- 200501-

- 01月02日 -
皆様、めでたい人も、めでたくない人もいるとは思いますが、新年を無事迎えました。昨年を振り返ってみるに、どうにもこうにも、時間の軸が変貌を遂げた一年でありまして。新たな環境への適応に全力を注いだ結果、普段僕を取り巻く環境に起こる諸事に関して、酷く疎くなったかのように思います。何事も疎かにしてはならないのは承知ではありますが、目に見えることばかりが真実ではありませんので、なかなかそこに至ることが難しく感じるわけでありまして。

折りしも、大晦日における降雪は、旧年を覆い隠し、新たな気持ちで新年を臨むべきだという暗示のように思えまして。そうは言いつつ、必死に雪かきをし、いわば、折角覆われた旧年を掘り起こすかの如き所業を為していた自分に、少々恥ずかしさを覚えます。何はともあれ、今年も皆様が幸せでいられますよう、心から祈りたいと思います。今年もよろしくお願いします。さようなら。


- 01月08日 -
また、一つ歳を重ねました。どうにもこうにも、自分自身にとってみると、無為に重ねただけにしか思えないのですけれども、恐らく、昨年の自分とは異なる部分が多少なりともあるのでしょう。

先日、またしても知人の訃報が届きました。自分は何となく、そう、何となく歳を重ねているにも関わらず、それさえ叶わぬ人もいるという、どうしようもないやるせなさが込み上げてきます。今年一年、どのような年になるのか、皆目見当が付きません。さようなら。


- 01月13日 -
「たまには少々長い文章でも」と、思い立ったものの、僕の頭の片隅には何の文章になるような事柄が浮かばず、あるのはただガラクタのようなここ最近の過去の断片しかありません。なんとか紡ぎ合わせようとはしてみたものの、なかなかどうして、僕にはその才が無いのか、遅々として進みません。仕方が無いので、勢いのままこうしてタイプをしているわけであります。

最近の僕はと言えば、相も変わらず仕事ばかりで、取り立てて日常生活を彩るような出来事もありません。職場では下っ端なわけでありますから、諸先輩方の頼みを聞いてばかりであります。今まで人から顎で使われるような経験に乏しい僕でありますので、なかなか苛立ちを隠し切れないというのが本音ではありますが、社会の一員として環を乱すことはできないと思い、何とか歯を喰いしばっている次第であります。

一方、日常生活と言えば、これまた相も変わらず毎晩のように飲み歩いておりまして。何と言うか、酒が好きという以前に、勿論、好きではありますけれども、その場の雰囲気が好きなんだと自分では解釈しております。その場にいる知人・友人との他愛も無い会話が好きなのです。仕事の話などは論外でありまして、それ以外の、低俗な話に花を咲かせている自分がいます。

こうして考えてみると、最近の自分は何だか鋳型に填められた器のように、決まりきった日常を、決まりきった素振りで過ごしているのがわかります。同じ日を何回も繰り返しているかのような、そんな錯覚さえ覚えます。

大人への道筋を辿る際に、多くの人がこう言った道を歩むのでありましょう。正に岐路に立たされているかのような気がします。さようなら。


- 01月24日 -
空を見上げると、粉雪が舞い降りてまいりました。はらはらと、舞い落ちてくる様は、まるで、この世の中の汚なさなど微塵に知らない様子でありまして。ところが、それも束の間、地面に落ちた瞬間に、すぐさま溶けてしまい、生まれたばかりの粉雪は姿を消してしまいます。

所謂世間一般のあらゆる物事の存在の意味というものに対し、僕らはあまりにも無頓着でありまして。普通に、何の気なしに存在しているものが溢れているかのように思っています。しかし、いざ、それを失うと、その存在の意味を改めて考える機会を得、悲嘆に暮れることがしばしばであります。誰かの言葉ではありませんが、「意味の無いものなどなく」、それは僕らにとって当てはめても過言ではないでしょう。僕らは、それぞれが意味のある存在であり(それが誰に対してか、何に対してかはわかりませんが)、決して不用意に欠けてはならない存在なのだと強く思います。

とは、言うものの、生きるのに少々疲れてきたのもまた、事実です。さようなら。

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