- 200312 -

- 12月02日 -
気が付けば、早いもので師走を迎えました。残る30余日にて、今年も終わりを迎えます。思い返すと、実に様々なことがあった気がするこの一年ですが、正直、「気がする」だけで、何とも記憶に残らないようなことばかりしてきたような感が否めません。ここらで策を講じなくては、今後の人生において、2003年という年は思い出せなくなってしまうではありませんか。

そうと決まれば話は早い。かねてからの懸案事項であった、自室の掃除に着手したわけであります。もう見れば見るほど悲惨な様相を呈している僕の部屋ではありますが、いっそ、このままにしておいた方が記憶には残るのではないかと思い立ちました。そういったわけで、新年はゴミ溜めの中から迎えたいと思っています。さようなら。


- 12月03日 -
時折、自分は何のために生きているのかが、わからなくなることがあります。それは、本当に突然僕の胸の内に湧き上がる感情でありまして、その感情に抗う術を持たない僕は、暫し思案を巡らせながら、その答えを見付けようとします。しかし、結局のところ答えなど出ず、仮に答えがあったとしても、それは風に吹かれ、僕の手の届かない所まで飛んでいってしまうのでありました。まるで、手にしている煙草の紫煙のように。さようなら。


- 12月04日 -
誰が言ったか、人の心は雲のよう。風に流され、形を変えて。いつだって同じ形をしていることがありません。だからこそ、面白いのだとも、思います。最近、今まで以上に人に興味が湧いてまいりました。さようなら。


- 12月05日 -
今の状況が嫌だとか、不満だとか、そういう気持ちは微塵も無く、ただただ虚無感が僕を包み込んでいるのであります。僕が望むものは決して、手に入らないものばかりではなく、少し手を伸ばせば手に入るものばかりなのにも関わらず、その少しの勇気が僕にはありません。僕が他人の立場であれば、一笑に付し、侮蔑とはいかないまでも、それに近い感情を覚えるのでしょうが、如何せん、我が身のことなれば、そのような面持ちになることは決してなく、ただ、呆然と立ち尽くすばかりなのであります。この、身勝手な気持ちが、自分の首を絞めていることは薄々感づいてはいるのですけれども、なかなか、改善できないのもまた、事実なのであります。所詮、人は他人なのだと、思います。さようなら。


- 12月06日 -
現状が永続的に続くのならば、そういった確証があれば、きっと、少しは気も晴れることでしょう。しかし、実際は、日々刻々と時間は流れ、その流れに誰も逆らうことが出来ずに、一日が過ぎ去っていきます。無為な一日を作らないように努力をしているつもりではありますが、その毎日も単調なものになってきておりまして、些か勝手ではありますが、飽きが生じてくるのもまた事実でありまして。「このままでありたい」と願う気持ちに偽りはありませんが、「単調な生活も嫌だ」という気持ちもまた、嘘ではありません。心の安寧を目指すという意味において、その根本は同義であるにも関わらず、何故こういった矛盾が生じるのか、僕には到底理解できそうにはありません。さようなら。


- 12月08日 -
まるで真っ暗な部屋の中の蝋燭のように、ゆらめき、それでも尚、灯っているような、そういった心持がしています。僅かな風にすら、敏感に反応し、揺れ、消えかかろうとするも持ち直し。その繰り返しで何とか一日一日を乗り切っている毎日です。いっそ、このまま消え入ってしまおうかと思いもしますが、そんな弱気になっていても仕方ありませんので、形ばかりの笑顔を携えて、今日も一日を過ごすのであります。さようなら。


- 12月09日 -
突然に、脱力感と申しましょうか、そういった感覚を覚えまして。僕の両の眼を通じて見る世界が急速に味気ないものに思えてきました。振り返ると、そこには過去となった、懐かしい思い出たちが溢れ、それはもう、決して手にすることはできません。しかし、前を向こうものなら、そこにはやはり漆黒の闇しか存在しないのもまた、事実でありまして。未来派自分で切り拓かなくてはならないものではありますけれど、その一歩がなかなか踏み出せずにいます。さようなら。


- 12月10日 -
もうね、明日から世界とか無くなってら、どんなに素晴らしいことかと思う。皆気が付いたら死んでる、みたいな状況。そうしたら、死後の世界でまた皆と顔を合わせる事になるのかな。それじゃ何も変わらない。ならばいっそのこと、僕だけでも死のう。さようなら。


- 12月11日 -
全身を突き抜けるかのような、最近の寒さに、僕もまた、周囲の人と同様に身を震わせておりまして。生来、この季節が好きな性質ですから、嫌だとか、そういった感情は無いにしろ、やはり寒いといった感情は拭うことはできません。背を丸め、両の手をコートのポケットに入れながら道を歩くと、皆似たような格好をしていることに気付きます。吐き出す白い息も、煙草の煙なのかどうか、わからなくなってまいりました。ふと見上げた空は、恐ろしい程に空気が透明で、月と星とが夜空を彩っておりました。さようなら。


- 12月12日 -
色々と、厄介なことが重なっておりまして。針の如き細い神経の僕のことですから、そりゃあ、もう、どうしようもない程に弱っておりまして。きっと、この厄介な事情が過ぎ去ってしまえば「大したことなかったな」などと、喚くのでしょうが、今現在渦中にいる僕としては、最早、自分の気を持たせることで精一杯なのであります。さようなら。


- 12月14日 -
一体なんだったのだろう。深夜、不意に僕のパソコンからネットに接続できなくなってしまったのです。特に変わった事はしていないのにも関わらず、斯様な事態がおこるとは、予想だにしていなかった僕は慌ててしまったわけではありますが。

変わったことはしていないと言いながらも、ここ最近の僕といえば、身なりを整え、一見「好青年」を取り繕っています。以前の浮浪者のような格好をしていた僕を知る人は、僕を見て失禁、嘔吐、卒倒を禁じえません。久し振りの更新でいつもの感覚を忘れてしまってごめんなさい。さようなら。


- 12月15日 -
普段の生活があまりにも単調で、少々の退屈さを覚えながらも、逆に変化があると慌ててしまう僕の弱さに少々辟易しています。自分の持つ可能性が信じられず、ただただ、曖昧模糊とした将来への覚悟があるだけで、その日その日を過ごしているわけであります。決して二度無い今日という日を、無為に過ごしている僕は、本当に愚かなんだと、思います。そして、それを毎日後悔している自分に、ほとほと嫌気がさしてまいりました。さようなら。


- 12月16日 -
また一つ、この世から尊い命が失われました。これから輝かしい未来が待っていたのにも関わらず、そして、それが続くはずだったのにも関わらず。何故このような事態が起きたのでしょう。残された僕らは、故人を偲ぶより他に手立ては残されていないのであります。あなたはこんな世の中に、何を期待していましたか?あなたは、この世に何を遣り残しましたか?僕はあなたに何をしてあげることができましたか?どんなに疑問を投げかけても、どんなに名を呼んだとしても、あなたはもう、何も答えてはくれません。もう、笑いかけてはくれません。僕は決して、あなたを忘れません。そして、あなたは僕の誇りです。さようなら。


- 12月17日 -
どんなに悲しくとも、どんなに辛くとも、明日はやってきます。まるで、僕を置き去りにするかのように。日々は忙しなく、時折息をするのも苦しく感じることすらあります。しかし、それでも前を向かなくてはならないのです。下を俯いている暇などありません。そして、それが、せめてもの餞になるのだと思います。さようなら。


- 12月18日 -
耳を澄ますと、冷たい風が通り抜けていくのを感じます。瞼を開くと、冷たい風が瞳に突き刺さります。耳を塞いで、瞼を閉じるのは至極簡単ではありますけれども、それでは己が周囲で何が起きているのか、わからなくなってしまいます。テレビでは、相変わらず遠い国のニュースばかりが流れています。キャスターは淡々と、その模様を語り、まるで他人事のようであります。僕はやはり、今日もこの場所にいて、明日もこの場所にいるでしょう。そして、それが僕にできる全てのことではないかと思うのであります。そう、考えながら、冷たく透明感のある夜空に向かって、そっと煙草を吹きかけました。さようなら。


- 12月19日 -
清らかなるは、彼の心。身は朽ちるとも、彼の心は未だ地上に在り。「明日とて、見えないこの世なら、いっそこの身を」と、思う心は浅はかなり。望めど、命の永らえぬ悲痛を、苦心を感ずるか。

彼は去りき。されど、我が心に、未だ彼は在り。彼は我が心で生き続く。されば、我は前を向こう。例え、歩幅は短くとも、己が道を歩もう。さようなら。


- 12月20日 -
ふと辺りを見渡すと、そこには二本に分かれる道がありまして。道幅が狭く、人が一人渡れるのがやっとのようであります。一方は平坦で、一方は荒れていて、どちらかを選ばねばならないようでありますが、どちらの道も、丁度灯りが切れているかのごとく、先には暗闇が広がっておりまして。今までは心に決めていたはずなのに、その道がどちらだったのかすら覚束なくなってしまった僕は、ただただ、呆然と立ち尽くすより他にないのであります。さようなら。


- 12月22日 -
結局、世の中には勝ち組と負け組の2つしか存在しないわけです、実際のところ。何をして勝ち・負けであるかは、人それぞれだとは思いますけれども、人生の節々で確かにその存在を人は感じることができると思います。人はそれを嫉妬や、羨望と呼ぶかもしれませんし、時には優越、侮蔑と言うのかも知れません。

人は皆、平等に生まれながらも、決して平等には扱われません。それが人の権利であり、むしろ、人としての規則であるようにも感じます。勝ち組と負け組の線引きは非常に曖昧でありますが、一つだけ確かなことは、僕は、負け組の人間であるということです。さようなら。


- 12月23日 -
漠然とした不安を抱えながら日々を過ごしております。日々の生活に不満があるわけではありませんが、かと言って、満たされているわけでもありません。しかし、幸せは誰しもの傍にあり続けているのも承知でありまして。それに気付けない自分の愚かさに頭を抱えるばかりなのであります。寒空の舌、手を擦り合わせたところで、気持ちばかりの暖のみしか手にすることはできず、その両の手からは、何も出てきてはくれませんでした。さようなら。


- 12月24日 -
雲間を漂う烏を眺めつつ、今日とて、鬱積した気持ちを整理できずに、ただただ呆然と過ごしております。ゆらぐ紫煙を横目で追いながらも、心の中ではまた別のことを考えていることが、まま、あります。自分の言わんとすることが、一体何を指すのか、自身すらわかっていないのにも関わらず、どうしてそれを人に伝えることができましょうか。今日も答えを出せぬまま、日が暮れていくのを眺めているばかりでありました。さようなら。


- 12月25日 -
赤や白に彩られ、いつもと異なる様相を呈している街並みを、眩しそうに歩いていますと、なんだか自分が別の世界の住人のような気がしてなりません。別に、世間一般で言うところの寂しいなどといった感情は湧いてこないものの、僕にはやはり、華々しい雰囲気は似合ってはおらず、場違いである自分に向かって、乾いた笑いを与えるのでありました。メリークリスマス。さようなら。


- 12月26日 -
久しく乗ることのなかった原付に跨り、通い慣れた道を走っておりますと、肌で季節を感じることができました。いつもと違う視線で見る景色は新鮮で、毎日のように原付を乗っていた数年前を思い出し、少し懐かしくなりました。歳を重ねる度に、思い出の数は多くなり、いつしか思い出に浸ることでしか、人は楽しめなくなるのやも知れません。同じ一日など、あるはずも無いのにも関わらず、同じように感じてしまう僕は、器量の小さな人間であるのだと思います。さようなら。


- 12月27日 -
自分の理想が高いのか、なかなか僕の思うようには事は進まなく、苛立ちに似た感情を棟に押し抱く日々であります。理想と現実は、斯くもかけ離れているものかと、項垂れて過ごしています。僕の頭上を覆う空には、またしても暗雲垂れ込めてきたような気がしてなりません。さようなら。


- 12月29日 -
異国の地で目を覚ますが如く、目の虚ろなのを隠しきれないまま、昨夜の飲み残しのコーヒーで喉を湿らすと、外の空気の妙に透明なのが気にかかります。空を見上げると、灰色の雲が遥か上空を覆っておりまして、視線を逸らすと、電線の上には烏が2羽、とまっておりました。哀しげに、鳴いておりました。さようなら。


- 12月31日 -
気付けば今日も、また明け方の空を細目で眺めている僕ではありますが、その空も何やら霞んでいるような気がしてなりません。近いと思っていた空が、いつの間にか遠くなっています。手を伸ばしたところで、雲一つ掴めるわけもなく、ただただ広げた両の手を握るのみであります。

今年の一年は、実に様々なことがありました。僕は今年、何を得ることが出来たのでしょうか。そして、来年は何を得ることが出来るのでしょうか。答は、頭上の空のように、霞んでいるばかりであります。では、また、来年。さようなら。

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