第56回 情報の上げ底、過剰演出を見破れ

我が家は海が大好きなので、千葉方面によくドライブをする。
千葉の海は湘南や伊豆に比べたら海岸線が長くて雄大、
かつ素朴なところが気に入っている。

東京からは日帰りのコースでも、毎年1回は泊りで行きますが、
昨年も2月の初旬に行った。

この季節に、メディアは房総半島を取り上げるようであるが、
その証拠に最近のテレビでも放映していた。
この時期の観光のメインは、
フラーワーラインと称される花畑のあるコースが人気らしい。

我が家は花の季節に走ったことがなく、昨年はそれが実現したわけですが、
行く前にわたしには不安があった。

以前のコラムでもちょっと触れましたが、
夫は世間的には相当スレているのに、ガイドブック処女なのである。
情報やガイドブックの写真等を見ると、
特大のアドバルーンのように期待をパンパンに膨らませる傾向がある。

「どうせテレビや雑誌で200パーセントくらいオーバーに紹介したのよ」と、
わたしはスレッカラシぶりを発揮するが、
期待を裏切られた夫がカンシャクを起こさないように、
内心ビクビクしながらお供をするのが通例になっている。

わたしがつくづく不思議に思うのは、
夫は経済情報の分析や世の中の先行きを判断する能力に優れていて、
その判断や読みがかなり当たっていることがあるのに、
なぜか観光情報には、コロリと騙されるから不思議でならない。

わたしは世間を見る目に先見性はまったく持ち合わせていないけれど、
ガイドブックのような目くらませ的なものは、シビアに検証する性癖がある。

たとえば房総半島の花畑にしても、
「ははーん、写真撮影はこちらからローアングルで、
 花がたくさんあるように過剰演出しているわね。実際の花の数は・・・」と、
 想像を逞しくする。

このような性癖の持ち主は映画を見ていても、すぐに分析癖を発揮する。

大群衆の場面では他の人は画面の外側にも大群衆をイメージしているというのに、
「わぁ、うまく誤魔化して。カメラワークの1ミリ外側は空間じゃないの」と、
 頭の中には空間のイメージしか描けないのであるから、不幸な人間です。

しかし根は純情なわたしが、元からそのような性癖であったわけではない。
物事にはキッカケというものがある。
それを思うとマスコミの罪は深い。

かなり昔のNHK番組だった。
当時のNHKのアナウンサーは、まだ謹厳実直のイメージがあった。
番組はアナウンサーが日本各地の様子を現地から伝えるお昼の番組で、
アナウンサーが向かった村道の家の軒先で、老婆が手仕事に励んでいた。

彼はさりげなく近づき「おばあちゃん、何をしているんですか?」と聞いたが、
それはごく自然な状況だった。

おばあちゃんはボソッと言った。
「さっき、アンタに言ったばかりじゃん」

アナウンサーはかぶせるように、「〇〇のようですね」と、
手仕事の内容を口にして慌てて繕っていたが、
普通は見逃してしまう一瞬の場面を、わたしはしっかり聞き取っていた。

「うっそー、ドキュメンタリーまでリハーサルがある!」

今ではヤラセは日常的になっているようですが、
当時のNHKで番組の内容からしても、あってはならないことだった。
それは視聴者の純真な思いを裏切るものである。

その証拠に、純真だったわたしがその後はアバズレになり、
映画も楽しめなくなってしまうほどの後遺症を蒙ったではありませんか。

そればかりではなかった。
女三人で観光名所へ出かけたとき、
名所のハイシーズンであったせいか取材のテレビカメラが来ていた。
カメラはわたしたちに「その辺りで花を眺めて」
「そこからこのラインを歩いてみてください」とさまざまな注文をつけた。

撮影終了後に放映時間を教えられたので見た。
なんと、ニュース番組の中の一部で、リハーサルなどはまるで感じさせない、
ごく自然な観光客の姿を映し出していた。

それ以後は、ニュースの時に流されるこの手のものを見せられるたびに、
自然に捉えられている映像でも「うまく演出しているわね」と
わたしは冷ややかである。

ところで、房総半島のこの時期の海は、期待以上に素晴らしかった。
しかしフラワーラインは、フラワーがラインになってはいなかった。
ビニールハウスの囲いだけがいやに目に付くばかりで、
「サギだぁ」と、夫は房総を走りながら暴走、暴発した。

近々には、南の島のリゾート地に飛んでいるはず。
リゾート地があまり好みでないわたしゆえに、
情報との違いを検証する目は一層厳しくなることでしょう。



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