- 200403 -

- 03月01日 -
新しい月になると実感するのは、月日の流れることの早さでありまして。昔の頃に感じた早さとは丸きり違いまして、どうにかこうにか、その流れに漂っている感が否めません。歳を重ねるとはつまり、その時間の流れについていけなくなることなのだなあと、思います。月日は流れます。僕らが何をしなくとも。さようなら。

*卒業旅行に出掛けますので、一週間ほど更新ができなくなります。申し訳ありません。ではまた。


- 03月10日 -
取り敢えず、無事に日本に帰ることができました。今回訪れたのはタイでして、前日まで違う渡航先だと信じ込んでいたという、ちょっとした手違いはありましたが、楽しいたびでありました。一先ず、泥のように眠りたい心境なので寝ます。さようなら。


- 03月11日 -
昨日の日記に泥のように眠りたいなどと書いたにも関わらず、本日は4時間ほどしか寝ていない僕は、ある意味、神がかっているのだと思う。よくよく考えてみると、確かに、今までの人生の中で神がかっている節はあった。そうか、今まで気付いていなかったけれど、僕は神だったのか。そう考えると、なんだか力が漲ってきたような気がしてきた。

こうして、僕は神になりましたとさ。さようなら。


- 03月12日 -
人生ですから、それはもう、山あり谷ありというのが世情じゃないですか。誰だって、山ばかりというのが理想なのでしょうけれども、そう甘くも無く、きちんと谷が存在するわけでありまして。ここ最近の僕といえば、正にその通り、山の存在を確認した途端に奈落の底に落とされた次第であります。詳しくは後日述べることにして、取り敢えず、この世で信じられるものは金だけなんだなって、最近そう思います。さようなら。


- 03月13日 -
春の息吹を其処彼処で感じることができるわけではありますが、そんな中、僕の心はざわついているわけでありまして。原因のおよその見当はついているわけでありますが、それに対する術を持たない僕は、肩を窄めて、如何に身にその風の当たらぬようにと願うばかりなのであります。因果応報という言葉がありますが、正にその通りでありまして、結果に対する原因というものの存在は否定できず、安易に偶然などという言葉では片付けられない現状であるわけであります。どこか遠くに行きたい。(行ってきたばかりです。)さようなら。


- 03月15日 -
はらはらと、掴んだと思っても風に舞う羽のように、僕の手から何かが滑り落ちていきました。何をどうしたいというわけではなく、ただ、今のままで僕は満足なのにも関わらず。ふと目を開けたその隙間に、優しげな木漏れ日が差し込んでまいりました。僕には何だか、それさえも冷たい仕打ちのように感じました。さようなら。


- 03月16日 -
気を抜くと、足元のアスファルトが砂に変わってしまいそうで、僕は全身に気を漲らせてそこに立っていました。辺りには、いつもの、そして、いつもとは幾分違った風景が並んでいました。僕はと言えば、やはり、足元に注意しながら一歩一歩進むより他に選択肢はありませんでした。砂に呑まれないように、呑まれないように。さようなら。


- 03月17日 -
時間の使い方が下手なのです。余りある時間を処理するのに、どうにもこうにも頭を悩ませてしまいます。無駄に頭を悩ませ、余計なことばかりに気を取られ。時間は誰しもに平等であるにも関わらず、その価値は人それぞれでありまして、今の僕には苦痛以外の何物でもありません。さようなら。


- 03月18日 -
自分の思うがままに行動ができるのならば、それはそれで幸せなのでしょうけれど、あまりに身勝手なことだとも思います。人と人との繋がりの中で生活している以上、「人は人で、自分は自分だから」などという言葉は、その最たる例でありまして、手前勝手な論理の末に他の人を傷付けていることに気付かない愚か者の発言であると思うのです。そういう僕も、己が気付いていないだけで、その実愚か者の一人なのやも知れません。さようなら。


- 03月19日 -
行くも地獄、退くも地獄。なれば行くより他に道は無いのではないかと思います。所謂「正しい」行いや、「正しい」道などはどこにも存在するわけもなく、在るのは、「選択肢として」の行為や道でありまして、何をして判断するのかと問われれば、それは自分自身の信念に他ならないのだと思います。生きている以上、楽な道などは無く、楽な道などが無いからこそ、生きていることを実感するのやも知れません。さようなら。


- 03月21日 -
澱む空気の底に、僕はいます。空を見上げれば、濁った空が広がっています。僕は、街の喧騒に巻き込まれ、少々疲弊してしまったような気がします。遠く、微かにサイレンの音が聞こえます。今日も街は眠らず、夜になると昼間とは違った表情をしています。僕はと言えば、その街の片隅で何かを待ち続けているのでありまして。希望、未来、そんなもの、訪れるわけもないのに。さようなら。


- 03月22日 -
新たな発見と言うものは、自分のすぐ傍にあるものなのにも関わらず、そのことに気付くことが出来る人は、ほんの一握りであるのだと思うのです。いつも何気なく歩いている道の一本奥の道に入ってみたことはありますか?地元にある小さいお店を覗いたことがありますか?普段読まないような雑誌を手に取ったことはありませんか?ほら、そこに新しい発見が。さようなら。


- 03月24日 -
世の中に、そう面白いことなど落ちているわけでもなく、面白いことの大半は自らが作り出さなくては見付かるわけはないのです。誰しもが、「毎日面白くない」などといった不満を抱えながら生活をしていますけれども、それならば何故自らを動かそうとしないのでしょうか。日々の仕事、時間の不足などを理由にして何もしないのは、少々勿体無い気がします。何も旅行に行け等ということを言うわけではありません。しかし、その生活を面白くするのは、ほんの少しの努力なのだと思うのであります。さようなら。


- 03月25日 -
行き交う雑踏の中で歩を止めるのに勇気が必要なように、絶え間なく流れるときの中で立ち止まることは酷く難儀でありまして。他者と歩を合わせることが好きな日本人のことですから、尚のことでしょう。しかし、歩を止めたところで、誰に当たるというわけではなく、結局のところ、只一人道に取り残されるだけなのであります。さようなら。


- 03月26日 -
湿気と熱気の篭る部屋にて、延々パソコンと睨めっこ。まだまだ終わりの見えない仕事の山に、辛抱できなくなった矢先、先輩からの休憩の誘いに意気揚々と応じ、着きましたるは屋上の喫煙スペース。昨日から降り続く雨も止み、晴れ間こそ覗いていないものの、それは清々しい一瞬でありました。ほんの、慰み程度の休憩の後、残る仕事に向かうのでありました。さようなら。


- 03月28日 -
元来、愛想笑いの苦手な人間でありますから、どうにもこうにも卑屈な笑いになってしまうのは止むを得ないことだと思うのです。環境の違いで疲れるというよりも、慣れない作り笑いのせいで疲れているのではないかと思います。けれどもやはり、愛想笑いの得意な人間には、あまりなりたいとは思えない自分もいます。さようなら。


- 03月29日 -
窓の外の空を見上げると、なかなか良い天気でありまして、。当初の予定を繰り上げて外へ出てみました。日曜日の休日は、街全体がなんだかとてもゆったりとしていて、その雰囲気を味わいながら歩いておりますと、ふと、横断歩道で見知った顔に出会いました。そんな、休日を過ごしました。さようなら。


- 03月30日 -
少しずつ、少しずつではありますが満員電車に慣れてまいりまして。しかし、春になり、学生が増えてくることを想像すると、苦渋に満ちた表情になってしまうのは仕方のないことだと思うのです。世間一般では所謂春休みでありまして、お昼時ともなれば、街中に若者達が溢れています。ほんの少し前までは同じ状況だったのにと、少々憂鬱な面持ちで彼らを見ているわけではありますが、これも社会の定めだと割り切ろうとしている最中であります。僕は今、社会の中の最も小さい歯車なんです。さようなら。

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