第202回 おまえらが束になってかかってきたって・・・

新聞で古井由吉さんの「お年寄り」という短いエッセイを読んだ。
その中の一節に高校生の女の子に
「若くて髪も肌もつやつやしているのになんでそんなにお化粧するの」と尋ねたら
「いまのうちだもの、二十歳過ぎたらどうせおばあさんだから」と言う。
老いを嫌う心はここまで来たかと綴っていらっしゃる。

やられた、と思った。

古井氏は70歳代の大作家。
芥川賞はもちろん、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞、日本文学大賞、
読売文学賞、毎日芸術賞など多くの賞を受賞し、
芥川賞の選考委員も務めた文壇の大御所であるが、
好奇心は未だに旺盛でいらっしゃるようだ。

わたしもお散歩で見かける中高生の濃い化粧や、
金の延べ板みたいな色合いに染めた髪について、
一度彼らの心境を聞いてみたいとずっと思っていた。
生の声を聞きたくて聞きたくて、いつも口元まで言葉が出そうになり
うずうずしても、声に出せなかった。

お散歩中に目の前を行く彼らに対して、空き缶投げ捨ての注意や、
他のたわいない会話はしょっちゅしているのに、
お化粧や金髪については、どうしても聞けない情けない状況だったから、
大御所の古井氏の素直な(?)好奇心に脱帽した。

なんでも知りたがり屋でも、さすがに聞けなかった理由は、
きっと彼らにとって化粧や金髪は勉強や校則よりも上位にあり、
自分の存在をアピールするためのプライドをかけているのではないかと
思えたから。

もっとも、あれこれ考えすぎずに古井氏のようにあっさり問いかけたら、
案外、彼らもあっさり答えてくれたのかもしれない。
他の質問はいつもそんな具合に答えてくれていたから。

民族の姿形や髪や肌の色合いなどは精魂を込めた「神様の総合芸術」ではと、
わたしは思っている。
そうだとしたら、肌の白い人に似合う金髪を、
黄色い肌の民族の頭に勝手に移し換えたら
総合芸術のバランスが崩れることになりはしないでしょうか?

つまり、見た目の印象がアンバランスで格好悪くなりはしない?

最もこれは、まだ親の保護下にある世代について述べているのであり、
あなた方の年ごろには、もっとするべき大事なことがあるでしょ、という気持。

オトナとなった世代にまでオセッカイをするほどの酔狂はありません。

年配者が白髪を隠すために栗色に染めたり、
若者でも慎ましい褐色ならそれなりに似合うと思うけれど、
妥協の余地がない黄金色となると、
わたしの目には人物の顔の肌の色が汚く映って見えてしまう。

以前、SMAPの香取信吾さんが役柄のためか髪を金色に染めたとき
そんな印象を受けた。
長らく金色だった彼の髪が最近のコマーシャルで
元の黒い色になっていたのを認めたとき
「やっぱりこっちの方がシマリがあっていいじゃない」と、
アイドルに疎いオバサンも注目したのです。

それにしても、学校や両親はまだ義務教育や高校に就学中の子どもが
大人のような凝った化粧をしたり金髪に染めることを、
どう捕らえているのでしょう。

注意をしたら「子どもの人権」を侵すことになると、
高名な評論家が言えば、それで納得しているのでしょうか。

わたしは物分りの良い大人と思われなくてもいい。
昔の下町のガンコ親父みたいに「駄目のものは駄目」という勇気を持ちたい。

みんなそういうテレビドラマを見て感激や共感をするのに、
現実の生活となると、とたんに物分りが良い大人になってしまうのはなぜ?

「いまのうちだもの、二十歳過ぎたらどうせおばあさんだから」と
女子高生が言ったら
「女は年をとるごとにお化粧をしなければならなくなるの。あなたもそのときが来るといやでもお化粧をしなくちゃならなくなるわ。お化粧をしない期間の方がずっと短いのだから、その時間を大切にすることを忘れないでね」と、言える大人になりたい。

金髪のつっぱり制服に
「どうしてそんなことを訊くんだよ、このおせっかいババア!」と怒鳴られたら
「ババとはなんだ。見損なっちゃいけないよ。ニンゲンが一日呼吸をして生きるってことはそれだけで大変なことなんだ。おまえらが束になってかかってきたって、この差は埋められないんだ。たまには年上の人の言うことに素直に耳を傾けたらどうなのさ」

このくらいの啖呵を切る覚悟はある。

一方で、しかしなぁ、このごろの若者は何をしでかすかわからないし、
という恐怖感もある。

でも、大丈夫。

相手に挨拶程度の声をかけ、二言三言話すだけで
危険の度合いを肌で感じ取ることができるつもりでいる。
話が通じない凶暴さを察知したら、さっさと逃げるのが得策。
これもあれも年の功だもの。

今年こそ念願の中高生の金髪や化粧のわけを聞き集めてみよう!


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