- 200309 -

- 09月01日 -
目を見開くことも困難なこの世の中で、唯一確かなのは、自分が自分であるということだけでありまして。それすらも、忘れかけてしまいそうな、何と言うか、曖昧模糊とした感情に身を委ねて、僕は、今日首を吊った。さようなら。


- 09月02日 -
いっそのこと、この世の中全てが夢ならばいいのに。さようなら。


- 09月04日 -
重い雲が圧し掛かる、この空の下で、僕は、そっと一言だけ、呟いた。その呟きは、誰に聞かれることもなく、ただ、道端に落ちていった。僕の呟きも虚しく、世界は今日も、何事も無かったかとのように、動いている。僕は、少しだけ、苦笑いをして、また、歩き出した。さようなら。


- 09月05日 -
僕の生活しているこの、日常は、あまりにも煙たすぎて、正直息が詰まりそうになります。薄ら笑いを浮かべて毎日を過ごすくらいならば、いっそのこと、この身を遥か上空から、地上に向けて投げ出した方が幾分マシなのではないかと、思ってしまうほどにです。何が面白いのか、僕には皆目見当が付きかねますが、皆、一様に笑っています。皆、笑っているんです。さようなら。


- 09月06日 -
声にもならない嗚咽を漏らしながら、それでも、人目を憚ってか、なるべく漏らさないようにしているその仕草を見ると、どうにもこうにも、己の無力さを痛感せざるを得ないわけでありまして。「あの時こうすれば」なんて、今更思ったところで、時既に遅く、静寂の中に響く、嗚咽だけが、慌しく僕を現実に引き戻すばかりであります。さようなら。


- 09月07日 -
半透明の膜が、僕の周りに存在していて、それを破るのは困難なことに違いはないのですけれども、その膜の中にいれば、絶対に自分は安全で。しかし、僕は安寧とか、そういったことを日々の生活に求めているかと問われると、決してそういうわけでもなく、ただただ、押し黙って、現在の状況に甘んじているだけでありまして。そうは言っても、この膜を簡単に破る勇気も持ち合わせていない僕は、やはり、どうしようもない人間に違いないと思わざるを得ないわけであります。僕を取り巻く全ての物が、どうにもこうにも、鮮明に僕の眼には映りません。さようなら。


- 09月09日 -
うっすらと、眼を開けながら、周りを見渡してみると、いつもの景色がなんとも幻想的に見えて仕方がありません。現実世界から、眼を背けることは、臆病者のすることだと、僕自身思っていましたが、如何せん、こんな世の中ですから、それも仕方のないことではないかと、最近は思います。

時間は急速に流れてはいきますが、その流れに逆らうかのごとく、僕はただ、波間に漂う枯れ木のように、己が存在する場所や、己が目指す方向すらもわからない状況にありまして。灯台からの光のような、希望とも言うべき物の存在さえも、あやふやになってしまいました。僕は、僕自身がわかりません。さようなら。


- 09月10日 -
眼を瞑ったまま歩くのは、危険極まりないことですけれども、時にはそうするより他に仕方のないこともありまして。行くべき道が、仮に、ようやく片足置くことの出来る程狭い幅だとしても、そうするより他に仕方ないことも。現実世界は、僕には眩し過ぎて、眼を瞑ったとしても、否が応にも、光が差し込んできてしまいます。その光が、希望に満ちているということが、僕には到底理解することができません。さようなら。


- 09月11日 -
眼を覚ますと、すでに昼下がりでありまして。眠気眼を擦りながら、今日もやはり、相変わらずの日常が僕を待ち構えているかと思うと、少々気落ちしてしまいましたが、僕がそう思ったところで、何もこの日常は変わらないことを考えると、その現実を受け止めなくてはならないことは明白でありまして。己を変えることも、時には必要だとは百も承知ですが、変えるべきことと、変えてはならないことの分別くらいはついていると、思っております。僕は結局は自分自身が可愛いのだと、最近思うようになりました。さようなら。


- 09月13日 -
僕を陰鬱な気持ちを、にわかに打ち消してくれたのは、澄み渡る空でありまして。月が、己の役割を全うするかのように、夜空を青く染めておりました。煙草の紫煙が、立ち昇り、夜空に消えていく様は、なんとも、儚くもあり、美しくもありました。僕は、少しばかり、笑顔を取り戻したような気がします。さようなら。


- 09月14日 -
崩れるように倒れていく酔っ払いを眺める度に、心なしか、心が温かくなります。それは、別に彼らに対する侮蔑の意ではなく、純粋に、見ていて気持ちがいいのです。何事も、順風満帆に進むことなど、あり得ない世界ですので、せめて酒に頼ってでも笑顔を取り戻そうとする、彼らの思惑が、痛いほどわかるからやも、知れません。さようなら。


- 09月16日 -
ほんの1〜2時間程車を走らせると、そこは住み慣れた大都会東京などではなく、閑静な住宅が広がっておりまして。ほんの少し視点をずらせば、見える景色が異なるのにも関わらず、その景色を見ようとしない僕は、なんとも、愚かであると言わざるを得ません。物事に置き換えてみても、真っ直ぐにでしか、物事を見れない人がいます。体のいい言葉を用いるとするならば、「素直」や、「純粋」であるのでしょうけれども、僕から言わせれば「頭が固い」としか言いようの無いことでありまして。そんな僕も、周りから見れば「疑り深い」、「天邪鬼」などとしか、思われないのでしょう。人の心は、十人十色であります。さようなら。


- 09月17日 -
毎日毎日悲観的なことを書き連ねている僕でありますけれど、実際は、そう気分を害するようなことなどあるわけでもなく、かと言って、感じの良い出来事もあるわけでもなく。自己を正当化するわけではありませんけれども、毎日はあまりに平凡で、僕に、その毎日を面白おかしく書き連ねる文才というものが、ありません。何を求めて皆さんがここを訪れるのかは、管理人である僕もわかりませんが、少なくとも、皆、少々気分がまいっていることは、間違いないことと思います。残念ながら、僕に、その気分を和らげる能力はありませんが、ここを見て、少しでも力になれたらと、恥ずかしくも、また、偉そうに思っています。取り敢えず、今日の文章は、やたらに句点が多いと、思います。さようなら。


- 09月18日 -
何事にも力を抜かない人がいます。「力を抜くことができない」と表現したほうが適切やも、わかりません。力を抜かないのと、抜くのとで、行き着く先が同じ結果になるのならば、「力を抜いた方がいい」と考える人も中にはいるでしょうが、僕は、そんな不器用なやり方を嫌いではありません。さようなら。


- 09月19日 -
煙草の紫煙をゆっくりと吐き出しながら、窓の外を見上げると、そこには夏を感じさせるような太陽が、全力で辺りを照らしておりまして。暑いのは正直苦手な僕ではありますけれども、時にはこういうのも悪くはないと思い立ち、外に出てみると、やはり想像通り、到底僕には耐えることのできない暑さが僕を襲いまして。しかし、僕が面倒がって家の中に篭っていたならば、きっと、この暑さも実感できなかったのだと思うと、満更でもない気がしました。きっと、物事も、そんなもんだと感じた一日でありました。さようなら。


- 09月20日 -
「頑張ればきっと、夢は叶う」などと言った、無責任な大人の発言に絆されて、努力に努力を重ねた挙句の挫折というものは、きっと、他人の想像を絶するほどのものであろうと、僕は思います。しかし、頑張らなければ、当然夢は叶わないどころか、より遥か彼方へと消え去ってしまうのもまた、事実でありまして。むしろ、それ以前に、夢とか理想などを持つ前に、現実を見極める力を養うべきなのではないかと、思ってしまう邪な僕がいます。僕には、そういった志が今のところ、ありません。さようなら。


- 09月21日 -
雨音を聞くまいと、頭から布団を被ること数分間の後、再び布団から這い出し、雨音に耳を傾ける僕がいます。暫くすると、雨音を聞くことに、幾ばくかのの憂鬱さを覚える僕がいて、またしても布団を被るのであります。自分が何をしたいのか、皆目見当が付きません。さようなら。


- 09月22日 -
どうにもこうにも、世の中が憎くて憎くて仕方がなかったので、僕は両の眼を刳り貫いてやりました。刳り貫いた眼を見ることはできなかったけれど、僕は触感でそれが僕のそれだと、わかった次第であります。

眼を背けたくなるような日常ではありますが、だからと言って、無下にその日常を捨て去ることも、できないのです。さようなら。


- 09月30日 -
必ず、己にとって心安らかなる場所が存在するわけでありまして。それは一人ある場であったり、友や恋人と語らう場であったりと、様々であります。己が己としてある場所、それこそが理想郷と言うのやも、知れません。それでも僕は己が己たる場所を、知らないのです。さようなら。

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