- 200308 -

- 08月01日 -
曇り空の隙間から、太陽が顔を覗かせ始めたその時、僕は車の後部座席で紫煙を吐き出している最中でありまして。眩しさの中、目を細めながら眺めたその風景は、何とも夏を感じさせるものでありました。僕は、冬の季節が持つ、透明感のある空気が好きなので、正直、この季節は苦手なわけでありますけれども、過ぎ行く人々の笑顔を見ると、満更でもないと、思う次第であります。煙草の火を消す頃に、僕の瞳には海が入り込んできました。さようなら。


- 08月02日 -
突き抜けるような青空を見上げながら、何をすることなく、呆然としておりますと、何やら上空から落ちてくるではありませんか。フワフワと、始めの内は米粒ほどの物体が次第に大きくなり、遂には肉眼で十分観察できるほどの大きさになりました。

それは、何とも表現のしようのないものでしたが、辛うじて自らの力で動いているのを見ると、どうやら生物の類なのでしょうけれども、それにしても、一体どこから来たのでしょうか。

その物体が、地上に降り立った刹那、走ってきた車に踏み潰されました。僕は、何事も無かったかのように、その場を離れました。さようなら。


- 08月04日 -
めくるめく毎日の中で僕が置き去りにしてきた物の数は、到底、指を折って数えるには計り知れない程、膨大なわけでありまして。別段、日々の生活で支障をきたすとか、そういったことはありませんが、不意に思い起こされてしまうことがありまして、そんな折にふと、自責の念に駆られてしまうばかりなのです。置き去りにしてきた物の数だけ、手に入れた物があるならば、帳尻が合うのでしょうけれども、僕には、自分自身、置き去りにしてきた物の数の方が多い気がしてならないのです。さようなら。


- 08月06日 -
むせ返る暑さを払拭しようとしたのでしょうか、不意に雷を伴った豪雨が降りまして。いつもなら鬱陶しい雨も、心なしか、ありがたく感じました。雨が止むと、街には、涼しい風が吹き始めました。さようなら。


- 08月07日 -
久しくエンジンをかけていなかった、原付に跨ってみました。エンジンのかかりが幾分悪くなったものの、一度息を吹き返すと、さも出番を待っていたかのように、軽やかに走り始めました。見慣れた通りを、いつものように車から眺めるのではなく、原付に跨りながら見てみると、普段は気付かないような、そんな光景を目にすることが出来ました。ほんの些細なことなのですけれども、視点を変えるということは、世界を変えることだと、実感した次第であります。さようなら。


- 08月08日 -
僕が思っているよりも、ずっと周りの世界は早く動いているわけでありまして。目まぐるしく変化していく日常に、ただただ呆然とするしか能の無い僕であります。されど、確かに、日常は変化をしているのでしょうけれども、これといって僕自身の変化は無く、やはり、僕は呆然と、世界の変化をしていく様を見つめより他に、これといって能が無いのでありました。僕を取り残し、世界は変わっていきます。僕は、この場所でただただ、立ち尽くすばかりであります。さようなら。


- 08月09日 -
台風の影響により、雨戸を挟んだ戸外には、凄い勢いで風が吹き荒び、便乗した雨が痛々しくも、雨戸を叩いています。雨戸という、一枚の隔たりを経た向こう側は、言わば、別世界が広がっているのでありますが、僕は、さりとて、特に意識することなく、安住の地と表現するには難しいながらも、我が部屋にて寛いでいる次第であります。所詮、僕にとって、世の中のことは他人事でしかないのだと、思います。しかし、そう思う反面、寂しい思いが募るのは何故でしょうか。さようなら。


- 08月11日 -
疑わしきは、己が心でありまして。昨日までは心で強く念じていたことも、明くる日になると、霧のように心から消え去ってしまっていることが、しばしばであります。そう考えると、己の決心なるものの存在さえ、危うく覚えます。決心とは、心を決めると書きます。しかし、実際はどうでしょうか。心を決めるのは一瞬でありまして、逐一、念頭にその決心が置いてある人は如何程いるのでしょうか。瞬間的な決心など、微塵も意味しないように感ずるのは僕だけでしょうか。さようなら。


- 08月12日 -
「変わる」ということは、決して嬉しいばかりではなく、その逆に寂しさをも、もたらすものでありまして。通い慣れた道を通る際に、遂に、小さな商店が潰れてしまったのに気付きました。そこに、足こそ踏み入れたことは無いにしろ、僕の見る景色の一部と化していまして、信号待ちの際に、閉ざされたシャッターに貼られた「閉店」の文字に、何とも言えない感情を抱いた次第であります。信号が青に変わり、僕は、何事も無かったかのように、その店を後にしました。さようなら。


- 08月13日 -
窓の外を何気なく眺めてみると、先程までは晴れ間が広がっていたにも関わらず、曇天が広がっていまして。曇り空から、時折、陽の光が差し込むと、辺り一体が、失っていた生を取り戻したかのような輝きを放ちます。まるで、さっきまで塞ぎ込んでいた人が、急に笑顔になったかのように。しかし、一向に僕の顔には、笑顔が、訪れません。さようなら。


- 08月14日 -
行く道は果てなく感ずるも、いずれ終焉を迎えるであろうという、淡い期待を持ちつつ、進むより他に無いわけでありまして。己を虚飾という名の仮面で覆う日々の生活の中で、愛想笑いとも呼ぶその仮面の下の表情に誰も気付かずに。誰のともわからない、幾つもの手が、僕の背を押し、例え両の足に、枷がされたとしても、歩まざるを得ないのであります。僕は僕だけの人生を歩んでいるはずなのに、どうしてか、僕だけの人生ではないような気がしてならないのであります。さようなら。


- 08月15日 -
先日亡くなった友人の親から小包みが届きました。中には、CDが入っていました。彼は、昔から音楽家になることが夢でした。最後に彼の夢は叶ったのです。最初で最後の、彼の夢であったCDで、久し振りに彼の声を聞きました。懐かしい、彼の声を聞きました。 さようなら。


- 08月16日 -
「一体何処に己が思い描く理想郷は存在するのか。」、そればかりが僕の脳裏を駆け巡るばかりでありまして。しかし、果たして己が理想郷とは如何なるものであるかと、思案するも、それは抽象的な言葉の羅列に過ぎず、一つとして具体性を帯びないのもまた、事実であります。ただただ、今の現状から逸脱したいという願望だけが、僕の心の奥底にあるのやも、知れません。不満不平を口にしたところで、何も世の中が変わるわけではないことは、重々承知なのですけれども、それ以外の手段を取ろうとしない僕は、なんとも、卑しく、小さき人間であると、最近よく、思います。さようなら。


- 08月18日 -
日増しに勢いを増していく憂鬱な気持ちをまるで、嘲け笑うかの如く、日々は急速に過ぎ去っていくものでありまして。自分には一体何が出来得るのであろうかと、実際は何も出来ない癖に、悶々と考え込む次第であります。確かに、日々は僕が何をしなくとも、流れ去ります。しかし、僕とて、何かを残そうとは思っていたりするのですけれども、それが何かは、一向に判る気配を見せません。さようなら。


- 08月19日 -
濁った両の眼に映るこの世界はあまりにも、薄汚れていて。以前の僕ならば、この世界のせいにするばかりで、自分の両の眼を信じ切っていたのでしょうか、自分自身に何も否は無いと思っていたのでありました。あれから幾ばくかの時が経ち、確かに、この世界は薄汚れていることは事実ですが、それと同時に、自分自身の心の内も随分と薄汚れていることに気付かざるを得なくなってしまいました。さようなら。


- 08月20日 -
虚ろな目で虚空を眺めておりますと、何やら蛍光灯がチラついていました。なんだか、そのチラつきが、死の際の、最後の足掻きのように感じられ、僕は、小さくため息を一つだけ、漏らした。さようなら。


- 08月21日 -
口を開けば、不平不満ばかりの毎日に嫌気が差した僕は、遂に口を噤むことで、自身の平穏を保とうとしたわけではありますけれども、この、言葉として吐き出すという行為こそ、自身の平穏を保つ術だということが、止めてみて初めて心得た次第であります。しかし、口にしてみたところで、後味の悪いことには変わりなく、結局のところ、事態は一向に好転しないままなのであります。さようなら。


- 08月22日 -
シャワーの口から、強力な酸とか出てきて、皆溶けてしまえばいいと思う。さようなら。


- 08月23日 -
連日のバイトのおかげで、生活が規則的にはなったものの、心に充足感と呼ぶべき物の存在が無いことに、ふと、気付いたわけでありまして。周りの環境に期待できない状況に、自らがいるので、こうなったら、自分自身の手で充足感を勝ち得ようと思った次第であります。単純に、「充足感=達成感」だと勘違いした僕は、達成感を得ようと、自身の息をどの程度止めれるかの記録を伸ばそうと決意したのです。

翌日、部屋の中で、窒息死している青年が、発見されました。さようなら。


- 08月25日 -
己が道には、一向に霧が晴れる気配もなく、ただただ、立ち尽くすばかりでありまして。しかし、何と言いましょうか、僕を取り巻く景色ばかりは変貌を遂げ、置いてけぼりにならぬよう、歩を進めるのが精一杯な状況なわけであります。環境のせいではなく、僕の無力さが起因していることは百も承知なわけでありますけれども、自分が可愛いのか、それを心の底で、否定しようとしている自分に、絶句するより他に、何も、できません。さようなら。


- 08月27日 -
深夜に車で家路に着いていた時のことです。前方を走っている車が不意に右に大きく弧を描く様に走っていきました。障害物もないのに、なんだろうと、首を傾げつつ、僕は普通に走ろうと思った矢先、車道のど真ん中を平然と歩いている老人がいました。日本も、まだ捨てたもんじゃないなと思いました。さようなら。


- 08月28日 -
それそれは、可愛くて。それはそれは、美しくて。手の内に入らないのならば、いっそのこと、この手で殺してしまいたい。何も手に入れることのなかった、平凡な日の、一瞬の凶気。さようなら。


- 08月29日 -
汚らわしくて、醜くて。僕ならば、触ることすらも躊躇するにも関わらず、何故、皆は笑顔で触れる、いや、浸かることができるのあろうか。げに恐ろしきは、人の内なり。さようなら。


- 08月30日 -
あろうことか、この世に生を受けてしまった以上、この命を粗末に扱うことは、許されないわけで。かと言って、大切に扱う必要があるのかと問われると、答えに窮するのも、また、事実に相違ないわけでありまして。結局のところ、己が信ずる道を歩むことが、何よりの生きている証なのではないかと、ふと、思ったわけであります。答えなど存在しない問題に取り組むことは、愚の骨頂とも呼ぶべき行為だとは思いますが、その「答えを求め続ける」という響きは、割と綺麗ではないかと、思うのでありました。さようなら。

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