NO.117
街でよく見かける看板です。うちは小児科はうたっていなくて、消化器、循環器とはっきり
書いてあるんですが・・・。それでも、小学校の高学年や、中学以上の方が来院されたら
「小児の専門ではありませんが、よろしいですか?」と親御さんに確認してから診察しています。
ところが、このごろ当番医のときに多いのですが、どうみても、新生児、乳児!
はっきり言って、赤ちゃんを連れてきてしまう親御さんの多いことにはびっくりしてしまいます。
先日もおくるみにくるまった、生後1〜2ヶ月の赤ちゃんをだいたわかいお母様・・と、
心配でたまらないのでついてきた、と言う父親、おじいさん、おばあさん、運転をしてきた
もう1人の、おじいさん。計5人の大人が、成人の内科として当番医をやっているうちにやってきて
診てくれと言い張ります。
「申し訳ないですが、乳児と成人では、病気も症状も診察も違うので、小児科の当番医があるので、
そちらへかかってくれませんか?」と、お断りしたところ「それは、知っている。新聞で見た。
そこは、ちょっと、遠いのでこっちの方が近いから」という返事。
ひょえ〜!一族ひきつれて心配している、大事なあかちゃんなのに・・。遠いっていったって
車でほんの15分くらいのちがい・・・。
診察を待つ、患者さんがたくさんいる待合室で「どうして見てくれないのか、遠いところまで行けと
言うのか」と数10分ねばっていました。もう小児科についてるよってくらい。
あまりに理不尽なことばかりいうので「子供は、大人のミニチュアではありません。
だから専門医がいるんです」と言ったところ、それでもぶつぶつ文句をいいながら小児科へと
行ってくれました。ほんと多いんです、こういう親御さん。
この場を借りて言いたい!!
自分が、倒れたら、近くの小児科ですますのか?
子供にだって、専門の科で診察を受ける権利があるんだぞ!

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NO.118
親戚の伯母は糖尿病で週3回の透析が必要で失明している伯父の面倒をみて、
現在薬で安定はしていますが、分裂病で働けない息子を持ち、大変な苦労をしています。
伯母の義父は95歳になりますが、とんでもない乱暴者で、伯母にも暴力をふるいます。
酒乱なうえ、ボケもひどく、きたない話ですが垂れ流しなのにオムツもつけません。
伯母の息子、私の従兄弟はそんなおじいさんを嫌悪していて、
「あんなヤツがいるからお母ちゃんは苦労するんだ。あいつを殺して俺も死ぬ。」と言っていた
そうです。本気でそう言っているあたりが病気なんでしょうけど。
半年ほど前、意識混濁で救急車で運ばれて入院しました。しばらくして家に帰ってきたのですが
福祉課に相談してじーさんを受け入れてもらえる病院(いわゆる老人病院)で現在入院中です。
(じーさん、大酒飲みなので一応肝臓が悪い。)
が、病院でも問題ばかり起こしていて(ガラスを割りまくったり)退院をせまられています。
無理な要望・・・病院サイドから見たらそうでしょうね。じーさん、早く天命を全うしてください。
でないとあの家族は総倒れです。

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NO.119
Doctor shoppingが好きな人いますね.このような方がいるから,日本の医療費がかさむのではないですか?
欧米のように同じ疾患で他院を受診した場合には,本人に自費請求するようになればいいのでは?
2nd opinionまでのみ認めるようにするとか,3件目からは倍額請求するとか... 。

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NO.120
看護婦を召し使いと思っているやつ。入院患者を見て思うことがこれ。
すぐそばに物が置いてあるのにわざわざナースコールをおして「取ってくれ」と頼む。
十分動く体力があるのに、そして物を取るために動くと言うこともリハビリとしての意味が
十分にあるのに。腹がたつなー。

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NO.121
今日は救急室で喧嘩してやりました。月曜から海外旅行にいくとかで薬を30日分処方してほしい
と虫のいいことをいっている人がいて・・・。
全国どこの病院いったって、基本的に休日の処方は翌週の月曜までとなっているのに、
何をいってるんだ、という感じですよね。その原則を説明した上で「今回は特例で認めます」
ということで、電話受付の看護婦が対応したら「この病院はサービスがおかしい」とか起こり出して
病院長に直接言うとかいってました。私は区の行政サービスを受け持っているとかなんとかいって、
病院として意識が思い上がってるんじゃないですかといってましたけど「思い上がっているのは
お前の方だ」と声を大にして言いたい!全く最近患者のマナーが乱れていますね。

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NO.122
クレーマーには2通りある。世間に対して何らかの引け目を感じていて、自分が不当な扱いを
受けているのではないかと誤解して医療スタッフを困らすクレーマー、あるいは普段世間で
虐げられているのが病院はすべてがだいたい平等なのでその分取り戻そうと、わがままをいうもの、
自分は世間では高い身分?もしくは特別な存在だと思っいて、病院であまたの大衆と同じ扱いを
受けること腹を立てて医療スタッフを困らすクレーマー。
高級ホテルと安ホテルがあるよう病院もそれぞれ料金が違っていいのだろうけれど基本的には
一部例外をのぞいてすべて同じ料金ここに悲劇の始まりがあるのではないだろうか。
別に必ずしもそれが悪いこととは思わないが。

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NO.123
どの業界にも多かれ少なかれ存在すると思います。
というより、クレーマーの人はどこへ行っても傍若無人なふるまいをすると推測されます。
私が以前勤めてた会社(飲食店チェーン)ではクレーマー対処マニュアルがあって、
それに基づいて行動を決めていました。
医療で働いてる方も、こういうマニュアル的なものがあるとスムーズに対策がとれるように
思います。既にあるのかもしれませんが・・・。

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NO.124
手術に限らず必ずうまくいくわけではない医療という行為に携わっているにも関わらず、
必ずいつかは行き当たるはずの「治らない」患者の治療をも拒否できず一方的に訴えられる立場の
医師の側もまた、十分に不利益を被っていると言えるでしょう。
「医師にも拒否権を!」というのはまあ、まだ冗談ですみますが。
しかし真面目な話「説明と同意」などと言っていますが今後ますます難しくなってきているとは
思いませんか?「患者を説得して正しい医療を受けさせる」のが20世紀の医師像だとすれば
「患者を脅かしてでもハイリスクな医療行為は断念させる」のが21世紀の医師像なんてことに、
ならなければいいんですが・・・。
もし、自分の手におえないと思う患者がいたら医師は拒否した方が、患者にとっても有益なのでは
ないでしょうか?そして、その道の権威という医師に紹介し、その医師は手術だけをして、
術後管理はその病院がするというシステムは成り立たないのでしょうか?
病院の医師も手術に立ち会うことで、いい経験をつんでいくことになると思うのですが。
患者にとっても、医師が違えばもしかしたら治っていたかもしれないという疑惑を持たなくてすむし。
もちろん治らない患者に対しては、十分な説明と同意が必要でしょう。
まぁ、手術は開けてみないと分からない面が多いとは思いますが・・・。

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NO.125【私の素朴な意見・勤務医】
東北の某県運営の病院勤務の医師です。昨今の医療ミスについて意見があります。
率直な意見ですが、こうした問題定義にも病院は大して深刻に考えていないような気がします。
結局は厚生省や世間的なターゲットになることを恐れているものの、対岸の火事のような気がします。

私の勤務先では、(どこもそうだとおもいますが)タイムレコーダーがありません。
それというのは、勤務時間とかがきっちりとした決まりがないからです。決まっていなくても誰も文句を言わず、
言いなりになってきているのです。おそらく長年にわたっての適当で杜撰な運営から来ていると思われます。

最近、研修医に関するニュースが多いですが、私の勤務する病院の研修医は寝る暇もありません。
朝早くから夜遅くまで、あたりまえのように働かせ”研修”という名のもとに週に1度は36時間連続で働きます。(日勤-当直-日勤、
当直はほとんど寝る間がないです)。巧みな法的な抜け穴を使って合法にしているようです。
医師は新人だろうとベテランだろうと、基本的には同じ責任があると信じます。つまり医師たるものどんなときも気を抜けないという事です。
しかしながら、このような過酷な例をみる限り、心身ともにいい状態を作るのは不可能です。
さまざまな問題がありますが、厚生省も航空会社のマニュアルを参考にし始めている今、もう少し責任のある勤務体系を確立しないと
こうした問題は後を絶たないのではないでしょうか?
県が運営してるわけですから、地域の病院経営の鏡となるべきです。皆様はいかがお考えでしょうか?

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NO.126【私の勤めている病院で院内感染・元看護管理職】
はじめまして。看護婦管理職をしていたものです。
私の勤めていた病院で院内感染がありました。感染源となった患者様について、何度もその原因疾患の危険性を訴えていたにも関わらず、
嘲笑されるばかりで聞いて貰えず、病棟看護婦全員が感染しました。看護婦家族にまで感染し、新聞にも掲載される大きな事件に
なりました。
病院側は、発覚後も全く誠意のない対応で、看護婦のみに院内感染の原因を押しつけようとし、再三の交渉にも、全くラポールがかからず
結果、病棟スタッフ全員により、主治医と病院側を刑事告訴することになりました。守秘義務から、ずっと外に云えないでいたことを
公にせざるを得なくなり、病院に対しては申し訳ないと、遺憾な気持ちばかりです。
正しいと思うことを、云えないことほど辛いものはありませんが、少なくとも自分が本気で働いた場所には情もありました。

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NO.127【ある勤務医より】
「検査をすればするほど赤字になるメカニズム」

これも医療従事者の中では常識、というより知らない方がおかしいのですが一応説明いたします。査定というのをご存じでしょうか。
以前は確かに出来高払い制で、現在も建前はそうなっているのですが、実際には保険で認められている以外の検査については
査定されます。査定されると国、病院及びマスコミ藪医者というレッテルを貼られます。つまり無駄な検査をしたからと。
査定された検査、診療は病院が払うことになります。平たく言えば赤字になるわけです。

しかし、保険で認められている以外の検査=医学でエビデンス(証拠)を得られている検査とは言えません。薬についても同様です。
つまり正しい治療が保険で認められていないのです。
具体的にはつい最近まで狭心症発作にバファリンが認められていませんでした。
後でも説明しますが、こういう場合は有りもしない「慢性関節リウマチ」等の病名をレセプトにつけます。

最近ではそうした事態を予想して例えば侵襲的検査前の感染症のチェック(医療従事者を守る、消毒の費用の節約の面から見ても
非常に重要)は法律違反してまで自費を取ることが私立や開業医では当たり前です(つまり混合診療ということ。法律違反ですが、
普通はちゃんと患者に説明していますし、質の高い医療水準を保つ上で必要なことだと思います)。

しかし、国立、公立では法律通り保険請求をして莫大な赤字を抱えます。しかもこうした病院は研修指定病院が多く、
研修医の学習という意味でもいろいろな検査をし、これらの赤字を助長しています。
無駄な検査ではなく、鑑別するために必要な検査なのですが・・・。

医者にとって何年目になっても1人1人が新しい未知の患者であり、教科書通りではありません。
検査は高い医療水準を保つ上で必要不可欠です。医者もおかしいと誰もが思っています。
但し、医者の問題と言うよりこれは厚生労働省の問題です。国にたてつくことがどんなに怖いことかは記者の方に聞けば判ると思います。
仮に正しいことを言ったとしたら保険請求の時に査定率が高くなる、営業停止勧告、厳しい指導、下手すると保険医末梢されるなどの
事態が起こり得ます(実際に指導くらいは日常茶飯事です)。誰もそんな目に遭ってまで国にたてつこうとは思いません。
自分が犠牲になってまでやるべき、と言われそうですが、保険医を抹消されてしまってはどうしようもないからです。

こういう問題はゆっくり時間をかけて作戦、方法をいろいろ考えながら世論を変えていき、国を揺さぶるしかありません。
こうした努力は必要だと思います。すべからく対抗組織が大きくないといけませんが、本来そうしたことをやるべきの医師会が
無能な状態で、保守的ですから現状は無理でしょう。こうしたことはどこの世界も同じなのです。

医療ミスをなくすことは理系の方なら不可能であることは容易に想像できると思います。
航空業界などでは皮肉なことに死亡事故が出るたびに安全対策が完全なものになっていき、死亡率が減り、予測不可能な事態が
おこることはどの世界も同じ)人間誰しもミスはします。
医者なんだから気合いで医療ミスをなくせ、というえせ理論がマスコミや世論にありますが、それは理論ではなくただの感情論です。
感情論に良いことはありません(最悪戦争を生みます)。

医療ミスをゼロに近づけることは可能ですし、そして、そうした努力も必要です。アメリカでは医療ミス問題に予算が出ていますが
日本ではすべて医者任せです。医者任せといえば、日本では例えば薬を出すときに医者が確認をしてその通りに出します。
しかし、医者も人間ですから忙しい外来ではチェックを怠ることもあります。
アメリカではナース、薬剤師がさらにチェックし、最後にリサーチナースがチェックするという試みがなされています。

看護婦のハードさが言われていますが、実際には医者はさらにハードです(マスコミではあまり言われていないですよね)。
看護婦は8時間勤務後8時間の休みが取れます。医者は下手すると1日48時間勤務です(24時間ではありませんよ)。
完全に労働基準法違反ですね。寝ずの当直の後など外来をやっていて、寝ぼけていると必要な説明などを省いたり、
薬の確認を怠ったりすることは残念ながら日常茶飯事です。
私でもこうしたミス(正確に言うとミスやaccidentでなくIncident)は何度もあります。幸い大事に至ったことはありませんが。
寝不足は幻聴、幻覚が出てきたり、まともに試行できなくなると言うことはすでに実証されていますから、
気合いでできるということは通用しません。

1.なぜ説明する時間がないのか?
2.説明に関する資源 (人、設備、時間等)を病院がケチっている、
  もしくはケチらざるを得ない診療報酬制度になっているからではないのか?

まさにその通りです。でも、何故そうなっているかをもう少し調べ上げて欲しかったです。病院がケチっていると言うのは語弊です。
そういう病院も中にはありますがほんの一握りです。
それよりも正確には診療報酬制度の問題です。日本の医療は薄利多売です。
そうした制度の根本が国民皆無保険なのです。そうしないと儲かるどころか赤字になります。
入院患者ならともかく、外来では3時間の内に50人くらい患者を診ます。これだけでも医師数が足りないと言うことはわかりますね。
単純に計算して1人3.6分です。しかも実際には初診は最低15−30分かかりますから人によってはもっと短いです。
しかも少し時間をかけて診ると1時間オーバーして昼食を削ってまで午後の検査、あるいは病棟業務へ携わります。
実際には患者さんを待たせて3分くらいでパンをかぶりつく医者が多いですが、それでも悲惨ですね。
とてもインフォームドコンセントの余裕などありません。われわれも本来は外来に時間をかけ、患者に納得行くまで説明しています。
いくら説明しても納得行かない見当はずれの患者さん(大抵自分勝手な人)がいますが、
こういう場合は現時点でも時間をかけて説明してます。
しかし、結局納得されず次の患者さんをさんざん待たせた結果、文句言いながら帰る場合が多いです。
そういう患者さんはこの際除外して考えましょう。

患者自身(あるいは家族)に治療法を選択させます。その方が実は医者にとっても都合がよいのです。
責任が医者だけでなく患者にも分散されるわけですから。しかし、上記の通りそれは不可能です。
皮肉なことに優秀な医者ほど沢山の患者を抱え、ろくに説明できません。それに私は周りからむしろ患者さんに説明しいる方だ、
と言われますが、中途半端な説明時間ではかえって(特に生活習慣病)混乱することが多いです。

ハードルはこれだけあるのです。医者の質の問題はもちろん、患者側の理解不足の問題もあります。
前述のように自分たちのことしか考えない生活習慣病の方の他、ノイローゼ、精神疾患などいろいろな患者さんがいます。
残念ながらこうした人たちにコスト意識はなく、保険料という名の税金で診療しているのに、まるで自分が金払っているのだから
何でもしてくれるのが医者だろう!と言わんばかりです。
自分たちの病気がどうして悪くなったのか判らず、さらにその治療に一般の人たちの税金が使われていることは棚に上げています。
こうした人たちの教育にも本来金と時間をかけるべきなのです!

医療従事者の労働時間の問題、保険診療の問題(これが1番のネックになっていると思います)、
医療ミスチェック機構の問題…医療従事者だけでなく、日本国民が総出で解決しなければなりません。
他の業界同様、国が予算を建てて対策を立てねばなりません。医師を始めとする医療従事者、専門家ももっと必要です。
医師過剰などといわれていますが、実際には病院等での医師数は他の国と比べても明らかに不足しています。
都市部の開業医はやや過剰になってきていますが、病院に於いては日本の場合は研究者も
カウントしているのでおかしな数字が出るのです。

医療ミスはすぐに減るものではありません。医者の気合いだけで完全に防げるものではありません。
今すぐ出来ることは少なくとも仕事中余裕のあるときは医療従事者にそうした事故はいつ起こっても
不思議はないのだから気をつけるべきだという心構えでしょう。 医療と国家安全には金がかかると言われていますが、
日本人は国民皆保険と日米安全保障条約のもとでぬくぬくと育ってきた人種です。
今、それについて警告がならされるときではないでしょうか。安全と健康はただではないのです!

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NO.128【ある介護職員の意見】
2001年度国民生活選好度調査の報告では、2人に1人以上が「在宅で介護を受けたい」と希望し、
3人に2人が「配偶者による介護が望ましい」と考えているという結果が出ています。
また他の調査では80%の人が自宅で最期をむかえたいと思っているという報告もあります。
が、高齢者の希望とは裏腹に、特別養護老人ホーム(特養ホーム)の入所待機者は倍増しています。

ケアマネジャーとして働いていると、特養ホームに緊急に入所が必要な人たちが入れずにいる反面、
もっと在宅で生活を続けらたれるだろうと思える人たちが施設入所をしてしまっているというケースによく出会います。
介護保険制度になってから特に目立つ現象です。

特養ホームの入所は施設と利用者との契約によって成り立ちます。
どこの施設でも200人近い待機者がいるのですから、あえて「問題を抱えている」人を入れたがらないのです。
先日も生活保護を受けている独居高齢者を施設入所させて欲しいと相談に行きましたが駄目でした。
生活保護を受けている人が入院する場合には指定病院でないと入院できないのですが、
痴呆がひどくなり徘徊や「暴力行為」、奇声をあげるなどの「問題行動」が出てくると病院側も入所を渋ります。
その場合は「老人病院」に入院をするのですが、それらの病院は医療費以外の費用が高くて支払えないのです。
また、独居の人や身元引受人がない人などは、手術時に同意書に誰が署名するのかという事も問題になります。
亡くなった場合の引き取り先についても不安が残ります。
生活保護受給者や身寄りのない人たちは、お金だけでなくその他にも諸々の不安材料があり、施設側としては
出来れば避けたい相手です。

虐待も少しも減っていないように思えます。
Aさんは同居の息子とその嫁に毎日虐待を受けています。彼女は私に虐待を受けていることを話してくれますが、
それでも家族と暮らしていたいと言います。家を離れたくないので、ケアマネジャーとして親しくしている私以外には
誰にも虐待を受けていることは話していないようです。虐待をしている介護者である嫁も、自分を責めています。
彼女の夫はこの不況で仕事が思わしくなく、自分たちの生活自体のめどが立たない状態なのです。
彼女は、自分がいつかAさんを殺してしまうのではないかと「自分が怖い」と泣きながら訴えます。

昨年、連合総合生活開発研究所が介護者を対象に行った調査では、介護をしている相手に憎しみを「いつも感じている」
「時々感じている」人は約4割を占め、2人に1人は何らかの虐待の経験があったという結果が報告されています。
これは8年前に連合が行った調査とほぼ同じ結果になっています。介護保険制度が導入されても家族の負担は減らず、
虐待も減っていなのです。虐待で苦しんでいる家族を救うためにも、優先的に特養入所が出来ればいいのにと思います。

これまでの特養ホームは4人部屋が主流でした。
そのために施設での生活はプライバシーがないという批判がなされていました。
来年度から設置される特養ホームには全室個室が義務付けられるようになりました。
自分だけの空間がほしいという入居者や家族の希望はかなえられるようになったのですが、
そのために個室料として入居者が住居費(ホテルコスト)を負担しなければならないという問題が生じました。
今回厚生労働省はホテルコストについて、月額自己負担額は4万から5万円になると試算しました。
生活保護受給者は平均月額2万円から3万円で住民税の世帯非課税者は平均3万から4万円程度に
なるとしています。

措置制度時代は特養ホームの入所者利用料は食事代を含め月額平均4・5万円程度で、
2万円以下の支払いで済んでいた低所得者も多くいました。
介護保険制度になり月額平均5万円程度の負担になり、措置制度の時代から入所している人達には、
急激な負担増を避けるために当初の5年間は減免制度設けられました。
これからは特養ホームもホテルコストを含め負担額は10万円にもなってしまいます。
低所得者は8から9万円を支払うようになります。入所者の中には当然支払えない人が出てきます。
これらの人たちは、特養ホームにさえ入所できなくなるのです。

特養ホームは「生活の場」というには余りにも粗末で病院のような集団生活を強いられていました。
それを脱却するためにも個室化は必要です。大いに歓迎をすべきだと思います。
ただそれが低所得者の排除にならないようにすべきなのです。
本当に施設入所が必要な人たちのために、介護保険制度以外の制度(現在も措置制度は
残っていますがあまり活用されていません)も充実させる必要があります。
例えば、特養ホームのベッド数の何割かを緊急性の高い人のためにあてて、
中立で公平を保てる機関がその人たちの入所を決定するということでも良いのではないでしょうか。
誰もが、自分の望む場所で老後を過ごすことの出来る社会作りを、当事者である市民自らの手で
作り上げていく必要があります。

特養ホームの待機者が増加した原因は、在宅サービスを利用しながら在宅生活を維持するよりも
月額5万程度を支払うことで施設生活がおくれるという、
在宅に比べての割安感があると思われます。
それに加え措置制度は応能負担のために年収800万円以上の世帯の人たちは20万円近い負担と
なっていました。彼らにとっては、あえて高い利用料を払って特養ホームに入所するよりも
病院へ入院しているほうが、費用も安く世間体も良いということで、入院治療の必要のない高齢者が
多く病院で介護を受けるようになりました。それが「社会的入院」の背景です。


特養ホームに入所している人よりも病院に入院している人(「社会的入院」を強いられている人)の
ほうが多いという報告もあります。
介護保険制度によって応能負担ではなく要介護度によって利用料が決まっているために、
今までは負担が大きすぎて病院へ入院をしていた人たちも、特養ホームへの入所申し込みを
一斉に始めたのです。これも待機者が急増した原因の一つになっています。

介護関係の私達の職場環境も改善していかないと状況の変化は望めないのではないかと思います。
福祉の職場はもともと労働条件が悪いことで有名でした。3K(きつい・きたない・給料が安い)とか5Kとか言われ続けてきました。
介護福祉の仕事が好きだけれども、低賃金のために生活が成り立たず転職したり、重労働のせいでに体を壊して辞めていく人が
あとをたない職場でした。

介護保険制度導入が決まった時点から「措置から契約へ」という言葉とともに、
特別養護老人ホームでは生き残りをかけて施設運営の合理化をすすめなければならないという風潮が
全国に広がり、職員のリストラ、賃金カット、正規職員の非常勤化等々、さらなる労働強化の波が押し寄せてきました。
東京都を始め自治体の補助金が削減されることになった地方の施設では、
それを理由に月給を一挙に4〜5万円もカットすることさえ行われました。
また当然のように利用者からの個別経費徴収なども行われるようになりました。
介護保険下では、利用料(介護報酬額)以外に日常品費やクラブ参加費、行事費、電気代、理美容代、事務管理費などを
各施設が独自に設定し利用者から徴収することも可能になりました。

しかし、先月全国老人福祉施設協議会の調査で、特別養護老人ホームの収入が措置制度の時代よりも
大幅に増加していることが分かりました。
調査によると、措置時代が1人当たりの収入が36万円であったのに対し、介護保険下では38万7千円と7・5%も伸びました。
地域別では、東京23区の施設では都の補助が削減されたために7%のマイナスですが、
地方都市では13%も増加したところがあります。入所規模別では、定員の多い施設のほうが収入増となり、
入所定員70人以上の施設では1人当たりの収入の伸びは1割を超えています。
それに反し人件費の割合は減少し、全国平均で人件費率はマイナス5・7%になっています。


まさに職員に対しては「便乗リストラ」、入所者に対しては「便乗値上げ」が行われたのです。
これは単に結果として収入増になったということではありません。年度予算を立てた時点で、各施設で措置制度時代との収入費の
シュミレーションをしていたはずです。大部分の施設で黒字になることが分かっていたのではないでしょうか。
財政を圧迫すると予測される場合としては、入所者の要介護度が全体的に低すぎる場合や、東京都のように
都の補助金が削減された場合、勤続年数が長い職員を多く雇用し、人件費率が高くなっている場合等が考えられました。
しかしその場合には、その部分についてのみ対策をたてていけばよかったはずです。
あたかもすべての施設が経営困難になるような報道がおこなわれ、マスコミも「便乗リストラ」や「便乗値上げ」をあおってきました。

ヘルパー派遣事業についても同じことがいえるのではないでしょうか。
ヘルパー事業は確かに人件費のかたまりですので利益の上がり難い事業ではあります。
しかし、コム☆ンやニチ☆を始めとする企業は、宣伝費に莫大な費用をかける等の経営戦略のまずさも災いしたのです。

地域で地道に活動するという姿勢をとらなかったことも敗因となったのではないでしょうか。
対人援助サービスが半年やそこらで「濡れ手にアワ」状態になったとしたら、それこそ制度の意味が問われる事でしょう。
質の良いサービスを提供するためには、労働条件の整備が必須です。しかし、ヘルパーの労働条件は全く改善されずにいます。

東京ケア☆ニオンが昨年(2001年)の12月から今年の1月にかけて、
東京都内で働くホームヘルパー1604人を対象に行った調査結果を報告しました。
それによると、雇用形態別では「登録ヘルパー」63%、「非常勤または嘱託」12・7%、「パート」10・8%、
「常勤職員または正規職員」9・5%となっています。
雇用の比較的安定した常勤職員や正規職員は10%以下で登録ヘルパーが6割以上とは驚きです。
平均月収も「4〜6万円未満」19・5%、「2〜4万円未満」13・8%、「6〜8万円未満」13・5%、「8〜10万円未満」12・7%、
「2万円未満」6・5%と10万円未満が66%とその劣悪さを裏付ける低いものになっています。


また「報告書などの作成に必要な時間は無給」(68・8%)、
「仕事に必要な打ち合わせ時間は無給」(73・0%)、
「移動時間は無給」(84・3%)等となっています。
この様に重労働な仕事であるにも関わらず、賃金も低く雇用形態も不安定で保証もほとんどないような職場では
職員が定着するはずがありません。ヘルパー業務はボランティア活動ではないのです!
介護労働にボランティア精神ばかりを求めることにSTOPをかけ、労働条件の改善を迫っていかなければならないと思います。

介護労働者が精神的、肉体的に疲れきり自分たちの仕事の「やりがいや」「楽しさ」を見失うことのないシステムを
作っていく必要があります。
サービスを受ける高齢者や障害者と介護労働者を始めとするサービスを提供する労働者達が、
ともに人間的な環境の中で相互関係を創り上げていく、そんな社会システムの構築が今求められているのではないでしょうか。

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NO.129【早期発見・早期治療の幻〜精神科医W氏のレポート〜】
実ははこの題目で書き始めるのは、これで数回目である。いつも途中で挫折する。
なんと言っても医学領域全般を対象にするのは手があまることと、
ごくまれなラッキーケースを盾にした反論が予測されることによる。
検診でたまたまガンが見つかり、それを治療したおかげで今もこんなに元気に暮らしている、という類の「美談」である。

はっきりいって、こういうのには言い返す気持ちもわかない。
まるで風水グッズを買ったから金持ちになった、と怪しげな勧誘ビラに書かれている喜びの声をみる思いだ。
インチキ商品なら多少の損で終わりだが、検診でみつかる致命的疾患の治療に否応なく巻き込まれるとすれば、
並みでは済まないダメージを覚悟しなければならない。
なんの自覚症状もなく過ぎてきたなら、それを享受しておけばいいではないか、なんでわざわざ自分から早めに苦痛を選び
「医学の成果」の証人にならねばならんのだ、と感じるのは論外なのだろうか。

いくら健康だと思っていても、この世は諸行無常で、どこかに破滅の暗い影がさしているかもしれない、というような
人生観の持ち主が検診をうけるのか、というとそんなことはなく、それを受けるのは「健康づくり」のためなのだと、
ほとんどの人が信じているのである。
医師たちのかかげる「早期発見・早期治療」標語をここまで人が素直に信じるのはなぜなのだろう。
まるで現代に機能する唯一の護符であるかのようだ。


世の中には運の悪い人がいる。若い人でも、軽い風邪だと思っていたらたちまち高熱がでて、重度の肺炎になって
命を落とすようなことは現実にある。一家の大黒柱が突然クモ膜下出血、まったくなすすべもない、ということもある。
当人や家族にとってみれば理不尽きわまる話であろう。だからといって、運命というものから逃れられる人はいないのである。

厚労省の統計によれば、平成12年、50歳代でのくも膜下出血死亡は総数2624名にのぼる。
この疾患はそれまで健康だった人が突然発症することが多いため、現役の働き手には怖い病気だ。
いわゆる「脳ドック」がその不安に付け込んで商売しているのだが、考えてみれば妙な話だ。
脳ドックはもっぱら脳動脈瘤を見つけることを目的にしているのだが、仮に見つかったとしても、
くも膜下出血をおこす危険性を予防するためには、いままで何の不都合もなかった人が、
リスクの高い開頭術を受けるしかない。

もちろん、軽度のものなら血圧管理などを厳重にして経過を見て、破裂は時間の問題というようなものだけを手術対象にする
というような柔軟な対応をするだろう(そう思いたい)が、見つけられた人は不安が増すだけであろう。

さきの統計からからいえば、同年の交通事故や不慮の事故での同年代の死亡は6000を越す。自殺も含めるとその倍以上だ。
理不尽さでは同じで、可能性はよっぽどこれらのほうが高い。
脳ドックが商売のネタにしている不安は、かなりバランスを逸しているとしかいえない。

それは脳ドック特殊の話だろう、と言われるかもしれないが、ガン検診なども全く同じであることは
「がんは切ればなおるのか」の著者として知られるK藤誠医師が巻き起こした論争によって
明らかであろう。権威あるとされている専門家たちが、K藤氏に悪罵を投げかけているのをいまもネットで確認できるが、
その理屈はまったく顛倒したものだ。

例えばここhttp://www.ne.jp/asahi/kakei/medicine/ichikawa.html
では国立がんセンター名誉理事という肩書きの持ち主が、こういっている。
「日本でたくさん見つかっている早期胃ガンは、ほとんど"がんもどき"であり、放置しておいて、
それが進行ガンになったのは見たことがないとK藤氏は言う。
ここに至っては、そういう症例をたくさん見ているであろう本誌(注:『胃と腸』という専門雑誌)の読者はとても耐えられなくなってくる」と。

この記述はおかしい。すべての早期胃ガンが進行ガンになるという信仰が蔓延している日本の医学業界で、
早期胃ガンを見つけて放っておく医師がどこにいるというのか。
K藤氏の「がんもどき」理論というのは確かに正確さを欠くのだが、検診で見つけた早期胃ガンを、それを飯の種にしてきた連中が、
みすみす取り逃がすことなんかあるわけがない。
ほとんど切ってしまうのだから、本当に全部が進行ガンになるかどうかなんて確認しようがない。
そもそも不安に駆られてガン検診を受けるような人が、ガンが見つかったという脅しに屈しないはずがないじゃないか。
もちろん、そうして必要がない可能性が高い手術を受けたために、
体力低下をきたして本来はそうなるはずもなかった進行ガンへの移行、という事態も多いはずだと私は思う。

またこの人は、K藤氏が「日本の外科医の平均的手術レベルの高さには目を覆っている」などとおめでたいこともいっている。
平均的手術死は1%以下なのだと。そりゃいかに健康な人ばっかり切り刻んでいるか、ということの証明だろう。
この人はさらに「世界の先進国ドイツ、オランダ、イギリスなどは、
およそその(注:日本の胃ガン手術死亡率)50−150倍の死亡率であることは率直に認めるべきであろう」などと続けるのだが、
そういうしょぼい腕の持ち主しかいないはずのそれら先進国では、そもそも胃ガン死亡が圧倒的に少ないことにもふれるべきである。
ガンというのは生活スタイルによってその内訳が変わってくるので、昔多数をしめた胃ガン死亡が減少したのは
検診の結果でも、外科医の腕の差でもなく、単に食生活の欧米化の結果でしかないのだ。

もちろん、「早期胃ガン」という当面汲めども尽きぬ「利権」を開発した日本医学界の力は大きいのだが。
(単純化して言うと、早期ガンだとインネンをつけ、必要もない手術をして、
治してやったのはオレのおかげだ、といってるだけであるかもしれないのだ)

私はK藤氏の言うことがすべて正しいとは思わないが、日本でもガン告知が進んだのは彼のおかげによるところが多いと思うし、
いろいろな選択枝を患者側が選ぶ端緒になったことはいくら評価しても足らないと思う。
今までのように、患者家族にむやみなパニック起こさせ、重大な侵襲のある治療を言うがままに
受けさせるようなことは今後減っていくだろう。少しづつではあるだろうけれど。

本当は私の領域である精神疾患の「早期発見・早期治療」論をメインにするつもりだった。
私は研修医の頃から教授に「精神疾患で早期発見・早期治療なんか無意味」といわれていて、それが常識だと思っていたのだ。
ところが案外そうでもないらしい。行政なんかがポーズとして言うだけなんだろうと思っていたら、けっこう専門家が使うのである。
本の題名として、明らかに別の内容なのに、このもんどころをつかっている例http://kongoshuppan.co.jp/dm/0698.html
まである。これについてはまた別に述べたい。

                                                                  このページのトップへ戻る
NO.130【ドクターからの投稿】
最近の過熱気味な「医療事故報道」には、マスコミの『扱えば視聴者が飛びつく』という思惑による偏った報道姿勢を感じます。
そして、これは人としてのシビアな問題ですが、私たちが「死」を受け入れられなくなってきているようにも思います。
「長寿天国、長生き万歳」・・・。盲目的にただそれだけが最も尊重されて当然のように錯覚しているのではないでしょうか。
命あるものは、いつかは死を迎えます。
その「いつかは巡り来るあたりまえの終末の到来」に抵抗し、「誰かが故意に死をもたらした」と、
そのあたりまえの死の現実を拒絶してしまいます。
誰もが疑心暗鬼に陥り、全てを医療事故と疑ってかかり、医療と患者の溝が広がっていく一方なのは、残念で仕方ありません。

医療事故(ミス・過誤)と、自然の摂理は、普段から「生きること」をきちんと見つめ
「それでもいつかは死が訪れるものなのだ」ということから目を反らさずに生きていないと、
いざ死に直面したときに、ミスなのか摂理なのか解らなくなってしまいます。
身内を亡くした悲しみを、医療者を恨むパワーにすり替えても虚しいだけです。死人は生き返らないという現実を知らされるだけです。
医療は、命を無限に長らえさせる神業ではないのです。駄目なときもあるのです。
自分の身内にだけは駄目ということは絶対無いのです。あり得ません。
そして、病院で死に抗う姿は、自然の摂理への抵抗なのですから恐ろしいほど残酷に見えるのです。
生きたかったから病院にきたのに死ぬなんて・・・?
いいえ、病院に来ても、死ぬときは死にます。来なければもっと早く死が訪れていた、それを少しだけ先に延ばせるかどうかの
チャレンジの場所が医療現場だと思います。どなたかのケースを差しての投稿ではありませんが、
不愉快を感じられる方がいるようでしたら、お許し下さい。

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NO.131【ナースからの投稿】
私はある病院の病棟勤務の看護師です。最近こういう出来事がありました。
Aさんという患者さんがいました。おばあちゃんです。胆石症で手術をうけました。
娘さんは遠方に住んでいましたが、手術の日は付きそうと言ってやってきました。
うちの病院は基準看護ですが、手術の日や状態の悪い患者さんには付き添ってもらうことがあります。
その方が患者さんにも安心感が得られるからです。個室なので泊まってもらってもかまわないと私たち看護師は言いました。
そして付添用の布団も準備していました。しかし夜になるとみなさん帰ってしまい、どうしたのかと思っていました。

Aさんは手術後状態が落ち着いたので大部屋に移りました。病棟に電話がありました。
娘さんからで、病状を知りたいということでした。同僚の看護師は電話では説明できないと断りました。
相手が本当に娘さんかどうか分からないのに、個人のプライバシーに関することをお伝えすることはできません。
それでは先生に説明してほしいと娘さんは言ったのですが、病棟にいつでもその医師がいるとは限りません。
また医師の方から連絡するということで、日時をお約束して電話を切ったそうです。そして医師に電話で説明をしてもらいました。

一件落着と思いきや、医師会の方に娘さんがメールを送っていたのです。
内容は「付き添いは邪魔だから帰れと看護婦に言われた。母の状態を心配して電話をしたのに、2度と病棟に電話をするなと
看護婦に言われた。医者はなかなか説明をしてくれない。このような対応をされるとは思わず失望した」簡単に書くとこのような事ですが
もっとひどい内容でした。その時まだAさんは入院していました。私たち看護師はそんなことを言った覚えはなく唖然としました。
でも上からは病棟全体の責任とされ、弁解することもできずに報告書を書かされ、Aさん自身には何事もないように関わりました。
娘さんは私たちがメールのことを知らないと思ったのでしょうか。何度かお見舞いに来ていました。
そして来るたびに先生とお話がしたいと言いました。
医師も暇ではないのですから突然約束もなく来られても困ります。連絡をとる私たちも困ります。

私たちはサービス業だと思います。でもこのように理不尽なクレームをつけられても困ります。
少し考えていただければ分かることだと思います。医師も看護師も1人の患者さんだけをみているのではありません。
今までこんなことを言われたことはありませんでしたし、とても不愉快で悲しく思いました。
私たちだって人間です。何でも言うことを聞くロボットじゃありません。この仕事に誇りを持って毎日頑張っているつもりです。
でも報われないなあと感じます。

                                                                  このページのトップへ戻る

NO.132【ドクターからの投稿】
「もちろんミスするのはマズイとしても、そのミスを隠したり、ごまかしたりする医者がいることのほうがよほど問題」
とおっしゃるのはごもっともです。過酷な労働条件がその言い訳になるとは我々医師だって考えていないですよ。
ミスをしたらそれなりの責任を負う。そんなことは当然と医師だって思っています。
しかし、考えていただきたいのは我々医師の背負っているリスクは非常に大きいということ。
「どんな仕事だってミスをすればその責任を・・・」とおっしゃる方もいますが、普通の仕事でミスをしたら訴訟になったり、
業務上過失致死になる仕事なんて殆どないでしょう?我々の責任はとてつもなく重いのです。
何千万、1億単位の訴訟を個人で受ける可能性のある職業なんてなかなかありません。
仕事上でミスをしてその責任が1億円なんていう立場にいる人は殆どいないわけです。
大企業のトップでさえ、辞任するだけですむわけですから。
そしてたとえばサラリーマンの方々の場合なら、そのような重要なポジションにいる人はその責任に応じた見返りを得ていますよね。
危険な仕事に従事している方々も其れ相応の見返りがある・・・。給料数万円、保険もない、住宅手当も、通勤費もでない、
そんな労働条件で働いている人間のうちで、こんなに重い責任を背負っている職種ってありますかね?
私は医者以外に知りませんけど。

例えばパイロットなども人の命を預かる立場にいますよね。
こうした人たちが15時間連続でフライトをしたとすると、そのあとゆっくりご飯を食べて、充分寝て・・・という時間が必ず与えられます。
だからみんな安心して飛行機に乗れるわけですよね?
例えば2日で1時間しか寝ていないパイロットが操縦する飛行機にあなたは乗りたいですか?
我々医師はそんな状況でも手術もするし投薬もしているんです。
若いころ、あまりの睡眠不足のために外来で患者さんを診ている途中や挙句は手術中でも一瞬意識を失った経験は
殆どの外科医にあると思います。まあ自分がメインの執刀医のときなら眠ることはないですけど。
あまりにも疲れていて頭が回らないことはある・・・。
これまでは根性だけで乗り切ってきましたけど、こんな状況が1000回あったら1回ぐらいミスするかもしれないです。
ヒヤッとした経験のない医師なんていないと思います。

充分に休めて、充分にトレーニングされていて、そんな状況でミスをしたなら確かにそれはその個人の責任だと思って納得がいく・・・。
しかし我々医師はそんな労働環境にないんですよ。どんなに疲れ果てていても、自分の患者が急変したら次々と投薬の指示や判断、
処置をしなければならないし、一生懸命助けようとしてやったことが裏目に出ただけでも患者さんやマスコミにはたたかれる始末。
そしてもしもミスをしたら、我々の薄給では支払いきれないほど高額の賠償請求となるわけです。

政治家や企業の重役が悪いことをしようと考えて実際に行動に移してそれがばれてマスコミにたたかれるのとはわけが違うんです。
私たち医師は一瞬の判断で人を死に至らしめる可能性がある職業です。おそらくパイロットよりもその可能性はずっと高い職業です。
こんな過酷な労働条件でも「仕事が忙しすぎてミスをしました」じゃだめですか?
患者さんが死ぬか生きるかの15時間の手術(感染症にもさらされ、被爆もする)の後、患者さんの状態が悪くてそのまま家に帰れず、
眠れず、そしてそのまま次の日も外来、病棟と16時間労働。あーあもう40時間寝てないなあ・・・なんていうこともままあるわけです。
こんな状況でも絶対ミスをしない自信のある人がいたらお会いしたいですね。
実際ニアミスなんて医療の世界ではしょっちゅうあることです。おそらく本当の医療ミスも多数あるでしょう。
そして、実際にミスをしたときそれが顕在化すれば社会的に抹殺される。あるいは高額な賠償請求を受けることになってしまいます。

家族のことも考える、小さいころから人より努力して医師になって、自分の身を削って、たくさんの人を助けてきたのに・・・なんて考えるます。
そんな状況でも素直に「ごめんなさいミスしました」っていえますか?
私はそういえない人の気持ちもよく分かります。もちろん患者さんの立場からしたら「ふざけるな」でしょうね。
実際に医療過誤の被害を受けた方は気の毒だと思いますし、正直にミスを話し、謝罪すべきとは思います。
しかし私の言いたいのはこんなにも責任が重いのだから医師の労働条件(金銭的、時間的)は
それに見合ったものでなければいけないという事。
そうすればミスを隠すような構造は改善されると思いますよ。

例えば潤っている企業なら大きなミスをしたって、生き残っていけるでしょう。
それならば、ミスを隠そうとして後でばれて大問題やイメージダウンになるよりも、自分からミスを告白しますよね。
それに対して小さな町工場がミスをおかしてこれがばれたら倒産、家族も共倒れなんて状況では罪悪感を感じながらも
必死になってミスを隠す可能性が高い、それと同じことだと思います。

だから患者さんも我々医師がもっとまともな労働条件で働けるように叫ぶほうが得策だと思います。
少なくとも20時間働いたら8時間は眠れるとか、生活と勉強に必要な費用ぐらいは補償するとか。
そうすればミスは明らかにも減るし、ミスを隠すような体質もなくなっていくと思います。
今の労働条件を本当にわかったうえでそれでも医師になりたいひとなんて滅多にいないでしょう?
このままでは医療の質はもっともっと低下しますよ、そして1番不利益をこうむるのはあなた方患者さんなんです。

                                                                       このページのトップへ戻る

NO.133【ドクターからの投稿】
今の世の中あまりにも受けている恩恵に慣れすぎて、本質を見極めることをしなくなっているように思います。
本来病気は患者さん自身の体が治すわけで、医師は少しばかりその手助けをしているに過ぎないのです。
(この部分はナースのおばちゃんも深く同意します。ハイ!)


人間の身体は機械ではない以上個人差が大きく、同じ治療をしても結果はまちまちです。
また、その治療を行う医師もまた人間である以上、全ての結果が同じにはなりません。
医療というのは極めて不確実なものであるし、人々はそのことを充分に認識して欲しいと思います。
誠意をもって治療しても、たまたまその結果が悪ければ直ちに医療ミスだと医者に食ってかかるのは筋違いというものです
「病院へ行けば直してくれるのが当然」、「この位のサービスは受けて当然」といった過大な期待、要求はやめていただきたい。
患者さん側としても、診断を受けたらその病気についての勉強をもっとすべきです。


権利ばかり要求して、責任を全て医療者に押しつけようとするのはフェアーではありません。
医療知識を得るための情報提供は、医者は惜しまないはずです。
治療のメリットもデメリットも知った上で、どうするかを選択して頂きたい。

自分でその治療を受ける事を選んだ限り(治療を受けない選択もです)、それは自己責任であるという意識が足りません。

このまま医療への過大な要求が続くようなら、間違いなく萎縮医療への道をたどるでしょう。
この私も現にリスクのある治療は控えるようになりました。保険で認められる範囲の治療、訴訟にならない程度の
最小限の治療だけを勧めることにしました。高度先進医療などやめた方が無難なのです。実際、某医大が特定機能病院を取り下げたことで、
患者さんにとって難しい心臓手術を受けられる機会は減ったことでしょう。

                                                                       このページのトップへ戻る

NO.134【臨床工学士からの投稿】
透析病院に勤めてはや1年。患者さんは個人病院にすればすごく多い方です
透析患者はただお金儲けのためにいる存在になっています。
外来が忙しいからと透析室に顔を見せるのは週に1度あるかないかの医師もいます。
シャントから感染して腕が2倍にはれ、抗生物質だけで1カ月が経過。透析用の注射針がさせなくなって初めて転院になりました。
スタッフの忠告を聞かず、高血圧の治療を怠ったために脳梗塞になった人、見つけられなかったのはX線技師の責任になっています。
くも膜下出血になってなくなった方が最後に入院した大学病院は、これは医療ミスだ!と。
患者さん自身にこの病院にいてたら殺される!と直接言われてもただ謝っているだけです。
透析室長に全てを任せているとはいえただの看護師兼技士。技師長は検査技師とX線技師と工学技士を持っていますが、
エコーの結果を勝手に自分で診断を下して患者さんに報告をしています。
そこに医師の存在はない。過去に業者から裏金をもらっていてそれがばれたときに自分は責任がないと言い逃れをしました。
今も聞かないだけでもらっているかもしれません。上司とその取り巻きの医療ミスは、罪の無い私たちスタッフに押し付けています。
まだ死人は出ていないが、でたときは私たちの責任になりそうだ。誰もかばってくれないから
私たち罪の無いスタッフ同士で自分たちの身を守っているという状況です。

                                                                       このページのトップへ戻る

NO.135【医療事務からの投稿】
最近は医療過誤ばかり話題になっていますが、不正請求が横行している事にもっと目を向ける必要があると思います。
特に老人病院での入院はひどいです・・・。
例を挙げますので、心当たりの方は地区の保健所・市町村の介護保険課等へどんどん申し出て、悪徳医療機関はつぶしましょう。

ほんの一例ですが・・・。
療養型病床群と介護病棟では、レントゲン検査・血液検査等が保険に請求できないので、理由を付けて患者に実費請求していたり、
訪問看護の請求に緊急加算(通常、曜日等を取り決めた日以外に訪問したとき請求できるもの)が
毎月算定されて来たり(ケアマネもグルになっている)、通所リハ(デイケア)の時間内に診療行為を行い、医療保険にもダブルで請求を
してみたり、デイケアの時間外では認められています。家族も通院に連れていく手間が省けるので容認か?
請求書を見ておかしければ、申し出ましょう。
これは一例ですが、このようなこと(ルール違反を)平然としているところは、
他にも患者・保険者の知らない悪さを多くしている所と思います。

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NO.136【ドクターからの投稿】
国公立の大学病院にいて給料をもらっている医師は、助手以上の教官とわずかな人数の医員、それに研修医です。
マイナーな科ならともかく、内科、外科といった大きな科ではそれだけの人数では診療が成り立たず、
研究生、大学院生という立場の医師が「研修のために」という名目で無給で働いているのが現状です。
しかし、実際は博士論文の研究がメインですから、病院での診療は医局の都合で仕方なくやっているのが現状です。

土日は検査部の技師は休み(公務員)ですから検査が出来ない。しかし、患者は休みだろうとなんだろうと具合が悪くなります。
仕方がないので、医師が採血をして検査をする・・・。
レントゲン技師も休みですから、ポータブルのレントゲンを医師が撮影することもあります。
こういった医療を担当するのは、研修医か無給の医師です。(研修医は給料をもらっているけど、休日や時間外は無給です)
手術室で手術の器械を出す、この器械出しの看護婦は公務員ですから17時には帰りますし、昼には昼ご飯を食べられます。
では、昼休みや17時以降はどうするかというと、医師が代わりをやるのです。
こういった仕事は本来医師の仕事ではない!
しかし、公務員であるスタッフが休むために、無給の医師が代わりをやっているのです。変なことだと思いませんか?
平日は1円ももらえない病院で、医師以外の仕事までこなして、休日にはアルバイトで当直をしなくては生活出来ないので休みはほとんどなし!
大学病院で主力で下働きをしている医師の業務は、半ばボランティアなんです。しかも激務です。
これではいい医療ができるはずがないし、やる気も出ません。ミスが多いのも当然です。

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NO.137【ドクターからの投稿】
プロ意識がないと言われる方がおられましたが、自分の担当科でもない一見さんの患者さん(過去の診療データもない)に対して
本当に的確な診療が行えるとでも思っているのでしょうか?
我々はプロ意識があるからこそ背伸びをしないわけです、自分にできないことは専門医に任せたいわけです。何か間違っていますか?
それならば昼間と同じ体制で、全ての診療科の医師を夜間も常駐させて夜空いている病院を作れという意見が出るでしょう。
大変よい考えだと思います。
但しコンビニの深夜のバイトが昼間より時間給が高いようにそれなりの代金上乗せは覚悟してもらわなくてはいけませんが。
我々の仕事はボランティア的要素が強いですが、ボランティアを強制してはいけません。

                                                                       このページのトップへ戻る

NO.138【ドクターからの投稿】
外科医です。最近ここを見つけて読ませて頂きました。
医療関係以外の皆様が、ニュース、様々な雑誌を見て医療に不信感を持つ気持ちはよくわかります。
現在研修期間を終わり、大学に研究生として戻りました。給料はなく、月に14から16回の当直をさせられ、生計を立てています。
しかし、ハッキリ言って、僕は救急、もしくは、初期医療の研修を受けたことがありません。
なのに、小児科、ひどいときには産婦人科、眼科領域の患者さんを診さされます。
病院としては、薬価差益(薬を購入するときに生まれる利益)がなくなった今、救急は貴重な財源で、「救急を断るな」と言われております。
僕には自信がありません。いつ医療ミスをするかわからない状態だと思っております。

3日前から腰が痛い」「最近体が重く、なにか病気じゃないか」といった訴えのある方が深夜にいらっしゃることも多いのですが、
夜中に検査ができない、レントゲンが撮れない病院というのは意外と多く、まして知識に乏しい、疲れ果てている医者が診るのですから、
専門外の領域で正確な診断、治療をできるはずもありません。せめて「当直は何々科の医者ですがそれでもよろしいですか」と病院側が
言ってくれれば良いのですが、前述のように時間外診療のお金が欲しくて「とりあえず来てください」という病院が多いのです。

もっとも来てもらったところで、「今はわからないからまた昼間に来てください」と言うしかないのですが・・・。
問題点は、たくさんあると思います。
医者の教育の問題。(医者はいったんなってしまえば勉強しなくても医者のままというのはおかしい。
医療技術は数年単位で目覚しく発達しているのですから。)
医療経済の問題。(現在の仕組みでは、医療機関にかかり、いろいろな合併症が起こるほうが、病院側としては儲かる。)
他にも、総合診療の教育制度ができていない。学閥の力が強すぎる等といったことが挙げられると思います。
確かに、世の中には信じられないことをする医者もいますが「いい医療をしたい」と考えている医者にとっても
現在の医療情勢は厳しいものだと言うことを、医療関係以外の方にわかっていただきたく思います。

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NO.139【ドクターからの投稿】
私は産婦人科の研修医をしています。男性の助産士さん誕生については、医者の立場と第三者の立場で考えるととても楽しみです。
ただでさえ看護士さんのほとんどは女性で私も女性なのでたまには男性の看護士さんとも一緒に働いてみたいと思っています。
最大の問題は、男性の助産士さんを拒否する妊婦さんがいることですよね。
助産婦さんはお産やお産の後も、医師よりずっと長く妊婦・褥婦さんに接して乳房や女性性器のケアをするので
異性より同性を求めるのはわかります。私自身も女性の方がリラックスできるのでできれば女性を希望します。
もちろん男性でも女性でもいいという人もいるので、男性の助産士が活躍する場もあるはずです。
私が思うに、男性助産士を雇う施設があるかどうかがネックです。
お産はいつ始まるかわかりません。なので、男性助産士さんが勤務についたとき、入院した妊婦さんが男性を拒否した場合に備え、
女性の助産婦さんも勤務につけておかないといけません。夜勤もそうです。
そんな勤務が組めるような余裕のある病院は日本にも数件くらいしかないんじゃないかと思います。

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NO.140【ナースからの投稿】
ある病院に最近勤め始めました。最悪な内情に、びっくりしています。
注射器1本で数人の皮内テストをしていたり(針だけは交換していますが)、
処方箋や注射箋を看護婦が書いたり。いくら口頭指示やルチーンなものでも抗がん剤もあるんですよ!
私は、怖くて絶対かけません。
そのほか、看護婦が抗がん剤の抹消ラインをとって施行したり・・・。
これは、ドクターヘ移行してもらいました。その他必要のない検査をしたり、それを患者さんが遠慮深く必要性を聞いたり断ろうものなら、
すごい嫌味を言ったり、ガンじゃないのに、OPして抗がん剤治療したりしたこともあるらしいんです。
こんな病院、世の中のためにたたかれてくれ!と心の底から思います。

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NO.141【ドクターからの投稿】
大学医学部の使命は、患者の診療・医学研究・学生や研修医の教育という三本柱にあるとされています。

しかし、その活動の責任者である教授を選ぶ仕組みが、あまりに研究歴偏重であることは知られているのでしょうか?
理由は、教授候補者の論文数、それも海外の有名医学雑誌への掲載回数を比べることで、研究歴のみが定量的比較が可能だからです。
診療や教育についての具体的な指標はなかなか得られないのが実情です。
「インパクトファクター(IF)」という個々の医学雑誌の点数がアメリカの格付け会社により発表されていますが、教授を目指す医師たちは
よりIFの高い雑誌に自分の論文が載るように、日夜研究に励むのです。
IFの高い雑誌は比較的基礎的研究の色彩の濃い論文を多く載せているため、臨床経験をこつこつと積み上げた結果をまとめた論文よりも、
実験室で最新の分子生物学的研究をまとめたものの方が有利です。そのような論文(もちろん英文)を数多く作るためには、
時間をさいて個々の患者さんへ懇切丁寧な説明をしたり、学生ととことん討論するといった余裕はなくなり、
研究室で過ごす時間が突出してしまう訳です。

近年旧帝国大学や旧制医大などの有力な医大は大学院大学としての組織改編がなされつつあり、研究態勢の強化が図られています。
医学研究の国際競争力をアップするために是非とも必要な制度の改変と思われますが、研究一色の目的でそろえられた指導者の陣容が
これから医師国家試験を目指す医学部学生や医師になりたての研修医の教育をも担当することになにか不安を感じます。
文部省や厚生省あたりは大学での教育力不足を市中の一般総合病院の医師に肩代わりさせようとしているようですが、
今の医師数でまともな臨床教育が出来るとは思えません。
真に役に立つ臨床医の養成にはどのような制度が必要かをもっと社会的に論議する必要があると思います。

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NO.142【病院勤務の方からの投稿】
院長自らイジメをする病院って、どう思いますか?そのやり方には、目を見張るものがあります。
看護婦から患者まで、範囲は幅広いのです。最近では、事務課長がターゲットになりました。仕事が出来ないからと言って、
やらせた仕事は記録物の印刷です。事務室では罵声を浴びせ(患者のいる場所で)、他の職員がビビって何も言えない程・・・。
とうとう辞めてしまいました。その後、院長が事務長兼務と言う事になりました。トホホ・・・
その他、イジメ倒して辞めさせた職員は数知れず。分単位の業務シフトまで提出させられた人もいました。
現在、誰も信用できなくなった院長は、ドアの外で職員の話に聞き耳を立てる始末。もう病的です。
全ての会議に顔を出し、自分の意見の入っていない議案にはイチャモン付け、自分の言った事も覚えていなくて「そんな事言った覚えはない!」
1回OKを出した事でも、その時の気分でダメ出しするので振り回されっぱなしです。患者に対しても、泣くまで責めたおします。
誰かが止めようものなら、鬼のような形相で「その根拠はなんだ」と責めまくるのです。
確かに、医者としての腕は認めます。ホントに勉強してると思うし・・・。
しかし、指導者としては・・・。気に入らないバイトの医者に対しては、物凄いものがあります。
こんな小さな病院では、絶対的な院長には逆らえないのです。こんな病院、どう思いますか?

                                                                       このページのトップへ戻る

NO.143【薬剤師からの投稿】
私は以前は病院、現在は調剤薬局で働いている者です。
私が勤めている薬局では、1日300枚近くの処方箋を受け付けていますが、その中にはいわゆる「疑義照会」をしなければならない処方箋が
大体10〜20枚はあります。その中には時々とんでもない処方箋もあります。
用量が異常に多かったり、(小児科に多い)他に飲んでいる薬との飲み合わせが悪いなどというのも多いのですが、
患者が医師から聞いていたのとまったく違う内容の処方がされている場合が結構多いのです。処方箋をパソコン入力している故の
間違いだと思われるのですが、風邪ひいてないのに風邪薬が出ていたり(前処方をそのまま複写したため)
セルベックスとセフゾンを間違えるといった薬剤名を選択する際のミス、その他、これは特殊な例だと思うのですが、
医師が薬の効能を間違って覚えていた為に、低血圧ぎみでふらついている患者さんに降圧剤が処方された例もありました。
これらに関しては、投薬時に患者さんから病状について話をしたので間違いに気づきましたが、何も聞いていなかったら・・・。
こういったミスは、院内の薬局であればチェックできるというものでもありません。
以前私も病院で働いていたのでわかるのですが、院内の薬局でも患者さんの病名まで確認して調剤しているとは限りません。
薬局薬剤師なんて、薬を袋に詰めてるだけ、といった意見があるようですが、医療ミスを防ぐ為に少しは役に立っているということを
理解していただければと思って投函しました。

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NO.144【ドクターからの投稿】
最近は極めて希薄な蓋然性の元に、医療裁判を提訴する人たちが増えています。
被害者と称する団体やマスコミの煽りもあると思います。
これをお読みの医療関係者の中で、裁判沙汰に巻き込まれた方々は、勝たれた後で、どうか反訴して欲しいのです。
そうでないと均衡が取れず野放しになってしまいます。
患者さんは弱者なのだから・・・と言うのは、訴状を送りつけられる前までの話です。

敵意剥き出しで、非人間的で侮蔑的主張を送り付け続ける人たちに「鉄槌をくらわす」のは当然です。
ああいう人々を野放しにしていたのでは、医療の現実の中にさまざまな注意義務違反を突きつけられて
身動きが取れなくなってしまいます。

あの人たちは我々の超人的な努力と誠意、医療が不確実性のある分野であることを、敢えて理解しようとしません。


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NO.145【ドクターからの投稿】
私はある地方で医師をしています。中絶について憤りを感じています。基本的に中絶は妊娠21週までと決まっているはずなのですが、
これ以降の中絶が当たり前のように行われているのです。また、この中絶は無理に行う方法のため、後遺症に悩む女性も受診します。
何のための法律・規則なんでしょうか?代理母の問題よりも重大だと思うのですが、このことは黙認され改善されようとはしていません。
実際☆☆病院でも、この行為が正当化され問題にはされていませんでした。
このブラックな部分が見逃されていること自体が、今の保守的な医療現場の実際ではないかと思うのですが・・・。

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NO.146【ナースからの投稿】
私の働いている病院は単科の病院ですが、内科と外科の医者は仲が悪く治療にも響いています。
ICUで内科の患者がいて、当直しているのが外科のDrの場合、もちろん外科のDrに指示をもらいますが、
そうすると内科のDrに翌日おこられてしまいます。これでは当直の意味がありません。

その他、看護部と呼ばれる方々について、開院してから2年もたっているのに手術室の場所が解らない急性期の責任者の
某看護副部長。点滴のソフトボトルの流量の印をみて「なんか印が均等にふられていないわ、おかしい」といまだに言っています。
ICUで呼吸器を使用するとき、設定まで看護婦にきいてやろうとする医者だっています。
「わかりません」と言うと「ちゃんと勉強してよ、この患者は終わったな」と言われました。
勉強するのはあなた!今ごろ教科書見てるんじゃないよ!

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NO.147【ナースからの投稿】
私は、中材とOpe室勤務をしております。病院は100床ほどですが、ものすごい赤字です。
そのせいか、滅菌物のホギー袋は1度使ったものでも、再使用できるようにきれいに切ってオートテープを貼って何度か再使用します。
院内感染が巷で問題視されている時代、こんな事は止めなければ・・・と感じつつ、ついつい何10年ものしきたりに待ったをかける勇気もなく、
ズルズルと今に至っています。でも、最近就任したDrがこれにクレームをつけたので、病院ではコストの事でもめています。
他の病院でまだこんな事してる病院があるのかしら?と疑問を皆さんにぶつけたいのですが・・・。どうでしょうか?

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NO.148【ドクターからの投稿】
あっちこっち病院を転々する人達には皆で本気で怒らなければなりません。
なぜなら、その診療費の70%は国民の保険料から支払われているのですからね。
セカンドオピニオンからは80%自費負担とするべきです。
医療費高騰の原因はこういう輩にもあるのではないかと思うのです。

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NO.149【ドクターからの投稿】
「研修医制度は30年以上前から同じように続いている。わが国で研修医が労働者として認識されているのか疑問だ。
労基法違反とされるのは、腑に落ちない」

新卒の研修医に月6万円の”奨学金”だけで週114時間(週、ですよ!)も働かせて心筋梗塞で死なせた某医大の某総務部長が、
労基署から書類送検されて漏らしたコメントです。
労働者じゃないから当然労働時間そのものすら記録していなかったことを労働基準法違反に問われての送検だそうです。
アメリカの救急医療の現場をあつかったERというテレビドラマが人気ですが、ERの医者は3交代制で時間がくれば上がります。
日本の救急医療では、若い研修医がただひたすら何10時間も何日もぶっ続けで、ぶっ倒れるまで働かされています。
それでも厚生労働省の試算では(どういうわけか)日本の医者はもう足りているんだそうです。

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NO.150【ドクターからの投稿】
製薬会社がメディアに広告できないように規制すると、ずいぶん違ったものになると思います。
日本の薬価が対外的にかなり高いことを報道したメディアを見たことがありませんもの!

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NO.151【インフォームドコンセント・日本人の大きな勘違い】
最近、日本ではアメリカ型の医療訴訟の実態を真似ているのか、人権派弁護士を自認する人々が医療110番を設置したり、
様々な広報活動を通して医療ミスとして賠償の取れるようなケースを探して訴える活動をしています。
患者やその関係者にも簡単に分かるような事故やミスは、一般には病院側も認め密かに賠償を支払って示談にしていくので、
あまり表に出る事は少ないでしょう。
裁判になったり、報道されるようなケースの多くは、病院側がミスを認めなかったり隠蔽しようとして失敗したケースが主になるでしょう。

命を救うという前提で行われる医療では、医療抜きでは死という結末を誰しもが予測しえて、その中で行われることです。
一時的にでも死を免れ、延命できればという医療の目標があり、時にはその処置、医療自体がかえって自然経過で死を迎えるよりも
危険を伴う性質のものも沢山存在します。
分かりやすい例では、内臓破裂などの体内の出血では、放置しておけば確実に死亡しますが、
手術で開腹して治療を試みると「うまく行けば」止血に成功して一時的に命を救うことが出来ます。
しかし手術の結果止血が不可能などの状態ではかえって手術をすることにより命を縮めてしまう事もあります。
また未熟児医療の分野で見られるように、放置しておけば助からない命も人工的操作で助けることは出きる場合でも
後遺症を残さずには成功が難しいものもあります。
癌の治療などでも、放置しておけばある時期確実に死に向かったり、あるいは経過的に痛みなどの為の多大な苦痛が予想されて、
それを取り除くための医療が行われますが、治療自体が命を縮めたりすることが不可避なものも稀ではありません。

医師の数が少なく単純な医療構造の中では、確実に死に至る経過を変えうるのはその医師だけに限られますし、
医師の実力の範囲で最善の策が施されていれば、誰しも諦めざるを得ずミスなどと言う概念は起こってこないものでしょう。
例え医師の能力が低くても、それ以外を利用できなければどうしようもない訳ですから患者も諦めざるを得ません。
日本の医療は、このような個人医師が助けられる範囲内で助けていれば患者は納得するという社会的土壌で
医師の権威や絶対信頼性という中で組み立てられてきたように思います。
また、医療には金がかかりますが、経済的な裏付けのない患者は金のかかる医療が受けられないという環境では、
患者は経済的な面で納得して医療を受けずに諦めていかなければならない状況も起こり、
金銭を度外視して患者の治療に当たる医師は、その内容がいかに不充分なものでも感謝して患者から受け入れらていたという面もあります。

患者が医師を選んだり、治療を選択できないという状況のままに日本の医療は育ってきて、
それが医師と患者の暗黙の信頼性の元になっていたと思います。
無医地区あるいは医療過疎地では、今でもこのような医療信頼の原点は残っていると思います。
日本の個人開業医の規模の診療所は、このような医療過疎地区では、絶対的な信頼関係と、
患者の医師に対する意識を維持できていると思います。
そして、日本の1医療機関で診療を完結させるタイプの閉鎖病院システムは、
このような患者の医療に対する希望やその目標によって選定されますが、内容は1医師がそのシステム内の施設の範囲で
患者の要求を満たせば良いという思想原点に立っている為に、患者の医療選択の余地のない医療が施されてきているのでしょう。

近代医学発展の原動力になり世界をリードしてきたアメリカ型の医療では、医学医療が高度化して一般医の能力を超えてきた時点で、
一般医の上にさらに一般医にも患者にも明示された制度で特殊治療やより高度な診療を行う高度な資格を持つ専門医が設定されました。
日本とは基本的に違うオープン型病院というシステムの中で、これらの専門医が一般医の紹介や補佐的な立場で、
その専門医の仕事を完結できる規模の病院内やあるいはその付近に開業するという形で配置されて
機能的な一般医ー専門医関係が出来上がっていきました。
オープン病院システムでは、患者の直接診察治療にあたる医師は一般医も専門医もすべて病院からは経済的に独立しており、
日本のいわば個人開業医にあたる医師たちです。
この中では、専門医は一般医からの紹介という医師によって選択される立場であり、専門的技量に見合う患者の数などによって、
その経済的な競争原理でより専門的な患者が集められたり、見合わない場合はより低くても一般医に近い技術範囲に広げたりして
自然に適正数が病院近辺に配置されるような仕組みが出来あがります。
このようなメカニズムで専門医の実質の専門技術性が自然に高められ信頼性を獲得していきます。

アメリカ型の医療の発達段階では、日本に見られるような健康保険や様々な保険システムはありませんでした。
患者が病気や怪我をしたときには、すべて多額の医療費を支払わなければなりません。
経済的な余裕のない人々は原則的に医療を受けられないシステムなのです。
古い日本の医療構造にもあったのでしょうが、お金がなくて医者にかかれないという状況が今でも存続しています。
そして政府行政などの医療援助は、貧困者に最低限の医療を保証するという基本的概念があります。
このような医療環境の中では、患者が自分の経済的な状況その他で医師や医療内容を買わなければならないという
患者側の思考決定が絶対的に必要になります。


一般医もその治療提示の際に、どの程度の治療が可能で、専門医もどの程度の援助を頼み、
さらに1つ1つの治療の効果予測や副作用の危険性、さらには経費も含めた相談の上に患者の意思決定を促さなければなりません。
また、経済的な理由で医療を受けられない人々も、与えられる最低限の治療でも仕方なく受け入れる土壌があります。
これは医師や病院の責任ではなく政府行政の役割で、医師の経済活動にはあまり影響を与えません。

オープンシステム型の病院関連の専門開業医は、自分の専門技術に値段をつけて患者やその主治医たる一般医に売り込むわけで、
同じ領域でも技術ー値段で様々な提示をしながら競い合っているわけですから、治療の選択もかなり広い範囲から決定しなければなりません。
また、専門医も技術を提示する上でその予測結果と危険性、不首尾に終わった場合の免責などを患者に提示しなければなりません。
それにより患者が決定選択して診療契約を結ぶ形が出来上がります。
患者が様々な医療のコストパフォーマンスを考え、提示された多彩な医療商品の中から選択しなければならないし
選択の自由度が高いシステムの中での商品にあたる医療の説明と契約。
これがアメリカ型の医療におけるインフォームドコンセントの内容なのです。
患者の「医療の自由選択」の上で、患者の同意契約として位置付けられるこの内容には、
患者が厳密に医師の治療方針に従う義務も含められていますし、医師の診療の中で予期せぬ結果になった場合の
医師の責任範囲が明確化されていて、いわゆるアメリカ型医療訴訟の原点になっているものです。


アメリカ型の医療訴訟の形式が日本に入り出して、医師側は日本にもインフォームドコンセントの
方法論を「説明と同意」等と翻訳して取り入れようとしてきました。
しかし、日本ではインフォームドコンセントと言っても、主に一方的に医師側が免責事項を記載して患者に署名させたり、
患者に形式上の説明をした事を残して単純に医療訴訟に対する防衛という意味しか無いような運用がされているようです。
そして、さらにこのようなインフォームド コンセントをしたという書類の効力は裁判によっても軽視され、
証拠免責にはならないという判断が下されている事も稀ではありません。

アメリカ型の医療におけるインフォームドコンセントは、同じ建物に開業する同種の科の複数の開業医の中から
患者が医師を選び十分な説明を聞いて、医師の治療提言と患者の納得がいかない場合は次の医師にかかり、
ダブルオピニオンといって夫々の医師の意見を比較できる環境で、
患者が納得して患者主導で医師に任せること決定するという過程で必然的に発達してきた手法です。

しかし、日本の場合は閉鎖病院システムで、ほとんどの場合病院の目的科に複数の医師がいたとしても
患者に医師選択の自由はありません。また、検査記録を含むカルテは同一のものを使用して
複数の医師がある程度統一された方針で診療を進めるのが普通で、医師個人の独自性による
インフォームが出来にくい面もあります。
さらに日本は健康保険による診療制限の為に、ある程度画一的なインフォームしか出来ないという問題もあります。
結局は、患者が同意するという積極的決定権は無いまま一方的な診療条件に同意するしかなく、実質的に選択拒否、
あるいはベターな診療の選択という選択肢もないままに免責事項だけに同意させられるという状況が起こっているのです。

また、アメリカ型のインフォームドコンセントでは一度同意して診療が開始されると、
患者にもインフォームドコンセントの内容に従った患者の義務も生じています。
すなわち、医師の提案に完全に患者が従わずに患者自身が不利益を蒙った場合は、
医師が免責になるという厳しい患者の指示への服従義務も課せられるのです。

このようにインフォームドコンセントとは言っても、内容やその位置付けや作用は
アメリカ型の医療と日本の医療では全く異なる様相を呈してくるのが当たり前なのです。

日本での医療ミスや医療事故の認定の元になっているアメリカ型の医療訴訟事例のような掘り起こしは
アメリカ型の医療システム下のように容易ではありません。
アメリカ型のオープン病院システムでは、医師はすべて病院から独立した経営体ですし、
病院はそのサービスを医師と患者に提供する立場にあり責任範囲が明確になっています。
検査ミス、入院中の事故その他は患者と共に医師に対しての賠償をする立場として、利用医師対病院という構図もあります。
患者側はインフォームド コンセントに反する不利益には医師に賠償を求めますが、
それが病院側のミスに関連してくる場合は医師は病院側の責任部分を追求するという場面もうまれます。
それにより患者側からの立証が比較的容易になっています。

しかし、日本の閉鎖病院システムでは、医師が病院内で起こるすべての監督をし、責任を持つべき立場として規定されているので
訴えも一般に医師を含めた病院総体に対して起こされるのが普通です。
このような中では、医師も病院システムも全体として組織防衛的に反応しますから、立証は容易ではありません。
多くのミスは隠蔽される方向に進まざるを得ないでしょう。
アメリカ型の医療システムのように責任範囲の対立構造が決して生まれてこないのです。


また、日本の国民皆保険制下におけるほぼ画一的な制限診療下では、
インフォームドコンセントとは言っても、医師の提案できる診療もあまりバリエーションも無く、
そのような診療に対して起こされる訴訟に対しては、医師全体の医療に対して起こされる問題であることも多くなります。
ほとんどの医師が同じような医療をしていかなければならない為、このような訴訟自体がすべての医師に同一問題を投げかけることになり、
それを患者側に立って立証に協力すれば我クビを締めるのと同じ状況になることも多いのです。
このようにして日本の医療界には緊張感が欠如し、様々なミスや事故を内在させながら育っていると考えられます。

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NO152【ドクターからの投稿】
ある個人医院でのお話。そこは院長1人で、養老院を2ヶ所経営しております。
看護師が1人いますが、その人の話では・・・。
ガラスの注射器で針も消毒再生して使用とのことです。
このご時世にというか、今どき注射器と注射針を再利用しているとは見上げた経営努力だと思いますが、
そういう診療所はどんどん患者が減っているのでしょう。
患者の体よりも自分の金が大事な先生のようですから、そんな所にいくと何をされるかわかったものじゃありません。
もうひとつ、良い医者、悪い医者を見分ける方法を。

この10月(2002年10月)に保険制度が変更になりました。
一部の診療所で行なっていた「定額制」がなくなりました。
「定額制」とは、診察、血液尿検査、心電図、超音波、院内処方は、やってもやらなくても
一定の金額を保険組合が支払うというめちゃくちゃな制度です(=なくなって当然)。
この制度では、血液、尿、心電図、超音波検査は検査すればするだけ医院の取り分が減るので、
ひたすら検査を減らしていた医院があります。

この10月からは、出来高制に戻りましたから、血液、尿検査は、やればやるだけ医院の収入は増えます。
つまり病状も安定していて、何も変ったことがないのに、
この10月から急に検査が増えた医者は「医学」より「金」を大事にしている医者ということになります。みなさんご注意を!!





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