ナースのおばちゃん的患者生活〜平成12年・予定外の感染編〜

      ☆入院当日(10/24)〜10/28までの“病気だった5日間”
      ☆ちょっと元気になって「治った!」を連発した1週間(10/29〜11/4)
      ☆採血の結果が良かった3週目(11/5〜11/11)
     ☆血液データーや微熱との戦いが始まった4週目(11/12〜11/18)
     
左膝に新たな処置が加わった5週目(11/19〜11/25)
     ☆リハビリが始まった6週目(11/26〜12/2)
     ☆ラストスパート(?)の7週目(12/3〜退院まで)
     ☆帰宅して思うこと


:                 今回入院中の血液データー

   WBC    CRP 抗生剤の種類等について
   10/23(月)    7000 (5+)10.0 入院前日、外来にて点滴前に採血
この日はパンスポリン1g
   10/26(木)    3500 (3+) 6.1 ファーストシン2g×2
   10/30(月)    5600 (1+)0.51 ファーストシン1g×2
   11/ 6(月)    4700 (−) 0.07 カルベニン0.5g×2
抗生剤の点滴、及び内服のソランタール共に
11/7迄で一端中止とする。
   11/13(月)    4700 (−) 0.06 なしだったが、微熱が続く為、14日より再開となる。
   11/20(月)    4700 (±) 0.09 カルベニン0.5g×2、21日よりビクリンに変更
   11/27(月)    4800 (±) 0.11 ビクリン200mg×2をあと1週間続行
   12/ 4(月)    6000 (±) 0.11 ビクリン200mg×2だったが、12/5より投与方法と
種類を変更して内服薬(フロモックス)になる。
   12/ 8(金)    5200 (±) 0.12 フロモックス内服中。退院前の最終確認。

WBCは血液中の白血球数のことで、CRPは炎症反応を示す数値の1つです。詳しくは「Q&A」をご覧下さい。
抗生剤を投与しなかったのは「11/8〜11/13迄の期間のみ」です。
一般の人には分かりにくいかと思いますが、お気づきの点がありましたらご指摘をお願いします。


左足の太さ測定値の比較       

平成12年6月30日

  右    左
膝上5cm 40.0cm 39.0cm
膝上10cm 46.0cm 43.0cm


平成12年11月27日

  右   左
膝上5cm 41.5cm 41.5cm
膝上10cm 44.5cm 45.0cm





人生、何が起こるか分からない、一寸先は闇…とでも申しましょうか。さあ、これから“予定外の感染編”が始まります。




10/9に退院後、初外来を目前にしていた“ある日”から物語は始まっていた。
10/20(金)位から左膝の“曲がりにくさ”を自覚していたが「自主トレ不足なのだろうか」という程度に
考えており、このような羽目に陥ろうとは(その時点では)思っていなかった。
21日(土)は昼間から痛くて曲がりにくかったのだけど、
夜に予定されていた大切な友達との食事会のことが頭にあったので、そちらの方に気を取られていた。
その日(21日)は外出前から歩行不全状態(ビッコを引いていた)だったが、
左足を引きずりながらも外出して深夜(22日午前1時過ぎ)に帰宅した時点で痛みは極致に達しており、
左膝がソフトボール大に腫脹していることに気付いた。
この腫れている左膝を発見した時、さすがの私も背筋が凍る思いがした。
2年前の悪夢を思い出し「この先、どうなるか分かる」という意味での事だと自分では思っていたが、
実は「発熱前の悪寒」だったらしい。本当に寒気がしたのだ。
この日は終日臥床傾向であり、痛みも発熱も坐薬使用時のみ軽快しているという有様だった。

担当医の診察日は火・水・金なのは分かっていたが我慢しきれず10/23(月)に、
整形外科の部長氏の診察を受けることになった。
@左膝関節内から混濁した関節液が大量に抜き取られ、培養に提出
A採血 WBC7000代、CRP(5+)で10.0
B抗生剤(パンスポリン1g)点滴
――→以上3点を施行し、入院を勧められるが「翌日(24日)に担当医と相談する」として帰宅した。
    松葉杖を持たされた。

ちなみに溜まっている関節液を抜き取る時は「左膝の外側に太〜いピンク色の針を刺して行う」し、
関節内洗浄という処置はその針を抜かずに注射器だけを数回取り替えて、
生理食塩水を出し入れする事なのである。
従って、注射器を交換する際に針と注射器のつなぎ目の部分が動くと
針の先も動いてとても痛いんであ〜る!
私は数日後にこの一連の処置をを“ピンク針攻撃”と呼ぶことになっていた。

こうしてこの「予定外の感染編」の火ぶたは切って落とされたのである。

                                   


【10/24〜10/28】
10/24(火)
担当医の外来受診。
前夜から「明日は入院かもしれない」という感じがしていたので、荷物を準備するとともにKママにTELをして「たぶん入院になると思うから、もしそうなったら荷物は準備したので運んでもらえないだろうか?」と依頼していたのだが、この日は何と親切にも外来待合室まで来てくれたのだ。やはり友達はお金では買えない大切なものなのである。

診察の待ち時間に自然に次のような事が灰色の脳細胞に浮かんできた。
――→過去3回のOPはどれも「これで終わりだろう。これより(運気が)下がる事はもうないだろう」 と
思って
きたが、その結末がこれ である。そろそろ発想の転換をして「次は何があるか分からない」 と考えるようにした方が良いのだろう。
これを待ち時間の間にKママに言ってみたら「そうだよね。人生、その位の方がいいかもね」とうなずいていた。

外来にて混濁した関節液を50mlほど抜くと同時に、生食100ml(生理食塩水のこと)にて洗浄。痛い!!
その後、以下の治療方針を説明され、自分でも納得して入院することにした。
1.入院後1週間程度は、1日2回抗生剤の点滴をする。
2.関節液を抜くのと関節内洗浄は腫れ具合(溜まり具合)を診ながら決める。
3.以上の処置で自覚症状、診察所見、血液DATAの3つとも改善してくれば良いが、
  改善されなければ最終的には関節鏡を入れての洗浄(滑膜切除術)ということになる。

ここで一端、荷物を取りに帰宅するつもりにしていたのだが、Kママが同行してくれていたので甘えが出てしまった。部屋の鍵を渡し、前夜から準備しておいた荷物を取りにかえってもらうことにした。本当に感謝しなくてはならない。

入院後、抗生剤点滴2回(ファーストシン2g×2)施行。
14時に体温が38.1℃となり左膝の痛みも強く、担当医の指示でボルタレン坐薬25mg(解熱鎮痛剤)使用。それからは数日間の不眠がたたっていたのか、準夜では食事・検温・21時の2回目の点滴以外の時間はズ〜〜〜ッと寝ていた。


10/25(水)
AM1:00とPM3:45(洗浄後)に各々ソセゴン15mg(劇薬に指定されている鎮痛剤)ずつ筋注(筋肉内注射の略)。
トイレ以外は1日中横になって過ごす。口数は少なく食欲もなし。痛みは強い。


10/26(木)
朝の検温時に採血施行→WBC3500,CRP(3+)で6.1
昼近くにKママが来てくれたので、勤務先に提出する診断書をコピーして原本を投函してもらう。本日よりプンク・洗浄前にソセゴン15mgの筋注をしてもらい、少しでも除痛がはかれるようにしたのだが、やはり痛いものは痛いんである。なぜか洗浄後より頭痛がしてき始めていた。


10/27(金)
夜中の0:55、頭痛にてセデスG1包服用。血圧140/80。効果ありて頭痛は軽快した。
10:30抗生剤点滴。本日よりファーストシン1g×2回へ減量するらしい。
夕方、洗浄するがもちろん30分前にソセゴンの筋注をしてもらう。しかし痛い!
ナースの間では“ぐったりして布団をかぶって寝ているらしい”と言われているとのこと。


10/28(土)
午前中に洗浄。もちろん30分前にソセゴンの筋注をしてもらうが…。痛い、痛い!!
夕食時にAちゃんが来てくれて話をした為か、少しは元気になったようだ。
前日あたりからテレビを見ようと言う気になってきた。
タイミング的にはちょうど良かったのだけど、ジャイアンツが日本一になった。

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【10/29〜11/4】
10/29(日)
それまでの5日間、夜間の巡視(23時、午前1時と3時)は3回ともパッチリ目が開いていたが、
「今日は分からなかった」と朝の検温に来たナースに報告した。ちょっとだけど気分が良い。
洗浄がないので「痛いことをされない」という精神的なものなのか、
あるいは回復の傾向なのか…という感じである。
AM9:00過ぎ、前日から「朝の点滴前に…」と考えていたシャンプーをする為に2階まで降りた。
トイレ以外の所へ行くのは入院後初めてのことである。
シャンプー台の所へ行くと“卒後5.6年目と思われる20代後半でスリム&beautifulなナース”に声をかけられた。「オッハ〜!元気が出てきましたね」って。喜ばしいことだと思っている。

その後、点滴を刺しにやってきた“今回も私担当になってしまった卒後2年目のナース”と、
抜きにきた“卒後5.6年目と思われる20代後半でスリム&beautifulなナース”に次のようなことを話した。
  ◎最悪のこと(人工膝関節)を考えて入院してきたので、
   OP(滑膜切除術)と言われてもそれは最悪よりも手前なので、急に言われてもダメージは少ない。
   仮に人工関節だとてしも、あらかじめ自分の頭の中にはあるので「えっ!」と驚くよりも
   「やっぱりね」という程度ですむだろう。OPの準備は出来ているのだが、
   やるのなら次の生理が来る前が良い。
  ◎私が名乗ってまで投書をしたり文句を言ったりするのは、医療に関する知識や技術に関するものでな        
   く、ほとんどが人間性にするものである。分かるでしょう?
   これが知識や技術に関する不信感なら(どんなに人間が良いドクターやナースでも)とっくに受診する
   病院を変えている。
   ―→“卒後5.6年目と思われる20代後半でスリム&beautifulなナース”は「そうですね」と一応は
   同意する姿勢を示していた。
  ◎1年以上休んでいても仕事がなくなる訳でもないし、こうして差額BED代を払ってでも
   “治療に専念できる環境を自分で作れる”のだから、それはそれで「不幸中の幸い」と思うことにしてい
   る。これが普通の会社とかなら去年のうちにクビになっているだろうし、改めて「手に職をつけておいて良
   かった」とも思っている。そうでも考えなければやってられないのである。
   ―→前述のナースは同感したのか「そうですよね」と言いつつ、4回目のOPに向かって覚悟は出来てい
   ると分かると「頑張りまょう。また(病室に)来ます」と言って去っていった。

今日、こんなに多弁なのはやはりピンク針攻撃がないからだろう。痛いことは嫌なんである。昨日、今日と3回ほど「約1時間ずつICINGシステムを外してみた」のだが、3回とも1時間後には左膝がHOTになっていた。やはり効いているのだろう。昼食は全量摂取。片松葉でも自分で下膳した。昼間にメールを送ったら夕方になってMちゃんが来てくれた。マシンガントークをした。
「今年はおとなしくしておきぃや」と言われた。


10/30(月)
朝、採血→WBC5600,CRP(1+)で0.51→改善傾向!
夜中の巡視は1時も3時も知らない。良く眠れたのだろう。
午前中、抗生剤の点滴終了後に11/1から投薬予定のカルベニンの皮内テスト施行。結果良好。
午後の検温後“卒後5.6年目と思われる20代後半のスリム&beautifulなナース”に
「今日もシャンプー行けるんじゃない?」と促されるまま、2階に降りた。
シャンプーだけでなく、両足(膝から下の部分)も洗った。
これだけのことなのだが、とても気分が良いものである。
途中で“卒後4.5年目と思われるbeautifulというよりはprettyなナース”と少しだけトークした。
やはり口数が少なく食欲もなかった先週は“病気”だったんだ!


10/31(火)
朝の検温は“とても元気な卒後1年目のprettyナース2”だった。
この部屋に入ると同時に「おっはぁ〜!」と言っていた。私も同じように挨拶をした。
巡視は午前1時も3時も顔の近くまで見に来たが寝ていた…とのこと。覚醒は良好。

外来に診察に行く前なのか、午前9時前に回診があった。
担当医から以下のような説明があった。
◎先週、整形の部長氏の診察の際に提出した関節液の培養の結果は明日になる。
◎抗生剤は種類を変更してあと1週間投与する。
◎今日は穿刺も洗浄もなし→日・月と2日間施行しなくても溜まる気配がない!?

日勤の担当は“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”だった。
朝から快調に毒舌パワー全開だと思っていたら、点滴漏れがあった…。ま、仕方がないか!
1週間以上も入浴していない為か、ボリボリと身体をひっかいていたら、清拭タオルを配る時にいつものようなタオルだけでなく、それを熱湯に浸して沐浴剤まで入れてきてくれたのだ。最初はそれをしぼって拭いていたが、ついに石鹸まで出してきた。とても気持ちが良かった。誰もこんな事はしてくれたことがない。
昼前になったが、入院して初めてパソコンを出してキーボードに向かっている自分がいた。
夕方16時過ぎに担当医がやってきて診察。「洗浄せずにもう少し様子をみましょう」とのこと。


11/1(水)
朝の検温は“卒後5.6年目と思われる20代後半でスリム&beautifulなナース”だった。
朝の挨拶はこのところ恒例化している「おっはー!」というものだった。私も一緒におっはー!
よく寝ていたらしく、巡視は2回とも知らなかった。VERY GOOD!
日勤の担当は“卒後4.5年目と思われるパソコンに興味を持っているナース”だ。
いつも能面のような無表情だが「やる事はやる」という職人タイプという印象である。
午前中の点滴が終わってからパソコンを出してキーボードに向かった。

午後3時に担当医がやって来て先週の(関節液の)培養の結果を伝票とともに見せてくれた。
マイナス(陰性)であり、これは採取した関節液の中に細菌がいなかったか、
検出されなかったという解釈になる。
担当医は「関節液自体に反応はないが、血液であれだけ出ていたのだから何かしらの
感染はしていたのだろう」というコメントを発表した。
う〜ん、2年前ここの病院に駆け込む前の半年間の経過と全く同じだ。
血液のみに炎症反応が出ており、関節液からは何も出てないし、
抗生剤の投与によって一時的に症状は軽快する…という1クールを何回繰り返したことか。
その結果がH10.11.11に行われた第1回目の手術(滑膜切除術)だった。


11/2(木)
朝は比較的目覚めが良かったようだ。検温は“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”だった。
ここの所、夜間の巡視は1時も3時も知らずに良く眠れている。
先週の土曜日(10/28)で穿刺・洗浄は終了したが、今のところは腫れも痛みもあまり…というか殆どなく、
水も溜まってきてないとのこと。担当医は「6日の採血で抗生剤の点滴を継続するかどうか決めましょう」と言っていた。

夕飯の後の時間くらいにAちゃんが来てくれた。
寒くて雨が降っているし、昼ご飯を食べないで働いていたという。
それなのに有り難いことである。郵便物と本と着替えを取ってきてくれた。
お腹がすいて死にそう…とのことで間もなく帰っていった。
検診会社も、翌週のスケジュールが木曜日にならないと出ないらしいので、
最近は主にメールでやりとりしていたのだが、時代の産物なのかとても便利なものであると感じている。
普通は病院内は電波を発するものは使用禁止なのだが、
この病室はベランダがあるのでベランダに出ればそこは屋外になる。
従ってメール端末に携帯電話を接続して使用することは可能なのだ。
せっかくこの時代に生きているのだから、使える物は使わないとね。

準夜で“卒後5.6年目と思われる、スリム&beautifulなナース”と話をする時間があった。
3月に右手を怪我して手術をし、6月くらいまでこの整形病棟で勤務していたナースの事が話題にあがった。
右手だけなので身体は元気なのに、仕事にならないというので退職したらしい。
心中察するに余る…という感じがした。
そう言えば、私の入院前日に正面玄関の電話付近で見かけたような気もするが、
あの時は自分が必死だったので、その子かどうか確認する余裕なんて無かったのである。
毎日リハビリには通っているらしいのだが、今は随分良くなってきて次の職場を探していると聞いた。
たまたま読んでいた本が「とらばーゆ」という求人誌の中の記事だったのだが、
表紙に“新しいことにチャレンジするのに年齢は関係ない!”というキャッチフレーズが書いてあった。
はさみを持ってないのでその部分を手で破り、23時の巡視を待って“卒後5.6年目と思われるスリム&beautifulなナース”に、その子に渡すように依頼した。何かの足しになれば良いかな。


11/3(金)
夜間の巡視は1時も3時も知らないで眠っていたが、4時過ぎに覚醒した時点では左膝が痛かった。
しかし検温の時間には何ともなくなっていた。
朝の検温は“卒後4.5年目でパソコンに興味を持っていると思われるナース”だった。
毎度のように「おっはぁ〜!」と挨拶をし、半ば儀礼的になっている感のある排泄回数を報告したり、
左膝の裏面を冷やしている氷枕を交換してもらった。ここ1週間くらいは良く眠れており、
巡視は知らない事が多くなっている。

日勤の担当は“今年の春から整形病棟に勤務交代したという割と年輩のナース”だった。
午前中の点滴を刺しにきた時、暇そうだったので(?)少し話をした。
最初は「少し…」というつもりだったのだが、気付いたら100mlの点滴が終わるまで話をしてしまった。
私の話の要点は「今、みんなに“治った”と言っているのは薬や処置の効果で一時的に症状が軽快しているだけのことだと思う。2年前に同様のパターン(腫れたら針を刺して溜まっている関節液を抜き、抗生剤を点滴または内服で投与しているうちに数週間で軽快するという1つのサイクル)で、何回も何回も繰り返してきた事を考えると今回も繰り返すのではないか…という先入観に似たものが頭をよぎってしまう。担当医は症状が軽快すれば良いとは言っているが、2年前のことを知らないのではないかと思う。最終的にどうするかを判断するのは時期的に早いかもしれないが、結局は2つに1つだと考えている。このまま帰宅して経過をみる事になるか、あるいは入院時に説明を受けたように関節鏡を使って洗浄(滑膜切除術という手術)する…という選択肢が用意されているのは自分でも分かる。2年前のOPの時に前の担当医から“滑膜切除をやったからと言って溜まる可能性がゼロになる訳ではない”という説明を受けているので、それには納得している。近い将来か遠い未来かは不明だが、次に溜まるまでの期間を極力長くしたいというのが本心である。先程の2つの選択肢のうちどちらがそれに該当するかという判断が曖昧なので、ベテランらしきナース達に知識や経験から来るものを聞いてみて結論を出そうと思っている。自分の身体のことなので逃げる訳にはいかないし、現実から目を逸らさず自分で戦わなくてはならない。自分のことは自分でケリをつけるし、それに関しての自己責任は肝に銘じている」という事である。
――→このナースは「整形の経験が少ないので力にはなれないかもしれないが」と前置きしてから次のように言った。「最後を自分で決めるという点に関しては同感である。素人じゃないから担当ナースを始めとして色々とリサーチしてみて下さい」

準夜は“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”だったので、相談…というか意見を聞いてみようと思ったのだが、忙しいと言うしご機嫌もよくなそさうだったので止めることにした。忙しい時に一連の“流れ”の中で聞くよりは、あらかじめ時間を作ってもらった方が、意見を聞かれる側にも考える余裕が出来ると思うからである。その位、真剣に考えているということだ。


11/4(土)
今日は3連休の中日だ。朝からとても天気が良くて窓を全開にしている。11月という感じがしない。これぞBLUE SKYという感じの青空である。日差しもちょうど良くて本当に気分がよい。
午前10時頃、ウトウトしている最中に担当医の回診があった。左膝に水(関節液)が溜まっている気配はないとのこと。とりあえず順調ということだろう。

日勤の担当は“卒後2年目になっても運悪く私担当になったナース”である。
午前中の点滴を刺しに来たとき「どうして私が仕事の時に天気が良くて、休みになると雨が降るんだろう」と嘆いていた。その位、良い天気なのであ〜る。

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【11/5〜11/11】
11/5(日)
朝の検温は“卒後2年目になっても運悪く私担当になったナース”だった。
今夜も深夜勤務だそうで「明日の採血は私なんです」と苦笑していた。
どうやら血管が出にくくなってきたようで「お互いの幸せのために」採血前に手を暖めて
血管を出やすくしようということになった。
3日前から言ってあったのだが、この日の日勤で“自称・昭和41年生まれで体格も元気も良いナース”に
聞こうと思っていたことがあった。しかし入院があり、とても忙しいとのことであっさりと断られた。
自分の身体のことを決めるのに(知らない部分を)勉強しないで他人の知識や経験を借りようと思った自分が
間違っていたのだろう。ナースは忙しいので仕方がない。
自分のことを自分で決める…という意識が働いている間は、その鉄則に従わなければならない。


11/6(月)
朝の検温時に採血した→WBC4700,CRP(−)で0.07!!
日勤の担当は“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”なのだが、忙しそうでご機嫌も悪そうなので、
なかなか採血の結果を教えてくれなかった為、
準夜の“卒後4.5年目でパソコンに興味を持っているナース”に教えてもらった。
この時、担当医のことを「割と慎重派だと思います」と言っていた。


11/7(火)
朝の検温は“この病棟で最年長と思われるナース”だった。
昨日の採血の結果を踏まえて「担当医にこういう事を聞こうと思っている」と言うと、
今週は臨時休業だとのこと。このナースの見解としては「薬と処置(ピンク針攻撃やICINGシステムによる
24時間COOLING)が効いている為に、左膝が腫れていないのだと思う」という意見で、
私も同じだった。実際のところ、担当医が点滴の指示を今日までにしてあるのは知っていたので、
月曜日の採血の結果でどうするか決める…とも言われていた。
15:40整形外科部長氏が回診にきた。
“点滴も内服薬(ソランタール)も一端中止にしてみて、マイナスになったCRPが再上昇しないか
様子を見させて欲しい”とのコメントを発表した。了解。
担当医があらかじめ出してある指示では13日(月)に採血をするようになっていたので、
それまで様子観察ということだ。


11/8(水)
朝の検温は“卒後1年目で身長が高いのが印象的なナース”だったが、
忙しいのかとてもあっさりとしたものだった。小走りにこの病室を出ていった。
日勤の担当は“10月からこの病院に就職したという比較的年齢が近いと思われるナース”だった。
午後から2階に降りてシャンプー&両足を洗った後、マシンガントークをしてしまった。ナースは忙しいのに私が引き留めてしまったという感じだ。
しかし、この人もここに勤務し始めて2ヶ月目に入り、それなりにストレスが蓄積しているような印象を受けた。
年齢が近いと思っているのは私だけかもしれないが、向こうはナースでこちらは患者なんだし、とりあえず話が合えばいいかと思っている。

夕食後には片松葉を使い、やっとのことで正面玄関にNOTEパソコンを正面玄関に持っていき、
自分のホームページのBBSの過去ログを取る。時間にして約10分。
後方にいたこの病院の男性職員2人のうちの1人が「あんなの(通信)病院でやられたら困る」と
聞こえるように言うのだ! 中年オヤジだったため、グレーの公衆電話に接続して通信が出来ることを
知らないのかもしれないが、翌日以降に文句を言う時に印象づけておこうと思い、
2回ほど数秒間に渡ってにらみつけてやった。
病院内では電子機器一切禁止という警告がある訳でもなく、
自分の後ろに電話を使う人が1人でも並んでいたという訳でもなく、
しかも外来患者等がたくさんいて混雑している時間という訳でもないし、
準夜ナースの検温を受けなかったという事でもない…となると、
「お前は一体何様なんだ!この馬鹿者!」ということになるのだ。
非常に不愉快だ。不愉快極まりない。名刺を持って名乗り出ろ!という感じなのだ。
これは今の時期に最新の話題なので、名刺を持ってきたらそれを折り曲げてやろうかと思った。
長野県の新知事に就任した田中康夫氏がやられた例の事件を皮肉っているのである。
この事を準夜の“たぶん40代で今年の春から整形病棟に勤務交代になったというナース”に
報告しておいた。


11/9(木)
朝の検温は“20代後半で卒後5.6年目と思われるスリム&beautifulなナース”にも
昨夜のことを伝え「午前中に何かしらの動きがなければこちらも考える」と言っておいた。
そしたら回診前の午前8時20分前に病棟婦長が、それから約2時間後にはこの病院の総婦長が
各々やってきて「申し訳ありませんでした」と言っていた。
そして病棟婦長の話だと「人物の特定が出来ないのでそれに関しては事務長の返事待ち」ということ
だが、これに関しては“この病院お得意の技でもある”うやむやにされそうだ。

後から何か不祥事を起こした時に攻める材料にもなるということを忘れてはいないだろうか。
相手が私だというのが不運の始まりかもしれないね。
医療界のいけない所だと思うので、同じ医療者としてこのページを通じて公開し、
一般の皆さんに「医療ミス以外でもこういう事があるという事実」を知ってもらいたいのである。

婦長に謝ってもらっても仕方がないという事は伝え、
昨夜7時過ぎにあの場所にいた事務員らしき若い男性を探せば分かると思う…と教えておいた。


11/10(金)
朝の検温は“10月からこの病院に就職したという比較的年齢が近いと思われるナース”だった。
忙しそうな感じだったし、特に用事もないので声をかけて呼び止めることはしなかった。
午前中、トイレに行こうとして部屋の外に出たら隣の部屋の2つ違いの人がパソコンの雑誌を
読んでいた。温かいコーヒーをもらったのでお礼にポテトチップスを出したりして、
しばらくパソコンの話をしていたら、意外なことが待っていた。
この人も自分のホームページを開設しており、しかもタグから自分で作っているとのことだったので
色々と手ほどきをしてもらった…という感じである。
数日前から車やバイクに関することを話したりしていたが、こんな所でパソコンの事を教えて
もらえるなんて予想外の展開である。ちょっとした暇つぶしになるかもしれない。

午後の検温では37.2℃だった。ここ2日間ほど昼間に37.0℃代前半、
夜か翌朝には36.0℃代に戻っている…ということ多し。
準夜の検温でも37.3℃だった。今日は昼間から左足の芯まで冷える感じがしていて、
23時の巡視時に“卒後2年目になった沖縄出身ナース”に申し出て、
次の巡視(午前1時)まで外しておきたいと言ってみた。
そしたら「ICINGシステムは1時まで休んで、その代わりにこちら(COLDパック)だけでも
やっておいて下さい」というので従うことにした。
冷やすのは治療の一部だし、それを全く外してしまって行わないと言うのは良くないと思っている。
午前1時の巡視で起こしてもらって、ICINGシステムを装着するというのを、
深夜のナースに引き継ぎをしてもらうことにした。


11/11(土)
午前3時過ぎに覚醒したとほぼ同時に“卒後4.5年目と思われるprettyナース”が巡視にきた。1時に起こしたが、私の方が起きなかったとのこと。左膝はかなり熱感が強い。ICINGシステム再装着。それ以降は良く眠り、朝の検温は37.3℃だった。
朝食の下膳を松葉杖なしで行った後は10:30位までウトウトしていた。普通の日でもナースの出入りは少ないのに、週末の為、更に「誰も来ない」という感じである。
しかし、朝起きた時からBlue Skyであり、とても気持ちよく窓は全開である。日差しが気持ち良い。
午後の検温では37.2℃、同じく準夜のそれでは37.7℃と上昇していた。
左膝は冷えすぎている為、頭にCOOLING(氷枕)施行する。

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【11/12〜11/18】
11/12(日)
朝の検温のみ36.5℃と36.0℃代だったが、午後も準夜も37.5℃だった。
準夜は“卒後4.5年目と思われるprettyナース”だったのだが、
彼女が昨日の深夜明けで私の左膝に触れ、今日の準夜で再び触れるまでの丸2日間、ナースは誰も
私の左膝に触れることはなかった。いい加減だなぁ〜!


11/13(月)
朝の検温時に採血を施行したが、先週とほぼ同じ値である。
37.0℃代の微熱は続いているが、担当医が今日まで休みのため変化はないだろう。
今日は左膝のレントゲンも撮った。


11/14(火)
朝の検温は“この病棟で1番年長と思われるナース”だった。体温は37.3℃であった。
ナース曰く「今日は担当医が来るだろう」とのことだった。

朝のナースの言葉通り、午前9時前に担当医が1週間ぶりにやってきた。
今後の治療方針について以下のように説明があった。
 @ここ1週間の微熱は左膝からのものでない可能性もあるが、今日から1週間の予定で抗生剤の
  点滴を再開し、熱やその他の経過を診てみる。その後は再度、1週間程度中止してみて様子を
  みてみたい。(採血等も施行して)
 A現在の所、再度水が溜まる気配もない為、関節鏡は考えていなく保存的にやる方向である。
  →今回の入院の原因が「抜釘の時、少しでも免疫が低下していた所へ関節鏡を施行して刺激を
   加えた事ではないか」と考えている為だとのこと。
 B抗生剤の点滴を施行しても、血液データーが悪化するとか、水が溜まるとか、高い熱が出るとか、
  炎症所見が出てくるようなら、その時点で関節鏡を考える。

私としては、2年前にこの病院を受診するまでの半年間の悲惨な状態が事が頭から離れない為、
「何回も同じ事を繰り返すのなら、最初からOPをやっといてくれ」という感じだったのだが、
「関節鏡(OP)をやる事も1つの刺激であるし、自己免疫で治るのが1番良いと思う」と言われると
そういう気もしてきた。
確かにどんな小さなOPでも侵襲はあるのだし、自己免疫や自然治癒力で治るのが良いに決まっている。
OPのことは考えて入院したが、どうやらそこまでやらずに済ませられるかもしれない。
いや、しかし油断は禁物だ。
“この先、何があるのか分からない”のだから成り行き任せで良いだろう。

夕方、自宅の階段から落ちて怪我したという人が隣のBEDに入院してきた。
手術後に病室に入るという緊急事態だったようだ。

午後の検温で37.3℃、準夜では37.5℃だった。
この程度の微熱は何ともなくなってきた。


11/15(火)
朝から37.3℃、昼は37.5℃、夜は37.3℃という状態である。
左膝のお皿の上の部分がコリコリしているのだが、担当医はそれを皮下の感染かもしれないという。
抗生剤の点滴をしているので様子を見る、とのこと。
午後から2階に降りて、シャンプー足浴をした。気持ちが良いものだ。
点滴のあとの絆創膏をはがしたら薄皮まではがれたので、ナースに言って処置をしてもらった。


11/16(水)
朝から微熱続きは同様だ。37.2℃→37.5℃→36.9℃→37.0℃という感じで経過中。
ICINGシステムを外すと1時間程度で左膝はHOTになる。
やはり軽度の炎症はあるのだろうか。
回診では、皮下の感染だと思うが膝関節内には及んでいない、とのコメントあり。


11/17(金)
1日中微熱だが何の苦痛も感じない。37.0℃→37.3℃→37.2℃→37.1℃
但しICINGシステムを外して左膝がHOTになると、ドクドクして脈を打っている感じがする。
消灯時からナースの確認を取り、ICINGシステムを2時間ほど休むことにした。
1時間くらいで左膝はどんどん熱くなってくると同時に、拍動痛(ドクドクと脈を打っているような
感じの痛み)が強くなってきた。
23時の巡視で“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”に左膝の熱感を確認してもらってから、
再びICINGシステムを開始した。
又、このナースのアドバイスにより、素肌にICINGシステムをやると冷たすぎるのでサポーターを
使っていたが、締め付けると良くないのではないかと言われ、病院の物に変更した。


11/18(土)
夜中はICINGシステムを装着してからも、しばらくは拍動痛が続いていた。2回ほど途中覚醒したが
割と良眠出来たという感じである。
朝の検温は“卒後5.6年目と思われるスリム&beautifulなナース”で、いつも皆にやっているのと
同じく「オッハー」という挨拶をしてから体温測定をしたら、ギリギリで36.0℃代だった。


日勤の担当は“今年も私担当になった不運な卒後2年目のナース”だった。
休日はナースの人数が少なく、午前中の点滴に来る時間が余りにも遅かったので、ちょうど荷物を
取りに返りたかった事も重なり、点滴の前に30分ほど自宅まで外出してきた。
途中で本屋によって、パソコン関係の本をGETしてきた。
朝からとても良い天気なので、窓を全開にしておいたら気分も良くなってきた。
こういう日は車を出してドライブに限る…。

微熱は続いており、午後が37.1℃、準夜では37.3℃という有様だった。

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【11/19〜11/25】
11/19(日)
夜間は良く眠れたと思う。
朝の検温は昨日の日勤でもあった“今年も私担当になった不運な卒後2年目のナース”だ。
「明日(月曜日)の定例採血は私なんです」という。深夜勤務が2日間続くのだろう。
天気が良いのに帰宅して休まないといけない…と嘆いて(?)いた。
朝は36.6℃だったが、午後も夜も37.1℃となっていた。

日勤は“この病棟で最年長と思われるナース”が担当だった。
午後の検温後に1時間ほど昼寝をしてから、1時間半ほどパソコンに向かってキーボードに向かった。
ジッとしていれば左膝の痛みはなくなってきた。

準夜は“沖縄出身の卒後2年目になったナース”だったのだが、21時から23時までの2時間は
ICINGシステムを外して「左膝がどれだけ熱くなるか」を確認してもらった。
私が「ドクターはたぶん知らないと思うよ」と言うと、ナースは「火曜日の回診に合わせて1度見せて
みたらどうか」と提案してきた。なるほどね。やってみよう。
形と色、そして感覚に訴えるものが変化する時というのは、実際に変化している所を見せないと
いけないのである。これは何もドクターやナースが患者を信用してないいうのでなく、事実を目で
確認するというのはどの世界でも鉄則なのではないだろうか。

私も働いている時はそうしていたと思う。


11/20(月)
昨日からの予告通り(?)朝の検温は“今年も私担当になった不運な卒後2年目のナース”が
やってきた。ついでにというべきか、月曜日定例の採血もあった。
結果は午後に出ており、WBC4700,CRPが(±)で0.09という数値だった。
この結果をどう判断するかというのは、明日になって担当医が来ないと何とも言えない。
今日は月曜日で担当医は休みなので、今日は何も起こらないと思う。
きっと採血とセットで指示を出しているのだと思われるが、昼過ぎにレントゲンも撮影した。

準夜でやってきたナースがとても失礼な…というか、年齢のわりに何も知らないのかと勘違いする程、
変なことを言いやがるのだ。
ドクターからは一言も聞いてない“人工膝関節”のことを言うのだ。
しかも点滴をしている私に背を向け、自分は壁の方に向いているという奇妙なスタイルだ。
不愉快極まりない奴だ。

その場では「ドクターからは言われてないけど、自分の頭の中では最悪の場合はそうなると思って
入院してきたが、最悪のことを考えておくと本当に最悪になった時のダメージが少なくて済むと
思って」と答えたが、この人は一体何を考えて、又、私のことをどこまで分かっていてそう言うのか
と思うとだんだん腹立たしくなってきた。
しかも看護婦としては私よりも先輩だというのは明白なの
に…である。やはり年を取ると自覚も何もなくなってくるというのは、一部の年寄りと類似している
と思うのである。
馬鹿者!!


11/21(火)
深夜勤務で夜中1時の巡視に回ってきた“卒後4.5年目と思われるパソコンに興味を持っていると
いうナース”にメモを取らせながら、準夜での出来事を話した。
そして看護記録に記載し、総婦長を呼び寄せるように伝えた。
ここの病棟婦長は“病院で出会った人達”とか“抜釘編”にも書いてあるように平気で嘘をつく為、
ハナから信用していないというか私の中では透明人間なので、総婦長を呼んだのだ。

昨夜の失礼な事を言う年輩のナースに対しては次のように考えている。
年齢や経験を積み重ねると誰も注意してくれなくなり、本人も患者に不愉快な思いをさせたという事に
気付いてないとなると、余計に腹立たしいので教えてやることにしたのであ〜る。
総婦長もベテランがまさかこんな失態を演じているとは思っていないだろうから、ある意味では
良いチャンスを与えてやったのだと思っている。私としては授業料が欲しい位なのに、室料差額まで
支払っているという情けない状態なのである。
とは言っても、医療界の悪い癖できっと“喉元すぎれば熱さ忘れる”のだろうけど、アホにはそれなり
の教え方があるというものなのだ。


とりあえず1発目として、昼食寸前の院長回診にて。
「ここ(の病院)はドクターより先にナースが治療の事を言うんですか?ドクターからは一言も聞いて
ないのに」と皮肉っておいた。院長氏は教科書通りに「どこまで言ったのか分からないがドクターを
信用していれば良いよ」と答えた。私も教科書通りに「分かりました」とのみ答えた。
そして院長回診が終わったと思われる頃、院長回診に同行していた総婦長がこの病室にやってきた。
こいつも教科書通りに「今後に生かす」とか「ナースの価値観で患者を見てはいけないと、いつも
言っているのだが」と言い、謝ろうとしない。
しかし、この前のパソコンの件で病室にやってきた時にも言ってあるので、私が“不満や怒りを表出
しただけでは済まさないし、泣き寝入りはしない”というのを薄々感じてはいるのだろう。
私が「総婦長さんに謝ってもらっても何の解決にもならない。とにかく本人を呼んでくれ。休みか
どうかなんて関係ない。本人が来た時にまた一緒に来て下さい」と言ったらすごすごと退散した。

数時間後、総婦長とともにこの病室に謝罪という名目の言い訳にやって来た昨夜の馬鹿者は、
態度がいかにも…という感じで“何で私が謝らなければいけないのオーラ”が出ていた。
その点を指摘して「“何で謝らなきゃ”というのが伝わってくるのだけど、そういう気持ちが全く
無いと言えますか?」と言ってみたら、相手は2人共黙っていた。
今回、総婦長とともに呼ばれた理由は分かるかと尋ねたら「カルテを読みましたけど昨夜の時点では
何事もなかったように対応していたので、そこまで真剣に考えているとは思わなかった。人間を見な
ければならなかったのに」と平気な顔をして言っていた。
そして、昨夜の馬鹿者がとても40代で子供もいる母親看護婦とは思えないことを言ったので、
録音していることを告げたら一瞬、表情が変わったのを見逃してはいない私がいた。

「お子さん、いらっしゃいますよね!?子供に何かを話す時も後ろを向いて話すのですか」と皮肉を
言ってやったら「いえ、子供には」と言いつつ、しどろもどろしていた。
そして2度とこの病室に来ないように伝えた上で「普通はトップと一緒に呼ばれて、こういう事を
言われたら“自分はこれだけ嫌われている”と自覚するものだ」と教えてやった
のだ。

途中で「謝り続ければ良いのですか」と言いやがった時には、ひっくり返りそうになった。
“院長回診”“総婦長のみがやってきた時”そして“昨夜の馬鹿者と総婦長が2人でやってきた時”
の3回とも録音済みなのはいうまでもない。
この時、私は同席していた総婦長に対して「こんな事、言ってますよ」という感じで話をふって
みたのだが、そこは百戦錬磨の総婦長氏だった。
「△☆さん(私の事)がとんでもない事を言っているのなら、論争でも議論でもしたら良いと思うけど
この場合は貴方が悪いのだから素直に謝りなさい」と言っていた。
昨夜の馬鹿者は憮然とした表情ながらも謝りつつ、頭を下げていた。
私が「もう、いいです。行ってください」と言い、この場を立ち去る事を命じたからだろう。

“院長回診”“総婦長のみがやってきた時”そして“昨夜の馬鹿者と総婦長が2人でやってきた時”
の3回とも録音済みなのはいうまでもない。こうでもしないと自分の立場を守れないなんて、
患者として自分の職業を利用してみて初めて分かったというのも何だか情けない感じがしてきた。
こんな風にしていても、利用者はお金を払い、尚かつお礼まで言って帰っていくなんて、そりゃあ
つけ上がる医師等が居てもおかしくはないというものである。


さて馬鹿者の話はこの程度にしておくとして…。
この日は担当医がやってきて、次のように治療方針を説明していった。
 @血液データーは良くなっている(別表参照)
 A左膝関節内側周辺に発赤あり、ここ数日間で1番赤くなっている感じがするし、熱感もある。
  原因は不明だが抗生剤の点滴をあと1週間続行し、リバノール湿布を1日1回で開始する。
  来週の月曜日に採血をして悪化していなければ内服の抗生剤に変更予定。 
  →関節内の深い場所の物ではないだろう、とのこと。
 B膝蓋骨(いわゆるお皿)の上にあるコリコリした部分は恐らく瘢痕だと思うが、最悪の場合は
  局所麻酔をかけて切開(小手術)ということになるかもしれない。
 C明日からCPMを始めましょう。
  CPM以外の時でもどんどん曲げて、正座の練習OKです。

これで少しだけど(自分の中で)明るい見通しがついたような気がしないでもない。
しかし、今回の入院日に担当医の診察待ちをしている廊下で、付き添ってくれていたKママにも言った
ように『次は何があるか分からない』という思いがあるのは事実である。
喜んでばかりいたら、転んだときのダメージがデカイので足下をよく見ながら慎重にやらなくては。
リハ室に降りてやる“強制曲げ”やエアロバイク(自転車をこぎの運動器具)をやったら腫れてくる
かもしれないし、採血の結果が悪化しているかもしれないのである。
常というか、病気以外の時にはプラス思考で良いと思うのだが、こういう時は特別に「最悪のこと」を
考えておくようにしている。そしたら仮に最悪になったとしても、いきなり予告もなく訪れた事に
対して「エ〜〜ッ!」と驚くよりも「なんだ、やっぱりね」と思える分ダメージが少なくて済むという
ものである。
そして、上昇WAVEが来た時には一気に乗ってしまえるように準備もしておきたいと思う。

前後するが、今日は朝から37.0℃→37.3℃→37.1℃という経過だった。
それと今日の担当は“10月からこの病院に勤務し始めたという比較的年齢が近いと思われるナース”だったのだが、
この人にもたくさん昨日からの愚痴を聞いてもらい、おまけに足を洗うのを手伝ってくれた。タイミングが良いと言えば
良いのだが、とても気持ちが良いと感じたのは確かなんである。アリガト、サンキュー、っていう感じかな。

11/22(水)
朝の検温は“10月からこの病院に勤務し始めたという比較的年齢が近いと思われるナース”だった。
特徴のある話し方なので直ぐに名前を覚えられた。体温測定をし36.7℃を確認した。
朝なので忙しかったのか、いつものように(?)マシンガントークをする事もなく去っていった。

今日からCPMを始めるというので、自分では楽しみにしていた。これで回復への1歩が始まるのだ。
日勤の担当だった“この病棟で最年長と思われるナース”の「いくら若い人でもいきなりは」という
アドバイスもあり、最初は90度から始めたが最終的には100度で数分間keepが可能になった。
CPMは1時間という時間制限があるので、最初の数分間は90度でやったけど最後は100度のまま
の状態でkeepする事が出来たということなのだ。
また、CPM終了後にリバノール湿布を交換してもらった。
リバノール液自体が黄色いので、ガーゼがあたっていた左膝の内側が黄色くなっていた。

夕食の配膳の寸前にKママと5歳の僕ちゃんが来てくれた。
数日前から私がKママに「僕を連れてきて」と頼んでおいたのだ。今回の入院に際してとてもお世話に
なったので、僕ちゃんがママのお手伝いをする事によってママが楽になれば良いと考えていたけど、
ママは苦笑いしていた。私は僕に「おばちゃんの足が痛い時にママが助けてくれた。本当は
おばちゃんがママを助けられたら良いのだけど、また足が痛いから僕を男と見込んでおばちゃんの
代わりにママを助けてもらいたい」と言ってみた。
最初は聞く耳を持たなかったのだが、徐々に分かってきたのか「考えておく」とか「出来ないかも
しれない」とか言い始めた。

そしてナースから借りていたマジックハンドを見つけて「おばちゃんは足が痛いのにどうして手が
必要なのか」という質問をされた時には本当に困った。何と答えたか記憶してない所を見ると、大人
のいけない部分で適当に答えてしまったのかもしれない…。
そして帰る時にこのマジックハンドを欲しがったのだが、病院の物だからと説明して納得させたまで
は良かった。私に対して「おばちゃん、足が痛くない時に持ってきて」と言い、品物指定がきた。
Kママと2人で笑うしかなかった。


11/23(木)
日勤の担当は“卒後2年目になった沖縄出身のナース”だった。
抗生剤の点滴後“卒後4.5年目と思われる・beautufulというよりはprettyなナース”と一緒に
リバノール湿布(通称リバ湿布)を交換してもらった。
左膝の内側全体にあった赤みが少しずつ取れてきているようだ。この部位に痛みはない。

原因は不明だが昼過ぎより頭痛がしていた。夕飯の寸前にお茶を入れに来てくれた“10月からこの
病院に勤務し始めたという、比較的年齢が近いと思われるナース”に言って頭痛薬をもらった。
市販されているのと同じ名称のセデスGという粉をもらい、17:45に服用したら1時間くらいで
軽快した。なんだったのだろう?
ちょうどタイミング良くというか、頭痛が取れてきた頃になって久しぶりにMちゃんが来てくれた。
Mちゃんはフランス料理のお菓子職人でフルコースも出すことが出来るというすごい人である。
例によって駅前の不二家でGETしてきたというお菓子を持ってきてくれたので、話をしながら食べた。
仕事で色々とストレスがあるようで、ひとしきりマシンガントークしていった。
退院したらドンキホーテに行こうという、お約束の終わり方をしてこの日のマシンガントークは幕を
閉じた。私も買い物があるので、退院したらドンキホーテに行こうと思っていた。
是非、一緒に行かなくては…と固く心に誓ったのだ。


11/24(金)
朝の検温は昨日の日勤の担当だった“卒後2年目になった沖縄出身のナース”だった。
36.8℃という朝としては好調な滑り出しとなり、検温直後から「朝練」と称したCPMを開始した。
110度から始めて最終的には120度keepが出来たのだが、やはり朝は筋肉が固くなっているのか
とてもきつく感じた。

日勤は“今年も私担当になってしまった不運な卒後2年目のナース”だったのだが、彼女は3日間
休みだったので、私がリバ湿布を開始していたことを知らなかったようだ。
カルテを見れば分かるとは思ったのだが、つい自分担当だというと報告しなくてはいけない気がして
経緯を報告しつつ、現在の自覚症状について話した。
午前11時前、気まぐれにやってくる不定期な整形外科部長回診があったのだが、私の左膝に触れる
ことはなく、何が分かったのか知らないが「分かりました」とのみ言って去っていった。
これを回診というのだろうか…?それから直ぐ後にリバ湿布を交換してもらった。

午後の検温で37.3℃となっていたが何ともないので、2階に降りてシャンプーをし、足を洗うと
いう作業を暇つぶしにしてみた。気持ちは良いものである。

19:30に担当医が病室にやってきて「左膝を診察しても痛がらなくなった。月曜日の採血の結果
待ちですね」と言っていた。また月曜日から1階のリハビリ室に降りるように指示しておいたとも
言っていた。いよいよ本格的なリハビリが始まるという緊張感が出てきた。
1日2回CPMを施行しているのだが、これを「朝練」そして「夜トレ」と呼んでいる。
本日の夜トレは少しきついと感じたが、120〜130度で施行してみた。…というのは、月曜日から
のリハビリに備えてなるべく強い外力を加えておきたかったのである。
理学療法士の手を借りて曲げられると、遠慮がないぶん強くやられるので、少しでも痛みを緩和する為
には自力曲げを極限に近づけておく必要があると考えたのだ。分かって頂けただろうか?
その後には、いつものように砂嚢2kgを2つ使用してROM訓練をやった。

本日の準夜は“自称・昭和41年生まれという体格も元気も良いナース”だった。
消灯後に1時間近くマシンガントークをしてしまった。
私が、左膝の上のコリコリした部分に関して「いつまでもトロトロ抗生剤をやってないで、さっさと
切った方が早いんじゃないかと思っている。昨日、ドクターにもそう言ったのだが」と話を切り出す
所から始まっていた。
確かにそれはそうなのだが、14日朝の回診での治療方針説明で「炎症がある所にわざわざOPをして
炎症をダフらせる事はない。自分の免疫で治るのが最善だと思う」というのに納得出来たから、早く
切った方が良いのではないかという感情とは別にしているのだ。
それをこのナースに「貴方だったらどうするか」と問うてみたのだが、彼女も私とほぼ同様の考えの
ようだった。自分なら早く切ってもらいたいと言っており、治療方針に納得できれば良いのではないか
というコメントを発表していた。
私が“抗生剤の点滴で保存的治療を行う”という担当医の治療方針に疑問を抱いていると感じたのか
どうかは不明だけど、左膝の上にあるコリコリした部分が抗生剤で抑えられるかもしれないという根拠
を聞いてみてはどうだろうか…という話になった。ごもっとも。


11/25(土)
朝の検温は“卒後1年目のうちで背が高いのが印象的なナース”だった。検温後に朝練(朝の練習と
いう意味)と称してCPMが不調で中断した。日勤でやり直しとしよう。

今日は休日のためか、いつにも増して人の出入りが少ない。
この病室は整形外科病棟(3階建て)の3階にあるのだが、その3階には2つの病室しかない。
そしてナースステーションは2階にあるという構造上のミスではないかと思われる所もある。
お陰で…というべきか、ここのナース達は動線が縦になっていてとても辛そうなんである。
また3階の患者が急変した時等にも対応に遅れが出るのではないかと疑われるのだが、そんな事は
患者である私の知ったことではないのであ〜る。
…で日勤の担当は“恐らく20代後半と思われ、卒後5.6年目のスリム&beautifulなナース”に
なっていたのだが、午前中は点滴の時以外は誰の出入りもなかった。
従って、午後の検温の後からCPMを始めた。
せっかくCPMが始まったと思っていたら、間もなく“自分とほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”が
やってきて、半ば強引に(?)リバノール湿布を交換していったまでは良かった。
リバノール液は黄色いので、それをガーゼに染みこませて患部に貼るのだけど、ガーゼに黄色い液を
垂らす時かなり奮発したのか、シーツが黄色く染まっていた。要するに平たく言えば黄色いリバノール
液がこほれたのである。
結局、他のナースにシーツ交換してもらったのだが、それを聞いて何を思ったのか16:30前に
なって油を売りに来たと見せかけて(?)様子を窺っていった。私はちょうどパソコンを出していた
事もあり、パソコンに関して色々と話相手をしてあげた…ということにしておこう。

準夜では“卒後2年目になってまで不運にも私担当になってしまったナース”だったので、
今日は1日中36.0℃代をkeepしたと見せかける為に体温測定をしないでおこうかと言ったが、
一応、念のために測っておいたら36.9℃だった。
これで正真正銘の「1日中36.0℃代」ということになったのだ。
それはそうと、ナースコールのボタンを“テレビゲームのように連射する”という人がいるらしく、
とても忙しそうにしていた。

消灯後に飲み物の差し入れを持って行きつつ頼み事をしていたら“自称・昭和41年生まれで体格も
元気も良いナース”がいたので、少し話し込んでしまった。
ナースステーションに簡易型の体脂肪測定器があるというので、必要項目を入力し測定してみた。
去年の入院時にも1度測ったことがあり、その時もこのナースが係りで近くにいた事を思い出した。
肝心の体脂肪率は去年と大して変化していなかった。
去年もそうだったのだが、私の体脂肪率の数字を見てこのナースと2人で「仲間だよね」と握手をした。
ナースも「私もこの位から下がらないのよね」とぼやいていた。
そして話はなかなか終わらず、ついに“生理痛と物忘れは年々ひどくなる”という見解で一致した。
私は未だに未体験なのだがナースは「財布がないと思っていたら冷蔵庫の中に入っていた事が何回か
あったよ」と笑っていた。本当にボケてしまったら“訂正が効かない”ので、自分で気付いているの
だから何ともないのだと思う。訂正が効かなくなったら、これはもう政治家か公務員並ということに
なってしまうので、ああいう風にはなりたくないものだ。


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【11/26〜12/2】
11/26(日)
朝の検温はいつもと同じく「おっはぁ〜!」という挨拶で始まった。
昨日の日勤でもあった“恐らく20代後半と思われ、卒後5.6年目のスリム&beautifulなナース”
は元気にやってきた。体温は36.8℃と1日の滑り出しは好調だった。
検温後から最近の定例としている朝練CPMを開始した。最初から130度MAXでも出来ていた。
やはり朝は筋肉が固くなっているのか、一瞬の130度は難なく出来るのだけど、それをkeepすると
なると私の左膝も悲鳴をあげているようだ。しかし、訓練しかないのは解っているのでやらなくては
ならないのだ。そうしなければ明日からのリハビリ室で、とても辛い目に遭うのは自分だからである。

日勤の担当は“卒後2年目になった沖縄出身のおとなしいナース”だった。
若さがにじみ出ているという感じでとても好感が持てる。そして本人が意識しているかどうかは別と
して、去年も今年も嬉しいことを言ってくれるのである。このまま経験を積んでもらいたいものだ。

午前中に抗生物質の点滴が終わったので、洗濯物を片付けることにした。
洗濯物を乾燥機に入れにいった時、またしても予告なく“自分とほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”
とすれ違うことになるのだ。やはり、この人は(呼んでもいないのに)肝心なときに現れるようだ。
ちょうど今日の準夜が自分の担当ナースだったので、話を持ちかけてみようと思っていた。
明日からのリハビリに関すること等である。
この毒舌ナースから次のようなアドバイスがあった。
 1.左膝の上(いわゆるお皿の上)の部分にあるコリコリした所は数日前よりも軟らかくなって
   いるので、切開しなくても良さそうに見える。
 2.後は膝曲げ訓練(ROM)と、筋トレ(一生もの?)だと思う。
 3.左膝関節内側の赤くなっている部分は、リバノール湿布の効果なのかだんだん引けているので、
   そろそろICINGシステムを外しても良い時期かもしれないね(→数日後に本当に中止になった)
 4.リハビリをやって左膝が腫れないかどうか、血液データーが悪化しないかどうか…というのが
   とても心配だと言ってみたら、これに関しては意見が一致したようだ。
 5.リハ室にあるエアロバイクをROM(膝曲げ訓練)の前後に、それぞれ「ウオーミングアップ目的」
   「フォロースルー目的」としてやってみたいのだけどと言ってみたら「ストレッチ感覚でリハの
   前後にやるのは良いかも」と言っていた。

準夜で“卒後2年目になっても私担当になってしまった不運なナース”にも同様のことを聞いてみた。
彼女も「やってはいけない事は無いと思うので、目的を持ってやるのは良いと思います」と答えた。

はっきりとした時間は忘れたが15:00か16:00頃、とても久しぶりにAちゃんがやってきた。
例によって郵便物のチェック、水回りのチェック、そして室内の風通し等をしてきてくれたと言う。
蛍光灯が切れかかっていたので新しい物に交換してくれた、とのこと。友達は有り難いものだと思う。
とても言葉や形には出来ないものなんだということを、自分が数回の入院体験をすることによって
気付いた。本当に有り難いと思っている。


11/27(月)
朝の検温時、昨日の日勤でも担当した“卒後2年目になった沖縄出身のナース”による採血があった。
検温後に朝練としてCPMを施行した。
朝から130度は少しきつい感じだが、そんな事は関係なくやらなくてはならない。

午後の検温後にリハビリの方からお呼びがかかったようで、すかさず降りていった。担当してくれる人
は前回の抜釘時までと同じお姉さんだった。明日からは時間を13時と決めて降りることにした。
まず、最初にお姉さんに相談し、昨日のナース達に話したことを確認してみた。
エアロバイクを各目的に応じて使ったみたいということに関して。リハビリ的には問題なしということ
だったので、早速今日からやる事にした。但しROM(人の手による膝曲げ訓練)前のウオーミングアップ
の方は疲れを感じるまではやらない方が良い…とのことだったので次の手順で行った。
 @エアロバイク5分(負荷なし)→ウオーミングアップ目的
 AROM(お姉さんによるうつ伏せでの膝曲げ訓練)→110度くらいとのこと
 Bエアロバイク10分(負荷なし)→フォロースルー目的
又、訓練前に両膝の太さを測定してもらった(別表参照)

そう言えば、午後の検温で“卒後1年目のprettyナース2”に「今度は本当に治った」と言ったら、
次のように答えが返ってきて納得してしまった。
 「もう、☆▽さん(私のこと)この前も治った・治った…って言って、治ってなかったじゃない
  ですか」と笑って言うのだ。
彼女の言うことは間違っていないどころか、私も思わず納得してしまった一件であった。
なかなか面白いエピソードとして書いておこうと思った。
準夜で消灯前にもCPMを“夜トレ(夜のトレーニングの略)”と称して施行した。
やる事をやり、課せられた責務をこなさないことには文句も言えなくなる…というものなのだ。


11/28(火)
深夜勤は25日の夜に体脂肪のことで握手をしてしまった“自称・昭和41年生まれで体格も元気も
良いナース”だったのだが、起きて直ぐに腹臥位(ふくがい→腹ばいの事)になり、このナースに
左足首を押してもらいつつ、左膝がどの程度曲がるものかを試してみた。ナースの目算では90度位と
いうことだった。朝1番で何もトレーニングをやらない状態だとこんなものなのだろう。

日勤の担当は“10月からこの病院に勤務し始めたという比較的年齢が近いと思われるナース”だ。
最近は…というか、今回の入院では良くおしゃべりの相手をしてもらっているという感じである。
内容的には大したことを話している訳ではないのだが、私の方は暇つぶしになっているので助かる。

午前9時前に担当医の回診があり、次のようなコメントがあった。
 @左膝のお皿の上にあったコリコリした所は良くなってきたので、切開しなくて済みそう。
 A左膝関節内側の赤くなっていた所も、赤みが取れてきた。リバノール湿布は継続する。
 Bあと1週間、だめ押しで抗生剤の点滴を施行し、血液データーが悪化していなければ退院でも
  良いと思う。
 C年齢的なことも考えると、リハもあと1週間で何とか頑張って曲げてもらって…。
 D水が溜まる気配はない。

昼頃にKママが来てくれたので、毎度の事ながらお買い物をお願いした。
いつもの事とはいえ本当に助かっている。感謝している等というありきたりの言葉では言えない。
いつかお返ししなくては…と思っているのだが、ハッキリ言って私が何かをしてあげたという記憶は
今の所全くない。こりゃあ、退院したら僕ちゃんにおもちゃの1つや2つ買ってあげなければ…。

昼食後には“リハビリ前のリハビリ”と称した自主トレを施行してから、担当のお姉さんと約束して
いる時間ピッタリの13時に1階の“拷問室(別名・第7サティアン)”に自ら降りていった。
 @エアロバイク5分(負荷なし)
 AROM訓練(担当のお姉さんによる左膝の強制曲げ)
 Bエアロバイク5分(負荷は10W)
この日、担当のお姉さんにリハビリのカルテを見てもらい、抜釘の時にオプションとして頼んでやって
もらったリハビリは合計8回で正座が可能になった、とのこと。
しかし9月(抜釘時)と今回とは病状が違うこと、リハビリが開始になるまでの安静期間が違うこと、
そして何よりも今回1番不安なのは「リハビリをして用手的に外力を加える事により、左膝が再び
腫れてきたり水や膿が溜まったりしないか」ということなのであ〜る!

2年前に他院で同じ事を何回も繰り返したあげく、結局は第1回目の手術となったという経緯がある
ので、症状が同じだしどうしてもあの時の事が頭にこびりついているのだ。
リハビリをやっても何ともない…という事をこの目とこの身体で確認しない事には、とても不安であり
仕事どころか日常生活に戻るに戻れないのだ。
こういう時に頼りになるのは、自分の感覚だけなのだということを2年前からの経過で思い知った為、
誰に何と思われようと「自分の身体は自分で守る」という鉄則は破れないのである。


そういう訳で今回のリハビリは2週間(リハ室に降りるのは普通の日だけなので、実際は10回)も
やれば大丈夫ではないかという事を、実は誰にも言ってないが自分の中では先週の火曜日(21日)から
考えていた。そうすると血液データーの悪化や、左膝の腫脹がなければ12/10に退院という計画
通りになると思う。他人に背中を押されるのは嫌なので、自分のことは自分で決める。
仮に早く退院させたいと思っていても、2人部屋のコストを払っているのだから文句は言わせない。


11/29(水)
今日も朝の検温直後から“朝練CPM”を行った。最初からMAX130度をkeepするのは、きついのだが
3日目にもなると少し慣れてきたように感じる。それだけ曲がりやすくなったという事なのだろうか。
左膝は「曲がる」というだけでなく「曲がった状態をkeep出来る」という事が目標なので、
正座が出来るかどうかという事でなく、左膝関節を究極に曲げた状態がkeep出来るか…という1点に
尽きるのだ。正座は膝関節を最後まで曲げきった状態の典型であるが、私の場合はもしかして正座では
ないかもしれないのだ。お分かり頂けるだろうか?


午後1時にはリハの担当のお姉さんと約束しているので、それに備えて自主トレを行った。
毎回、同じ事をやっているのでは入院している意味がないので、ウオーミングアップとフォロースルー
目的で施行しているエアロバイクに関しては、前日のフォロースルー目的のものが翌日の最初に使え
たら、少しずつでも進んでいくというものだと思ったのでそうすることにした。
これを担当のお姉さんに言うと「なるほど、毎日同じじゃあ自主トレレベルですね」と言って
妙に感心していた。これが今の私に課せられた責務なのだと考えている。

…ということで今日のリハは次に順番で行った。
 @エアロバイク5分(負荷は10Wで前日のBと同じ)
 AROM(担当のお姉さんによる左膝の強制曲げ)
  →これは少しだが毎日進歩があるようで“左踵部(カカト)とお尻の肉の距離”が縮まっている。
   今日は「握り拳1個分+α」だそうだ。どうしても握り拳にはならなかったようで、大目に見て
   「大柄な男性の握り拳1個分」だとお姉さんは言う。
 Bエアロバイク10分で負荷を15Wにアップした。明日はここから始めよう。

日勤の終わりくらいの時間に勤務先の看護部長からファンレターが届いたが、大した内容ではない。

夕方になり担当医が回ってきたが、その時に自力曲げをやってみせた。
担当医は、昨日の私の発言(リハビリの記載から後の部分)を知っているにも関わらず「あとは自分で」
等と言い始めたので次のように言ってやった。
→今の段階で自分で出来る最大限のことはやっているのだし、人間は痛さの限界に来るとどうしても
 逃げてしまうものなんだ。そこで、ちょっと手を貸してくれれば良いだけのことだ。

まったく、こいつは外来の時に私を疑っただけでなく、何回も同じ事を言わなくてはならないのか!
幾らのお金をつぎ込んでドクターになったのかは知りたくもないが、お前は私に嫌な思いをさせたり、
人前で醜態をさらさせた訳だから、最後まで私を診る責任があるんだ。この馬鹿者!
私の左膝をお前に貸して勉強させてやってるんだぞ、分かっているのか。
投書までして教えてやったのに、まだ気付いてないのか!
紙の上で勉強してテストの点数が良ければヨシという学生時代とは違うんだ、っていうの!
この時は私の左膝には触れず「Dr.O(前の主治医で今回の担当医の先輩)が気にしていた」という伝言を
残していっただけだった。アンタは伝書鳩か。


11/30(木)
朝の検温は“卒後4.5年目と思われるとてもhigh-tentionなprettyナース”だった。
ナースの訪室によって起こされた時、反射的に体温計を取ったという記憶がある。体温計は借りている
ので、ナースが来た時に渡されて測るというふうにはしていないので、本当に反射的に取ったのだと
思う。熱はなく36.9℃と出た。
このナースはいつもそうなのだが、今日は早朝からとても元気である。聞けば今夜ももう一晩深夜だと
いうはでないか。いくら若くてもそりゃあ、身体を休めないとね。早く帰って寝た方が良いと思う。
昨日の準夜のナースに「午前1時か3時の巡視でイタズラをするかも」と言っておいたので、ここには
構えてきたと言い、笑っていた。ご期待に添って今夜は何かやらかしてみようと思っている。
検温直後に“朝練CPM”施行する。いつもと同じく130度keep可能である。
冬の早朝のためかきつい感じはするけど、今やれれば春になったらもう少し楽に出来ていると思う。

午前9時前後に担当医が回診にやってきた。
1.ICINGシステムを外してみましょう。
2.入浴してもOKです。
3.左膝の膝蓋骨(お皿の部分)の少し上にあったコリコリした部分は無くなり、左膝関節内側全体に
  あった赤みも軽減してきた。

本日は介助で入浴する人達の入浴日とのことで、いつもと同じく熱いタオルで全身を拭いた後に
リバノール湿布を交換してもらう。
日勤の担当は“自分とほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”だったのだが、今日は忙しいのか比較的
おとなしめである。それとも私の方が向こうの毒舌に慣らされたのだろうか…?
ま、そんな事はどちらでも良いのだけどね。

午後には第7サティアンでの拷問リハがまっているので、少しでも痛みを軽くして早く膝を曲げられる
ように自主トレを行ってから1階に降りた。そう、リハビリ室の別名は「第7サティアン」というのだ。
昨日の終了時のエアロバイクの負荷の値を勘違いしていて、10W10分から開始した。
 @エアロバイク10W10分
 AROM訓練(担当のお姉さんによる強制曲げ)
  →この時、左踵部(カカト)のお尻の肉との距離が“大柄な男性の拳1個分”となったとの事。
   昨日と同じ位ということなのか、残念!
 Bエアロバイク15W10分
リハビリ終了後に、労災の休業補償用紙を持って自ら医事課へ行って来た。
何回も書いているように、整形外科病棟の婦長氏は嘘をつく人間なので信用していないのである。
詳しい事はこのサイトの「病院で出会った人達」の中に書くことにする。

話は前後するが、昼前の点滴中に書類を取りに来たというIさんがついでに、と寄ってくれた。
つい2週間くらい前まで隣の病室に入院しており、病名もやった手術も同じで年齢は向こうの方が
ほんの少しだけ上で、短期間だが色々とパソコンのことを教えてもらっていた…という人である。
彼女は元々身体が柔らかいのか、リハビリも私とは比較の対象にならない位に速いピッチで進み、
かなり強引にではあるが術後2−3週間なのに病院側の都合もあり退院したという。
数日前に私の方からメールを送った時に「遠いのでなかなか大変だと思うけど、受診に来たら是非
とも寄って下さいね」と書いておいたのだ。
そして去年の私からは想像も出来ない速さで、もう松葉杖を外していた。彼女は確か10/26にOPを
しているという記憶があるが、私には不可能な芸当であると感心するとともに同年代の人とこんなに
差があるなんてちょっと悔しい感じがしないでもない。
せっかく顔を見せに寄ってくれたのに、タイミングが良かったこともあって、ついでに郵便物の投函を
頼んでしまったのだが快く(?)引き受けてくれて助かった。
ご丁寧に「ちゃんと投函したよ」という確認メールまで届いたのは驚いた。
私もお礼の返信メールを送ったのは言うまでもない。


12/1(金)
朝から小雨が降っていた。2日間連続深夜勤務の“卒後4.5年目になるいつも元気なprettyな
ナース”は知らなかったようで、私の所に検温に来て窓を開けて換気しようとした時に気付いた
ようだ。自分でも言っていたが「私、今から不機嫌になります」とのこと。
どうやら深夜明けで帰宅して布団を干そうと思っていたらしく、それが出来なくなったので自ら不機嫌
になると予告したという。ま、天気は人間が左右できるものではないので「お気の毒様。次の機会を
お楽しみに」という感じである。
いくら若くても深夜勤務(この病院の場合は23:30〜翌朝9:00位まで)を2日間やると、
体内時計が狂ってくるのではないかと思うので、早く帰宅してゆっくり休むことが1番だと思う。
昨日の明けは美容院に行ったとのことだが「今日は寝ます」と宣言していた。お疲れ様、っていう感じ。

話は前後するが、昨夜の準夜のナースに予告したおいた通り、23時の巡視が終わってから深夜勤務の
ナースが巡視に来るまでの空き時間を狙ってイタズラをしかけておいた。
1つは、入り口のドアの前に椅子を置いておくことであり、もう1つはカーテンを開けた直ぐの所に
点滴スタンドを置いてバスタオルを縦長に引っかけておく…という子供だましみたいなものだったが、
結構構えてきていたらしく「私は驚きません」と笑っていた。

午前10時半頃に整形外科の部長さんが回診をしにやってきた。
何を診てそういうのか今ひとつ不明だけど「良くなったじゃん。あと少しだね」という。そして自力で
左膝を曲げて見せたら「よく1週間でそこまで曲げたな。そのまま頑張るように」とも言っていた。
私の記憶が確かならば、この整形外科部長さんは1週間前に私の診察はしていない。それとも担当医
からの申し送りなのか、あるいはナースから聞いたのか、またはカルテの記載を見たのか…という感じ
で真実味が薄いのだが、これはこれでヨシとしよう。

整形外科の部長さんが去っていった後、しばらくしてKママがやってきた。
来週になるのかと思っていたら、頼んでいた雑誌をGETしてきてくれたとのことだ。今日は幼稚園が午後
までなので、僕ちゃんが帰ってくるのが通常時間のため比較的余裕があると言っていた。
その為か昼食の配膳までマシンガントークしていった。社宅は社宅で色々と主婦達のストレスもあると
ぼやいていた。Kママにはとても言葉で言えない位にお世話になっているので、私が話を聞く事によって
少しでもそのストレスが和らぐと良いと思った。
Kママと喋っていたら、これまたタイミング良く医事課の人が労災の用紙を持って病室にやってきた。
これぞ、正に絶妙のタイミングと言うべきだろう。原本は役所に提出するので1部コピーを取り、
封印して投函してもらい、コピーは私の手元に持ってきてもらう…というお使いをお願いしたのだ。

さあ、午後1時は“サティアンタイム”である。決められていると緊張感が出てくるというものだ。
今の所はこれが私の課題なのでやる事はやらなくてはならない。
リハビリ前の自主トレを施行してから、恐怖の第7サティアンに降りていった。
 @エアロバイク20W10分→前日の終了時より少し多くした。
 AROM(担当のお姉さんによる左膝の強制曲げ)
 Bエアロバイク25W10分

今日はAがとてもきつかったぁ〜〜!
途中で“自称・昭和41年生まれで体格も元気も良く、先日体脂肪率の事で2年連続で握手をして
しまったナース”が何かの用事で立ち寄ったらしく、私の訓練を見ていったのだが季節柄か「やっぱり
クリスマスに病院は“ダメダメ”だよね」と両手の人差し指で×印をしながら笑っていた。
確かにその通りだと思ったまでは良かった。そりゃ、そうだという感じである。
担当のお姉さんは来週いっぱい“理学療法士の研修”とかで出かける為に不在らしく、その前に何とか
と思って彼女も気合いを入れたらしい。
その後は目の前に「星」が飛んで気絶寸前の状態だった。きっつぅ〜い!
強制曲げの後で台に横たわって少し休憩していたら、左目の端っこに涙が一粒ついていた。
何回も何回も、悲鳴にも似た叫び声で発声練習(?)をした。とてもきつかった。
こんなのは、とても自分では出来ない。やはりリハビリをやってもらう意味はここにあるのだと考える。

そのお陰かどうかは定かでないが、昨日の終了時には“大柄な男性の握り拳1個分”となっていた左踵
部(カカト)とお尻の肉の距離が極端に縮まっており“指1本以下、もう少しでつきそう”という所まで
たどり着いたという。私は腹臥位(ふくがい、と読みうつ伏せのこと)なので見えないが、お姉さんが
そう言っていた。
そして去年のリハビリの事を思い出しつつ、ナースステーションに行って先程の“自称・昭和41年
生まれで体格も元気も良く、体脂肪率のことで握手したナース”に「今日は星が出たんだけどさ、信号
の3色が出て最後にGOLDが出たらperfectなんだよね!?」と報告したら「そうそう、もうチョイだね」と
粋なコメントを発表していた。
この時“今回も私担当になった卒後2年目の不運なナース”も居たので、同時に報告したら彼女は笑い
つつ「ここ(左目の端)に涙シールが要りますね」という、これまた粋なコメントを発表した。

…という訳でとても疲れたようで、リハビリから帰って検温をした後は自然に寝てしまったようだ。
来週は研修の為に休みだという担当のお姉さんが、午後5時過ぎに病室を訪ねてくるまで起きなかった。
来週の担当者に引き継ぎをしたという事と、第7サティアンに降りる時間が少しずれるのでそれを言いに
きたと言っていた。ぐっすり寝ているのを見て「やり過ぎましたかね」と頭をかいていた。
そのリハのお姉さんが帰ってから夕飯の配膳までもズ〜〜ッと寝ていた。
食事中に担当医が回ってきたが何を言ったのか記憶していないし、結局、準夜では食事とナースの訪問
時以外は寝ていたことになる。
しかし途中で背中がぞくぞくしてきて発熱しそうな予感があったが、37.0℃止まりだった。
今日のトレーニングは余りにもきつ過ぎたのだと思い、夜トレのCPMは準夜のナース相談の結果で休む
ことにした。


12/2(土)
朝の検温は昨日の日勤でも担当だった“今年の春から整形外科病棟に勤務交代になったという割と年輩の
船を持っているというナース”がやってきた。昨日のリハビリはやり過ぎたと思う…と言ったら笑っていた。
そして念のために体温を測るが36.7℃だったし、疲れは少しあるものの左膝の痛みは残っていない為、
朝練と称したCPMをやる事にした。130度keepが出来たし、やはり昨日のはやり過ぎたのだろう。
この日は日勤、準夜ともに発熱しなかったし、疲れは少しずつ引けていったようだ。

今日は時間に余裕があるというか、他にやる事もなかったので気合いを入れてパソコンに向かった。
…というのも、この日記代わりの経過記録は本来なら、そのまま毎晩の日課として打ち込もうと思って
いたのだが、今回の入院の初期はとてもそういう状態ではなかったので封筒やメモに走り書きしていた。
ようやくキーボードに向かおうという気になった時は既に2週間程度は経過していたので、現実の日時と
キーボードに打ち込んでいる日時のずれがなかなか解消しなかった…という訳なのだ。
Aちゃんにノートを買ってきてもらい、それに下書きしていたのも、やっと追いついた。

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【12/3〜退院まで】
12/3(日)
今日も朝から寒くてさすがに12月という感じがしてきた。しかし私は“エアコンの暖房が嫌い”なので、
1回もつけたことがないし、別にそれで不便は感じていない。たたでさえ乾燥している冬なのに、エアコン
なんてつけたら体中の粘膜が乾燥して一気に老化して汚くなりそうで嫌なのだ。

日勤の担当は“10月からこの病院に勤務し始めたという、比較的年齢が近いと思われるナース”である。
今夜は深夜入りだというので、明朝の採血はこのナースがやることになる。
午前中は忙しかったのか、点滴の抜き刺し以外の時は誰もナースの声がしなかった。
午後の検温が終わってから2階に降りてシャンプーをしていたら、ついでに…という事でリバノール湿布を
交換してもらった。2階の廊下にある椅子に座ってやってもらったのだが、その時にナースがちょっと
愚痴っぽいことを言っていた。
新しい職場に移って3ヶ月目に入るという時期的なものもあるのか、元々職場としての環境が粗悪なのかは
知る由もないがストレスが溜まっているような印象を受けた。私も同様の経験が何回もあるので理解は
出来るというか、気持ちは分かるような感じである。
私が「そりゃあ、大酒飲みか大食いをしないと駄目だね」と言ったら苦笑して去っていった。

日勤の終了時にこのナースが“夜トレ用に”とのことで早めにCPMの機械を持ってきてくれた時、ちょうど
このパソコンに向かっていた。
ナースが「私が登場している所は無いか」という主旨の質問をしてきたので、急いで探してみたけれど
なかなか見つからなかった。「私は余り印象がない、って事かな」と笑っていたが、そんな事はない。
いつか部屋持ちになった時に(勤務中だと分かっていて)引き留めてまでマシンガントークをしてからと
いうもの、その日の担当でなくても廊下ですれ違った時や、シャンプー台の所、そして定期的に処方される
薬を配りに来た時などは必ず「元気ですか?」という声をかけてくれるのは、しっかりと私の耳に届いているし、
入院した日の準夜がこのナースだったことも記憶している。
しかし、それだけではナースに伝わらない為、ここに記載することで伝われば良いと思っている。
比較的年齢が近そう…と思っているのは、私だけかしらン??


12/4(月)
いつもの事とは言いながらも「おっはー!」という挨拶から1日が始まった。
この「おっはー!」という言葉は今年の流行語大賞を獲得したとテレビのNEWSで言っていた。
柔道のYAWARAちゃんこと田村亮子選手がオリンピック前に言っていた「最高でも金、最低でも金」というのと
一緒に受賞したとのことだった。

話が横道にそれたけれど、今朝の検温は“10月からこの病院に勤務し始めたという、比較的年齢が近いと
思われるナース”がやってきた。午前1時の巡視時に、入り口のドア前に椅子を置いておくというイタズラを
しておいたのだが、その事には触れなかった。それより採血があったので、そちらが「1回で刺さるかどうか」
というのを気にしていたようだった。
気温が低く、血管も縮まっているのかどうかは定かではないが1回では刺さらず、両手を暖めて2階の
ナースステーションに降りていき、一緒に深夜勤務をしていた“卒後4.5年目と思われるprettyナース1”に
やってもらった。今朝は相性が悪かったのかな、という感じである。
その後は最近の恒例となっている“朝練”と称したCPMを行うことにした。
何日かやっていると慣れが生じてきたのか、早朝に曲げることによる痛みは軽減してきたように感じる。

午前9時前、深夜勤務を終えた先程の“10月からこの病院に勤務し始めたという、比較的年齢が近いと思われる
ナース”がこの病室に立ち寄ってくれた。大したことは話さず、2〜3言しゃべっていった。
今日が深夜明けなのに明日は普通に日勤だとのことで「年を取ると大変なんだから早く帰って寝るようにね。
Good-by」と言ったら笑っていた。毎度、お疲れ様という感じである。私も早く働かなくてはいけない。
このナースはどうやら精神的にも肉体的にも疲労とストレスのピークにきているようで、深夜勤務をして風邪が
悪化したと言っていた。
昨日の日勤でのやりとりの事があるので、私のホームページに登場させたよ、と伝えると「私は“そう言えば
こんな変な奴が居た”という程度で良いんですよ」と言いながら、まんざらでもなさそうな感じだった。

午前10:30頃、急に総婦長がきて「快適な入院生活をおくってますか」と様子伺いをしていった。
ちょうど今日の担当でもある“今年の新卒ナースのうちで背が高いのが印象的なナース”にリバノール湿布を
交換してもらう寸前で、左足をボリボリ引っ掻いていた所だった。
「ええ、今の所は」と返答し「いい加減に帰りたいです」と言っておいた。
他は大した会話はなく、うるさい患者の顔色を見に来たという感じがにじみ出ていた。
その直後にリバノール湿布を交換してもらった。

午後からはリハビリがあるのだが、先週の金曜日に担当のお姉さんから直接聞いていた通り、今週は研修がある
とのことで1週間は休みになる為、担当者が変わるとのことだった。いつもは13時に降りていたのだけど、
今日からは14:30という事になっていた。
ナースの検温と自主トレを終わらせてから、1階の第7サティアンに降りていった。
 @エアロバイク 25W10分
 AROM(うつ伏せになっての強制曲げ)→担当者が変わった為か、呼吸(タイミング)が合わず物足りなさを感じた。
 Bエアロバイク 30W10分

何か物足りなさを感じつつも、リハビリを終えて病室に戻って自主トレをやっていた。
話は前後するが、リハビリでエアロバイクを漕いでいる時、朝からやたらと機嫌がよさそうだった“ほぼ同じ
年代と思われる毒舌ナース”がわざわざリハ室までやってきて色々と横やりを入れていった。
「ちゃんとやってるか見に来た」と言っていた。そんな事しなくても、やってるぞ、私は!

準夜は“去年も今年も体脂肪率の数値のことで固く握手を交わした、自称・昭和41年生まれのナース”だった。
午後の検温で若いナースが「もう退院が決まったんですってね」と失言をして一時的に不愉快になったが、直ぐに
ドクターからは何も言われてないと確認した後で謝りに来たのだが、その「退院後」というのに不安と疑問がある
ので、このベテランナースに質問してみた。
 ◎確かに「リハビリをやっても症状が悪化しないこと」は確認できた。しかし改善もしていない。
  すなわち炎症反応(CRP)は±のままであるのに、退院許可を出すものなのか。
 ◎抗生剤の内服、または点滴をしなくても一端はマイナスになったCRPが、抗生剤の点滴を始めても
  ±が3週間は続いているのを、どう説明するのか。
 ◎同じ抗生剤を投与し続けても、データーが改善しないと言うのは「効果が出てないのではないか」と思われる。
 ◎ドクターからもナースからも“早く退院させたいオーラ”は伝わってくるのだが、年末年始の連休のことを
  考えると、とても不安である。

私が不安と矛盾を強く感じるのは次の2点である。
 1.CRPが±のままで退院しても良いものなのか→前述の◎印参照
 2.11/21に“抗生剤を点滴→内服に(投与方法を)変えてみる”と言っていたのはどうなったのか?

最後は納得出来るまでドクターと話し合うのは分かっているのだが…と前置きをし、このベテランナースに
「貴方だったらどうするか、どう考えるか」を聞いてみた。
答えは私とほぼ同じであり、上の◎印のことは「ごもっとも」だと思うらしい。
内服に変えてデーターを見てから退院にしたいと言うと思う…と、ナースは言っていた。
やはり上記のように考えるのは私だけではないようだ。これは納得いく説明を受けるまでは「〇日に退院します」と
言うべきでないと強く感じたのである。
又、退院日や年末年始、そして受診の間隔のことを考えると、退院時にもらう診断書についても“自宅療養”の
部分は1ヶ月というふうに書いてもらわないと困ると思う…と言ったら「そりゃ、そうだよね」と妙に感心していた。


12/5(火)
今日もまた、朝の検温直後にやる“朝練CPM”から1日が始まった。
午前9時少し前に担当医の回診があり、リバノール湿布を交換してもらうと共に次のようなコメントが発表された。
 1.血液データーが悪化してないので、抗生物質を内服薬に変更します。
 2.10日に退院で良いと思います。以後は2週間に1回程度、採血をしていけば良いでしょう。
   ⇒これらの発言の元には、昨日の準夜で“去年・今年と体脂肪率のことで握手をした、自称・昭和41年生まれの
    ナース”に話しておいた事による効果があったのか、あるいは元々担当医が考えていた事なのか…。
    いずれにしても私の考えていた通りになってきた事は確かである。

但し、CRPが(±)のままというのは気になるので「退院前の8日(金)にもう1度採血をしてもらいたい」と言ってみたら
直ぐに「ああ、良いですよ」とOKが出た。やはり最終的な数字は確認しないと、納得出来るものも納得出来なくなるというものだ。
何事もこの目で確認なのである。
又、退院時に持って帰る診断書(勤務先に提出するもの)についても、昨夜のナースには「年末年始のこともあるので」と
前置きしてから「1ヶ月の自宅療養が必要だと思う」と言っておいたが、今日は担当医からは何も言われなかったので私も
あえて言うことはしなかった。木曜日か金曜日でも十分間に合うと思う。
余り早い時期に病院側に渡すと病棟婦長の手に触れる危険性があるし、担当医は土曜日も回診するので前日の金曜日でも
何とか間に合うだろう。とにかく、嘘をつく病棟婦長には書類を一切触れさせたくないのである。

回診直後に処方箋を書いたのだろう。午前10時前後に抗生剤の内服薬が本日のリーダーでもある“卒後5.6年目と思われる
たぶん20代後半でスリム&beautifulなナース”によって、私の手元に届けられた。早速、朝の分として服用を開始した。

午後の検温を定刻の2時に済ませて、1階の第7サティアンに降りていった。
事前に“リハビリ前のリハビリ”をキッチリと施行しておくのは当然として、まずはウオーミングアップ目的のエアロバイクから
始めることにした。
 @エアロバイク 30W10分(昨日の終了時と同じ負荷)
 AROM(理学療法士による強制曲げ) やはり物足りなさを感じるが「やらないよりはマシ」という感じ。
  昨日と同様に「左踵部(カカト)とお尻の肉」が短時間だがくっついた! 
 Bエアロバイク 35W10分

順番が前後するが、リハビリ前にあらかじめ電話を入れておいたのだが、車のバッテリーが恐らくあがっていると思うので、
担当のセールスマンに病院までキーを取りに来てもらった。前回の入院時は彼の善意に甘えた格好となったのだけど、
今回は急な入院だったのでこちらからお願いしたいのだけど…というと快く引き受けてくれた。
退院後に出かける時、車のバッテリーチェックから始めるという情けない状況だけは避けたかったのだ。
いくら屋根付き駐車場とはいっても屋外には違いないので、この寒空にバッテリーをつなぎに来てくれる車を待っているという
のは御免だという思いが頭をよぎったのだ。これは感謝しなくてはいけないと思う。
本当に困った時に助けてくれるというのは、とても有り難いことなんだと思っている。

今日の準夜は“私とほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”だったが、いつもよりはおとなしめだった。
機嫌が良いのか、忙しいのか…という感じである。「変わりないね」とのみ言ってとても簡単に病室訪問が終わった。
また夜トレと称した2回目のCPMは消灯を過ぎてから行った。なんでも2台ある機械のうち1台を修理に出しているらしく、
1台で回しているという。私は2回目だし、消灯したからと言って直ぐには寝ないので「消灯過ぎても良いよ」と言っておいた。
その言葉の通り“夜トレCPM”は21:20から施行した。


12/6(水)
今日も元気にCPMから始めよう…ということで、とても元気な“卒後1年目で背が高いのが印象的なナース”に起こされた直後に
朝練が始まっていた。さすがに冬だと感じる今日この頃であるが、私はエアコンの暖房が嫌いなので使わない。皮膚の老化が急激に
進むからだし、冬はたたでさえ乾燥しているのにわざわざ乾燥を助長させることはないんである。

日勤の担当は“卒後4.5年目でパソコンに興味を持っているというナース”だったのだが、予定外の入院患者があったらしく、
彼女にしては珍しく(?)慌てていたみたいだ。検温では36.8℃ということだった。血圧も問題なしということで、
後は金曜日の採血結果がどう出るかお楽しみである。

今週の第7サティアンは14:30ということになっているので、みっちりと自主トレを施行してから1階に降りた。
担当者が違うと言うだけで、こんなに呼吸が合わないとは思っていなかった。
私の場合、今回のリハビリの目的は左膝関節のROMといって“元通りに曲がるようにする訓練=人の手による強制曲げ”だけでなく、
入院の経過から考えられるように“運動等の外力が加わることにより左膝が再び腫れないことの確認”という項目もあった為、
慎重には慎重を期してやってみたつもりである。

今日現在でその兆候はなく、左膝が腫れてくるということもないし、水やなんかが溜まるという気配もないという。
あとは退院前の血液データーが正常化していることを祈るばかりである。
 @エアロバイク 35W10分
 AROM(人の手による強制曲げ) 左カカトとお尻の肉がくっついた!
 B仕上げのエアロバイク 40W10分(これは少し疲れるかもしれない)

15:40頃、身体計測の放送があったので1階のフロアーに降りた。
この整形外科病棟では毎週水曜日に、入院患者全員の体重・握力測定を行っている。
体重はほとんど変化がなかったし、握力も30kg内外という値だった。可もなく不可もなく…という所だろう。
短時間で済むので病室に戻ろうとエレベーターを待っていたら、一昨日の深夜明けで風邪を引いてしまい、昨日は臨時休業したと
いうのを聞いて少し気になっていた“10月からこの病院に勤務し始めたという、比較的年齢が近いと思われるナース”が通り
かかったので、すかさず声をかけた。
「治った?」という問いに「まだ」とのみ返答し、足早に2階のナースステーションに上がっていった。
その後、準夜勤務で私の病室担当になったとのお知らせにやってきた時、扁桃腺が腫れて高熱が出ていたという話を聞いた。
まだ完全ではないそうだが、そのまま勤務し続けなければならないのが辛い所だろう。お見舞い申し上げます。
誰でも1度は経験していると思われるが、外見は元気そうでも実際はとても辛いという状態は多々あるものなのだ。

16:30前後にリバノール湿布を交換してもらった。
日勤の担当だった“卒後4.5年目でパソコンに興味を持っているというナース”にやってもらっていたら、
途中で“同じく卒後4.5年目と思われるbeautifulというよりはprettyなナース”が遊びにやってきた。
この子は本当に何を言っても嫌みが感じられないという印象である。やたらと明るいというのも特徴だろう。
特に用事はなかったようだが、まさに油を売りに来たという感覚だったみたいだ。

時間は忘れたが夕食の前にAちゃんが先週に引き続きやってきた。
数日前にメールで「10日に退院できると思う」と連絡しておいたら「少しでも使わない荷物は持って帰った方が良いと
思ったので」ということで、鞄を持ってきていた。こういう気遣いはとても有り難いと思っている。
面会時間ギリギリの20時まで2人でマシンガントークしていた。


12/7(木)
午前6時7分、検温よりも早く“この病棟で1番年輩と思われるナース”がやってきて室内の電気もつけず「CPM使いますか?
使わないんだったら使いたい人がいるんだけど」というので、毎日1番最後の時間に機械を持ってきてもらい、翌朝は1番で
“朝練”をやっている私としては「せっかく起こされたのだし、今やります」と言ってCPMを開始した。
自分の他にも使う人がいるのだと思うと早くした方がナースも仕事がはかどるだろうし、その患者も早くやりたいと思うので。
今、2台あるうちの1台を修理に出しているとのことなので事情は理解できる。
私が終わる時間に取りに来れば良いのだから…。CPMは1回1時間なので、誰かが朝6時から始めたとしても、夜9時の消灯迄に
出来る人数はおのずと決まってくるのである。
私が終了する午前7時10分前後の時間になったら先程のナースが取りに来るものだと思っていた。
わざわざ検温より早く起こしにきて「早くやれ」と言わんばかりだったのだから、そうするのが当然だ。
しかし終了後1時間以上が経過した午前8時17分になって、ようやく取りに来たので「もぉ〜、6時に起こしたんなら終わった
時に取りに来て下さいよ」と皮肉ったら、この年輩ナースは「すみません」と言って去っていった。
終了時に取りにきてれば、この1時間に別の1人のCPMを終わらせることが出来たのだから…。
何といい加減なことか! TIME IS MONEYなんである。

今日は朝から不愉快な事が2つばかりが続いていたが、いずれの場合も「普通にやっていれば何も問題のない事」なのに、ナースが
ちゃんとしてなかったり、余計なことを言ったりするので“味わわなくてもよかった不快感”を味わうことになるのだ。
今日の2つ目の不愉快な事は、とても人間が吐いた言葉とは思えないので別項目を設けて“病院で出会った人達”のコーナーに
書こうと思っている。こんなに屈辱的な思いをさせられて、更に室料差額を払っているなんて馬鹿らしくなってくるというものだ。
サービス業だったら、とっくの昔に首になっている種類の人間だ。

こんな人間が同じ看護婦という職業についているなんて信じられないし、私にとってはかなり驚きなのだ。

今週はリハビリの担当者が休みだとのことで、14:30に別の理学療法士と約束していた為、予定通りにリハビリ室に降りた。
トレーニング項目はこれまでと同じなので直ぐに開始した。
 @エアロバイク 40W10分
 AROM(うつ伏せになっての強制曲げ)
 B仕上げのエアロバイク 45W10分

今日は15:30にTOYOTAの担当セールスマンが病院の正面玄関まで来てくれることになっていたのだが、前述の馬鹿者ナースと
話していたので、10分ほど約束の時間よりも遅くなってしまった。
一昨日の時点で「退院後、直ぐに車が動かせるように」との目的で、時期的にやってくる定期点検をやってもらうことにしていた
のだけど、その点検の時にバッテリー交換の必要性があるという連絡が入っていたのだ。
車は一端、駐車場に納めてあるとのことで、再度KEYを取りに来てもらった…という次第なのであ〜る。

順番は前後するが、昼前にKママが来てくれたので退院の報告をしつつ、握手をしてしまった。
そして僕に買ってあげると言っていた例のマジックハンドが、近所の100円ショップにあると教えてくれた。
別に高い物でなくても良いので、相手が子供とはいえ約束を守らなくてはならないと思っていた。
5歳の彼は私の左膝を気遣ったのかどうか定かでないが「おばちゃんの足が痛くなくなってから持ってきて」という品物指定が
あったので、とにかく行かなくてはならないのだ。足が痛くなくなったから退院するのだしね。


12/8(金)
朝の検温時に“この春から整形外科病棟に勤務交代になったという割と年輩のナース”がやってきて、あらかじめ自ら希望していた
最終確認の意味での採血をしてもらった。結果は別表の通りである。悪化はしていなかったのだ。

10:30になって整形外科部長さんの回診があった。
 「どう?」→「どうやら治ったらしい」
 「おお、良いじゃん」→「はあ」
 「分かりました」…と言って去っていった。左膝に触れることはなかった。

11:10〜11:40の30分間、自宅&銀行へ外出した。
ポストに基準局から郵便物が届いており、提出期限が12/20迄となっていたので、絶妙のタイミングで退院前に書いてもらう
事が出来るし、いちいち書類のために受診なんて面倒くさいのでちょうど良かった、という感じ。
その書類を生命保険の診断書2通と共に封筒に入れて、午後の検温にきた“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”に手渡した。
同時に「勤務先に提出する診断書を書いて下さい」と希望しておいた。

午後の検温は“私とほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”がやってきたのだが、今日は手術日だとのことで忙しそうだった。
そそくさと引き上げて、担当している病室の人を手術室に連れて行く準備を整えていた。
体温が久しぶりに37.2℃となったが、今更こんなものは何ともない…という感じだ。
検温直後から14:30からのリハビリに備えて自主トレを開始することにした。別名が“第7サティアン”というリハビリ室に
行くと痛いことをされるのは分かっているので少しでも和らげば良いし、理学療法士の方も曲げやすいと聞いていた為、お互いの
都合が良くなるというものである。最後のリハも定刻通りに始まった。
 @エアロバイク 45W10分
 AROM(うつ伏せでの強制曲げ)→かなり形が崩れているが正座の格好にはなっているようだ。
 Bエアロバイク 50W10分
最後のエアロバイクは今までの最大負荷をかけたので疲労感があったが無事に終了。

リハビリが終わってしばらくして総婦長が昨日の馬鹿者ナースの件でやってきた。
これに関しては別項(このサイトの“病院で出会った人達”)を参照してもらいたい。記憶がリアルなうちに書き留めたことも
あり、限りなく事実に近いと思われる…というか事実そのものである。

準夜は“卒後4.5年目と思われるパソコンに興味を持っているナース”だったので、今朝の採血のデーターを教えてもらった。
時間は忘れたが、準夜のナースが部屋を回ってくる時間帯にお呼びがかかって「ドクターが退院前のお話をしたいと言っているので
下(ナースステーション)に来て下さい」と言われた。
大体予想はついていたのでポケットにICレコーダーを入れ、手にはノートとボールペンを持って2階に降りていった。
内容は次の通りである。
 1.年内は毎週診察・毎週採血をしましょう。抗生剤の内服はしばらく続けましょう。
 2.勤務先に提出する診断書の自宅療養期間は、正月が挟まるという事も考えて1ヶ月にしておきます。
 3.症状固定に関しては、受傷後丸2年まで労災を使っても良いと思います(労働者の権利なので)。

消灯過ぎてから「夜トレCPM」を行うことになった。
23時の巡視の時は起きていたが、以降は良く眠っていたのだと思う。


12/9(土)
朝の検温は“深夜明けでいつもより顔色が悪目な、卒後5.6年目と思われる、スリム&beautifulなナース”がやってきた。
目が開かないままCPMをセッティングし、そのまま開始した。
私は明日退院するので「後でまた寄ります」との言葉通り、午前9時過ぎに“high-tensionなのは深夜明けだけでなく昼間も
そうだったという、卒後4.5年目になるbeautifulというよりはprettyなナース”と共にやってきた。
しばらく廊下のソファーに腰掛けて3人で話をしていたら、今日の担当でもある“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”が
隣の病室から出てきたので「お早うございます」と声をかけた。
それを聞いていた2人のナースが「わあ、☆▽さん(私のこと)が敬語を使っている」と笑っていた。
ご機嫌取りとでも思ったのだろうか。ま、それはどうでも良いとするか!
それから間もなく、本日の日勤リーダーだという“去年も今年も体脂肪率のことで握手をした、自称・昭和41年生まれの
体格も元気も良いナース”が参入したので、廊下のソファーは一時的に賑やかになっていた。
再び通りかかった“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”の機嫌がとても悪そうだったので、その場は解散することになった。
深夜明けのナース達2人が駅前のドトールで朝食を食べて帰るというので、私が持っていたポイントカードをあげた。
「ポイントが入ってなかったらゴメンネ」と言っておいたのだが、まだポイントがあれば割引サービスが受けられるので、
この位は良いかと思ったのである。
足が良くなるのを手伝ってもらったので、ポイントカード程度なら「おやすいご用」というものだ。

けたたましい(?)深夜明けのナース達が帰った後で、昨日のうちに依頼しておいた診断書が手元に届いた。
退院前日にもらうと、仮に誤字・脱字・訂正等があったとてしも直ぐに訂正してもらえるという観点からそうした。
訂正印1つで受診の手続きをとって外来で…なんていう面倒なことは極力避けたいと考えていたのだ。誰だってそうだろう。
そこは機転を効かせたというだけのことなのだ。

昼食の配膳とほぼ同時に担当医の最後の回診があった。
書類に関しての説明では不満ながらも内容的に納得していたのだが、同行してきた“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”が
口を挟んできたのには正直言って腹が立った。事情も背景も何もしないのに何を言っているんだ!…という感じなのだ。
今まで、この人の言うことは内容的に正しかったので多少は口が悪くても反論する材料がなかっただけのことだ。
しかし、今回は違う。明らかに事情を知らないというのが明確なのだ。

このナースが13:30に検温にやってきたのだけど「別の人にやってもらうから」と言って帰ってもらった。
ナースは「どうぞ」とのみ言って去っていったのだが、私の中ではこのまま退院するか外泊という形を取るかについて
考えていた。土日はほとんどの場合、部屋持ちの人がそのまま入る深夜勤務だと聞いていたので、明日の朝も検温にくるのだ。

ここで私は「退院を10日にした理由」を考えた。
明日は“卒後2年目になっても私の担当になってしまった不運な(?)ナース”が日勤でやってくるので、その時にお礼の一言
を言わなくてはならないと思っていた。どれだけ良くやったかについては、別枠を設けて近いうちに紹介しようと考えている。
布団に潜って考えた結果、日勤者が確実に帰宅していると思われる時間…、そう夕食の寸前まで“荷物を持ち帰る”という名目で
自宅に外出するという形を取ることにした。これなら表面上は問題がないだろう。
こうすれば私もナースもお互いが不愉快な思いをしなくて済むというものなのだ。
私が明朝の検温の時だけ我慢すれば良いことなのだから…。
→これを同じく回診に同行していた“去年も今年も体脂肪のことで握手をした、自称・昭和41年生まれのナース”に言ったら
 黙って外出用紙を持ってきてくれたので、15時〜18時まで自宅に荷物を持ち帰ることにした。

準夜は“卒後4.5年目と思われるパソコンに興味を持っているナース”だった。
昼間は検温をしてないので、最後になるはずだった検温をしたら37.3℃と出たので最後には
ならなかった。
このナースに「私のホームページが“医学書院”の中でリンクされていた」と伝えると、意外だという
感じを持ったのか、彼女の同僚でもある“恐らく20代後半で卒後5.6年目になるスリム&beautifulな
ナース”と“卒後4.5年目と思われるとても元気の良いprettyナース”にプリントしてあげるのだという。
私のページは画像が少なく、文字ばかりなので紙が足りるのだろうかと心配になったが、
ま、その程度は何とかするだろう。とにかく見てもらい、そこで何らかの意見が出れば良いのだが…。

また、37.3℃ということだが、左膝に軽度の熱感がある程度で他の自覚症状はないので、coolingは不要
だと思うと言っておいた。退院前に余計なことにならないように…、お願いしますって感じかな。


12/10(日)
AM6:08、検温を受けるのはトップではないかと思う時間に“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”が
やってきた。起こされて直ぐだったという事もあり、必要なこと以外は何も話さなかった。
起こされた時は真っ暗だったのだが40〜50分後には明るくなってきた。

朝食と自主トレを済ませて、3連休明けでやってくる“不運なことに卒後2年目になっても私の担当になって
しまったというナース”がこの病室にやってくるのを待っていた。3階担当だと聞いていたからだ。
このように書くとせっかく来てくれたナースに悪いのだが、この日先に顔を見せに来たのは担当ナースでなく、
“10月からこの病院に勤務し始めたという、比較的年齢が近いと思われるナース”だったのだ。
意外だけど、ちょっと嬉しかったりして…。担当ナースは出勤しているとのことなので、もう少し待とう。

しばらくしてやってきた私の担当ナースは、4通の書類を持ってきた。昨日の箇所に訂正印が押されているか
確認した。書類をもらったら、会計済みという確認用紙をナースに渡すだけなのだが、
その場で渡さず「着替えてナースステーションに持っていく」と伝えた。
簡単に身支度を整え、2階のナースステーションに降りていった。

日勤のナースは3人なのだが、私の担当ナース以外はベテラン組と言われる年代の人だ。
私達、看護婦の世界は実力があってもなかなか上には上がれないと現実もあるし、また上の人に認められると
いうチャンスはそう簡単にやってくるものではない…ということも分かっているつもりである。
従って、数日前から計画していた事を退院直前に実行することにした。
私の担当ナースはとても若く、看護学校を卒業してからまだ1年と8ヶ月位しか経っていないので、
私のようなおばちゃんナースにしてみれば本当にかわいいものだ。
彼女が先輩から認められるチャンスになるかもしれないと思い、何日も前から今日の日勤者を聞いておき、
「これなら大丈夫」という計画的犯行(?)を練っていた。

私の左膝が良くなったのは彼女のお陰だと思っている。
それを先輩が何人かいる所で私の口から彼女に伝えることで、先輩から誉められればその一瞬だけでも気持ちよく
仕事が出来るのではないかと考えたからである。

お分かり頂けただろうか?
着替えて2階のナースステーションに降りていった私は、日勤のナースが3人いることを確認してから
担当ナースに向かって「去年のACL(前十字靱帯)の時も、この前の抜釘の時も、そして今回も、
私、あなたのお陰で足が治ったと思ってるから」
と伝えて1枚のシングルCDを手渡した。

そのCDは、井上陽水奥田民夫の“ありがとう”というものだった。
これで私の4回目の入院は幕を閉じたのである。我ながらカッコイイと思ってたりして…。


【帰宅して思うこと】
誰よりも“今、膝が痛い人の気持ち”に近付けるナースになれるのではないかと思っている。

この“今”というのがミソなのだ。
老若男女・職業に関係なく、病気や怪我の体験者が究極の状態から脱した時、それはもはや過去の
ものになる。そうした場合、どうしても「経験した人間にしか分からない」とか、本人が意識して
いるかどうかは別として「自分が1番大変だ」とか「私はこんなに大変なことを乗り越えたんだ」という
日本人が好む“お涙頂戴的な意味合い”があったりするのである。
要するに被害者意識というものが根底に出来てしまうという訳なのだ。
俗に言う“傷のなめ合い”もこれに該当する。

ガンなど不治の病や一生涯のおつきあいを余儀なくされる慢性病が大変で、風邪が大変でない…と思われ
がちだが、決してそうではなく逆の場合だってあるのだから“どれだけ大変か”というのは結局の所、
個人の裁量と被害者意識の強さ、そして表現方法の違いによって決められるのだと考えている。

私の場合、個人の裁量はともかくとして(自分では測定不能なので)、職業柄たくさんの人の“病気と闘う
姿”を垣間見ることが出来た。
そんな中で、何が大変なのか不明瞭だけど「ありゃあ大変だよね」と感じたことは数え切れない。
従って同じ部位(左膝)のことで4回目の入院を終えて帰宅した今、被害者意識というものはそんなに強く
ないと思っている。
また前回(9月の抜釘)と同様「しばらくは(これより痛いと思うことが出てこない限り)何でも我慢出来る」
という思いに変化はない。

自分のことは自分でケリを付ける…という意識が働いている間はその鉄則に従っていこうと思っている。
自分の身体は自分で守らなくてはならない。大切に使ったら一生使えるものなのだから…。
そういう考え方の人ばかりだとは思わないし、こういう私のような人間はまだ少ないかもしれない。
医療従事者の多くは国家資格を持っていて、なんだかんだ言っても職業が保証されている為か往々にして高圧的になりがちである。
知識や技術に関することは大差がないのだけど、今までは利用者(患者や家族)の多くが言ってきたし、
私も耳にしてきた言葉の1つに「先生や看護婦さんにお任せします」というのがあるけれど、他人任せで
良いのかと思ってしまうが、私には出来ない芸当だと感じている。

患者になりきれない自分が居るというのも事実なのだけど、私は知識や技術に関する文句はただの1度も
言ったことがない。文句を言ったり苦情を言ったりするのは“それ以外のこと”なのだ。
最後は教科書的になってしまうのだけど、結局は人間性ってことになるのかな…。

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