- 200405 -

- 05月01日 -
どうにもこうにも、思い通りにならないことばかり起きまして。自分は社会の歯車の一部であることはどうしようもない事実ではありますが、それ以前に一介の人間であることもまた、事実であります。つまらない私情など、余計なだけであるのも、重々承知ではありますけれども、それを捨て去ることはなかなか難しいのであります。僕の背中を風が撫でてばかり行きます。さようなら。


- 05月07日 -
皆様、思い思いのゴールデンウィークを過ごしたかとは思いますが、僕はメモの方でも言っていた通り、韓国へ行ってまいりました。『一体何のために?』と問われたならば、率先して「こっちが聞きたい!」と荒れ狂う僕ではありますけれども、それなりに楽しめたので良かったんじゃないかなあって、そう思います。

折りしも、話題の「冬のソナタ」の影響によってか、其処彼処に『ヨン様、ヨン様』と喚く日本人の姿を見かけまして。流行に流されやすい日本人の特質なのでしょうか、少々呆れてはいたものの、三日目に、まさか自分がそのツアーに紛れていたことにショックを隠し切れませんでした。死のう。さようなら。


- 05月10日 -
気が付けば、間もなく月の半ばに至ろうとしている今日この頃ですけれども。巷ではそろそろ「五月病」なる病が蔓延してくるのではないかと、少々期待に満ちた表情で、今か今かと待っている次第であります。斯く言う僕は、五月病とは無縁であろう世界に身を置いているかの如き心境でありまして。と、言えば格好はいいのでしょうけれども、実際はそんなことを考える時間が無いだけであります。少しずつ、自分の時間を取れるようになってはきたものの、やはり、以前の掃き溜めの中のような、愚の骨頂とも言うべき生活に、懐古の情を覚えることがしばしばであります。その懐古の情を無くし、日々淡々と生活を送るようになった時、僕はようやく社会人と呼ばれる身分になるのだと思います。ほんの僅かな時間しか経っていないのにも関わらず、とてつもない時間が過ぎ去っているかのように錯覚をする毎日であります。さようなら。


- 05月11日 -
いやあ、ビックリした。何がビックリしたって、朝の5時起きで、帰宅が23時半過ぎというこの現実。もうね、失禁しそうでした、実際問題として。このままでは、会社に殺されてしまうのは明らかでありまして、「どうせ死ぬのならば、殺されるよりも潔く自ら死のう」と決意した僕は、自ら残業に志願するのでありました。(ポジティブ!)

日本なんか、滅んでしまえばいい。さようなら。


- 05月17日 -
ここ最近の僕はと言えば、取り立てて何をするわけでもなく、漠然と時間を過ごしておりました。否、漠然と過ごしたというよりも、気が付くと時間が経っていたと表現する方が正しいやも知れません。日々積み重なる仕事の山に辟易しながらも、懸命に喰らい付かねば、明日の自分の姿が薄くなっていきそうで。

砂時計の落つる砂を眺めていると、時間の経つことの何と遅きことかと思いますが、何かをしていると、すぐさま砂時計の砂は逆転しております。とどのつまり、そういうことなのです。時間とは、冷たいものであります。さようなら。


- 05月20日 -
懐かしき顔、懐かしき声、懐かしき仕草。そのどれもに対し、心の奥で何かが反応します。「懐かしい」と思う、その瞬間に現実と過去との狭間を垣間見る心持がします。今まで恒常的に続くと信じていた事柄が、気が付くと遠く置き去りにされていることが、まま、あります。

昨日が、遥か遠くに感じます。もう、二度と戻れないという悔恨の念からでしょうか、昔のことばかりが輝いている気がしてなりません。さようなら。


- 05月21日 -
普段歩いているときに、交互に右腕と左腕が前後します。僕達は無意識にこの行為を行っていますけれども、意識をし始めると、右足と同時に右手が出たりするから不思議です。物事は概して、このようなものではないかと思うのです。意識をしだすと、どこかギコちなく、無意識に行われるものこそ美しいものではないかと。普段何気なく行っている動作、その全てが美しいものだと、僕は思うのです。さようなら。


- 05月23日 -
数学の問題集のように、予め正解が決まっているのならば、どんなに楽であろうかと思うことがしばしばあります。僕達の歩むこの道に、正解などはなく、いつも失念ばかりに囚われているような気がしてなりません。それが仮に最善の解答であろうとも。心のどこかで「もっと違う選択をしていれば」、「あの時こうしていれば」などという思いが体を包み込みます。もしかしたら、その失念こそが、解答なのやも知れません。さようなら。


- 05月25日 -
見慣れぬ電車に乗り込んだ矢先、けたたましい音楽と共に扉が閉まりました。ゆっくりと走り出す電車から眺める風景は、見たこともない景色なのに、どこか懐かしく、なんだか不思議な感覚を覚えました。『線路は続くよ、どこまでも』という歌がありますけれども、田園地帯を走り抜ける電車の線路は、どこまでも続きそうな気がしました。それはもしかしたら、「どこまでも続いて欲しい」という、僕自身の潜在的な願望の表れなのやも、知れません。電車は、そんな僕の思いを汲んでか、ゆっくりと走っていました。さようなら。


- 05月29日 -
目を覚ますと、そこは楽園とか、そういったものとは程遠いゴミ溜めのような自分の部屋で。我ながら、自分の部屋の騒然とした状況に目を覆いたくなります。一念発起し、掃除をしようと思うのですけれども、片付けている最中に発見した雑誌を眺めたり、書物等に目を通してしまい、結局殆ど実績を残せずに業務を終了せざるを得ません。不思議なもので、掃除を完遂した直後は、塵一つ落としたくない程の清潔感を持って行動するのですが、一度気を抜くと、その薄汚れた環境が何とも居心地の良いものに早変わりしてしまいます。

人間社会も同様に、一度汚れた環境に身を置くと、それを正すのには時間と労力が相当にかかります。いや、正すことなど、到底できない分、僕の部屋よりも世の中の方が幾分性質の悪いものだと思います。さようなら。


- 05月31日 -
休日というものは、実に呆気なく過ぎて去っていきます。別段、何をしていたわけでもないのに、辺りは夕闇が迫ってきています。なんだか、上手くいかないことばかりで、逆に笑うより他に、ありません。さようなら。

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