- 200310 -

- 10月01日 -
崖から崖へ、渡るためには縄一本の道とも呼ぶことができない道を渡らねばならず。無事渡ることができたならば、幾ばくかの安堵の心地を手にすることができましょうが、その勇気を持ち合わせていない僕は、ただただ呆然とその縄を見つめるしかないのでありました。日常は、常にギリギリのところにあります。さようなら。


- 10月02日 -
清らかなるは彼の心。我が心の内は酷く醜く、薄汚いものでありまして。この両の眼を通じて垣間見る世の中はあまりにも重く煙たくあります。助けを求むる声すらも、雑踏の音にかき消されてしまうばかりなのであります。さようなら。


- 10月04日 -
ボンヤリと、街を歩いていると、過ぎ行く人々の顔が、どれも同じ顔をしているような気がしてなりません。よくよく見てみると、やはり千差万別の顔があるわけではありますけれども、人は、己の興味のある人の顔しか見ないのかもしれないと思い、少々反省をした次第であります。街には金木犀の香りが漂っていました。秋はもう、すぐそこであります。さようなら。


- 10月06日 -
日中の暖かさも何処へ行ったのやら、戸外に出て見ると、夕暮れと共に冷たい風が僕の頬を撫でました。鼻にほのかな秋の香を感じつつ、家路に着いたわけであります。車中から眺める通りには、幾分人の数が少なくなってきたかのように思うと同時に、その少ない人の中に肩を窄めて歩く人が増えてきたかのようにも感じました。秋のすぐ後ろで、冬が秋の背を叩いているかのような、そんな錯覚を覚えました。さようなら。


- 10月07日 -
「そろそろ・・・か。」

家々には徐々にだが、灯りが点ってきた。最近、日が暮れるのが極端に早くなった気がする。僕は短くなった煙草を投げ捨て、足でその残り火を踏み消した。ここは、所謂、ベッドタウンと呼ばれる住宅地であり、昭和の終わり頃から急速に家々が立ち並んでいった。僕はここで生まれ、そして育った。

僕が今いるこの丘陵は、小学生だった僕が友人と遊んだ、馴染みのある場所であり、ここからは全てとは言わないまでも、僕の育ったこの街の大部分を見通せることができる。昔から、悲しくなったり、辛くなったりすると、よく一人でここに来たものだった。この街で育った僕からすると、この街は言わば、第二の母親だったのかも知れない。

僕は、取り返しのつかないことをしてしまった。ほんの、些細なきっかけだった。仕事で疲れていた時に同僚に渡された、あの薬。何も疑わずに飲み込んだその先には、疲労感など感じずに止め処なく溢れ出る快楽が待っていた。そして、僕は、その快楽に、身を委ねた。

日毎に増す、得体の知れない薬の量とは裏腹に、崩れていく僕の精神状態。最早、薬が無くては何もできない体になってしまった。もう、引き際なんだ。そう思い立った僕は、あの、懐かしい丘陵にやってきた。ここ何年も訪れていないのにも関わらず、その場所は変わらず、僕を迎えてくれた。

街並みを眺めている内に、頬に何かが伝うのを感じた。そのまま暫くの間、僕はそれを拭おうともせず、ただ、頬を伝わせた。懐かしい、豆腐屋の音が聞こえる。街並みは変わってしまったが、やはり、何も変わっていなかった。

僕は、懐から手紙を取り出し、そのまま破り捨てた。そして、僕は、来る時とは違う足取りで丘陵を降っていった。気付けば、街の殆どの家々に、灯りが点っていた。さようなら。


- 10月08日 -
曇天模様の空の下、僕は相変わらずのままでありました。事態は依然好転せず、ただ、時間のみが過ぎ去っていきます。僕は、徐に懐から取り出した煙草に火を点け、口に煙を含み、それをそっと吐き出しました。煙は、風に煽られ、頭上に広がる雲と同化するかの如く、その姿を消しました。いっそ、僕の心のモヤモヤも、風に煽られてはくれまいかと思い、二度三度煙を吐き出してみましたが、やはり、何も変わりはしませんでした。僕は点けたばかりの煙草の火を消し、再び、歩き始めました。さようなら。


- 10月10日 -
久し振りに原付に乗りました。最近の移動手段は、専ら車に変わっていた僕でしたので、久し振りというよりも、懐かしい感じがしました。帰宅時の寒さも、少々煩く感じるエンジン音も、去年を思い出させてくれました。あれから、もう一年が経つのですね。僕は、何も変わってはいません。さようなら。


- 10月11日 -
ふと、周りを見渡したとしても、そこに誰がいるわけでもなく。心の隙間を埋めるものが一体何であるのかもわからず、ただ曖昧模糊とした感情を持ちつつ、辺りを茫然と歩くばかりでありまして。求むるものは、人の温かみであるのか、物であるのか。何にせよ、空虚な心持ちであることには変わりありません。さようなら。


- 10月13日 -
生き長らえて尚、このような思いに囚われなければならないのならば、いっそのこと、自らの手でこの生を絶とうという思いに駆られて仕方がありません。「生きていればきっと良いことが」などという、言葉も、ただの単語の羅列にしか感ずることができません。何のために生きているのか、わからなくなってまいりました。そろそろ、駄目なのかも、知れません。さようなら。


- 10月14日 -
目を覚まし、まだ温い布団の上に座するも、既に日は高くありまして。己の怠惰さにほとほと愛想を尽かせながらも、煙草の箱より一本の煙草を取り出し、煙を燻らせると、どうにもこうにも、「この瞬間が未来永劫続けばいいのに」などと、柄にも無く感傷的な気分に浸ってしまいます。そんな時間も、頭上に置かれる時計の長針と短針の競争によって、かき消され、否が応にも忙しない状況に追い込まれてしまうのであります。さようなら。


- 10月15日 -
陽が西の空に傾き、外は夕暮れと呼ぶには少し明るかったけれども、幾分暗くなってきたように感じられまして。僕はと言えば、まるで浮浪者のように、ただただ、濁った瞳の奥で、同じように濁ったこの街を眺めているだけでありました。虚ろな目で、ただ息をしているだけと表現した方が、わかり易いやも知れません。どこかでクラクションの鳴る音が聞こえてきます。まるで、現実が現実と思えない瞬間が、この頃多いと、思います。現実と、夢の境界線がボヤけてきています。さようなら。


- 10月16日 -
ただ、息をしているだけでは「生きている」とは言えないと、僕は思うわけでありまして。そう考えると、矛盾した表現のようにも思われますが、僕は「生きてはいない」ということに他ならないような気がしてなりません。さようなら。


- 10月17日 -
必ずしも、この世の中の在り方が正しいとは僕は思いませんが、それでも世の中は動いていることには変わりないわけでありまして。僕らは世の中に対し少々「正しさ」や、「道理」を求め過ぎているような気がして、何故だか虚しくなりました。そして、それは、図らずも「自分にとって体のいい正しさ」であったり、「自分にとって体のいい道理」であることに気付き、とても、悲しくなりました。さようなら。


- 10月18日 -
真っ暗な部屋の中、明かりはテレビだけで。僕は一人、ベッドの上で蹲っていて。ただただ、テレビを眺めていて。気が付くと、夜空は明るくなっていて。さようなら。


- 10月19日 -
僕が部屋で色々な薬を用いて一人悦に入ってる時のことです。不意に窓を叩く音が聞こえてきました。僕の部屋は2階でありまして、窓を叩くことのできるのは、サンタか泥棒しかいないわけであります。時期が時期なので、サンタはまず無いだろうと思い、手元にあった金属バットを持ち、恐る恐る窓を開けようとしたその矢先、窓の向こうに見えたのは、なんとも可愛らしい妖精じゃないですか。もうね、醜さの微塵も感じさせない妖精がいるんですよ。窓を挟んだ向こうには可愛らしい妖精、窓を挟んだこっちは、人の皮を被った醜い獣(僕です!)。こりゃあ、もう、負けでしょ?実際。そういうわけで、僕はその身を窓から投げ出し、この人生に幕を打ったわけですよ。後悔?そんなものありませんよ。むしろ晴れ晴れとした心境ですね。さようなら。


- 10月20日 -
なんだか僕しかいない部屋の中から声が聞こえてくるんです。「音」ではなく、「声」なんですよ。で、部屋の中を探し回ってみたものの、昔の自分の日記とかを発見して赤面したりしてました。あの頃は若かった。違う。僕は「声」の主を探しているんです。で、耳を澄ましていると、どうやら、この「声」の発生源は自分の脳の奥、つまりは11人編成の蟲達だと判明しまして。今回の議題は、「人と蟲との共存」のようで、何時に無く白熱している様子です。呆れた僕は、彼らの議題を根底から覆すため、睡眠薬を、一瓶飲み込んだ。さようなら。


- 10月21日 -
手を伸ばすと、そこには決して掴む事のできない大空がありまして。僕は何事も無かったかのように、伸ばした手をだらりと下げました。さっきまでの出来事が、まるで、昨日の出来事のように、遠く感じます。まだ見ぬ先に、不安の影を感じ取り、何故だか急に虚しくなりました。足早に通り過ぎ行く人々はあたかも、時間の流れに負けまいとしているようで、何だか滑稽であります。ふと、足を止め、周りを伺うと、外套を羽織っている人の姿が目立ち、冬が近いことを感じさせてくれました。さようなら。


- 10月22日 -
狂おしい程に咲き乱れる艶やかな花を見る度に、儚くも散る姿を想像してしまう僕は、何とも虚しい心の持ち主であろうと、我が身のことながらに呆れ返ってしまうことがしばしばであります。物事の起点があるとするならば、その終点があるのは道理でありまして。何処かの書の言葉ではありませんが、人は生を受けたその瞬間から、死に向かって進んでいるのではないかと、思ってしまうばかりなのであります。僕は何のために生きているのでしょうか。さようなら。


- 10月23日 -
口の中が鉄の味でいっぱい。堪え切れなく、吐き出したその液体は、僕の体も、辺りも、真っ赤に染めた。空は青空が良かったけれど、生憎の曇り空。さようなら。


- 10月24日 -
電車に乗っていると、不意に乗客達がざわつき始めたので、何が起きたのかと思い、手にした雑誌に落としていた目線を上げると、窓を雨が力強く叩いておりまして。先程までの晴天が嘘のように、雨雲が空を包んでおりました。傘を持っていなかった僕は、少々陰鬱な気持ちにもなりましたが、目的地に到着すると同時に雨が止み、僕は濡れないで済みました。自身の口からは「日頃の行いが良かった」とは、とても言えず、同じ電車に乗っていた誰かのおかげだと、思っています。さようなら。


- 10月25日 -
口を開けば不平不満を漏らす人がいます。この世に、それらの類を一度たりとも感じたことの無い人は、恐らくいないでしょう。しかし、それを胸の内に秘めるのと、声を大にして発するのは雲泥の差であると、僕は思っています。勿論、胸の内に秘めてばかりいては状況は何も変わらず、それらの類を半ば永久的に感じて生きていかねばなりません。だからと言って、それを口に出してばかりいる人間は、僕はどうかと思うわけであります。哀れみを受けたいのか、同情を欲しているのか、僕には到底わかりませんが、一つだけ確かなことは、口にする前に、何か行動をするべきではないかと、強く思うのであります。

こんな世界、滅んでしまえばいい。・・・あれ?さようなら。


- 10月27日 -
嵐が過ぎ去ったかの如く、心の内の波は、比較的穏やかな様相を呈しております。所謂、心の内なるものは、視覚的に認識できるものではありませんから、蓋を開けてみるより他にないのです。どんなに外見を取り繕ったとしても、その内なる物は誰にもわかりなど、しないのです。いや、むしろ、外見を取り繕おうとすればするほど、己が醜悪な心の内を曝け出しているのやも、知れません。さようなら。


- 10月28日 -
「わあ、この車、サンルーフが付いているのだなあ」

『そうさ、夜空を眺めようと思ってね。きみ、それがどれだけ素晴らしいものか、わかるかね』

「随分と横柄な物の言い方だね。僕にだって、それくらいわかる器量はあるものだよ」

『そうかい、ならば、きみ、そこから顔を出してごらんよ。とても素晴らしいものが見えるから』

僕には、目の前にトンネルの入り口しか見えず、次の瞬間、僕の首は吹き飛ばされた。僕にはやはり、器量が無かったのだと、思う。さようなら。


- 10月29日 -
懐中より取り出した煙草に火を点け、思い切り吸い込み、静かに吐き出してみますと、先程まで覗いていた晴れ間も、雲に隠れてしまいました。僕の吐き出した煙が原因なのか、一瞬考えもしましたが、そのようなわけもなく、馬鹿なことを考えたと、少々気恥ずかしくなりました。不意に、一滴の雫が頬を叩いたかと思うと、その勢いは急速に増し、火を点けたばかりのはずの煙草も、何時の間にやら、消火されており、呆れた顔で、僕は雨の中を歩き始めたのです。さようなら。


- 10月31日 -
苦痛、苦悩、愚考、混沌、葛藤、錯綜、醜悪、偽善、欺瞞、雑踏、喧騒、虚構、虚飾、幻想、空想、理想、疑惑、優劣、そして、ほんの少しの善意。これらを全て混ぜ合わせると、今の世の中になるのだと、思います。さようなら。

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