第68回  豚に真珠

わたしは究極の価値音痴です。
ほとんどの人がその価値を認めて疑わないことについて、
勝手にずっと疑問を抱き続けてきた。

たとえばダイヤモンド。

女性ならば、手に入れて自身を飾ってみたいと思う美しい石。
男性ならば、欲に絡んで手に入れたい貴重な石。

いつかのテレビで、六本木ヒルズにお住まいの女性起業家の方が、
ご自分の胸元を指差して言った。

「これ、一億円しました」

うわぁー、もったいない。

彼女は胸元に安サラリーマンの生涯給料をブラさげていたが、
わたしはどうしても理解できない。
たかが小豆大の石ころに1億円も支払う人がいるということを。
ダイヤモンドは美しく輝いているが、
それを身につける当人が美しくなるわけではない。

元はたかが石ころであり、希少価値で1億円に成り上がっただけのもの。
その希少価値も、ニューヨークの地下金庫でコントロールしていると
聞き及んでいるゆえの希少価値である。

以前、ロシアでダイヤモンドをたくさん放出して、
一時的に市場の価値が下落したことがあったようですが、
そんなモノなのだ。

少し前の新聞のトピックスで見た記事のタイトルは
「ダイヤモンドで出来ている惑星発見か?」

アメリカの宇宙科学者が発見したようであるが、
この惑星は炭素で出来ているという。

ご存知のように、ダイヤモンドは地球誕生の際に炭素から生まれた。
カーボンも同じ炭素から出来ているが、その違いは希少価値。
しかし、惑星が丸ごとダイヤモンドで出来ていたら、
高価な宝石も元の石ころに戻る運命のようである。

お気の毒さま。

時おり、盗作騒ぎで話題になっている美術界でも、
同じ希少価値でびっくりするような価格がつけられるが、
本当の価値は? といつも疑問に思う。

もちろんすでに故人となっている画家の作品は
「今後の産出(制作)が限られる」での希少価値であるが、
それ以前に、絵の価値(才能)のルーツが釈然としない。

ある画商が、ひとりの画家の才能(?)を見出して売り出しにかかる。
それに批評家があれこれ批評を与え、その後の方向が定まる。
批評家もいろいろで、御用批評家や潰しにかかる批評家もいるという
歴史的事実も存在する。

結局、絵の価値(才能)のルーツは、
画家を発見した際の画商の胸三寸(才能をどのように判断したか)に
端を発しているのでは? と、ネット姫流に解釈しています。

画商はご存じのとおり、絵画ビジネスを職業とするもの。
ひとりの人間がビジネスがらみで下した判断が波紋のように広がり、
それが今日まで連綿と受け継がれてきた結果、
たった一枚の絵画に40億、50億の値がつけられているとしたら・・・

そして、そもそも「才能」とは何かという疑問に立ち戻ると、
世界中で起きている絵画の贋作騒動をどう解釈したらよいのか。

長年、本物だと思われてきた高価な絵画の価値が瞬時に一変する出来事は、
絵画の価値について(偽物に大金を払ってきた事実)何を物語っているの?

わたしは絵画展には比較的足を運ぶ方ですが、
絵の価値を見極めるとなるとまるっきり自信がない。
ゆえに巨匠や名の通った画家の絵画展では、
美術年鑑や学校の教科書で習ったもの、
新聞や雑誌等の何かしらの情報や先入知識に支えられ
「ほお〜、これがあの有名な絵?」と、
なにやら「実物検証型鑑賞」になっているのを否定できない。

その証拠に、一片の先入観もなしに巨匠の絵を見せられたとき、
果たして正当な価値判断を下せるかどうか、まったく自信がない。

アナタは、有名画家の本物と精巧な贋作を見分けられますか?

見分けられなくても恥じることはありません。
高名な美術評論家や博識家も、一目でそれを看破するのはむずかしいようである。
なぜなら真贋の鑑定を決定付けるのは、その時代の絵の具や、額縁の年代等、
科学的な根拠によって、どうやら本物と贋作を見分けているのだから。
もし、真贋を科学的根拠なしに直ちに見抜く力のある人がいたら、
この世に贋作騒動などは起こり得ないはず。

「本物の作品には魂が込められているが、
 なぞっただけの贋作には魂の存在は見られない」
とよく言われるが、その簡単な見分けさえ専門家も出来ないのが現状なのだから。

では、美術品の価値はどこで見分けるの?

昔からの評価、それをなぞっているだけ?
その評価のルーツもビジネスがらみ?

わたしは美術品鑑賞をする際には、
その作品に対してでき得る限りの先入観を持たないように努力している。
ニンゲンの脳細胞に刷り込まれた過去の評価や評論は、
美術品鑑賞するときには大いなる弊害になるものであるから。

しかし、鑑賞後は評論や解説を頼りにする。
そこで初めて先入観なしの感想と、解説を知った後の感想を比べてみる。

「豚に真珠」とは、
他人から見たわたしの価値観を指すのではと思い、
一応調べてみた。

価値がわからない愚か者には、価値あるものの尊さがわからない。
(故事ことわざ辞典・平井充良編)

広辞苑でも意味を確認しようと引いてみたが見つける前に、
見たくもないものが先に目に飛び込んできた。

「豚の饅頭(まんじゅう)」・・・シクラメンの別称 
 (広辞苑・新村出編、岩波書店)

これからは、あの可憐なシクラメンの花を見るたびに、
この忌まわしい別称がまず頭に浮かぶことでしょう。

このように先入知識の弊害は真に恐ろしい!

それゆえに、贋作騒動が起きるたびに、
豚さんはわたしばかりではなかったのだと、安心するのです。


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