- 200404 -

- 04月01日 -
電車の中では、実に雑多な種の人々と一緒になります。それが、帰宅時間となれば尚更のことでありまして。そのどの人々の顔は、当然のことながら、異なっておりまして。眉の位置、鼻の高さ、口の大きさなど、実にバラエティに富んでいます。こんなにも大勢の人々が同じ時間、空間に存在するのにも関わらず、互いに顔を見知っている人はほんの僅かだという事実に、ただただ驚愕するばかりです。世界は、思っている以上に広いようです。さようなら。


- 04月04日 -
「忙しい」、「時間がない」などと言っているのは言い訳なんだと思うのです。実際、そう言っている人達に限って時間を上手に使えてないだけなんだと思います。確かに、時間は永遠に続くわけではありません。少ない時間をどのように使うか、そして、どれだけ有意義に過ごせるかどうかが課題なんだと思うのです。

『最近更新頻度少ないですよね?』

いや、ちょっと忙しくて時間が無くて。さようなら。


- 04月06日 -
「誰しもが、仮面のようなものを被って生活をしている」と言ったのは心理学者のユングではありますけれども、正にその通りだと思うのであります。日々の生活を送る上で、仮面は欠かすことのできないものなのであります。それは、笑顔の仮面であったり、眉間に皺を寄せた仮面であったり。しかし、時として仮面を脱がなくては、自分を失ってしまう気がしてならないのです。仮面をつけることに違和感を覚えなくなったら、それはそれできっと楽なことでしょう。しかし、それは僕であって、僕ではないのだと思います。さようなら。


- 04月08日 -
今までの毎日更新が嘘のように、不定期で更新しているわけでありますけれども。こんばんは、しょうですよ。毎日の通勤電車に慣れ始めたのか、それまで死んだように眠っているのにも関わらず、目的地の一つ前の駅で目を覚ますようになってきました。嬉しいんだか、悲しいんだかわかりませんけれど。最近の出来事と言えば、それくらいです。早く土に還りたい。さようなら。


- 04月12日 -
今までは確かに持っていたはずなのに、改めて探してみると持っていなくて。必死に、必死に探したのだけれども、やはり、何処にも無くて。不思議と、特別な感情は湧かず、僕はただ、春の木漏れ日のその眩しさに、僕は目を細めるばかりでありました。さようなら。


- 04月14日 -
毎日首を擡げながら電車に乗っていますので、なかなか景色を堪能する機会がないのです。朝などは貴重な睡眠時間なので、それも致し方ないのですけれども、せめて帰宅の際くらいは外の景色を見ようと思うのです。単調な毎日からの唯一の逸脱方法は、景色の微妙な変化を気に留めることなのではないかと、最近思うのです。単調な毎日は、僕にとって、息苦しいものでしかありません。さようなら。


- 04月17日 -
夢のような数日を過ごしてしまうと、その後の日々に対して想像を絶する憂鬱さを覚えてしまうのは、きっと、僕にだけ当てはまることではないでしょう。日常の吉と凶は見事なまでに呼応しており、そのどちらか一方が刹那的に先行することはあっても、それが続くことはあまりありません。

何が言いたいのかと言いますと、土曜出勤の僕ですから、翌日はきっと素晴らしい一日になるに違いないという、願望に似た確信があるというわけであります。さようなら。


- 04月24日 -
今の自分が本当の自分であるのか、自信がないのです。毎日毎日目まぐるしく過ぎていく日常の片隅に、本当の自分を置いてきているような気がしてならないのです。日々は移ろい、その過ぎ行く毎日の中で、次第に蝋で固めるが如く、己の心を固めていきます。自分一人は余りに脆いものだと、痛感します。眩しき朝の日差しを浴びながら、僕は蝋で自分の心を固めます。

僕は上手に笑えていますか。上手に笑えていますか。さようなら。


- 04月26日 -
滴り落つるその何かは、一定の速度を保ちながら、何時止むことなく滴り落ちております。バランスが大事なのは重々承知しておりますが、そのバランスを、どうにもこうにも保てそうにありません。しかし、それでもなんとか生き延びている僕がいます。それでも今日という日を、終えようとしている僕が、いるのです。本当に必要なものがなんであるのか、最近わからなくなってきました。それでも、きっと、生きていけるのだと、思います。さようなら。

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